「領土問題」をめぐって
第9回目の東北アジア史のオンライン授業がおわりました。(20,7,9)
前回までの「通史」がおわり、残り二回はテーマ史ということで、今回は「周辺国との領土問題」という内容です。
双方のマスメディアが「自国の論理のみを紹介している」中で、領有権をめぐる双方をいい分を確かめながら検討する内容でした。とくに以下の三点をめぐって話をすすめられました。
①「固有領土」という説明は歴史的に通用するのか、
②「尖閣諸島や竹島の存在を知っていた」ことが領有の根拠となるのか
③中国・韓国の強い反発の背景は何か、対立と妥協の歴史
いずれも納得できる内容でした。
とくに日韓国交正常化交渉の中で、「竹島の存在は、両国の国交回復の障害になるから爆破(!)してしまえ」という都市伝説のような話が、あったとかなかったとかいう話は笑えました。しかし、領土とは何かを示唆に富んでいるようにも思えました。
「爆破して、さっぱりした」と考えれば、解決策もでてくるのかもしれませんね。
今回の意見・感想のコーナーには、おおよそ以下のような内容(かなり加筆・訂正をしましたが)を書いておきました。
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ありがとうございました。
「領土」問題という生活人にとってどうでもよい問題なのに、各「国」・「国」民が角突き合している、この問題を考える上での貴重な示唆を与えていただいたことに感謝します。
以下、本日の話を聞いて考えたことをやや理屈っぽく書かせていただきます。
前近代の東アジアは、朝貢=冊封体制にもとづくアナログな国際関係にもとづいて動いてきました。
これにたいし、19世紀になって、欧米諸国が主権国家体制(「万国公法」体制)をもちこんできます。そこでは、国境でへだてられた平等な国家が対峙しているというデジタルな原則に立っています。しかし、「平等な国家」というのは、欧米先進国にのみ通用する規定で、かれらが「文明」と認めない住民は、「国家を維持する資格」がない「無主地」とみなし、早い者勝ちで手に入れることができるという「無主地先占」の原則をもちこんできました。無人島などにたいしてはいうまでもありません。
ちなみに東アジアの諸国(「琉球王国」も含めて)は、文明国に準じる「半文明」とみなされました。そしてこの国際秩序をいちはやく導入したのが、東アジアでは異端の地位にいた日本でした。
*なお、両者を自分に都合よく利用したのが戦前の日本軍国主義であり、現在、自国の覇権主義の正当化に利用しているのが現在の中国であるようにおもわれます。
朝貢=冊封という原理にたっていた前近代の東アジア世界は、圧倒的な高度な文明を誇る中国の皇帝の「徳」をしたって周辺の君主が朝貢品を持って服属を申し出、中華帝国の皇帝が彼らを臣下としての「地位」と「暦」をあたえ保護することで、外交や内政の自由がみとめられるという、君主間、拡大解釈しても「民族」間の関係でした。
侵入と排除という関係が続いた中華世界の西半分とは異なり、おもに海で隔てられた東半分では、とくにこうした関係が強かったと思われます。
1873年、牡丹社事件(「台湾出兵」)にさいし、日本側の照会に対し、清が先住民を「化外の民」と表現したことは、朝貢を求めていない以上当然の説明でした。
この原理は東アジア諸地域でも一般的であり、支配の基本は貢納などを負担する民衆を把握するという属人主義であり、それと結びついた形での土地支配でした。人間が住んでおらず、収益をもたらすことも考えられない無人島などは支配という範疇の外の存在でした。
琉球と清との進貢船・冊封使が尖閣諸島を経由し、ときには停泊していたことは沖縄県立博物館の展示などを見ても明らかですが、当時の人びとにとって、無人島であるこの島がどちらの国のものなのか、などということは問題になりません。服属すべき人間がいないのですから。
さらに中国=清の理屈からすれば、この地球=宇宙全体が皇帝の支配下にあり、さらに琉球自体が属国なので、この無人島が中国本体のものか、琉球王国に管理を委託しているかなどは、議論の必要のないことです。しいていえば、公共の財産とでもいうべき存在だったのでしょう。
このように東アジアにおいて、無人島が「固有の領土」であるという考えは出てくるはずがなかったのです。にもかかわらず、「昔から自国領であった」と強弁することは、主権国家体制を原則とする国際秩序を前提とする「固有の領土」が存在したかのような論理は、現在の国際法を過去に反映させる暴挙です。
にもかかわらず、「固有の領土」を主張すれば、鎧の下から「無主地先占」という弱肉強食の議論が顔を出してきます。
とはいえ、欧米列強の立場にたっても、19世紀段階では無人島の領有権ということはそれほど問題にならなかったのかも知れません。
19世紀、諸国が植民地化や開国を求めたのは、市場として有望な農業地帯であったり、軍事的な重要地点でした。無人島は無用の存在でした。アフリカの熱帯雨林や中近東の砂漠と同様に。
しかし20世紀が近づき、国際関係が緊張してくるとまず軍事的ニーズが高まります。植民地獲得競争が過熱し、さらには再分割をめざす動きも始まりました。列強同士の紛争も発生、軍事拠点がもとめられます。第二次産業革命は天然資源を必要とします。
たとえ無人島であっても、領海(現在は経済水域も)を拡大するという意味をもってきます。
そして、東アジアで、いち早く「万国公法体制」を採用した日本が尖閣諸島(1895年)や竹島(1905年)の領有を打ち出してきました。
尖閣諸島については1885年段階で開拓許可願いが出されていますが、日清間で両先島諸島を清の領土(新たな「琉球王国」の復活)という形での妥協が図られる中、黙殺されていました。
「領土」問題が、純粋に領土問題として存在したことはあまりありません。つねに政治とのかかわりでもちだされました。
たとえば北方領土問題は、鳩山一郎が進める「自主独立」=日ソ共同宣言路線、それが日ソ平和条約と歯舞・色丹返還という方向にすすむことを妨害するために、アメリカ=自民党吉田派が実現困難な四島一括返還を強硬に主張、米軍も返還される二島への基地配備をちらつかせることで、日ソ間の「雪解け」に水を差しました。
領土問題はつねに政治問題に利用され、ナショナリズムを利用して政権への求心力を図るためにも利用されてきました。
韓国では、大統領の人気が下がり求心力が失われてくると「独島」問題を持ち出すというのはよく指摘されことです。
2012年、民主党政権の尖閣諸島国有化にたいする中国での猛烈な抗議行動は中国政府に対する民衆の不満を日本に向けさせる目的があったともいわれています。
はっきりいえば、誰も住んでいない無人島の帰属などどうでもいい問題です。
ところがそれがナショナリズムを利用した勢力によって排外主義的に利用されること、領海・経済水域とそこにおける利権がからみ合っている以上、なんらかの形の解決が必要です。
日韓国交正常化交渉に際して、「竹島など爆破してなくしてしまえ!」という暴論があったという都市伝説もありますが、こうした国境問題というトゲが、不要な対立を引き起こしていることもたしかです。
こうした問題を解決するには、基本的には、国家が国境というもの区切られるという主権国家的な国際秩序を無力化させることが大切です。象徴的にいえば、国家の一部であることによって国家間のトゲとなっている存在を「爆破し、なくす」ことです。具体的にはこうした島を国家の枠組みからできる限り自由にすることでしょう。
EUでの経験は国境のカベを低くすることで長い間殺し合ってきた国々との間で友好的・平和的な国際秩序を構築することができることを示しました。ガルトゥングが主張するように、国境問題を平和的に解決しようという努力のなかに、あらたな平和的国際秩序構築という展望がみえてくるかもしれません。
追記:竹島(独島)爆破を発言したのは金鍾泌や朴正煕といわれてきましたが、最初に発言したのは日本側であるとの指摘もあります。
“http://www.f8.wx301.smilestart.ne.jp/kai/news/news-13suppl.pdf“