歴史・教育のエッセー

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ホームページをはじめてから、おりにふれて書いた文章のいくつかを紹介します。

Contents

☆高校教育の中での歴史教育

  1. 高校で教える歴史の教師か、歴史を教える高校教師か? 
    学校教育、そのなかで「歴史」の授業の意味、教師の役割など自分なりの意味を考えてみました。
  2. 歴史家としての歴史教育
    やや羊頭狗肉の文章。高校の授業は、国家に命じられたように歴史事象を教えるだけ?そんなことはありません……。
  3. 歴史研究と歴史教育  ~歴史学の叙述と歴史教育の「叙述」
    上記2をうけ、歴史学とは異なる歴史教育における「話し方」について考えてみました。もうすこし、深めたい内容です。
  4. 管理も部活動もしたくないんだけど・・
    上記1の補論。なぜ部顧問が拒否できないのか、なぜ「管理」がもちこまれるのか?自分なりに考えてみました。
  5. 勉強ができないのは努力が足りないせいなのか?
    努力させることと現実の学力とのギャップへの悩みを書いています。結論はありません。
  6. 授業は、「仕事」の合間にやる「仕事」?!
    多忙化のなかで、授業と教材研究がどのようになっていくのか、当時の私の様子を書いてみました。
  7. おはよう」と「おはようございます」
    退職前に、別のところで発表しようと書いた文章。自分は教師に向いていなかったことも実感しながら。

☆歴史教育の実態と工夫

  1. 大切なことは何を教えないかだ。
    歴史の教師になって最初に痛感したことを、最初に書いてみました。なぜ、近現代史までいけないのか。最大の敵、時間不足に打ち勝つための大胆な内容カットのすすめ。
  2. 現代史までいくのはどう考えても無理。
    1.が日本史Aについて書いたのに対し、これは多くの高校で採用している日本史Bの実態報告。時間不足はさらに深刻です。
  3. 平安時代と鎌倉時代、どっちが古いの~高校生の歴史認識
    授業をやりながら感じた生徒の歴史知識の余りにもお粗末な現状。なんとかしたいとの工夫の一端を書いています。
  4. 日本史の授業をいかに精選、スピードアップするか。
    実際にどのようにスピードアップするのか。最後の数年間、私がやったやり方をまとめてみました。
  5. 「五色塚古墳」で考えたこと~「本物」と「実際」
    現在の文化財や遺物を見せただけで時代の理解をさせることができるだろうかと思って書いてみました。
  6. いろんな手法を試してみたい。~自由民権編をUPしました~
    自由民権運動の授業に「階級闘争」の視点をいれてみたという話。いろいろな歴史叙述を学ばせたいと思います。
  7. 歴史系用語の精選問題にかかわって~元高校教師の視点から
    「歴史系用語精選」について記してみました。誤解に基づく非難も多く、残念な結果におわりました。
  8. 「共通テスト」試行調査をどう見るか?
    2018年、センター試験に変わる「共通テスト」の試行テストの分析を頼まれたので、その評価をしてみました。
    (具体的な分析は共通テスト試行調査・日本史問題分析)

☆授業のネタ

  1. 江戸時代の名前と戸籍法~「名前」をめぐる明治維新史(1)
  2. 「5つの名前」と壬申戸籍~「名前」めぐる明治維新(2)
     江戸時代、人々は一人でいくつもの名前をもち、それを使い分けていた。しかし、明治になると一つを選ばねばならない。
  3. 版籍奉還・「藩」・「家禄」、そして「あさが来た」
    版籍奉還にかかわる大騒動。主従制が解体され、藩の借金は国へ。そのツケは御用商人に回されます。
  4. 二つの「1868年1月3日」~「暦」をめぐる明治維新
    太陽暦と太陰暦、「暦」の面から明治維新を考えて見ました。
  5. 家茂と和宮のそれから
    政略結婚だったが仲がよかった二人。掘り出された二人の遺骨から見えてくるもの。
  6. なぜ将軍の子どもたちは短命だった?~ある疑惑
    将軍の子どもはいっぱい。なのに成人した子どもが少ない。
    鉛中毒の可能性を考えてみました。
  7. 新たな疑惑~不幸は明治天皇一家にも
    将軍家の子どもたちだけでなく、明治天皇の子どもたちや大正天皇の病気にも疑惑が?!
  8. 徳川時代の物価はどれくらいだったのか?
    大学の授業でもらったデータを加工してみました。
  9. 日本人はなぜ英語が苦手なのか?
    福沢らの翻訳の苦労話から出発し、西洋文明の翻訳は東アジア全体のプロジェクトであったと考えてみました。
  10. 江戸時代の「年貢」は重かったのか?~「百姓」像を見直す(1)
    江戸時代、領主の苛斂誅求で百姓たちは苦しい生活を送っていたと言われます。「年貢」についてかんがえてみました。
  11. 「百姓」は百姓であったのか?~「百姓」像を見直す(2)
    「農民」と「百姓」は同じだったのでしょうか。江戸時代の「百姓」像は上からつくられたものでした。
  12. 稲作にかかわる数字と仕事~農業史にかかわる基礎知識(1)
    田植えから食卓までどのような作業があったのか。「数字」をもとに考えました。
  13. 「朝鮮米はうまくて高く売れる! ~「産米増殖計画」異聞
    日本式の米作りが朝鮮でどのように導入されたのか。植民地・朝鮮の米作りとその影響について見てみました。
  14. 幕末の人物への「アンケート調査」
    幕末の人々に「アンケート」すれば、面白いのではないかと考えて見ました。
  15. アヘン戦争はなぜおこったのか
    アヘン戦争の背景と経過について、当時の中国が抱えていた問題も踏まえながら、まとめてみました。
  16. 治外法権」なしの通商条約なんて無理
    幕末編の紹介です。不平等条約といいますが、では平等な条約がありえたのだろうか?と考えて見ました。
  17. 「おいつけおいこせ」「開発独裁」「日本人の創出」
    明治維新の授業案を書くに当たってキーになった論点をまとめてみました。
  18. 新しい「井戸を掘る」こと~「反日」と「愛国」~
    「中国で読みました」というメールへの返信として書き始めたもの。日本と中国民衆との交流の大切さを考えてみました。
  19. テロの黒幕としての「西郷」も西郷
    優れた政治改革案を提出した理想主義者・上田藩・赤松小三郎は西郷の命で暗殺された。テロの黒幕としての西郷。
  20. 憲法はまだか~1時間目の授業、手直ししました
    大学の授業で見たテレビドラマをもとに、憲法制定の過程について書き直したいきさつを書きました。

☆戦争について考える

  1. ’45年8月15日、何が終わったのか
    8月15日の意味を記そうとしたらとんでもない量になったので、独立させました。公開問題例あり。
  2. 戦争体験を語るということ
    戦争の真の姿はなかなか語られません。復員兵も、引き揚げ者も、シベリア抑留の人も。実際は、開けなかったのです。
  3. 戦争に向き合うということ~父と母の「知覧」訪問~
    両親が「知覧」を訪問したときのエピソードをもとに、戦争との向き合い方を考えてみました。
  4. 「あれを本当の戦争と思っていたのか」~学長塾第一回(1)
    日本は50年間戦争を繰り返した。しかし戦場を逃げ惑っていた人々は「日本人」ではない。日本人は戦争を知っていたのか。
  5. アメリカは沖縄を「解放」しよう!としていた
     ~「学長塾」第2期第一回(2)~
  6. 日本が勝利してたら、植民地はどうなった?
             ~仮定にもとづく未来像の検討~
    もし日本が「太平洋戦争」に勝利したら、植民地はどのようになったか、植民地に参政権が認められたという条件をもとに、勝手にシミュレーションしてみました。

☆聴講で学んだことなどから

  1. 内務省の二通の文書
    ~「国体明徴」期の「穏当を欠く」事象から

    年小学校の二宮尊徳像が、生前墓の設置申請が、内務省に「穏当を欠くのでは」と照会されます。何があったのでしょう。
  2. だれが、なぜ教会堂を襲撃したのか
     ~日比谷焼き打ち事件のなかで~
    日比谷焼き打ち事件では13カ所のキリスト教会などが襲撃されました。実態と背景を考えてみました。
  3. 日比谷焼打事件の史料から(1)教会堂襲撃をめぐって
    「だれが、なぜ教会堂を襲撃したのか」の研究ノートです。
  4. 日比谷焼打事件の史料から(2)なぜここに残ったのか
    先生の問いかけの狙いに気づき、「警視総監の報告が陸軍に残ったわけ」を書き始めるまでの経緯を記しました。
  5. 警視総監の報告が陸軍に残ったわけ~史料の発信・保存・保管
    内務大臣や東京府知事の手元に残るはずの文書がなぜ陸軍に残り、山県有朋宛だったのか、理由を考えてみました。
  6. 陸海軍記念日を「国家的記念日」に
    1928(昭和3年)陸軍は天皇の訪問をきっかけに、陸軍記念日を「国民的な記念日」としようと考えました・・。
  7. 独裁者槙村前府知事、疏水建設を批判~「開発独裁」型の地方政策の終焉
    明治初年から開明的政策を先導した槙村正直前知事は、後任の北垣府政、とくに疏水計画と府政運営を厳しく批判しました。
  8. 北白川宮能久親王の「戦病死」をめぐって
    台湾戦役で戦病死した北白川宮。戦地での皇族の死をどう扱うか、情報のやりとりを見ていきます。
  9. 「土匪」の帰順は信用できるか?~台北厦門間の経済活動の中断をめぐって
    1898年、中国大陸に台湾から清国商人が続々と引き上げてきます。その背景には児玉・後藤体制への不満がありました。
  10. 日露戦争でも「軍夫募集」を請け負いたい~一枚の「軍夫請負願」から
    日清戦争や日露戦争では、武器弾薬や食料などを運搬した「軍夫」とよばれる大量の人々が雇用されていました。
  11. 史料紹介「エドウィン・O・ライシャワー『対日政策に関する覚書』」
    知日派の代表ライシャワーが開戦直後提出した文書は、戦後のアメリカの対日政策をみごとに記していた。日本語訳はここ。
  12. 恒藤恭「世界民の愉悦と悲哀」について
    若き法学者は恒藤恭は「私が日本国民とされたということは、私の生まれた日にたまたま冷たい小雨が降っていたというようなことと同じで、私にとってなんの必然性もない。」と言い切りました。テキストはここから。
  13. 羽仁五郎の「教育勅語」論
    歴史家で参院議員の羽仁五郎は言いました。「天皇に命じられたから『親孝行』をしたのかと。その人は黙ってしまったよ」
  14. 植民地の「文明化」と「『日本』化」
    ~参政権問題と自治議会請願運動とかかわって~

    植民地では、欧米基準の「近代化」的文明を強いられる困難と帝国主義支配が一体化して苦しみを与えます。
  15. 植民地での「悪行」から「連帯」を考える
    韓国の独立記念館の展示をみて考えたのは、「連帯」のありかたでした。
  16. なぜ発砲できたのか~韓国映画「タクシー運転手」を見ました。
    自国の市民への発砲を正当化させる「論理」。朝鮮戦争期の無惨な体験とかかわって考えました。
  17. 「親日派」官僚における「植民地と近代」~任文恒「日本帝国と大韓民国に仕えた官僚の回想」をよんで
    朝鮮総督府に仕え実力を養成することが朝鮮独立につながると考えた「親日派」朝鮮人の回想から「植民地における近代」の問題を考えて見ました。

☆その他・雑文など

 

 

 

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