「現代史」までいくのは、どう考えても無理。

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<高校の日本史で最も大切なことは「何を教えないか」だ!(2)>

授業時間が足りない!~日本史Bの場合

前回では、サザンの「聞きたい現代は時間切れ」という歌詞に答える形で、きびしい時間の中ですすめている授業を、日本史Aにかかわって見てきまし た。
多くの人には愚痴を言っているだけだと怒られるかも知れませんね。
日本史Aを置いている学校は、実際には少数で、多くの学校では、原始からは じまる日本史Bをおいています。近現代だけの2単位でも、前回見た様子ですので、言いたいことは分かると思いますが、まあ聞いてください。

いわゆる日本史(「日本史B」)という科目

日本史Bは指導要領で標準単位が4単位と定められています。
しかし、日本史Aでも見た事情から、実際に行える授業は、年で100時間を どれだけ超えられるかという時間数です。
しかも、実業高校で多い日本史Aとちがって、日本史Bは普通科でおかれ、受 験科目として使う生徒も多いのです。(正式に言えば「多かった」と言うべき かもしれません)
そのためには、ある程度大学入試用にチューンナップした内容が必要です。

高校入学段階での基礎知識の差が…

日本史という科目、ちょっと考えてください。いつから勉強しましたか?
中学校ではもちろんのこと、小学校の高学年からではないでしょうか。
中学受験をする児童はこの段階で、受験科目としての日本史を学びます。
実は、私が生徒にテキストとして渡しているのは、小学生が中学受験の基礎を 作るために勉強するテキストを、アレンジしたものです。
難関の中学校を受験する小学生は、高校生のお兄さんたちが苦心している内容 を、すでに小学校時代に受験勉強として学び、マスターしているのです。
でなければ、難関中学には受かりません。
さらに同様のことが高校受験でも起こります。たしかに私の県の公 立高校入試でも、歴史の内容がでます。しかし、量も少なく、ごく一般的な設 問です。難関校でなければそこまで高い正答率は求められません。
ですか ら、「平安時代と室町時代、古い方はどっち?」と聞かれると、「室町時 代?」と答えるような生徒が一定数いるのです。
こうして考えてくると、高校に入学した段階で、小学校の段階で基礎的 な日本史の知識をもち中学校でそれを発展させてきた高校生と、小学校レベ ルの知識すらあぶない高校生が、同じ高校生として併存しています
そして、あろうことか難関高校の方が日本史の時間を多く設定して、受験に備えているのです。

大学入試のことも考えてしまう…。

こうした高校生が、同じ土俵で大学入試を受けることになります。たとえば、
大学入試センターでは平均点を60点前後としたい。でも私の高校でやっているようなことを出題すれば、「なんや、中学校入試程度の問題やんか」といわれ、高得 点が目白押しになってしまいます。
したがって、センター試験を含む大学入試では、中学入試や高校入試ででそう な所は少なめにして、高校でしか学ばない部分(社会経済史や江戸や明治など の文化史など)や史料問題、写真教材、新傾向の問題、といわれる部分、さらには脚注にちょっと触れられている内容)に問題がシフトしていきます。
こうした大学入試に、小学校レベルすらあぶない高校生が1年間の学習で間に合う のでしょうか。小学校レベルの知識を固め、脚注まで目を配り、抽象的な内容 を嫌う彼らに経済の仕組みや社会構造を説明し、漢文の時間が減っているのに 書き下し文の史料にも目を通させる。語彙などにも弱点があるため「教科書 を読んでおけ」も無理。エトセトラ、エトセトラ
教師は基本的にまじめですから、こうした入試事情にできるだけ対応しようと、史 料を使い、写真教材も扱い、定着を図るために小テストも行い、とする ものですから、時間はどんどん減っていきます。

「気合い」を入れすぎて、落とし穴に

さらに危険なのは多くの先生が「最初から」気合いを入れすぎることです。
生徒に興味を持ってもらおう、印象を良くしようと、春休み中、気合いを入れ て教材研究をします。
まず最初の部分から。丁寧に準備しているから、生徒もそれなりにのってくる…。
その結果、
人類の誕生から縄文時代、弥生時代ぐらいまでで1ヶ月くらいかかってしまう(^_^;)という落とし穴に落ち込んでしまう。
そこで、心機一転、スピードアップをする。
すると、生徒から「試験の範囲が広すぎる…」攻撃を食らうことになる。
たしかに、これでは定着できないとも思える。
その結果、1年が終わる頃になっても、信長や秀吉に会えるかどうか…
その結果、桑田佳祐に「聞きたい現代史は時間切れ」と叱られる羽目となる。
居直って、スピードアップをよしとしない人もいる。
これまでの記録は平安時代の中期「武士団の成立」…。

「明治維新」までがやっと。あとは選択単位で

 かくいう、私も必修4単位の日本史Bのクラスでは、なんとか明治一〇年の 西南戦争終結、大久保の暗殺あたりをめどに頑張っていました。
3年 次の選択講座の3時間で明治以降、高度経済あたりまでを目標に授業を進めるからとごまかしながら、それでも、サンフランシスコ条約あたりまでになってし まいますが。
「ちまちまとやっているからだ」という批判も聞こえてきそうですが、かなり精選しているつもりです。

なぜスピードアップできないのか?

よく教科書会社がや ってきます。
そして、教科書の説明に「簡潔に、わかりやすく要約した説明」といったリー ドがあります。これが曲者です。
実際には、字数を減らすため、じっくり時間をかけなければ理解されないよう な歴史用語がむきだしで書かれていたり、××的なといった抽象的な言葉をつ かうことが多いのです。

国語の授業も兼ねる必要が…

 これも別稿で触れたいのですが、生徒の言語能力の低下はかなり厳しいもの があります。
「地主」「小作」といった用語すら説明が必要です。歴史用語だけではあり ません。「度量衡」なんて論外、「世襲」や「中央集権的」といった用語すら注釈をつけなければ理解されないのです。
世界史では「皇帝」や「天皇」が支配するから「帝国」、「国王」が支配するのが「王国」」というフレーズを何回も話しました。
簡潔で要約した説明」は、よりいっそうわかりにくくさせるのです。
地理的な知識、世界地図を見せ、ヨーロッパやアフリカの場所が(内部の国の名前ではないですよ)答えられない生徒、かなり多いですよ。
日本史では、都道府県名も場所も例外ではありません。旧国名、無理です。
一般社会で普通に用いられていることばが分かっていないから、日本史が分からないという生徒が非常に多いのです。
こんなことをフォローしているから、また時間がかかります。
進学校では(教えたことがありませんが)、さっきも言ったように基礎的な内容がはいっていて、さらに抽象的なものの考え方についても訓練を積んでいるから楽です。国語力があるから、難しめ(普通?)の、抽象度の高い用語をこまごまと説明する必要もないでしょう。
にもかかわらず、6~7単位とっている。差はつく一方です。

日本史Bは6~7単位、世界史Bは8単位、あわせて補習も

 日本史Bは、私が普通にやっているペースで(それでも近世以後の文化なんかを犠牲 にしながら)日本国憲法まで行くには6~7単位でしょう。これでも補習など を数時間入れなければ、受験には対応できないでしょう。
ついでにいえば、世界史Bにいたっては8単位+補習でも難しいでしょう
ちなみに、前任校では二年間かけて日本史Bを教えていたのですが、「二年と三年が同じ日本史Bという名前を使うのはおかしい」というクレームが上からきて、名前を変えさせられ、やりもしないような授業計画を出さされました。
役所のやる仕事はこんなものです。

日本史Bや世界史Bでの入試は冒険?!

こういった理由から、「フツウの高校」で、入試科目としてはもとより、で きる限り日本史Bや世界史Bを選択したくないという生徒が増えてきます。
もっとも、私がいたような「フツウの学校」では一般入試の受験者が激減し、 国英、ないし英数二科目の推薦入試が増加し、さらに一般入試でも2科目入 試が多くを占めますから。
ちなみに、私も「受験で日本史(世界史)をとりたいんですけど」と聞かれ、センター入試だけと聞けば、よほどの場合でなければ反対します。
私立の一般入試でも「政経あたりの方が楽かもしれないよ」という言い方をす ることが多いのです。

週4時間でできることを考える

いくら文句を言っても、日本史Bの必修時間は4時間です。
ならば、その時間でやれることを考えるしかありません。
桑田佳祐に怒られないようにするのは、無理かもしれませんが、

「教えないか」という覚悟が大切

私が歴史の教師になって思ったのは、いかに内容を削り込むか、覚悟を決めて教えないか、でした。
それを無味乾燥にならないように、
生徒のわずかにあるかもしれない記憶のすみの内容に結びつけたり、 現在の問題と関連づけたりしながら。

無味乾燥な内容になることも

それでも世界史なんかでは
「○○帝国は、何世紀××で、△△によって建てられ、何世紀の□□の時全 盛期を迎えたが、何世紀、▽▽によって滅ぼされた、その特徴は・・・であっ た。」で終わりといった内容になることも多くありました。
それに、ちょっとしたコメントをなんとかつけようと努力するくらい。
場合によっては、小学校的な「平安時代は、貴族中心の時代でした。紫式部な どのかな文学がさかえました。地方では、武士も生まれてきました」だけで終 わらせることも必要なのです。
このくらいの大胆さがなければ、膨大な量の日本史を2単位や4単位で扱うこ とはできません。他方、必要と思うところには、惜しげもなく時間をつぎ込んで。

内容を精選するために

最後の数年間、わたしは某社の問題集を参考にさせてもらいながら、それをペ ースメーカーとして授業を進めることにしました。
本来なら、生徒に何を教えるべきか、もっとじっくり考えながら進めた方が良 かったとは思いますが。
このあたりはまた別の機会に。

新しい内容をいれる時間がどこにあるの?

文科省、指導要領は、つぎから次へとあたらしい内容を入れてきます。
たとえば、テーマ学習。これをするには、準備に膨大な時間がかかります。
そんな時間はどこにあるのですか。
また、かなり派手に授業時間をカットする必要があります。
あえて教えない」ということは、かなりのストレスだということも知ってい てください。
「教えない」場合、授業進行との齟齬が出ないようにするのも大変です。
気をつけねば、「あれ、ここやっていなかったっけ」というはめに陥ります。
下手をするとその分の説明が増えてしまいます。

学校教育に過剰な期待はしないでください!

どの場面でもそうですが、日本では学校教育に過剰な期待をもち、過剰な要求をしてくる傾向があるように思います。
日本史でもそうです。
「授業で教えない日本史」なんて本があります。
いろいろな、あまり生徒が乗ってこないようなエピソードがいくつか載ってい ます。
たまに、触れるエピソードはありますが、あまり細かいエピソードはふれる余 裕はありません。「こんなことも教えていないのか」という論調は迷惑です。

歴史教育は歴史学の下請けではない

歴史の研究者がかかれているtwitterなんかを見ると、「室町文化を北山文化 と東山文化だけでまとめるのは云々」「東国と西国で××は…」とかでていて、「教科書はこんないい加減な書き方をしている」みたいな内容を見ること があります。悪いけど、歴史学の水準をとかいわれても無理です。
教科書会社の方が、「この世界史の教科書はシステム論に基づいて叙述して」と言われたとき、思わず「具体的な事実が十分に入っていない高校生に理 論を教えることは、下手をすればおしつけになりませんか」といった記憶があ ります。
歴史学には歴史学の論理が、歴史教育には歴史教育の論理があります。歴史教育は歴史学を簡単にして生徒に教えるというものではないと思っています。
これもまた触れたいと思います。

新科目「歴史総合」の導入は

こんな風にグチばかり書いてきましたが、
やはり、現代史までいくのは大変です。
これにたいし、文科省も危機感を持ったのか「今度の指導要領で、日本史Aと世界史Aを組み合わせた「歴史総合」という科目 を必修科目として導入するとのことです。
趣旨としては良いのかもしれませんが、
村山談話の継承すら渋った政府のもと、 どのような近代史像を描かそうとするのか、
桑田佳祐の問いに答えるようなものとなるのか。
政治によって、ご都合主義的に歴史が扱われないか
やや心配があります。

追記:

元高校教師という立場から、教師に甘くなっているなと思います。
高校側にも、様々な問題があります。
近現代史を扱わないのは、「やったことがなくて新しい教材研究がしんどい」 「準備する時間がない」という怠慢や、「変なことをいって、攻撃を受けたり しないか」という自己防衛などが背景にあり、時間不足を口実にしている人も いるかもしれません。
現在、学校現場で個々の教師は孤立のなかに置かれる傾向があります。こうし たなかで、「こんなやり方もあるよ」という声をもっと出していくことが必要 な気がしています。

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