高校の日本史で最も大切なことは「何を教えないか」だ!(1)
~週二時間、年5~60時間で何が教えられの?~
サザン・桑田が放った厳しい批判
2014年度末の紅白歌合戦の話題の一つはサザンオールスターズのステージでした。
そこでちょび髭をつけた桑田佳祐は「教科書は現代史をやる前に時間切れ、そこがいちばん知りたいのに、なんでそうなっちゃうの」(「ピースとハイライト」)と歌い、大きな感動を与えました。同時にバッシングも。
この歌は、私たち歴史の教師への厳しい批判でもありました。
ある教師の研究会の席上で、他教科の先生が「せっかく歴史の時間を保障してるのに日本の戦争をおしえてくれない」との批判を聞いたこともあります。
そのことの意味は、分かりすぎるほど分かっていますが、ちょっとだけグチを聞いてください。
そのことの意味は、分かりすぎるほど分かっていますが、ちょっとだけグチを聞いてください。
日本史Aという科目
今回、授業中継をしている科目は日本史Aという科目です。指導要領によれば、日本近現代を範囲とする科目で標準単位は2単位となっています。
ちなみに、多くの人がイメージする日本史は日本史Bで、原始以来の日本史を範囲とする科目で、標準単位は4単位となっています。こっちの方が、いっそう悲惨なので、稿を改めて報告します。
二単位という時間数
二単位とは、一週間2回授業があるということ。
高校では、一年35週間が原則なので、簡単に計算すれば年間70時間の授業があります。
しかし、その間、定期試験があり、学校祭、研修旅行、高校入試などの行事があり、授業時間はどんどん減っていき、実際は、年50~60時間程度になります。
私が定年まで勤めていた学校では、この二単位の授業が5クラス横並びに並んでいました。
少なくとも、自分の持っているクラスでは共通のテストとなる(したい)ので、いちばん遅れているクラスにあわせて試験範囲を設定します。あるクラスでは骨格だけの授業となる一方で、一部のクラスではエピソードなどを増やしたり、テスト勉強の時間をしたり、ビデオ教材となったりという形で時間調整をします。
こうしてさらに実質の時間は減ってしまいます。
この時間の枠組みの中で、近現代史をするのです。
急に「大坂の国訴」といわれても…
日本史Aは近現代を扱うのですから、ペリー来航、あるいはその少し前から始めればよいし、教科書もそんな感じです。楽勝だと思われがちですし、私も最初はそう思っていました。
以前使っていた教科書では、江戸時代の中期まで、世界との関わりを中心とした概説があります。この概説が、もう少しましならいいのですが、簡単に言えば、使い物になりません。
ところが19世紀に入ったあたりから、やけに詳しい内容となるのです。鎖国の説明や幕藩体制の説明も、その他、江戸時代の説明も、ごく説明だけみたいな感じなのに、急に。
何もないところに、急に「大坂の国訴」とか、「マニュファクチュア」とか、「国学」がとか。
教える方も、教えられる方も、できるわけない、となってしまします。日本史Bと同じような細かい内容が「さあ覚えなさい」とばかりにでてきます。
教える立場からすると、「えい、やあ」という形でペリー来航から始める方がましです。
ペリー以前をカットするとなぜまずい?
しかし、そうすると「日本の近代は外国のせいで始まった。それまでの日本は眠ったまま、発展してこなかった」という、誤った理解に導くことになります。そうした誤りを避けるために、ここから始まるということも理解できます。戦前からの維新史の大きな論点でしたから。
なお、ペリーから始めるときは、なぜ「日本の貿易が開国と同時に急速に伸びたのか」というあたり、あるいは草莽の志士や「新撰組」、自由民権あたりをつかって、ペリー以前の内発的な発展や矛盾を説明しています。でも、後追いの説明は、生徒には入りにくいものです。それでも、やむなくやることも多いのですが…。
歴史を途中から始める…危険な落とし穴が
日本史でも、世界史でも、歴史という教科は、それまでの時代との関わり合いのなかで説明しないと、なかなか説明しづらいです。
だから、つなぎのつもりで、慣れている前近代の概説の説明を、原始から!始めてしまいます。
そこで落とし穴に落ちるのです。
その結果、2学期になっても、まだ本来の範囲に入らないなんてこともざらです。そんな人の方が多いかもしれません。
戦国時代からはじめる
私は、この授業中継の内容を見てもらえればわかるように、近世から、実際には中世末期の戦国時代から始めています。
それでも、「戦国時代の前はどんな時代だったのか」といった内容が不十分です。時代区分なんてほんとうに苦手です。
それでも、「戦国時代の前はどんな時代だったのか」といった内容が不十分です。時代区分なんてほんとうに苦手です。
「縄文・弥生・…・鎌倉・室町」といった小学生的な時代区分、知ってて当然とはいえません。逆に覚えている方が少数です。
(そんなに学力の低い高校でもなかったのですが)
だから、以前の時代については、丸覚えプリントを配り、確認テストを行ってお茶を濁して…。
おもむろに戦国時代からの授業を始めます。自前の(パクリ気味の)テキスト(「近世史」)と授業プリントを準備して。内容は、授業中継の方を見ていただければと思います。
1学期中間で本来の範囲までいけるか?
「授業中継」はやや盛り込みすぎました。あの内容をやれば、やはり落とし穴に落ちます。だから、実際には、生徒のノートに記された板書に毛の生えた程度ですすめます。江戸期の改革なんて5~10分というひどさです。本当はカットしたかったのですが、考査で使いたいので残したというところです。
あんなこんなで、落とし穴に落ちれば「江戸時代までの概説」でおわり、なんとか踏みとどまって「開港とその影響」ぐらいまでが1学期中間考査の範囲です。
気がつけば、大正時代にすらいけていない?!
前任校では大きな校内行事があったり、幕末ではついつい講談調になってしまったりで、廃藩置県や地租改正など明治初年の改革の途中という中途半端なところで1学期末考査。
急がなければ、と思いながら、明治初年の改革や民権運動、明治憲法、条約改正あたりで2学期中間。
前任校の特殊事情もあって、日清・日露、韓国併合ときて、大正に入るかはいらないかで2学期が終わってしまう。
急がなければ、と思いながら、明治初年の改革や民権運動、明治憲法、条約改正あたりで2学期中間。
前任校の特殊事情もあって、日清・日露、韓国併合ときて、大正に入るかはいらないかで2学期が終わってしまう。
せめて8月15日までいかなければ!
やばい、尻に火がついてきたと、猛ダッシュするのが3学期。
なぜなら「せめてアジア太平洋戦争が終わるまで、できれば日本国憲法ができるまではやらねば、日本近代史(近現代史といえないところがつらい!)にならないではないか」と涙をぬぐって、次々と内容を削り、ビデオ教材を乱発し、「こうして戦争は終わった。こんなことは二度としたらだめだ、こうした思いから現在の憲法ができたんだ」となって終わるのが、連年の流れとなってしまいます。
なぜなら「せめてアジア太平洋戦争が終わるまで、できれば日本国憲法ができるまではやらねば、日本近代史(近現代史といえないところがつらい!)にならないではないか」と涙をぬぐって、次々と内容を削り、ビデオ教材を乱発し、「こうして戦争は終わった。こんなことは二度としたらだめだ、こうした思いから現在の憲法ができたんだ」となって終わるのが、連年の流れとなってしまいます。
サザンの批判にどれだけ応えられているかは内心忸怩たるおもいです・・・。
近現代史だけでも3~4単位ほしい!
本来なら、日本史Aで3単位、平成まで行こうとするなら4単位は必要だと思います。
なお、大正以降の授業中継は、3年生での選択講座の授業などを使って、書いていくつもりです。
なお、大正以降の授業中継は、3年生での選択講座の授業などを使って、書いていくつもりです。
また、スピードアップのやり方も紹介したいと思っています。。
多くの先生は明治で終わってしまう。
日本史Aという狭い範囲を扱い、受験ともあまりかかわらない科目ですら、このようなばたばたしたようすです。
私は「アジア太平洋戦争が終わり、なぜ憲法ができたか」までいかないといけないという思いがありますので、生徒にぶつぶついわれながら、進めます。
私は「アジア太平洋戦争が終わり、なぜ憲法ができたか」までいかないといけないという思いがありますので、生徒にぶつぶついわれながら、進めます。
しかし、多くの先生方は受験と関係がないということもあって、明治末年か、大正で終わってしまいます。
「何を教えないか」、覚悟を決めること。
歴史を教えてきて、いつも感じたのは時間切れで教えたいことが教えられないということでした。
ですから、腹をくくって、計画的に何を切るか、どこにポイントを置くか、覚悟を決めておくことです。ときには生徒のブーイングも覚悟しながら。
サザンの歌にもあった「現代史をやる前に時間切れ」としないためには、どこを切るか、そして切ったときのフォローをどうするのかが重要です。
ここでは、マイナーな「日本史A」で例を示してきました。一般的な日本史Bについては稿を改めたいと思います。
どうしても現代までいけない…!「余談だが」
実際の授業のシーンでは、なかなかカットする覚悟がつかない、急いだけどどうしても無理、スピードアップすると生徒がついてこない・暴動が起こる?!などさまざまな問題で、近現代史までいけないことが多いです。
私の上の例でも、1945年、よくて1951年止まりです。
「本当に教えたいのは現代史なのになんでそうなっちゃうの?」実は、かなり多くの歴史の教師の本音でもあります。
そこで、よく使ったのが、「雑談・余談」のたぐいです。
授業中継のなかに、そういった内容、「戦争は終わってからが大変」とか「戦争でもっとも大切なもはの何?」とか、「戦争モードのなかで人間は」とか、いった内容を、入れておきました。
そうそう、授業開きのプリントなんかは、その要素が強いですね。
参考にしていただければと思います。