ふたつの「リュウキュウ」のちがいは
~台湾と琉球の「文明」化、違いはどこで?~
今年は、いつも授業を受けている先生が研修で、台湾!へ留学され、講師の先生が、台湾史!概説を教えてくださっています。
その授業の内容にかかわって、もとは中国から「りゅうきゅう(流求・琉球)」といっしょくたにされた台湾と沖縄(ひょっとしたらフィリピンもその一部であったかもしれませんが)両者の「文明」化の違いが気になったので、疑問と思いつきを書きつらねてみました。
何の論証もない思いつきのメモです。そうした内容として見てください。
実が題名を考えるだけで悩んでしまいました。最初は「国家の形成」としたのですが、かんがえていることとずれそうです。「文明」ということばも使ってみたのですが、「文明と未開、野蛮」といった分類のうさんくささ、文明の概念などいろいろな問題が出そうです。ということでこんな題名になってみました。
なお琉球の前近代については前にこんな文章を書きました。よければ参照してください。
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今年の東洋近代史の授業は、台湾近代史。
今日は前史の部分で、17世紀のオランダ統治、鄭氏政権、清朝支配の部分。
その中で考えたこと。
17世紀以前において、台湾は少数民族の世界で統一的な動きはなかったという。
そこで気になったのが琉球との違い。
琉球は12世紀頃から「歴史時代」となり、「国家」の形成もみえてくるが、台湾では「歴史」時代はオランダ統治以降にならないとはじまらない。この違いは何か。
おもいつくまま、知識もないくせに、疑問とおもいつきを並べてみた。
①日本からの影響(遣唐使のルート、南西諸島からの距離)
→人口の流入、交易圏の中に組み込まれた
→日本の社会構造や文化が持ちこまれてきた。
→本島と両先島諸島の間はかなり距離がある。
台湾と与那国の間の海峡の潮流もかなり早い「らしい」
両先島諸島は人種的には日本との関係が、文明的には台湾先住民など東南アジア系とのつながりが強いという。
②対岸の中国の「開発」状況
→台湾の対岸が「福建省」、沖縄の対岸は「浙江省」など
→福建や広東にはまだフロンティアが広く残っていた?
→しかし、宋・元のころは福建(泉州など)の方が国際港だし・・
→明の「海禁」政策とのかかわりは?
③沖縄のスケール感の問題。
沖縄は、台湾より人口密度が高く(日本からの移民の流入などが10世紀ごろからすすんできたので)、開発に適した土地が狭かったため、対立が激化?・・
台湾の西海岸沿いの人口が少なく、フロンティアも広い。
貿易のメリットが少なかった?
④地形の問題?良港がなかった?
→沖縄は運天港や牧港、那覇港など
台湾には?
台湾(現在の台南市安水など)や打狗(高雄)など良港は多い・・ので×。
⑤中国における貿易港・広州・泉州などの存在
南蛮船の航路はベトナムから中国沿岸沿いに延び、沖合の台湾はスルーされた。
しかし、明の海禁政策によってルートは沖合の台湾ルートに移らないか。
⑥琉球王国のような貿易を担う主体がいなかった。
そのため、南蛮諸国などが住み着いても、完全な植民都市とならざるを得ず、食糧などにおいて後背地のサポートも得にくい?
→オランダの植民が根付かなかった理由もこのあたりにあるかも。
⑦ポルトガルにはマカオが、スペインにはマニラがあったので、別に中継基地はいらなかった・・
まあ、色々思いついたけど、研究者からすれば、「何アホなこというてんのや!」と笑われそうですね。
スペインの支配下に置かれていくフィリピンもあわせて考えるべきかもしれませんね。
(フェースブックに書いた文章をすこし変えて転載しました。)