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「罪なきもの、まず石を投げうて」

先に歴史を道徳に貶めてはならない!という文章をかきました。そして、次のように記しました。

現在、世界で過剰に「道徳」を歴史に持ち込む動きが広がっているように思います。
歴史上の人物について、人種差別主義者であったという面のみから捉えて彼らを全否定する動きです。コロンブスが、リー将軍が、チャーチルが、批判の対象として描き出されます。
ある人物を銅像にするということ自体が歴史を「道徳」として見ており問題があるのですが、逆に自分たちの視点だけから批判し、撤去をもとめることも気になります。
こうした動きを受け、映画「風と共に去りぬ」の配信が配信会社からいったんとめられました。しかし十分に注意を喚起した上で再配信するとのことです。こうした冷静な対応が必要だとおもいます。

もともとは韓国における反「親日派」キャンペーンへも疑問を呈する文章の中で、触れた内容です。こうしたキャンペーンとヨーロッパで起こっている銅像倒しがオーバーラップして仕方なかったのです。

「右派」として批判されそうですね。

個別の人種差別の「戦犯」探しをしながら銅像を倒しているひとたち、かれらには是非とも先住民を虐殺して建国したアメリカの「罪」、アメリカの「原罪」も問いかけてほしいとおもいます。
奴隷貿易を利用し、インドを犠牲にして産業革命を達成したイギリス資本主義の「原罪」をも問うてほしいと思います。

そして、それをもとに現在をどう考えべきなのか、歴史とどう向き合うべきと考えているのか、是非聞きたいと思います。

そうした視点は、アイヌモシリを奪った和人にも、アテルイを捕らえ、処刑したヤマトへの目ともオーバーラップしてきますね。

そうした歴史への「羞恥」をお互いにもたねばならないと思っています。

そもそも銅像なんてもの自体、人物に対する一方的な評価を押し付けるウザい存在なんだから、ぶっつぶせ!という態度、
これも嫌いではないけど、
「じゃ、立派な人っているの?」と、問い返したい気持ちが先にきてしまいます。
「立派な人の言ったことはすべて正しいの?」とも問いかけたくもなります。
かつて、朝日新聞が「空海の文章の中に差別的な表現がある」って、問題視したことを思い出しました。

「とにかく、歴史を、現在の価値観だけで一方的に非難するのは気に入らん」のです。
あかんたれの自己弁護なのかもしれません・・・。

先の文章は以下のようにまとめました。

私自身、歴史叙述において、善悪という道徳を語ることはときには必要だし、重要なことではあります。しかし「悪」として終わってしまえば、歴史叙述としては正しくないと思います。
歴史叙述には、悪や非道の中にも、客観的には歴史をすすめたことも認められるような、ある種のニヒリストの目が必要なように思っています。

ここに書いたニヒリズムを少しフォローしたいと思います。

私は、歴史を評価するとき、「汝らの中、罪なき者、まず石をなげうて」という聖書の言葉をつねに思います。

この言葉の前に来る部分は以下のようなものでした。

学者たちが、不倫の現場で捕らえられた女性をイエスのもとに連れてきて、イエスに一つの問いを投 げかけます。「こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはど うお考えになりますか。」と。

これに対するイエスの答えがこの言葉でした。

私たちの中に、私たちの歴史に、「罪なきものはいるのでしょうか」。

「石を打つ」ことによって、さらなる罪を得るのではないでしょうか

人類は歴史の中で犯して愚行や許しがたい行為、それを繰り返してきました。

昨日見ていたテレビでは、かつてヨーロッパで多くの黒猫が大量に虐殺された話を紹介していました。魔女裁判の一環でした。

歴史を学ぶものは、こうした「闇」そして「罪」を暗い目でジッと凝視しながら、その中にも輝くものを見つけだそうとする。そして、今生きているものが、再び愚行を繰り返したり、さらなる「悪」に陥ることに警告を発する。そうしたものが歴史の使命であるような気がするようになってきました。

わたしには「不幸な女性に対し石を投げつける」勇気はありません。

「石を投げつける」人に、「それでいいの?」とは、声をあげたいのです。

歴史系用語の精選問題にかかわって

歴史系用語の精選問題にかかわって
~元高校教師の視点から

 

歴史教科書の実態から

まず、実際使われている(いた)教科書を見ていただきたい。

山川出版社「詳説日本史」P225

手元にあった「詳説日本史」の1ページ「宝暦・天明期の文化」のなかの1ページ(P225)である。
ここに記載される人名本文の太字で6人(青木昆陽・野呂元丈・前野良沢・杉田玄白・稲村三伯・平賀源内)通常の文字で5人(西川如見・新井白石・大塚玄沢・宇田川玄瑞)、注釈や写真説明で2人(シドッチ・山脇東洋)、さらに表中でさらに8名(略)。計22名がこの1ページのなかで登場する。さらに書名7冊(解体新書・ハルマ和解・采覧異言・西洋紀聞・蔵志・蘭学階梯・西説内科撰要)、その他、塾の名前(芝蘭堂)などもある。
この部分は、文化史なので、多めではあるが、こうした叙述が、この教科書では415ページにわたって続く。

コラムなど省略しやすい部分があるので、約400ページ、この膨大な量が高校で授業すべき対象として期待され、大学入試の「試験範囲」となる。
さらに、大学の先生には常識であっても、高校では常識でない問題、教科書に記載されない問題が出題され、さらに教科書に載せられる用語が増える。
 かつて「天台宗の中心になる経典は」という問題(答、わかりますか:「法華経」ですよ!)が出題され、翌年にはもう教科書に載っていた。

1日50分間の授業のノルマは3ページ強

本来、日本史Bは4単位であり、実際には授業時間数は120時間程度なので、1時間に3ページ以上進むことを前提に教科書は編纂されている
さきに掲げた部分なら、「宝暦・天明期の文化」全体で約7ページなので、授業時間2回分となる。掲げた分は、洋学(蘭学)でまとまっているのでやりやすいが、これを15分で終わらせられるか。儒学は、江戸期全体(室町期も)もにらみながら、授業するのでさらに厄介だ。
本当に可能か考えていただきたい。精選しつつ教える。「入試に出るかも」という不安を抱えながら。
入試に対応する「質」を求めると、ここで示した部分だけで1時間近くかかるだろう。「思考力育成型の授業と両立可能な用語数は一時間の授業数で15語程度」という指摘からすれば、このページだけでオーバーする。1日1ページならば、鎌倉・室町で年間時間数を使い切る。
 「学校では近現代史まで教えてくれない!」という批判に、「当然じゃないか」と居直りたくなる理由をわかっていただきたい。

実際の授業では

では「宝暦・天明期の文化」全7ページを2時間、さきにみたようにこの部分は15分程度で仕上げる。
私の例を挙げよう。「授業中継(開国前夜)」では、以下のような感じとなる。

**************

蘭学も広がりを見せた。

解体新書表紙 山川出版社「詳説日本史」P225


蘭学とは、オランダ語を学び、それを元に世界の文化に触れようとする学問だ。
蘭学は、実際の人体解剖に立ち会った医師の前野良沢・杉田玄白らが、もっていたオランダ解剖書の挿絵のあまりの正確さに衝撃を受けこの本の翻訳をはじめる。いわば中学校1年の単語帳だけで医学専門書を翻訳する感じだ。
そうした努力の上に、オランダ語、さらには西洋文化の知識を蓄積される。その蓄積は辞書や文法書を作るなどの形となり、オランダ人らから直接学ぶといった過程を経ていく。そして世界の知識に飢えていた知識人(おもに医師)の中に急速に広がっていった。
18世紀後半には、その興味は医学だけにはとどまらなくなっていく。すでに18世紀中期には平賀源内のようなあらゆる分野に興味を示す人物が出現したが、この時期には林子平のように世界情勢を深く理解し、日本のあり方に警鐘を鳴らす者も現れてきた。
田沼意次はこうした動きを好意的であったが、松平定信は「幕府が世界の知識を独占すべきだ」との立場から、こうした動きを危険視、林のように弾圧されることもあった。

 これにエピソードを加えて15分。「日本史A」での内容なのでこれでいいが、入試を考えた「日本史B」では厳しい。

<板書例>
2,宝暦・天明期の文化
a.洋学
 蘭学・・吉宗期の漢訳洋書の輸入緩和とオランダ語学習(青木昆陽ら)
 18C後期、前野良沢・杉田玄白ら・・「解体新書」=オランダ語文献を翻訳
  ⇒その過程での知識の積み上げ(蘭学隆盛へ)
     蘭日辞書「ハルマ和解」や文法書
           ↓
 医学から他の分野への興味の高まり(←幕府の弾圧も)
平賀源内・・「万能の天才」

 本来ならこの程度。
黒板に書き、ノートに採らせる。それで数分。
これに「解体新書」のエピソードや源内の活躍と死(たとえば、「玄白の追悼文」を紹介)、なぜ幕府が蘭学を弾圧したか、などを紹介して、15分という展開となる。時間があれば、芝蘭堂に大黒屋光大夫がきた話なども。

教えきれないからプリントを使用するが・・

ただ、これは勤務校がそれほどの進学校でなかったからできるので、進学校で通用しない。
なぜなら、入試で出題される中心は「稲村三伯」「ハルマ和解」「宇田川玄随」「小田野直武」であり「芝蘭堂」や「蔵志」であり、私の板書にはあまり入っていない。
決して杉田玄白・前野良沢・平賀源内ではない。
 受験に対応していないとなる。

実は、ここで記した範囲は、授業で実施できなかった内容である。単純に時間不足だから。幕末維新史を残すか、こちらを残すかの判断で、カットした。
少し余裕があれば、上記「授業中継」程度の内容をさらっととながす程度である。そして、補習回しとなるが、人数不足からめったに開講されない。

板書には時間がかかるという場合とか、より正確な説明と密度を濃くしたいという場合はプリントを用いる。
板書にもどした時期も文化だけはプリントを用いることが多かった。
しかし、こうしたプリントをつくっても、多くの生徒は空欄に赤ボールペンで答を写すだけ。試験前に赤い下敷きで隠してその部分を覚えるだけ。

歴史の授業は構造的に消化不良を起こす!

丁寧に教えるべきことには時間をかけて教えたい。近現代まで教えたい。これから生きていく上で指針となったり、役立つことを身につけさせたい、私はそうおもって、歴史の教師となり、教えようとしてきた。
しかし、そのような余裕は全くなく、時間と、授業という形式(この点については別の機会に述べたい)のため、困難であった。
どうあるべきか。
一つは、いっそうの時間保障がなされることである。どの学校でも、いろいろな口実を付けて時間数を増やそうとしている。しかし、行政側は、いろいろなけちを付け、もし増加単位を置くとすれば、訳のわからない科目名をつけ、やれる訳のない教案まで要求する。そうとはいいながら、こうしたフィクションを行いながら、多くの学校で時間数を増やしている。
いま一つは、教えきれるわけもないまま、入試の都合や研究成果を盛り込みたい学界の都合などから押し込まれる膨大な歴史用語を精選するしかない
入試や教科書から来ている以上、ある程度「外側からの力」をもって精選を図るしかない。ただその精選は国家権力によるものであってはいけない。あくまでも、教育現場と研究現場が、国民的、世界市民的教養とはなにかを考えて行うべきものである。

放置すれば、歴史教育は、さらに暗記のみを強要する無駄なものとなる。入試と教科書において、歴史用語と内容の肥大化をなんとか押しとどめるガイドラインを出さねば、歴史教育の新たな展開はない。

このままでは歴史教育は崩壊しかねない。

実は、私自身、生徒たちにセンター試験のみで必要という者にたいし「世界史や日本史を選択すべきでない」と指導してきた。努力に対し、結果との乖離(コストパフォーマンス?の悪さ)があまりにも大きすぎる。
このまま「歴史総合」2単位の教科書が編成され、さらに他の「日本史探究」「世界史探究」などの選択科目が置かれ、単位数削減にさらされるとするならば、歴史教育はさらなる用語の羅列となる可能性が大きい。
無政府的に示された歴史用語から配慮なしに入試問題がつくられるという悪夢すら想定できる。2単位であることを看過したまま。

入試至上主義の高校からは歴史科目は消え去る動きが表面化したのが、世界史未履修問題であった。あまりに難度が高まり、些末に流れる「歴史」科目自体が、まとめて教育から消去されかねない。

高大連携歴史教育研究会の提案

こうした危機感の中を背景に、2011年「学術研究者の国会」ともいうべき、日本学術会議が、国民および世界市民として学ばねばならない教養としての歴史の最低限を「歴史基礎」(および「地理基礎」)にまとめて新設必履修化すること、そしてそうした最低限およびその発展した内容と視点の歴史用語精選を提案したのである。

この流れにしたがって蛮勇をふるって汚れ役を引き受けて原案を出していただいたのが高大連携歴史教育研究会の皆さんであると理解している。 それは、指導要領に影響されつつも、あくまでも現実の歴史教育の当面する問題を検討し、歴史学と歴史教育のあり方を検討するなかで出てきたものである。

今回の精選案(高等学校教科書および大学入試における歴史系用語精選の提案(第一次))に対しては、いくつかの誤解がつきまとっている。
ひとつめは、「精選」の主体を、文部科学省・中央教育審議会などといった政府系の機関と考える誤解である。こうした機関が上意下達的に提出したといった印象で見られがちである。
しかし、実際は日本学術会議の分科会による「関係学会などで重要用語を精選するガイドラインを作成し、大学入試の出題をそのガイドライン内で行うとともに、歴史的思考力を問う問題を増やすように働きかけていく」という提案にもとづくものであり、民間の「高等学校歴史教育研究会」が学術会議などで行った高大の現場アンケートを元に試案を作成し、「大学と高校の教員の交流を可能にする全国的規模の研究会の必要性が痛感されるようになり」2015年に発足した高大連携歴史教育研究会で検討、作成したものである。
今回公表されたものは第一次案で、2018年2月までにアンケート等によって意見を集約し、2017年度中に最終案を発表するとしている。
今回の精選案は、アンケート調査のための具体例として出されている。精選の是非、精選の考え方、具体的な用語選定など、高大連携歴史教育研究会へアンケートを集中することによって、より多くの意見を集約したいとしている。
※なお、アンケートは高大連携歴史教育研究会のホームページからも回答をすることができる。このページからもリンクしておくことにする。

是非、アンケートを寄せていただきたい。

さらに、本年度中にだされる、最終案自体も「学習指導要領」のように、それ自体が権力的に扱われるものではない。こうした考え方と具体例を示すことで、新たな教科書編成や入試などへ活かしてもらえるよう働きかけるという性格を持つものである。

精選によって「龍馬」が消えるわけでない。

なお、多くの人が誤解をしているのは、この精選によって、今まで載っていた語句が教科書に載らなくなるのではないかという点である。
もっともポイントとなる部分を「提案」から引用することにする。

このガイドラインに記載された用語を教科書で「基礎用語」として本文に記載し、大学入試でも知識として問うのはこの範囲に限定する、それ以外の用語については、例えば、教科書では「発展用語」などの扱いで資料や図表・課題中に含めて自主的な学びに導く、入試でも大学入試でその知識を求めることはしないが、基礎用語の知識と組み合わせで解答すべき資料中に使うことは制限しないというやり方で、高等学校の歴史教育に柔軟性と多様性を保証することが期待されます。(中略)
また授業内容や教科書執筆全体については、本用語精選案がリスト外の用語を、授業中に例示することや教科書の資料・図表やコラムなどに掲載することを否定してはいないことをよくよくご理解いただきたいと思います。精選(制限)を提案しているのは、「教科書本文に掲載し、入試で必須暗記事項として扱う」用語だけです。

 今回精選のリストから外れた坂本龍馬や吉田松陰であっても、教科書の本文には載らず、入試には出ない(現実問題として、そんな簡単な問題が出るとは思えないが)ということであって、教科書執筆に当たっては、資料や図表にだすことは可能であるし、後で示す理由から、脚注などでの補足にも記される可能性が高いと考えられる。
もちろん、高校の定期考査などでは出題可能であるし、私が現役の高校歴史教師であっても、気にせず出題する。

精選の具体例を見ていこう。

ちなみに、今回の精選提案において、先に示した「洋学」のページに関わり合いがあるのは
蘭学・杉田玄白・解体新書・平賀源内と、他の場所に記載がある新井白石に限定される。
人名では13人が3人、書名では7冊が1冊に減ることになる。
しかし、私の授業がらみでいえば、消えた人物が前野良沢・青木昆陽、書名が「ハルマ和解」くらいであり、実際の授業内容から見て違和感はない。(ただ、寛政期の林子平が消えていることは、やや違和感もあるが)
さらに、2日で扱う内容となる「宝暦・天明期の文化」全7ページ分では本文中の人名約40名(脚注・表を加えるとゆうに100人を越える!)が8名となっている。

残されたのはこれだけ。「<項目>歴史用語、で記す」
<蘭学>蘭学、杉田玄白、「解体新書」、平賀源内
<国学>国学、本居宣長、塙保己一、尊王論、頼山陽
<儒学>朱子学、藩校、郷学
<教育と思想>心学、石田梅岩、寺子屋、安藤昌益、通俗道徳
<文学・芸能>与謝蕪村、川柳、『仮名手本忠臣蔵』
<美術>錦絵、喜多川歌麿、東洲斎写楽

以上となる。さらに先ほどの新井白石のように別の場所で出てくる内容もある。

「こんなに減らされてやっていけるか!」という人もいるし、「それでも、まだこんなに覚えなければならないの!」という人もいるだろう。

幕末・維新期や戦国期ではどうか

もっとも意見が出されている幕末~維新についても見ていく。まず人名。
今回は《学習内容》と人名という形で記す。

《開国前後の世界》ペリー、ハリス、プチャーチン、孝明天皇
《開国とその影響》徳川家茂、徳川慶喜、井伊直弼、勝海舟
《尊王攘夷から倒幕へ》和宮
《廃藩置県の断行》明治天皇
《明治初期の諸改革》大久保利通、岩崎弥太郎、渋沢栄一
《明治初期の外交と国境問題》岩倉具視
《明治初期の国内政治》西郷隆盛、板垣退助、木戸孝允
《文明開化》福澤諭吉
《他の部分で》井上馨、伊藤博文、山県有朋、大隈重信

山川出版社「詳説日本史」のなかの太字(重要人物)で消えているのは、以下の10名である。

 

ビッドル、阿部正弘、堀田正睦、徳川家定、三条実美、高杉晋作、中村正直、前嶋密、尚泰(上記の範囲内で)
吉田松陰(化政文化の項で)

なお、話題に中心である坂本龍馬はもともと一般語句の扱い、近藤勇は脚注、すでに現在の教科書の扱いでもこうである。しかし、「一般語句なのに勝海舟が入った」とのだからという理屈も成り立つ。

しかし、他の語句をよく見ると《尊王攘夷から倒幕へ》のなかに、「安政の大獄」があるので松陰が、「薩長連合」があるので坂本が、長州征討があるので高杉が、禁門の変三条が、それぞれ触れられることは、授業の進めかたとして普通である。精選に際し、人名と出来事、どちらか一つを選んだ結果と考えられる。教科書の脚注などに記されることが予想されているし、そうでなくとも教師が授業のなかで補足することも想定していると考えられる。

さらに話題となる戦国大名であるが、リストには

北条早雲、毛利氏、長宗我部氏、北条氏、武田氏、今川氏、朝倉氏、島津氏、大友氏、伊達氏

と11の戦国大名家が選ばれている。こんなに多く必要とは思えない、地図や表で十分!という方が私の印象である。

誤解に基づく「用語精選」批判

ところが、精選については、総論賛成、各論反対は世の常である。予想通り、多くの反論が出てきた。まず出てきたのは、坂本龍馬や吉田松陰など自分の好みの人物が外されたという、マスコミ受けのする批判である。
この批判は、すでに見たし、研究会を主導する桃木至郎氏が何度も発言するように誤解に基づくものである。精選の対象は入試(しかも、その知識が正誤にかかわる出題のみ)と教科書本文についてである。つまり、例示や表などは使用可能である。そもそも、授業展開のシーンでは具体的な名前を入れた方がよいに決まっている。
私の「授業中継」で例を挙げれば、武田信玄の領国制を説明する中で、分国法や喧嘩両成敗による家臣団の統制、金山開発などの富国強兵策などを説明し、そこから目を転じて寄親寄子制、武士や商人らの城下町集住、指出検地、貫高制などに話を及ぼすというやり方は可能だし、そうした方が戦国大名を全体として理解できる。最終的に入試に武田信玄は出題されなくても、何ら問題はない。自分の学校の考査で出題することはなんの問題もない。

同様に、坂本龍馬や吉田松陰らを例にとって幕末期を説明することは何ら問題ないし、そうした方がいいのかもしれない。すべての教科書が横並びにその名前を出す必要はないし、入試にはでないと考えればいいのである。

これにより教科書としても、教師としてもさまざまな授業展開を可能にできる。校内の考査においてはいくら出してもかまわない。今まで教科書に出ていないものでもよい。考査は、教師の授業展開にかかわって出題すればいいものなのだから。

「国定教科書」意識は捨てるべき

多くの批判を見て感じるのは、多くの人の意識に「国定教科書」的な意識がこびりつきすぎているのではないか。教科書の本文には原則としてださないことは教えないことではない。
 高校生すべてが、坂本龍馬や吉田松陰の名前を知らなくともいいのじゃないか、全国のすべての人間が龍馬の名前を横並びで覚える必要はないというだけだ。だから入試にも出さない。
逆にいえば、他の用語も減り、時間的に余裕ができるのだから龍馬や松陰を使って、より丁寧に幕末を教える余裕もできる。授業であつかわれる龍馬や松陰の「名前」は入試にでないが、彼らがかかわった尊王攘夷運動、長州征討、薩長連合は入試にでる。自分の地域にかかわる人物を用いて尊王攘夷運動を説明できるのならそれでもかまわない。定期考査にも出題する。
武田信玄の代わりに、長宗我部元親で説明しても、伊達政宗を使って戦国大名を説明してよい。
とりあえず、記憶が自己目的化している歴史から歴史教育を解放しようということだと私は理解した。
かつての「ゆとり教育」の再現だという的外れの批判もあるが、意味のないような記憶でなく、さまざまなアプローチを可能にすることの方が大切だ。
「言葉を閉ざす」という批判もあるが、人の名前だけを意味もなく覚えることが「言葉を閉ざす」のだろうか。私が挙げた例でいえば、「稲村三伯」「ハルマ和解」「宇田川玄随」「小田野直武」「芝蘭堂」「蔵志」とぞろぞろと人の名前を覚えることにどれだけの意味があるのだろうか。
ターヘルアナトミアを中学校一年生単語だけで訳していく中で、どのようにして言語を習得したのか、学んだ単語を積み重ねることで辞書をつくり(「ハルマ和解」)、文法書をつくり、それでどのように世界を読み解いていったのか、読み解いた世界と日本の現実のギャップにどう向き合っていったのか。それを考えた方が、国際理解や言語習得の意味を深く考えられるのではないか。

芝蘭堂に集まった蘭学者たち

学ぶための共同体がつくられ、いかに協力し合ったのか。「芝蘭堂」の会合に参加した大黒屋光太夫が世界をどう紹介したか、蘭学者たちがその情報をどのように感じさせたか、説明した方がよほど「言葉を開く」。
そのなかで、必要に応じて、さりげなく、こんな人もいたよと人名を出せばいいのではないか。
歴史の流れから切り離された人名や歴史用語をマーカーで線を引かせて「さあ覚えなさい」の授業が「言葉を閉ざさない」とは私には思えない。

教科書は「厚い」方がよい!

そもそも、私自身は教科書は厚い方がよいと思っている。(ツイッターで見る限り、桃木氏も同じ考えを持っておられるようである)。教科書には、さまざまな事例が紹介され、史・資料の内容がだされ、その中から、教師(場合によっては生徒も)が、内容をチョイスし、学び、現代につながる課題を読み取っていく。それが最もよいと思っている。
問題は教科書に書いてあるすべてを記憶するものと位置づけていることだ
世界史研究の発展の中、「なぜ世界史にアフリカが登場しないのか?」「世界システム論という考え方をぜひ紹介したい!」といった声が研究者から、さらに教育者の側からも出された。それは、正しい議論であろう。しかし、今までのものが精選されないまま、教科書に反映され、新たに付け加えられた。結果は入試で扱われる内容が増えただけだった。しかも新傾向として。

内容が妥当なだけに悲しかった。結局、「さらに教えなければならないことが増えた」「さらに覚えなければならないことが増え、入試が難しくなった」との反発を受ける。あるべき世界史像を普及させようという思いが、入試という観点から拒絶される。教科書に書いてもらいたい、書くべき内容が、生徒の消化不良を促進し、入試での忌避、歴史嫌いを増やす。
理由もなく、あるいは考える余裕もなく記憶せざるを得ないものを「入試には出しません」「入試に出す可能性があるのはこの内容です」と宣言し、あとは教科書を作成する人たちと現場の教師たちの創意を活かせばいいというのが趣旨であると考える。

「精選」のさいの検討事項も

以上のような点から、私は今回の歴史用語精選はやむを得ないと考え、基本的に支持をしたい。
 ただ、検討すべき内容もある。
生徒、とくに学力に課題のある生徒にとってはみれば、何も考えず、論理構造も考えず、丸覚えする方が楽なのだ。とりあえず、言葉だけを必死になって詰め込み、「主義」がついているものには、覚えてきた「主義」がつくことばを、資本主義か、ロマン主義か、正統主義かなど、全く考えず埋め込む、そして赤点ぎりぎりで、なんとか単位認定してもらう、という現場がある。
一つ一つの「主義」を、抽象的・概念的用語を丁寧に学ばせ、理解させる方が、実はよっぽど大変なのだ。何も考えず「丸覚えする」歴史教科がさらに難しくなることにつながるし、教える側の努力も必要だ。
抽象的・概念的用語も、理解しないまま、事実の裏付けもないまま暗記させる恐れもある。歴史的な事実と結びついた形で歴史理論が組み立てるのはかまわないが、その理論を導き出した事実的裏付けなしに歴史理論だけを覚えるのならそれは非科学的なものといわざるを得ない
とくに、新科目「歴史総合」はそういった可能性が強いだけに注意が必要である。
こうした課題についても、目を向けていく必要があろう。

「追いつけ追い越せ」「開発独裁」「日本人の創出」~明治維新編によせて

「追いつけ追い越せ」「開発独裁」「日本人の創出」~明治維新編によせて~

 明治維新編をアップしました。

今の研究環境はすごい!

大学で課されたレポートとかかわって、自分の先祖につながる人を調べていました。すると、つぎつぎと面白い事実が出てきて、先祖の戸籍をあつめ、市史や県史をよみ、ネット上から国会図書館や郷土資料館などのデータにアクセスし、大学図書館からも史料を探し、なんてことをしているうちに、しっかり一ヶ月使ってしまいました。
しかし、いまの研究環境の進歩はすごいですね明治や大正時代の官僚名簿や、昭和初年の業界史や郷土史が国会図書館のネット上で簡単に見られました。著作権の関係で見にくい国会図書館の書籍も、大学図書館の協力で閲覧・複写できました。
台湾総督府で働いていた人物の足取りを検索エンジンでつかまえることもできました。
おかげで、名前しか知らなかった私の曾祖父の写真ゲットすることもできました。
こうしたことで、先祖調べにはまってしまい、一区切りつくまでと調べている内に、六月をまるっぽ使ってしまい、HPの更新ができませんでした。

近代日本のテーマ「追いつけ、追い越せ」

さて、「明治維新」の範囲、こんな無茶苦茶を書いていいのかと思いながら、作ってみました。
昨年の授業でやった内容を元に書いているのですがどうも大胆な仮説ばかりで、生徒にそんないい加減なことを教えていたのかというご批判もいただきそうですが、ご容赦ください。
見ていただければ分かりますように、近代日本のテーマを「列強に追いつけ、追い越せ」とまとめてみました。
その中心は軍隊の近代化から、しだいに条約改正交渉の基礎となる広義のインフラ整備へと移っていきます。
それを実現するための強大な権限をもつために、天皇の権威を利用したこと。
天皇の権威をにぎりつづけた大久保や岩倉をはじめとする少数のリーダーが開発独裁的に強引な欧米化政策を進めたという流れを中心にまとめています。この言い方は、数年前から始めた言い方です。

「開発独裁」ということ

開発独裁」などという大胆ないい方をつかっていいのかとも思いましたが、大学時代に受けた先生の授業で聞いた話を思い出し、ネットでも授業の実践例があったので使ってみました。
ついついソ連や中国の「社会主義」の方が似てそうだと知ってて脱線させました。
こんなふうに、実際の授業では、かなり大胆な話をするのですが、さすがにそれをおこして、ネットに載せるのは躊躇しました。まあ、しがない元高校教師の思いつきということで、大胆ないいかたをしています。
というのは、歴史の授業というのは過去のことのみではなく、現在の世界を分析する手段を生徒たちに与えたいと思っているからです。過去のこの事例と、現在のこの事例、こういう面では共通しているところがある」といった目を養って欲しいからです。
ある意味、高校教師は楽です。研究者の皆さんがいいたくてのど元まででかかっていても、しっかりした論証がなくていえないことをいってしまいます。ただし、「こんな風に考えられないかな?」という形で。
居直った言い方をすると、かなり大胆にいわないと生徒には歴史の意味も含めて、生徒には伝わらないのですよ。きっと、批判があると思いますが・・・。

「開発独裁」、辞書によると

もとにもどして「開発独裁」の件、ネット上の辞書を見てみると、以下のような記述があったので、ある程度安心しました。
<以下、引用>
「開発独裁」
経済発展の途上にある国の政府が、国民の民主的な政治参加を抑制しつつ、急速な発展と近代化を目指す体制。福祉や自由の尊重などの政策は後回しにして、工業・資源開発・土木・軍事部門に経済資源を優先的に配分し、国力の底上げを図ろうとする。第二次世界大戦後の韓国やフィリピン・インドネシアなどに見られたが、政権内の腐敗を招くことが多かった。広義には第二次世界大戦前のドイツや日本の体制、ソ連など共産主義国家の体制をも含む。
「デジタル大辞泉」
<引用終わり>

「国民」(=「日本人」)の創出という視点

 また、近代国家を形成するという点に関しては、「国民(「日本人」)」の形成という視点を重視しました。
昨年度の授業から、おっかなびっくりだったのですが、幕藩制(「ヨコのカベ」)と身分制(「タテのカベ」)という「二つのカベ」を取り除くことが「日本人」を形成する大きな前提になるという風に説明してきました。
今回は、授業中継としてまとめる中で少し深めてみようと思いました。ちょうど、本年度前期にうけた大学の講義の中でネーション(「国民」「民族」)の形成の話があり、ネーションの形成には公教育が大きな意味を持つというゲルナー「民族とナショナリズム」の説が紹介されたこともあり、日本ではどうだったのだろうということで、教育にかかわる内容も触れてみました。

ネーションとしての日本人の成立を追求すると、さまざまな意味での江戸時代のユニークさ・面白さがもっと際立ってくるような気がしました。

とおもって近年の歴史の研究書を見ると、1990年代以降の歴史学の世界の人気のテーマが「国民国家」だったんですね。自分の不勉強さを暴露してしまいました。

また思いつきで使った「二つのカベ」ということも、言い方は別として、研究者も使っていたので、これまたほっとしました。
 よく考えれば、教科書や啓蒙書、あるいはテレビなどを通じて、新しい研究を学べていたのだということを身にしみて感じた次第です。
< 注記>
本来なら7月中に出すべき内容の文章だったのですが、放置していたため、あとから出した自由民権編と順番が逆になってしまいました。ちょっと不細工になったことをお詫びします。

いろんな手法を試してみたい~自由民権編UPしました

いろんな手法を試してみたい。

~自由民権編をUPしました。~

自由民権運動を中心とする明治一ケタから二十年前後までの授業案をUPしてみました。
わたしは、歴史の授業において、いろいろな歴史学や社会科学など諸科学の分析・叙述の方法を用いたいと、非力を顧みず考え、やってきたつもりです。
それは、生徒たちの将来にとって有効だと考えています。
生徒が、特定の立場や方法に固執するなく、複眼的な視点を持ち、いろいろな角度から、自分を取り巻く社会や世界を分析し、行動する指針として欲しいからです。
日本史でありながらも、東アジアや世界に開かれた汎用性のある学びを得て欲しいからです。
一つ一つの歴史事象について、いろいろな角度から見る力をつけて欲しいからです
こうした考えから、全体の流れからずれない程度で、時間を見ながら、いろんな歴史理論や社会科学などの方法を意識し、授業を進めきました。
「開国」のあたりではシステム論とはいえないまでも資本主義の成立がアジアにどのような影響を与えたのかを、明治維新では国民国家論を、外交の所では主権国家や華夷体制という国際関係論をそれぞれ意識し、文明開化のあたりでは民衆思想論にも触れられたかなと思っています。
今回の自由民権を中心とする明治一ケタから十年代の歴史については階級という視点を少し使って導入してみました。
明治維新、文明開化という大きな流れの中で、
士族・農民・豪農豪商というそれぞれの階級がどのような立場に置かれ、どのように考え、行動をしたのか。といった分析を基礎におきながら、政府の動きとのかかわり、西南戦争後のインフレと松方デフレという経済の激動がそれぞれのグループにどのような影響を与え、運動をどのように変革させたのかにも触れました。
最終的には、豪農が寄生地主化することで、自由民権運動、そして明治国家、戦前の経済がどのような事になっていくかも展望したつもりです。
階級を意識した分析は、世界史では、フランス革命のところでとくに有効でした。というか、これを使わないと、うまく説明できませんでした。
階級(闘争)論というマルクス主義的な手法は時代遅れという人も多いかもしれません。
しかし、階級ごとに分析し、それぞれの置かれた状況、願いや考え、そして具体的な行動をみていく、というやり方は、現在を分析する上でも有効な手段と思いますし、こうした分析方法を知ることは高校生にとっても意義があるものだとと思っています。

「治外法権」なしの通商条約なんて無理!~幕末編、UPしました。

「 幕末編をアップしました。」
と景気よく書くつもりが、アップしてから一か月以上たってしまいました。見ていただいたでしょうか。
大学時代に、少し時間を掛けてやったところなので、しゃべりすぎてしまいました。
「時間がない、時間がない」といいながら・・・。
言行不一致は教師の特徴?!(苦笑)。
幕末維新史は、かなり研究がすすんでおり、学生の頃のようにあっさりとしたものではなくなってきたように思えますし、逆にわかりやすくなったようにも思えますが。

「不平等条約」って言うけれど

内容紹介を兼ねて、
「不平等条約」と言うけれど、平等な条約なんてあり得たの?
ということを考えてみます。
かつて、「幕府の役人は無能」というステレオタイプで見られる傾向がありました。当時からもそんな風でした。
役人=公務員バッシングは今も昔も変わりませんね(苦笑)
いい加減な仕事しかしないとか、給料が高すぎるとか、お役所仕事とか、親方日の丸とか、ぼろくそに言われます。
教師もぼろくそに言われますから、公立高校の教員なんかは
まるで、「人間サンドバッグ」
大部分は、一生懸命やっていますよ。つつましい生活してますよ。
大金持ちは「セレブ」とかいって持ち上げるのに、なんで一生懸命やっている公務員や教師をひとまとめにしてバッシングしたがるのでしょうね。
役人にも教師にもいろいろな人がいます。そのヤバい人だけをみて、ひとまとめに叩くのはおかしいですよ。
叩きやすい者をたたくというのは、甘利さんや石原さんには触らずに、セコい舛添さんだけを袋にするというのとよく似てますね。
ついついグチをいってしまいました。

江戸末期の役人は優秀だった?!

ということで、江戸末期、一生懸命頑張ったのに、バッシングされまくった人たちについて見ていきたいと思います。
近年の研究の成果によると、和親条約や通商条約で外交折衝に当たった幕府役人の優秀さが強調されつつあります。
世界情勢をしっかりと冷静に把握したうえで、日本の国益を考え、列強の圧力に対しても、粘り強い交渉を繰り返し、かなりの成果を上げたと。

「治外法権」を認めず済みますか?

しかし「不平等条約を認めたではないか」という反論が聞こえてきそうです。
では、聞き返します。
幕末の時点で「治外法権」の条項をいれずにすみますか
当時の日本の裁判を考えてみてください。
「まず不衛生で、金がないといじめられ、人数が増えると数名が殺されるという牢獄に放り込まれ、
異様に発達したさまざまな拷問器具で自白を強要され、
お白洲という白砂利や土間の地面に座らされ、
未整備で人権などにはまったく配慮されない法律??で
弁護士もなく裁判され、
首を切られたり、自殺を強要されたりして
首をさらされる」
こんな裁判を受けたいですか?
逆に全然言葉も通じず、文化も法律も、そして価値観もちがう、「差別しない事の方が犯罪的」である当時の日本と、
「人間は平等である」西洋、
その間できっちりとした裁判なんてできますか
すぐ国際問題となってしまいます。
こんなリスクを侵してまで、当時の日本で裁判をしたいですか?
何事も、リアルに考える事が大切です。
ぼくなら、外国人の立場でも日本人の立場でも、御免蒙ります。
そう、この段階で「治外法権をいれない」なんて、あり得ないことなのです。

「治外法権」撤廃の条件は、日本の「近代化」

こうして考えれば、「条約改正」を実現する事の大変さが見えてくるでしょう。
明治新政府の連中は最初は甘く考えていたのでしょう。
その認識が大きく変わったのが、岩倉使節団の事です。
「治外法権」を撤廃するためには、
しっかりした国内法が必要ですし、裁判制度の整備も必要です、その法律も欧米人が「ま、いいか」という段階までいかねばだめです。
簡単に言うと「自分たちの仲間(国民)を、日本の法律・裁判の手にゆだねることができること、ゆだねても自国内で批判されないだけの国になっていること
これが治外法権の撤廃の条件だったのです。
だからこそ、条約改正には時間がかかったし、
条約改正をするためには、日本を近代的な、あるいは西洋的な国にしなければならなかったのです

当時の日本で関税率を決められた?

関税自主権がなかったではないか」たしかにそうです。
なら、当時の日本で、関税額をどのような基準で決めるのですか?決められたのですか?
結局は「外国に相談をして、言いくるめられて」というのが関の山です。
ですから、関税額を一定にするという協定関税という枠組みは、この時代では合理的なのです
そのなかで、幕府の役人たちは、できる限り高い関税率を守ろうとしました。
あとから条約を結んだイギリスなどは関税率の高さに強い不満を持ちます。
「ハリスの野郎、よくもこの率で妥協したな!」てな具合です。
ですから、長州が外国船を砲撃した事を理由に、協定関税率の引き下げを認めさせたのです。
関税でも、官僚たちは頑張りました。

役人たちが守ろうとした「国益」

では通商条約締結時、官僚たちが守ろうとしていたのは何か?
それは「外国人の国内旅行の制限」や「国内雑居を認めない
ことでした。
なぜなら、中国やベトナムの植民地化・半植民地化はこの条項を用いて進んだからです。
各地でトラブルが続発し、その処理に走り回る
攘夷派の連中が急速に力を伸ばしている、こうした状況でこれは認められないことでした。
幕府の外交官僚らはこれを守り抜きます。
これは評価に値する事だったと思います。
このように、幕府の外交担当の官僚たちは、
これまでの経過や列強間の力関係、他国の事例なども丹念に調べ上げて、粘り強く交渉し、条約を締結しようとしたのです
彼らが優秀だったからこそ、ハリスがヒステリックになっていた面もあるのでしょう。

「公務員は辛いよ!」

こんだけ頑張ったのに、ぼろくそ言われ、外国の手先みたいに云われ・・・。
「人間サンドバッグ状態!」
辛かったでしょうね。
Iwase Tadanari.jpg
岩瀬忠震https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Iwase_Tadanari.jpg
とくにかわいそうなのは、先頭に立ちがんばった岩瀬忠震さん。条約を結んだとたんにお払い箱。
ならいいんですが、井伊直弼さんから謹慎処分にされ、
「使うだけ使ってこの扱いか(怒)」って感じで死にます。
岩瀬さん、攘夷を唱える連中にも言いたかったでしょうね。
そんだけ言うんやったら自分でやってみろ!」
新政府で外交担当となった伊藤博文さんや大隈重信さん、あるいは井上馨さんなんかは、岩瀬さんたちの苦労、身にしみて分かったのでしょうね。
ひょっとしたら、「あの連中、よくやった。俺たちならここまでできなかったかも・・」なんていってほしかったな。
そういえば、彼らの親分、木戸孝允(桂小五郎)さんは、幕府の外交官僚中島三郎助の弟子です、その苦労も少しはわかっていたかもしれませんね。
 ちなみに中島三郎助は箱館戦争で戦死します。

こんな授業、していません?

 不平等な条項は「治外法権」(領事裁判権)と「関税自主権がない事」(協定関税)、そして和親条約に含まれていた「一方的最恵国待遇」、この3つ。
日本は、このような不当な扱いを受け、外国側はなかなか交渉に応じず条約改正が実現したのは明治末年であった。
なんて紋切り調の授業、していませんか?
ごめんなさい、実は、私もやっていました・・・。
(注記)この趣旨にもとづき、「内地雑居」について、「ペリー来航の来航と開国」大幅に書き直しました。(2016/08/06記)

「歴史家」としての歴史教師

歴史学と高校歴史教育(1)

「歴史家」としての歴史教師

大学の先生は高校日本史をけなすのがお好き?!

大学の授業を聴講するようになった。
大学の先生たちは、高校の歴史教育を否定的に語る人が多いようである。
いわく、
「丸覚え中心である」。教えるべき所を教えていない。
「荘園について1時間しか教えていない。そんな先生に習った諸君は不幸であ る」とまで。
 現役時代、「教師は人間サンドバッグ。殴られたり、蹴られたりしてなんぼや」とよくいっていたが、ここでも同じ様なことがいえそうだ。

「高校日本史の授業が好きだった人」

ある授業のひとこまを紹介する。主に一回生を対象とした講座である。
講師が質問した。
「高校日本史の授業が好きだった人」?
かれの予想はこうだったのではないか。
「手は上がらないか、あるいは上がってもわずかだ。
あんな退屈な日本史の授業ではなくて、大学の授業はもっと素晴
らしい」。
しかし、その予想は、まったく外れた。
私が見ただけでも、8割ほどの学生の手があがった
ちょっとうれしかった。
講師氏は「まあ、みんな歴史がすきで来たのだから」といって、ごまかした。しかし、予想外という様子はありありと見えた。
確かに史学科にすすんだ生徒だから、歴史が好きだっただろうし、歴史が好き な生徒は授業も好きだったに違いない。
逆に、歴史が嫌いな生徒を好きにするのは難問だ。
教師たちが、あの手この手で、生徒の歴史の興味関心を高めようとしている努力、大学の先生を中心とする歴史研究者が教科書執筆で同様の努力をしていること
こうしたことが、氏の脳裏には浮かばなかったようである。
高校教師は、昔の大学の教授先生のように、決まり切ったノートを朗読しているだけとでも 思っておられるのであろうか?

高校日本史は「指導要領の目標」達成が目的?

話を進めよう。
氏は、先に手を上げさせた後、高校の日本史をかれはこのように定義づけた。
「高校の日本史というのは、学習指導要領によって、「国際社会に主体的に生 きる日本国民としての自覚と資質を養う」という目的でなされている。その目 的で教科書は編成され、日本史の授業もその目的でなされている。」
実際の授業で「指導要領にどう書いてあるか」なんて意識して授業している人など、これまで聞いたことがない。
たしかに、シラバスや目標としては掲げてはいても、授業は、授業の論理、教育の論理で進む。
文部科学省が、教育 制度いじりや指導要領で自分に都合良く教育を作り替えようとしても失敗の連続であったように。

教科書は「現在の『日本』」を肯定するために書かれている…

教科書についてもそうだろう。
氏のレジュメ曰く。
「教科書の記述は現在の『日本国』を肯定する立場に立ち、すべての説明は現 在の『日本国』に収斂する(教科書検定が行われる理由)」
では、教科書を執筆している歴史学者たちは現在の『日本国』を肯定する立場で、教科書を叙述しているのだろうか。良心を曲
げて、国家の、指導要領の指示に、唯々諾々としたがっていると考えておられるのだろうか?

そうではないと私は信じている。少なくとも私の知っている歴史学者はそうだ。確かに「あの歴史教科書」、政府や一部政党、さらには怪しい団体などの圧力で、むりやり押しつけようとしているあの教科書はそうだろう。しかし執筆者のなかで歴史学者は数人で「安保法制が合憲といった憲法学者」みたいな歴史学者が数人がいるが…。

歴史教科書を執筆している歴史研究者たちは、学者としての良心をかけて、「教科書に歴史学の成果を反映したものにしたい」「未来の主権者としての高校生にできるだけ史実に即した歴史の姿を 伝えたい」と思い、ともすれば国家の力によって曲げられようとしている歴史叙 述をなんとか良いものにしようと努力している。ときにはつらい選択に耐えな がらも…。
私は、そう考えている。

「日本史」は国民国家としての日本を説明するもの

もう少し、この講師氏の論点をたどっていこう。
氏は「日本の歴史」を考える際、「日本」が意味するものを問題にする。
そして、いくつかの例を示して、戦前と戦後で、近代以前で、日本の姿は時代によって異なる。「近代以前の領土は明確でない」
この点は、まったく異存がないし、学生にとっても、新しい論点として新鮮で あったかもしれない。
「そのくらいのこと教えてるよ」といいたいが…。
 つづけて
「だから、ここでいう日本とは近代以降の『国民国家』としての日本である。」

「ここでいう『日本』」の「ここでいう」が何をさすのかがわからない。
つづいてこんなくだりがある。

「だから、日本史は「近代国家の象徴としての『国民国家』を説明しようとす る行為に他ならない。日本史ではなく、『国史』」本人は高校の教科としての「日本史」の「日本」のつもりなのだろう。( レジュメを素直によむと、一般的な「日本の歴史」の「日本」となる。とすると、「日本史」という学問自体、国民国家としての日本を研究する学問となりそうだ。)

つづいて、レジュメでは節を変えてこうつづく。

「上記の観点で教科書を見直してみると、そこに記述されている内容(教科書 の構成)は、いうまでもなく『日本国民』がおしなべて理解しておく『日本国』の歴史的な歩みであって、普遍的な『日本の歴史』ではないことは、明ら か。」

頭が悪いせいか、もうろくしたせいか、まったくわからない。学生たちもそうではない か。 そして、先ほど紹介した「教科書の記述は…」という一文がくる!

「日本史(国史)は、その国の今を説明するためにある」

氏の発言にこんな一節があった。(この部分はレジュメには書いていない)
「日本史、実際には「国史」というものとなっているのだが、それは、その 国の今を「説明」するためにある。そしてその「説明」のために、重要である か、重要でないか、そして重要でないものを取捨選択しているのだ」
不思議な気がした。
この内容(「国」という部分は保留しておく、その「国」 の部分をこの講師は問題視している)こそが、歴史家が歴 史叙述をおこなうときの基本姿勢でないのか。

「歴史は、現在と過去との対話」

イギリスの歴史家E.H.カーは「歴史とは現在と過去との絶え間ない対話である」と述べている。
私は、最近になって、このことを強く感じるようになってきた。現在をより深く理解することが、歴史を学び伝えるための大きな使命であり、現在を深く考えることが歴史研究をいっそう深化させる。
あえて挑発的に書くが、この部分が歴史研究者と歴史家の違いかもしれないと さえ思っている
「日本史」は今の日本(国民である必要は全くないし、日本に住んでいなくと も良い)を理解するための重要な手段である。
だから
歴史家は、歴史が作り上げてきた成果や今に残っている課題などを、歴 史的に分析し、評価し、現在の課題解決のヒントを、現在を生きる人間である彼らに提示することが重要な仕事である。
そして、
何が「重要であるか、重要でないか、そして重要でないものを取捨選択」する。それこそ、歴史家が歴史叙述する際のもっとも重要な本質ではないのか

歴史教師は歴史家である。

 私は、『歴史の教師』は「歴史家」でなければならないと思っているし、多くの場合、無自覚のまま「歴史家」として生徒に対峙している。
だから、歴史家としての日本史教師が、現在の課題に向き合うという課題にかかわって、荘園制の説明を一時間しかできなくともかまわないし、やむなく省略もする。(ちなみに日本史Aはそうなっている。)逆に一つのテーマに多くの時間も割く。
「歴史家」たる歴史教師は自らの良心を掛けて、現在の課題にも向きあいつつ、歴史学をはじめとするさまざまな成果に学びながら、未来を託するに足る主権者を育てるべく実践に励んでいるのである。

歴史学と歴史教師

大学などでは、しわくちゃの古い紙一枚一枚からのミミズがのたくったような 文字を読み、活字に変え、さらに現代語に訳す。そしてその史料の信憑性をたしかめ、時代と場所の中において、持っている意味などを評価し、過去の膨大な研究の蓄積に学びながら、論文や書籍をあらわし、歴史の真実により深く迫ろうとしている。
生徒・児童に届けられる教科書もこうした地道な作業のエッセンスである。
歴史教師が知ったようなふりをしてしゃべっていることの中身は、このような地道な作業の上に成り立っている。
他方、歴史教師はこうした研究をもとに、
自分の目の前にいる生徒にわかるように、
かれらをとりまく現実にいかに切り結んでいけるか、主 権者としての彼らの成長を保障する「武器」を与え、これからの課題に立ち向かう力を身につけるように、歴史学の成果を受け入れつつ、説明し、考えさせ、身につける努力する。
それぞれがそれぞれの現場で課題に立ち向かっており、それぞれが大切な役割を担っている。
互いを信頼し合い、互いが成長し合うような取り組みが必要である。
このサイトがこうした現場になんらかの貢献ができればと思っている。