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幕末の人物へのアンケート調査

幕末の人々にアンケート調査をとると…

はじめに

幕末の人々の行動は、非常にわかりにくい。
昔ながらの
尊王vs佐幕攘夷vs開国
となどという基準で分類したら、?マークがそこら中にでてくる。
研究レベルで、こんな基準で分類する人はいないと思うが、時代劇などではいまでもよく使われる。そしてさっきの「?」のために訳がわからなくなる。
この基準でいけば、明治維新の指導者たちは、攘夷の理念を裏切ったものばかりである。
最初から最後まで幕府の中心として活動した一橋慶喜や松平春嶽は開国と攘夷の双方を行き来しているし、長州の周布政之助は条約締結のために攘夷を行うといった一見理解不能な議論を展開する。

旧来のやり方では分類不可能な人たち

人間はそんな単純なものでない。さまざまな思いを持ちつつ、それぞれの価値観・倫理観にもとづいて行動する。

井伊直弼 幕府権威の立て直しを図り、安政の大獄などを進めたが、桜田門外の変で殺害された。

具体的に、この時期に即して考えて見よう。
 尊王家井伊直弼
まず佐幕、開国派の代表とされる井伊直弼はどうか。
井伊は国学の素養があり、熱心な尊王家とされる。その井伊が朝廷関係者を次々と捕らえ、苦しめ、ときには命を奪う。
「攘夷」藩・長州
攘夷の拠点・長州藩では、外国公使館を焼き討ちの実行犯・井上馨(志道聞多)や伊藤博文(俊輔)が、その直後にイギリス船で留学にでる。列強の脅威を身をもって学んだ高杉は、日本を対外戦争に巻き込む行動をとる。
 一橋派と島津久光
尊王攘夷の総本山ともいえる徳川斉昭は外国の技術導入に熱心であった。尊攘派の代表選手である徳川斉昭・藤田東湖と蘭癖大名の島津斉彬や開国論者松平慶永・橋本左内が一橋派として同盟関係をくむ。
上記の図式では理解しがたいことだらけである。

尊王攘夷とは違う思惑で政局にかかわった人物も多い。島津久光は、尊王家であるより薩摩幕府を開きたいという野心があると、当時から思われていた。
 「二心殿」徳川慶喜
とくに理解困難なのがさきにみた「二心殿」として当時から呼ばれ、いまも非難され続ける徳川慶喜である。かれは尊王と佐幕の間で、開国と攘夷の間で、次々と態度をかえる。
もはや攘夷が不可能との意識が共有されかけた時期、慶喜は孝明天皇ののぞむ攘夷実現のため横浜の閉港を強硬に主張し、議論をぶちこわす。逆に、慶応3年には列強の代表を集め、洗練されたマナーで紅茶を振る舞う。
 実は一貫していた松平慶永
開国論者松平慶永は、政事総裁職についた文久2年、攘夷の方針をうちだし、文久3年春、京にやってくる。しかし攘夷が現実問題として日程に上ると難色をしめし引き籠もり、ついには幕命・朝命をふりきって帰国する。
しかし、攘夷・開国、尊王・佐幕といった議論をいったん下位の判断基準とみなし、公議政体論=オールジャパンの実現という基準を第一に考え、さらに「議論をすればみんなわかってくれるはず」という彼独自の楽観主義を組み合わせると、慶永の行動は一貫していたように見え始める。

人々は何を根拠に行動するのか?

人々は、自らの世界観・倫理観、本音とたてまえ、さらに深層心理などにさえ動かされて、一見すると極めて多様で矛盾とも見える行動をとる。
では幕末期、それぞれの人物の行動を律していた原理は何なのだろうか。
身分社会の中でのさまざまな立場、武士・豪農豪商としての身分的な使命感・信念であるかもしれないし、家名を上げたい立身出世という上昇志向もあるだろうし、怨恨かもしれない。憂国家・思想家としての矜持かもしれないし、組織を守るためという現在につながる悲しい習性かもしれない。家庭人としての生き方かもしれないし、ただただ面白さをもとめた愉快犯もいただろうし、サイコパスともいえる人物もいたであろう。
それぞれ各自、多様な価値観や倫理観の中、ときには矛盾した想念を持ちつつ、それぞれが重視する「理屈」、意識的・無意識的な感情にもとづいて、順位づけをし、ときには変化させつつ行動する
こうした人間個々の、判断の重層化の中で歴史は動いていった。ではこうした多様な判断の基準をどのようにして拾い出す事ができるのであろうか。

分析手法としてのアンケート調査

そこで考えて見たのがアンケート調査を行ったとすればどうなるのかというアイデアである。
当時生きていた人間にアンケート調査をしたと仮定し、さまざまな史料や行動経過からそれぞれの人物を多面的にとらえ、そのことを通じて、それぞれ大切と思った原理をさぐりつつ、その優先順位を考える事でその行動の合理性を考える事ができないかということである。

おもいつくままに作ったのが以下のアンケート項目である。
そしてさまざまな人物が、このアンケートに応えたとしたらどのような結果になるであろうかと「妄想」した。

専門的な研究が不足している筆者がこのような事をするのは力不足なのは明らかであり、丁寧に史料にあたって考えられておられる方からすれば、納得できない事も多いだろう。逆にそういった方が別の知見を打ち出す事も可能になるだろうし、さらにはアンケート項目で不十分な内容を付け加えてもらえればもっとおもしろくなるであろう。

こうして一見矛盾に満ちた人物の行動がそれなりの筋道をとって理解できるのではないかと考える。

昨夜、テレビを見ていて「他国に利権を供与してでも資金を獲得し、日本の近代化を図るべきである。」という選択肢を考えた。
今回挙げる人物でいえば、慶喜は賛成したし、提案した小栗忠順の先輩・水野忠徳もそうだろう。
逆に、孝明天皇をのぞき、明確に反対した人物は誰であろうと考える方が正しいアプローチかもしれない。自分たちのヘゲモニーを獲得するためには、このような事は下位レベルの判断基準とみなされたであろうから。
慶永は、あるいは高杉も、もっとうまい儲け方があるとの視点から批判をするかもしれないなどと妄想した。

歴史教育の教材として

また、私の昔の仕事でいえば、それぞれの生徒に一人ずつの人物を割り当てて「憑依」(=研究)させ、このアンケートを応えさせ、それをまとめ、発表させれば、歴史の多面性を考えさせる事ができるかもしれない。その際は、最後の記述欄は必須であるし、できればⅠ~Ⅵの大項目についても、その判断の基準についてのコメントをつけさせれば取り学習が深まるように考える。

※冒頭の写真は、一藩に高須四兄弟とよばれる尾張の支藩高須藩出身の四兄弟を撮影した写真です。明治14年のものです。
向かって右から 尾張徳川家14代当主慶勝、 尾張徳川家15代当主でのちに一橋徳川家10代当主となった茂栄(尾張藩主引退後、将軍家茂の補佐役もつとめた)、 会津松平家9代当主容保(京都守護職)、 桑名松平久松家4代当主定敬(京都所司代)です。いずれも幕末の日本の最重要人物で、戊辰戦争では敵味方に分かれたたかう事となりました。

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アンケートと「回答」例

以下、「アンケート用紙」と、私が「妄想」した数人方の「回答」を示しておく。(ただし、記述「回答」は松平春嶽のみ)

アンケート~幕末期、活躍されたみなさまへ

<アンケートのお願い>

幽冥界にて、静かにお休みの処申し訳ありません。 
 みなさまがそちらに赴かれ、長い方では170年、短い方でも100年もの日々が経ちました。 
 当時、みなさまが考え、行動された結果は、2020年代の日の本にもさまざまな影響を与えていると感じます。
 ところが、長い時間がたち、研究が進んだにもかかわらず、みなさまの思いを曲解したり、お聞かせするのもはばかられるような物言いをするものや、ひいきの引き倒しをするものなどがひきもきらず、まことにお恥ずかしい次第でございます。
 つきましては、みなさまの真意を少しでも後生のものにつたえるべく、アンケート調査を企画してみました
 みなさま方の真意を理解していると思う人間に「憑依」し、お答えいただければ幸いと存じます。
 ご協力お願いします。

                 お名前(              )
Ⅰ,開国・開港についての態度について、お答えください。
1)(  )賛成
2)(  )立場上・戦略戦術上、賛成しているが、本心は反対

3)(  )立場上・戦略戦術上、反対しているが、本心は賛成
4)(  )反対

Ⅱ,攘夷についてのあなたのお考えをお聞かせください。
○はいくつつけてもかまいません。とくに重視したものがあれば、一つに限り◎をつけてください。絶対許せないというものに×をつけてください。
(A)攘夷実現のためには
1)(  )こちらから戦争に訴えるべきである
2)(  )強硬に対応し、もし戦争になってもやむを得ない。
3)(  )できるかぎり戦争は避けるべきである
4)(  )なにがあっても戦争は避けるべきである。
(B)攘夷実現の方法
5)(  )条約は完全に破棄し「鎖国」状態に戻すべきである
6)(  )いったん条約の破棄を通告・実現し、再交渉に望むべきである。
7)(  )いちおう現行条約は維持しつつ、条約改正交渉を申し入れるべきである。
8)(  )現行条約の維持を基本とし、必要に応じ改定を進めるべきである。
(C)攘夷実現の交渉の理念について
9)(  )攘夷を実現するためには、国際信義など無視すればよい。
10)(  )攘夷という事態になったとしても、国際信義を守らねばならない。

Ⅲ,尊王についてのあなたのお考えをお聞かせください。
○はいくつでもかまいません。できればもっとも重視するもの一つに◎をつけてください。これは許せないというものに×をつけていただいてもかまいません。

1)(  )天皇の意志を尊重することが第一
2)(  )挙国一致を実現するためには、尊王という政策が有効。
3)(  )幕府の威信を取り戻すには、天皇・朝廷との友好関係が不可欠。
4)(  )朝廷の威信を回復するには、幕府との友好関係も必要。
5)(  )自藩の立場を有利にするため天皇・朝廷との関係を強めることが有利。
6)(  )身分の低いものが注目をあびるため、天皇・貴族に近づくことが有利。 
7)(  )天皇や朝廷などのいうことを聞く必要はない。有害である。

Ⅳ,今後の朝廷と幕府の関係はどうあるべきだと考えますか。
○はいくつつけてもかまいません。でいればもっとも重視されるもの一つに◎をつけてください。これは許せないというものに×をつけていただいてもかまいません。 

1)(  )すべての権力を天皇に集中し、将軍・幕府は廃止すべき。
2)(  )朝廷がすべてを決定、幕府はその命令を受け執行する役目に専念すべき。
3)(  )幕府がこれまで通り政治を行うが、京都守護・外交政策・宗教政策など
 重要な諸政策については、朝廷が直接諸藩や人民に命じる権利を保留すべきだ。

4)(  )国政の重要な政策については幕府と朝廷が相談するが、基本的には幕府が
政治や外交を
になうべき。

5)(  )これまで通り、朝廷が幕府に政治外交などの大権を委任すべき。
6)(  )幕府が、朝廷など気にせずに独裁権を行使すべき。

Ⅴ,挙国一致ということについてあなたはどう考えますか。
○はいくつつけてもかまいません。できればもっとも重視されるもの一つに◎をつけてください。これは許せないというものに×をつけていただいてもかまいません。

1)(  )天皇がすべてを決め、それに日本中が従えば挙国一致が実現する
2)(  )幕府がすべてを決めれば問題はない
3)(  )幕府のもとに、雄藩と呼ばれる大大名が相談をして決めるべき。
4)(  )天皇のもとに、雄藩と呼ばれる大大名が相談をして決めるべき。
5)(  )中・下級武士や草莽と呼ばれる人々が発言できる場も設定すべき
6)(  )朝廷のもとで開催される大名たちの会議の議長は将軍が就くべき
7)(  )朝廷のもとで開催される大名たちの会議に将軍が招きべきでない。
8)(  )天皇の下、家柄などにかかわらず有能な人物が大きな力を持つべき。
9)(  )幕府の下に、家柄などにかかわらず有能な人物が大きな力を持つべき。

Ⅵ,以下の諸政策についての重要だとおもうものに○をつけ、できれば優先順位も示してください。なお、逆に有害だと思うときは×をつけてください。

 (   )開国・攘夷
 (   )挙国一致(幕府・朝廷・諸大名などの協力体制確立)
 (   )尊王(天皇中心の政治実現・天皇の意志尊重・朝廷の発言力拡大)  
 (   )諸大名の意思の尊重・諸藩の地位向上
 (   )幕府の威信
 (   )諸列強に対しての日本としての威信
 (   )軍事・産業・技術の近代化
 (   )万国公法の遵守、法令の整備、統治機構の近代化
 (   )統一した軍隊(とくに海軍)創設  
 (   )下級武士や草莽の志士の登用

Ⅶ、このアンケートを書いた後で、考えられたこと、最も大切だと思っておられたこと、歴史に伝えられている自分の評価について、思っておられることなどをご自由にお答えください。

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回答を妄想する

数人の方の回答を妄想した。
あくまでも筆者の狭い範囲の知識での判断なので、ご了承いただきたい。

<回答例 1>松平春嶽(慶永)
松平慶永(春嶽) 幕末から明治初年にかけて、改革派としてつねに政局の中心にいた。

Ⅰ,開国・開港についての態度について、お答えください。
1)◎ 賛成 
2)   立場上・戦略戦術上、賛成しているが、本心は反対

3)△立場上・戦略戦術上、反対しているが、本心は賛成
4)      反対
Ⅱ,攘夷についてのあなたのお考えをお聞かせください。

<A>攘夷実現のためには
1)×こちらから戦争に訴えるべきである
2)△強硬に対応し、もし戦争になってもやむを得ない。
3)◎できるかぎり戦争は避けるべきである
4)△なにがあっても戦争は避けるべきである。
<B>攘夷実現の方法
5)×条約は完全に破棄し「鎖国」状態に戻すべきである
6)△いったん条約の破棄を通告・実現し、再交渉に望むべきである。
7)○いちおう現行条約は維持しつつ、条約改正交渉を申し入れるべきである。
8)△現行条約の維持を基本とし、必要に応じ改定を進めるべきである。
<C>攘夷実現の交渉の理念について
9) ×攘夷を実現するためには、国際信義など無視すればよい。
10)○攘夷という事態になったとしても、国際信義を守らねばならない。
Ⅲ,尊王についてのあなたのお考えをお聞かせください。
1)○天皇の意志を尊重することが第一
2)◎挙国一致を実現するためには、尊王という政策が有効。
3)○幕府の威信を取り戻すには、天皇・朝廷との友好関係が不可欠。
4)○朝廷の威信を回復するには、幕府との友好関係も必要。
5)○自藩の立場を有利にするため天皇・朝廷との関係を強めることが有利。
6) 身分の低いものが注目をあびるため、天皇・貴族に近づくことが有利。 
7)×天皇や朝廷などのいうことを聞く必要はない。有害である。
Ⅳ,今後の朝廷と幕府の関係はどうあるべきだと考えますか。
1)△すべての権力を天皇に集中し、将軍・幕府は廃止すべき。
2) 朝廷がすべてを決定、幕府はその命令を受け執行する役目に専念すべき。
3) 幕府がこれまで通り政治を行うが、京都守護・外交政策・宗教政策など重要な諸政策については、朝廷が直接諸藩や人民に命じる権利を保留すべきだ。
4)◎国政の重要な政策については幕府と朝廷が相談するが、基本的には幕府が政治や外交をになうべき。
5)○これまで通り、朝廷が幕府に政治外交などの大権を委任すべき。
6)×幕府が、朝廷など気にせずに独裁権を行使すべき。
Ⅴ,挙国一致ということについてあなたはどう考えますか。
1) 天皇がすべてを決め、それに日本中が従えば挙国一致が実現する
2)×幕府がすべてを決めれば問題はない
3)◎幕府のもとに、雄藩と呼ばれる大大名が相談をして決めるべき。
4)○天皇のもとに、雄藩と呼ばれる大大名が相談をして決めるべき。
5)△中・下級武士や草莽と呼ばれる人々が発言できる場も設定すべき
6)○朝廷のもとで開催される大名たちの会議の議長は将軍が就くべき
7)×朝廷のもとで開催される大名たちの会議に将軍を招くべきでない。
8)○天皇の下、家柄などにかかわらず有能な人物が大きな力を持つべき。
9)○幕府の下に、家柄などにかかわらず有能な人物が大きな力を持つべき。
Ⅵ,以下の諸政策についての重要だとおもうものに○をつけ、できれば優先順位も示してください。なお、逆に有害だと思うときは×をつけてください。
(○  )開国・攘夷
(◎  )挙国一致(幕府・朝廷・諸大名などの協力体制確立)
○  )尊王(天皇中心の政治実現・天皇の意志尊重・朝廷の発言力拡大)  
(○  )諸大名の意思の尊重・諸藩の地位向上
(○  )幕府の威信
(○  )諸列強に対しての日本としての威信
(○  )軍事・産業・技術の近代化
(○  )万国公法の遵守、法令の整備、統治機構の近代化
(○  )統一した軍隊(とくに海軍)創設  
(△  )下級武士や草莽の志士の登用
Ⅶ、このアンケートを書いた後で、考えられたこと、最も大切だと思っておられたこと、歴史に伝えられている自分の評価について、思っておられることなどをご自由にお答えください。

自分は、清国がアヘン戦争で敗れた事情から、欧米列強がいずれ我が国に開国を求めにくるだろうと思い、優秀な家臣橋本左内の助けも借り、清の轍を踏まないためには、挙国一致が第一だと考えた。
 私は、現実を虚心坦懐に学び、丁寧に説明し、心の底から真摯な話し合いを行えばわかり合えると愚かにも信じ続けている。したがって、条約勅許・開国こそが正しいということを、斉昭様のような攘夷論者にも、朝廷の方々も、かれらが心底から我が国の将来を考えておられる以上、今後日本が進むべき道を理解していただけると思っていた。
だから大切な事は話し合いの場というプラットホーム作りであると考えた。慶喜殿を将軍となっていただこうとかんがえたのもその一環である。
しかし、これまでの幕府のあり方を守ろうというある意味忠義第一の井伊直弼殿が大老になることで、左内は私の代わりに殺され、私も隠居と蟄居を余儀なくされた。

 文久年間になると、私は蟄居をとかれ、政事総裁職という重職についた。朝廷は和宮様降嫁の条件、攘夷決行を強く要求してきた。もとより私が攘夷に否定的なのはいうまでもない。しかし、本来楽天的な私は真摯な話し合いをすれば、朝廷の方々はわかっていただけると考えた。いったん攘夷決行を承認し、話し合いの場で開国にもっていけると考えた。その主張が通り、慶喜殿、私や山内容堂殿、有力諸大名、そして将軍家茂様までも京都に集結、話し合いを持つ事になった。
 しかし、京都にいった私はその誤りを知った。この地では、長州や土佐の支援を受けた狂犬のような尊攘派がテロを繰り返し、彼らと結ぶ公家たちが天皇の名をかたって勝手なことを繰り返した。彼らは、「勅命」といわれれば反論できない弱みを利用し、私たちに攘夷決行を強要した。私はなんとかそれを拒もうとしたが、尊王の思いの強い慶喜殿たちはそれを受け入れてしまった。さらに急進派の公家たちは本来幕府が委託されてきた軍事や諸藩への命令権まで奪おうとしてきた。いたたまれなくなった私はいったん京を離れ、福井に帰る事とした。
 それでも、私は諸侯同士、さらには天下の有志を加えた話し合いによって、日本のあるべき道を決めることができると工作を務めた。
しかし、薩摩など雄藩を疑い幕府中心の政治への回帰をめざす慶喜殿の態度などでうまくいかず、幕府中心の挙国一致にも協力的であった薩摩は次第に幕府打倒を考え始めるようになった。

 慶応3年の王政復古では、薩摩にしてやられたが、それでも尾張の慶勝殿や容堂殿と連携し、岩倉様も折れて、慶喜殿を議長とする形でおさまる寸前までいったのだが・・。慶喜殿は・・・。
 こうして心ならずも徳川宗家とそれを守ろうとする諸藩を賊軍としてたたかうこととなってしまった。そこでも私は話し合いによる政治運営を実現しようとした。その成果が我が藩士三岡八郎が草案をつくった「五か条の誓文」のなかの「広く会議を興し、万機公論に決すべし」という一文であったのかもしれない。
 時代は話し合いによる決定などという悠長な事を認めてくれなかった。大久保や木戸といった連中は、岩倉様や三条様の力を借りて、天皇様の名のもとに、相談もなしに新しい政策を決定、実施していった。あるいは、その内容は私や左内がぼんやりと思い浮かべていたものであったのかもしれない。小楠はこうした政治に参加しようとしたが、命を奪われた。
すでに私のいる場所はなかった。
コメント:幕末政治の最初から明治政権の成立期まで、つねに政権の中枢付近にいた春嶽です。
その考えも「妄想」してみました。つねに、話し合い(「公議世論」)によって合意が得られるという非常に楽天家でしたが、その理想主義はさまざまな欲望と思惑、価値観の対立によって跳ね返されていったといえそうです。
民主主義を実現するための困難という現在的な問題が、春嶽の理想主義をはね飛ばしたというところかもしれません。
<回答例 2>孝明天皇
孝明天皇 ある意味、天皇としての責任感が強い人物であったともいえる。

Ⅰ,開国・開港についての態度について、お答えください
1) 賛成 
2)     立場上・戦略戦術上、賛成しているが、本心は反対
3) 立場上・戦略戦術上、反対しているが、本心は賛成
4)  ◎ 反対
Ⅱ,攘夷についてのあなたのお考えをお聞かせください。
<A>攘夷実現のためには
1) こちらから戦争に訴えるべきである
2) 強硬に対応し、もし戦争になってもやむを得ない。
3)◎できるかぎり戦争は避けるべきである
4) なにがあっても戦争は避けるべきである。
<B>攘夷実現の方法
5) 条約は完全に破棄し「鎖国」状態に戻すべきである
6)○いったん条約の破棄を通告・実現し、再交渉に望むべきである。
7) いちおう現行条約は維持しつつ、条約改正交渉を申し入れるべきである。
8) 現行条約の維持を基本とし、必要に応じ改定を進めるべきである。
<C>攘夷実現の交渉の理念について
9)○攘夷を実現するためには、国際信義など無視すればよい。
10) 攘夷という事態になったとしても、国際信義を守らねばならない。
Ⅲ,尊王についてのあなたのお考えをお聞かせください。
1)◎天皇の意志を尊重することが第一
2○挙国一致を実現するためには、尊王という政策が有効
3) 幕府の威信を取り戻すには、天皇・朝廷との友好関係が不可欠。
4)△朝廷の威信を回復するには、幕府との友好関係も必要
5) 自藩の立場を有利にするため天皇・朝廷との関係を強めることが有利。
6) 身分の低いものが注目をあびるため、天皇・貴族に近づくことが有利。 
7)×天皇や朝廷などのいうことを聞く必要はない。有害である。
Ⅳ,今後の朝廷と幕府の関係はどうあるべきだと考えますか。
1) すべての権力を天皇に集中し、将軍・幕府は廃止すべき。
2) 朝廷がすべてを決定、幕府はその命令を受け執行する役目に専念すべき。
3)◎幕府がこれまで通り政治を行うが、京都守護・外交政策・宗教政策など重要な諸政策については、朝廷が直接諸藩や人民に命じる権利を保留すべきだ。
4)○国政の重要な政策については幕府と朝廷が相談するが、基本的には幕府が政治や外交をになうべき。
5)△これまで通り、朝廷が幕府に政治外交などの大権を委任すべき。
6)×幕府が、朝廷など気にせずに独裁権を行使すべき。
Ⅴ,挙国一致ということについてあなたはどう考えますか。
1)△天皇がすべてを決め、それに日本中が従えば挙国一致が実現する
2)×幕府がすべてを決めれば問題はない
3)△幕府のもとに、雄藩と呼ばれる大大名が相談をして決めるべき。
4)○天皇のもとに、雄藩と呼ばれる大大名が相談をして決めるべき。
5) 中・下級武士や草莽と呼ばれる人々が発言できる場も設定すべき
6)△朝廷のもとで開催される大名たちの会議の議長は将軍が就くべき
7)×朝廷のもとで開催される大名たちの会議に将軍が招きべきでない。
8)△天皇の下、家柄などにかかわらず有能な人物が大きな力を持つべき。
9) 幕府の下に、家柄などにかかわらず有能な人物が大きな力を持つべき。
Ⅵ,以下の諸政策についての重要だとおもうものに○をつけ、できれば優先順位も示してください。なお、逆に有害だと思うときは×をつけてください
(○  )開国・攘夷
(○  )挙国一致(幕府・朝廷・諸大名などの協力体制確立)
(◎  )尊王(天皇中心の政治実現・天皇の意志尊重・朝廷の発言力拡大)  
(   )諸大名の意思の尊重・諸藩の地位向上
(   )幕府の威信
(   )諸列強に対しての日本としての威信
(   )軍事・産業・技術の近代化
(   )万国公法の遵守、法令の整備、統治機構の近代化
(   )統一した軍隊(とくに海軍)創設  
(   )下級武士や草莽の志士の登用

コメント:幕末の混乱の引き金を引く形になった孝明天皇。
 かれにとっては、「祖法=皇祖皇宗の道」に反しないか、さらに朝廷の権威を高めることが最大の関心事であったと考えました。こうした事情から摂関家や武家伝奏などによる朝廷統治への反発もあったでしょう。他方、そうして点が維持できれば、幕府への大政委任については、とくにこだわりがなかったという形で、回答を考えました。基本的に○は少なかったと考えて見ました。
<回答例 3>徳川(一橋)慶喜
徳川慶喜

Ⅰ,開国・開港についての態度について、お答えください
1)  賛成 
2)     立場上・戦略戦術上、賛成しているが、本心は反対

3)○立場上・戦略戦術上、反対しているが、本心は賛成
4)      反対
Ⅱ,攘夷についてのあなたのお考えをお聞かせください。

<A>攘夷実現のためには
1) こちらから戦争に訴えるべきである
2)○強硬に対応し、もし戦争になってもやむを得ない。
3)○できるかぎり戦争は避けるべきである
4) なにがあっても戦争は避けるべきである。
<B>攘夷実現の方法
5) 条約は完全に破棄し「鎖国」状態に戻すべきである
6)○いったん条約の破棄を通告・実現し、再交渉に望むべきである。
7)△いちおう現行条約は維持しつつ、条約改正交渉を申し入れるべきである。
8) 現行条約の維持を基本とし、必要に応じ改定を進めるべきである。
<C>攘夷実現の交渉の理念について
9) 攘夷を実現するためには、国際信義など無視すればよい。
10)△攘夷という事態になったとしても、国際信義を守らねばならない。
Ⅲ,尊王についてのあなたのお考えをお聞かせください。
1)○天皇の意志を尊重することが第一
2)○挙国一致を実現するためには、尊王という政策が有効。
3)○幕府の威信を取り戻すには、天皇・朝廷との友好関係が不可欠。
4)○朝廷の威信を回復するには、幕府との友好関係も必要。
5)×自藩の立場を有利にするため天皇・朝廷との関係を強めることが有利。
6)×身分の低いものが注目をあびるため、天皇・貴族に近づくことが有利。 
7)×天皇や朝廷などのいうことを聞く必要はない。有害である。
Ⅳ,今後の朝廷と幕府の関係はどうあるべきだと考えますか。
1)×すべての権力を天皇に集中し、将軍・幕府は廃止すべき。
2)△朝廷がすべてを決定、幕府はその命令を受け執行する役目に専念すべき。
3)×幕府がこれまで通り政治を行うが、京都守護・外交政策・宗教政策など重要な諸政策については、朝廷が直接諸藩や人民に命じる権利を保留すべきだ。
4)◎国政の重要な政策については幕府と朝廷が相談するが、基本的には幕府が政治や外交をになうべき。
5)○これまで通り、朝廷が幕府に政治外交などの大権を委任すべき
6)×幕府が、朝廷など気にせずに独裁権を行使すべき。
Ⅴ,挙国一致ということについてあなたはどう考えますか。
1) 天皇がすべてを決め、それに日本中が従えば挙国一致が実現する
2)○幕府がすべてを決めれば問題はない
3)△幕府のもとに、雄藩と呼ばれる大大名が相談をして決めるべき。
4) 天皇のもとに、雄藩と呼ばれる大大名が相談をして決めるべき。
5) 中・下級武士や草莽と呼ばれる人々が発言できる場も設定すべき
6)◎朝廷のもとで開催される大名たちの会議の議長は将軍が就くべき
7) 朝廷のもとで開催される大名たちの会議に将軍が招きべきでない。
8×)天皇の下、家柄などにかかわらず有能な人物が大きな力を持つべき。
9)○幕府の下に、家柄などにかかわらず有能な人物が大きな力を持つべき。
Ⅵ,以下の諸政策についての重要だとおもうものに○をつけ、できれば優先順位も示してください。なお、逆に有害だと思うときは×をつけてください
(○  )開国・攘夷
(○ )挙国一致(幕府・朝廷・諸大名などの協力体制確立)
(◎1 )尊王(天皇中心の政治実現・天皇の意志尊重・朝廷の発言力拡大)  
(△  )諸大名の意思の尊重・諸藩の地位向上
(◎1 )幕府の威信
(◎  )諸列強に対しての日本としての威信
(○  )軍事・産業・技術の近代化
(△  )万国公法の遵守、法令の整備、統治機構の近代化
(△  )統一した軍隊(とくに海軍)創設  
(×  )下級武士や草莽の志士の登用

コメント:当時から「二心殿」と賞されていた慶喜、春嶽と同様、ほぼすべての項目になんらかの記号が付きそうなのが、特徴的かもしれません。(ただ春嶽の場合は○が多かったのに、慶喜は×も多い)
たしかに、かれは悩めるリーダーだったのでしょう。少し考えただけも、彼の判断の根拠となったものは、「日本全体の責任者としての自負」「徳川宗家を守る事」「天皇崇拝」「尊王攘夷のカリスマであった父斉昭への孝心」「出身藩としての水戸藩への配慮」あるいは「安政の大獄という愚かな判断を下した井伊直弼への反発」「薩摩=島津久光主従をはじめとする混乱に乗じて影響力拡大をはかる雄藩への反発」などなど、こうした意識・無意識の判断基準がかれを「二心殿」にしたと考えました。そのなかで、かれがもっとも重視したのは「徳川」「天皇」「日本」「自己都合」のいずれだったのでしょうか。ここでは「天皇」を選択してみましたが。
<回答例 4>島津久光
島津久光

Ⅰ,開国・開港についての態度について、お答えください
1)○ 賛成 
2)     立場上・戦略戦術上、賛成しているが、本心は反対

3) 立場上・戦略戦術上、反対しているが、本心は賛成
4)      反対
Ⅱ,攘夷についてのあなたのお考えをお聞かせください。

<A>攘夷実現のためには
1) こちらから戦争に訴えるべきである
2)○強硬に対応し、もし戦争になってもやむを得ない。
3)△できるかぎり戦争は避けるべきである
4) なにがあっても戦争は避けるべきである。
<B>攘夷実現の方法
5) 条約は完全に破棄し「鎖国」状態に戻すべきである
6) いったん条約の破棄を通告・実現し、再交渉に望むべきである。
7) いちおう現行条約は維持しつつ、条約改正交渉を申し入れるべきである。
8) 現行条約の維持を基本とし、必要に応じ改定を進めるべきである。
<C>攘夷実現の交渉の理念について
9)○攘夷を実現するためには、国際信義など無視すればよい。
10) 攘夷という事態になったとしても、国際信義を守らねばならない。
Ⅲ,尊王についてのあなたのお考えをお聞かせください。
1)○天皇の意志を尊重することが第一
2)○挙国一致を実現するためには、尊王という政策が有効。
3)○幕府の威信を取り戻すには、天皇・朝廷との友好関係が不可欠。
4)○朝廷の威信を回復するには、幕府との友好関係も必要。
5)◎自藩の立場を有利にするため天皇・朝廷との関係を強めることが有利。
6) 身分の低いものが注目をあびるため、天皇・貴族に近づくことが有利。 
7) 天皇や朝廷などのいうことを聞く必要はない。有害である。
Ⅳ,今後の朝廷と幕府の関係はどうあるべきだと考えますか。
1)△すべての権力を天皇に集中し、将軍・幕府は廃止すべき。
2)△朝廷がすべてを決定、幕府はその命令を受け執行する役目に専念すべき。
3) 幕府がこれまで通り政治を行うが、京都守護・外交政策・宗教政策など重要な諸政策については、朝廷が直接諸藩や人民に命じる権利を保留すべきだ。
4)◎国政の重要な政策については幕府と朝廷が相談するが、基本的には幕府が政治や外交をになうべき。
5) これまで通り、朝廷が幕府に政治外交などの大権を委任すべき。
6)×幕府が、朝廷など気にせずに独裁権を行使すべき。
Ⅴ,挙国一致ということについてあなたはどう考えますか。
1) 天皇がすべてを決め、それに日本中が従えば挙国一致が実現する
2)×幕府がすべてを決めれば問題はない
3)○幕府のもとに、雄藩と呼ばれる大大名が相談をして決めるべき。
4)○天皇のもとに、雄藩と呼ばれる大大名が相談をして決めるべき。
5) 中・下級武士や草莽と呼ばれる人々が発言できる場も設定すべき
6)△朝廷のもとで開催される大名たちの会議の議長は将軍が就くべき
7)△朝廷のもとで開催される大名たちの会議に将軍が招きべきでない。
8) 天皇の下、家柄などにかかわらず有能な人物が大きな力を持つべき。
9) 幕府の下に、家柄などにかかわらず有能な人物が大きな力を持つべき。
Ⅵ,以下の諸政策についての重要だとおもうものに○をつけ、できれば優先順位も示してください。なお、逆に有害だと思うときは×をつけてください。
(   )開国・攘夷
(   )挙国一致(幕府・朝廷・諸大名などの協力体制確立)
(○  )尊王(天皇中心の政治実現・天皇の意志尊重・朝廷の発言力拡大)  
(◎  )諸大名の意思の尊重・諸藩の地位向上
(   )幕府の威信
(   )諸列強に対しての日本としての威信
(○  )軍事・産業・技術の近代化
(   )万国公法の遵守、法令の整備、統治機構の近代化
(○   )統一した軍隊(とくに海軍)創設  
(   )下級武士や草莽の志士の登用

コメント:雄藩・薩摩の最高実力者代表です。○も◎も少なく、「自藩ファースト」との人物として回答してみました。こうした久光の思惑や行動力、兄斉彬への対抗心や虚栄心、それを大久保や西郷らが利用した面が大きかったように思います。
<回答例 5>高杉晋作
高杉晋作

Ⅰ,開国・開港についての態度について、お答えください。
1)  賛成 
2)     立場上・戦略戦術上、賛成しているが、本心は反対

3)◎立場上・戦略戦術上、反対しているが、本心は賛成
4)      反対
Ⅱ,攘夷についてのあなたのお考えをお聞かせください

<A>攘夷実現のためには
1)◎こちらから戦争に訴えるべきである
2) 強硬に対応し、もし戦争になってもやむを得ない。
3) できるかぎり戦争は避けるべきである
4) なにがあっても戦争は避けるべきである。
<B>攘夷実現の方法
5) 条約は完全に破棄し「鎖国」状態に戻すべきである
6)◎いったん条約の破棄を通告・実現し、再交渉に望むべきである。
7) いちおう現行条約は維持しつつ、条約改正交渉を申し入れるべきである。
8) 現行条約の維持を基本とし、必要に応じ改定を進めるべきである。
<C>攘夷実現の交渉の理念について
9)○攘夷を実現するためには、国際信義など無視すればよい。
10) 攘夷という事態になったとしても、国際信義を守らねばならない。
Ⅲ,尊王についてのあなたのお考えをお聞かせください。
1) 天皇の意志を尊重することが第一
2)◎挙国一致を実現するためには、尊王という政策が有効。
3) 幕府の威信を取り戻すには、天皇・朝廷との友好関係が不可欠。
4) 朝廷の威信を回復するには、幕府との友好関係も必要。
5)△自藩の立場を有利にするため天皇・朝廷との関係を強めることが有利。
6)○身分の低いものが注目をあびるため、天皇・貴族に近づくことが有利。 
7)×天皇や朝廷などのいうことを聞く必要はない。有害である。
Ⅳ,今後の朝廷と幕府の関係はどうあるべきだと考えますか。
1)○すべての権力を天皇に集中し、将軍・幕府は廃止すべき。
2)○朝廷がすべてを決定、幕府はその命令を受け執行する役目に専念すべき。
3)△幕府がこれまで通り政治を行うが、京都守護・外交政策・宗教政策など重要な諸政策については、朝廷が直接諸藩や人民に命じる権利を保留すべきだ。
4) 国政の重要な政策については幕府と朝廷が相談するが、基本的には幕府が政治や外交をになうべき。
5)×これまで通り、朝廷が幕府に政治外交などの大権を委任すべき。
6)×幕府が、朝廷など気にせずに独裁権を行使すべき。
Ⅴ,挙国一致ということについてあなたはどう考えますか。
1)△天皇がすべてを決め、それに日本中が従えば挙国一致が実現する
2)×幕府がすべてを決めれば問題はない
3)△幕府のもとに、雄藩と呼ばれる大大名が相談をして決めるべき。
4) 天皇のもとに、雄藩と呼ばれる大大名が相談をして決めるべき。
5)○中・下級武士や草莽と呼ばれる人々が発言できる場も設定すべき
6) 朝廷のもとで開催される大名たちの会議の議長は将軍が就くべき
7) 朝廷のもとで開催される大名たちの会議に将軍が招きべきでない。
8)○天皇の下、家柄などにかかわらず有能な人物が大きな力を持つべき。
9) 幕府の下に、家柄などにかかわらず有能な人物が大きな力を持つべき。
Ⅵ,以下の諸政策についての重要だとおもうものに○をつけ、できれば優先順位も示してください。なお、逆に有害だと思うときは×をつけてください。
(○  )開国・攘夷
(◎  )挙国一致(幕府・朝廷・諸大名などの協力体制確立)
(○  )尊王(天皇中心の政治実現・天皇の意志尊重・朝廷の発言力拡大)  
(○  )諸大名の意思の尊重・諸藩の地位向上
(×  )幕府の威信
(○  )諸列強に対しての日本としての威信
(○  )軍事・産業・技術の近代化
(△  )万国公法の遵守、法令の整備、統治機構の近代化
(△  )統一した軍隊(とくに海軍)創設  
(○  )下級武士や草莽の志士の登用

コメント:長州の尊王攘夷派の中心、高杉晋作です。挙国一致とそれによる列強に対する危機感と独立の確保をめざす急進的改革派という位置づけで回答してみました。そうした大きな戦略の下に、尊王攘夷・長州藩の軍国主義化といった戦術を位置づけてみました。しかし、同時に上士出身という面から、「藩」意識もときどき姿をみせた面も意識しています。
<回答例 5>水野忠徳
水野忠徳

Ⅰ,開国・開港についての態度について、お答えください。
1)◎ 賛成 
2)     立場上・戦略戦術上、賛成しているが、本心は反対

3) 立場上・戦略戦術上、反対しているが、本心は賛成
4)      反対
Ⅱ,攘夷についてのあなたのお考えをお聞かせください

<A>攘夷実現のためには
1)×こちらから戦争に訴えるべきである
2) 強硬に対応し、もし戦争になってもやむを得ない。
3) できるかぎり戦争は避けるべきである
4)◎なにがあっても戦争は避けるべきである
<B>攘夷実現の方法
5)条約は完全に破棄し「鎖国」状態に戻すべきである
6)いったん条約の破棄を通告・実現し、再交渉に望むべきである。
7)いちおう現行条約は維持しつつ、条約改正交渉を申し入れるべきである。
8)◎現行条約の維持を基本とし、必要に応じ改定を進めるべきである。
<C>攘夷実現の交渉の理念について
9) 攘夷を実現するためには、国際信義など無視すればよい。
10)◎攘夷という事態になったとしても、国際信義を守らねばならない。
Ⅲ,尊王についてのあなたのお考えをお聞かせください。
1) 天皇の意志を尊重することが第一
2)△挙国一致を実現するためには、尊王という政策が有効。
3)△幕府の威信を取り戻すには、天皇・朝廷との友好関係が不可欠。
4) 朝廷の威信を回復するには、幕府との友好関係も必要。
5)×自藩の立場を有利にするため天皇・朝廷との関係を強めることが有利。
6)×身分の低いものが注目をあびるため、天皇・貴族に近づくことが有利。 
7)◎天皇や朝廷などのいうことを聞く必要はない。有害である。
Ⅳ,今後の朝廷と幕府の関係はどうあるべきだと考えますか。
1)×すべての権力を天皇に集中し、将軍・幕府は廃止すべき。
2)×朝廷がすべてを決定、幕府はその命令を受け執行する役目に専念すべき。
3)×幕府がこれまで通り政治を行うが、京都守護・外交政策・宗教政策など重要な諸政策については、朝廷が直接諸藩や人民に命じる権利を保留すべきだ。
4)○国政の重要な政策については幕府と朝廷が相談するが、基本的には幕府が政治や外交をになうべき。
5)○これまで通り、朝廷が幕府に政治外交などの大権を委任すべき
6)◎幕府が、朝廷など気にせずに独裁権を行使すべき。
Ⅴ,挙国一致ということについてあなたはどう考えますか。
1)×天皇がすべてを決め、それに日本中が従えば挙国一致が実現する
2)◎幕府がすべてを決めれば問題はない
3)△幕府のもとに、雄藩と呼ばれる大大名が相談をして決めるべき。
4)×天皇のもとに、雄藩と呼ばれる大大名が相談をして決めるべき。
5) 中・下級武士や草莽と呼ばれる人々が発言できる場も設定すべき
6)○朝廷のもとで開催される大名たちの会議の議長は将軍が就くべき
7)×朝廷のもとで開催される大名たちの会議に将軍が招きべきでない。
8) 天皇の下、家柄などにかかわらず有能な人物が大きな力を持つべき。
9)○幕府の下に、家柄などにかかわらず有能な人物が大きな力を持つべき。
Ⅵ,以下の諸政策についての重要だとおもうものに○をつけ、できれば優先順位も示してください。なお、逆に有害だと思うときは×をつけてください。
(◎  )開国・攘夷
(   )挙国一致(幕府・朝廷・諸大名などの協力体制確立)
(   )尊王(天皇中心の政治実現・天皇の意志尊重・朝廷の発言力拡大)  
(×  )諸大名の意思の尊重・諸藩の地位向上
(○  )幕府の威信
(◎  )諸列強に対しての日本としての威信
(○  )軍事・産業・技術の近代化
(○  )万国公法の遵守、法令の整備、統治機構の近代化
(△  )統一した軍隊(とくに海軍)創設  
(△  )下級武士や草莽の志士の登用

コメント:多くの人には知られていない水野忠徳。対外実務を担ってきた官僚たちの黒幕ともいえる人物であす。こうした官僚の代表として取り上げた。俗吏とみなされがちな幕府官僚であるが、近年、反攘夷派ナショナリストの側面が強調されてきた。国際的な信義こそ国益とする立場に立ち、朝廷や雄藩との協調によって対外危機をよびこむことに強く危機感を持つ、朝廷や一橋慶喜ら在京幕僚・公議政体派への批判勢力としての回答とした。
挙国一致のためには薩長を軍事的に屈服させるという別の選択肢もあった

 

歴史系用語の精選問題にかかわって

歴史系用語の精選問題にかかわって
~元高校教師の視点から

 

歴史教科書の実態から

まず、実際使われている(いた)教科書を見ていただきたい。

山川出版社「詳説日本史」P225

手元にあった「詳説日本史」の1ページ「宝暦・天明期の文化」のなかの1ページ(P225)である。
ここに記載される人名本文の太字で6人(青木昆陽・野呂元丈・前野良沢・杉田玄白・稲村三伯・平賀源内)通常の文字で5人(西川如見・新井白石・大塚玄沢・宇田川玄瑞)、注釈や写真説明で2人(シドッチ・山脇東洋)、さらに表中でさらに8名(略)。計22名がこの1ページのなかで登場する。さらに書名7冊(解体新書・ハルマ和解・采覧異言・西洋紀聞・蔵志・蘭学階梯・西説内科撰要)、その他、塾の名前(芝蘭堂)などもある。
この部分は、文化史なので、多めではあるが、こうした叙述が、この教科書では415ページにわたって続く。

コラムなど省略しやすい部分があるので、約400ページ、この膨大な量が高校で授業すべき対象として期待され、大学入試の「試験範囲」となる。
さらに、大学の先生には常識であっても、高校では常識でない問題、教科書に記載されない問題が出題され、さらに教科書に載せられる用語が増える。
 かつて「天台宗の中心になる経典は」という問題(答、わかりますか:「法華経」ですよ!)が出題され、翌年にはもう教科書に載っていた。

1日50分間の授業のノルマは3ページ強

本来、日本史Bは4単位であり、実際には授業時間数は120時間程度なので、1時間に3ページ以上進むことを前提に教科書は編纂されている
さきに掲げた部分なら、「宝暦・天明期の文化」全体で約7ページなので、授業時間2回分となる。掲げた分は、洋学(蘭学)でまとまっているのでやりやすいが、これを15分で終わらせられるか。儒学は、江戸期全体(室町期も)もにらみながら、授業するのでさらに厄介だ。
本当に可能か考えていただきたい。精選しつつ教える。「入試に出るかも」という不安を抱えながら。
入試に対応する「質」を求めると、ここで示した部分だけで1時間近くかかるだろう。「思考力育成型の授業と両立可能な用語数は一時間の授業数で15語程度」という指摘からすれば、このページだけでオーバーする。1日1ページならば、鎌倉・室町で年間時間数を使い切る。
 「学校では近現代史まで教えてくれない!」という批判に、「当然じゃないか」と居直りたくなる理由をわかっていただきたい。

実際の授業では

では「宝暦・天明期の文化」全7ページを2時間、さきにみたようにこの部分は15分程度で仕上げる。
私の例を挙げよう。「授業中継(開国前夜)」では、以下のような感じとなる。

**************

蘭学も広がりを見せた。

解体新書表紙 山川出版社「詳説日本史」P225


蘭学とは、オランダ語を学び、それを元に世界の文化に触れようとする学問だ。
蘭学は、実際の人体解剖に立ち会った医師の前野良沢・杉田玄白らが、もっていたオランダ解剖書の挿絵のあまりの正確さに衝撃を受けこの本の翻訳をはじめる。いわば中学校1年の単語帳だけで医学専門書を翻訳する感じだ。
そうした努力の上に、オランダ語、さらには西洋文化の知識を蓄積される。その蓄積は辞書や文法書を作るなどの形となり、オランダ人らから直接学ぶといった過程を経ていく。そして世界の知識に飢えていた知識人(おもに医師)の中に急速に広がっていった。
18世紀後半には、その興味は医学だけにはとどまらなくなっていく。すでに18世紀中期には平賀源内のようなあらゆる分野に興味を示す人物が出現したが、この時期には林子平のように世界情勢を深く理解し、日本のあり方に警鐘を鳴らす者も現れてきた。
田沼意次はこうした動きを好意的であったが、松平定信は「幕府が世界の知識を独占すべきだ」との立場から、こうした動きを危険視、林のように弾圧されることもあった。

 これにエピソードを加えて15分。「日本史A」での内容なのでこれでいいが、入試を考えた「日本史B」では厳しい。

<板書例>
2,宝暦・天明期の文化
a.洋学
 蘭学・・吉宗期の漢訳洋書の輸入緩和とオランダ語学習(青木昆陽ら)
 18C後期、前野良沢・杉田玄白ら・・「解体新書」=オランダ語文献を翻訳
  ⇒その過程での知識の積み上げ(蘭学隆盛へ)
     蘭日辞書「ハルマ和解」や文法書
           ↓
 医学から他の分野への興味の高まり(←幕府の弾圧も)
平賀源内・・「万能の天才」

 本来ならこの程度。
黒板に書き、ノートに採らせる。それで数分。
これに「解体新書」のエピソードや源内の活躍と死(たとえば、「玄白の追悼文」を紹介)、なぜ幕府が蘭学を弾圧したか、などを紹介して、15分という展開となる。時間があれば、芝蘭堂に大黒屋光大夫がきた話なども。

教えきれないからプリントを使用するが・・

ただ、これは勤務校がそれほどの進学校でなかったからできるので、進学校で通用しない。
なぜなら、入試で出題される中心は「稲村三伯」「ハルマ和解」「宇田川玄随」「小田野直武」であり「芝蘭堂」や「蔵志」であり、私の板書にはあまり入っていない。
決して杉田玄白・前野良沢・平賀源内ではない。
 受験に対応していないとなる。

実は、ここで記した範囲は、授業で実施できなかった内容である。単純に時間不足だから。幕末維新史を残すか、こちらを残すかの判断で、カットした。
少し余裕があれば、上記「授業中継」程度の内容をさらっととながす程度である。そして、補習回しとなるが、人数不足からめったに開講されない。

板書には時間がかかるという場合とか、より正確な説明と密度を濃くしたいという場合はプリントを用いる。
板書にもどした時期も文化だけはプリントを用いることが多かった。
しかし、こうしたプリントをつくっても、多くの生徒は空欄に赤ボールペンで答を写すだけ。試験前に赤い下敷きで隠してその部分を覚えるだけ。

歴史の授業は構造的に消化不良を起こす!

丁寧に教えるべきことには時間をかけて教えたい。近現代まで教えたい。これから生きていく上で指針となったり、役立つことを身につけさせたい、私はそうおもって、歴史の教師となり、教えようとしてきた。
しかし、そのような余裕は全くなく、時間と、授業という形式(この点については別の機会に述べたい)のため、困難であった。
どうあるべきか。
一つは、いっそうの時間保障がなされることである。どの学校でも、いろいろな口実を付けて時間数を増やそうとしている。しかし、行政側は、いろいろなけちを付け、もし増加単位を置くとすれば、訳のわからない科目名をつけ、やれる訳のない教案まで要求する。そうとはいいながら、こうしたフィクションを行いながら、多くの学校で時間数を増やしている。
いま一つは、教えきれるわけもないまま、入試の都合や研究成果を盛り込みたい学界の都合などから押し込まれる膨大な歴史用語を精選するしかない
入試や教科書から来ている以上、ある程度「外側からの力」をもって精選を図るしかない。ただその精選は国家権力によるものであってはいけない。あくまでも、教育現場と研究現場が、国民的、世界市民的教養とはなにかを考えて行うべきものである。

放置すれば、歴史教育は、さらに暗記のみを強要する無駄なものとなる。入試と教科書において、歴史用語と内容の肥大化をなんとか押しとどめるガイドラインを出さねば、歴史教育の新たな展開はない。

このままでは歴史教育は崩壊しかねない。

実は、私自身、生徒たちにセンター試験のみで必要という者にたいし「世界史や日本史を選択すべきでない」と指導してきた。努力に対し、結果との乖離(コストパフォーマンス?の悪さ)があまりにも大きすぎる。
このまま「歴史総合」2単位の教科書が編成され、さらに他の「日本史探究」「世界史探究」などの選択科目が置かれ、単位数削減にさらされるとするならば、歴史教育はさらなる用語の羅列となる可能性が大きい。
無政府的に示された歴史用語から配慮なしに入試問題がつくられるという悪夢すら想定できる。2単位であることを看過したまま。

入試至上主義の高校からは歴史科目は消え去る動きが表面化したのが、世界史未履修問題であった。あまりに難度が高まり、些末に流れる「歴史」科目自体が、まとめて教育から消去されかねない。

高大連携歴史教育研究会の提案

こうした危機感の中を背景に、2011年「学術研究者の国会」ともいうべき、日本学術会議が、国民および世界市民として学ばねばならない教養としての歴史の最低限を「歴史基礎」(および「地理基礎」)にまとめて新設必履修化すること、そしてそうした最低限およびその発展した内容と視点の歴史用語精選を提案したのである。

この流れにしたがって蛮勇をふるって汚れ役を引き受けて原案を出していただいたのが高大連携歴史教育研究会の皆さんであると理解している。 それは、指導要領に影響されつつも、あくまでも現実の歴史教育の当面する問題を検討し、歴史学と歴史教育のあり方を検討するなかで出てきたものである。

今回の精選案(高等学校教科書および大学入試における歴史系用語精選の提案(第一次))に対しては、いくつかの誤解がつきまとっている。
ひとつめは、「精選」の主体を、文部科学省・中央教育審議会などといった政府系の機関と考える誤解である。こうした機関が上意下達的に提出したといった印象で見られがちである。
しかし、実際は日本学術会議の分科会による「関係学会などで重要用語を精選するガイドラインを作成し、大学入試の出題をそのガイドライン内で行うとともに、歴史的思考力を問う問題を増やすように働きかけていく」という提案にもとづくものであり、民間の「高等学校歴史教育研究会」が学術会議などで行った高大の現場アンケートを元に試案を作成し、「大学と高校の教員の交流を可能にする全国的規模の研究会の必要性が痛感されるようになり」2015年に発足した高大連携歴史教育研究会で検討、作成したものである。
今回公表されたものは第一次案で、2018年2月までにアンケート等によって意見を集約し、2017年度中に最終案を発表するとしている。
今回の精選案は、アンケート調査のための具体例として出されている。精選の是非、精選の考え方、具体的な用語選定など、高大連携歴史教育研究会へアンケートを集中することによって、より多くの意見を集約したいとしている。
※なお、アンケートは高大連携歴史教育研究会のホームページからも回答をすることができる。このページからもリンクしておくことにする。

是非、アンケートを寄せていただきたい。

さらに、本年度中にだされる、最終案自体も「学習指導要領」のように、それ自体が権力的に扱われるものではない。こうした考え方と具体例を示すことで、新たな教科書編成や入試などへ活かしてもらえるよう働きかけるという性格を持つものである。

精選によって「龍馬」が消えるわけでない。

なお、多くの人が誤解をしているのは、この精選によって、今まで載っていた語句が教科書に載らなくなるのではないかという点である。
もっともポイントとなる部分を「提案」から引用することにする。

このガイドラインに記載された用語を教科書で「基礎用語」として本文に記載し、大学入試でも知識として問うのはこの範囲に限定する、それ以外の用語については、例えば、教科書では「発展用語」などの扱いで資料や図表・課題中に含めて自主的な学びに導く、入試でも大学入試でその知識を求めることはしないが、基礎用語の知識と組み合わせで解答すべき資料中に使うことは制限しないというやり方で、高等学校の歴史教育に柔軟性と多様性を保証することが期待されます。(中略)
また授業内容や教科書執筆全体については、本用語精選案がリスト外の用語を、授業中に例示することや教科書の資料・図表やコラムなどに掲載することを否定してはいないことをよくよくご理解いただきたいと思います。精選(制限)を提案しているのは、「教科書本文に掲載し、入試で必須暗記事項として扱う」用語だけです。

 今回精選のリストから外れた坂本龍馬や吉田松陰であっても、教科書の本文には載らず、入試には出ない(現実問題として、そんな簡単な問題が出るとは思えないが)ということであって、教科書執筆に当たっては、資料や図表にだすことは可能であるし、後で示す理由から、脚注などでの補足にも記される可能性が高いと考えられる。
もちろん、高校の定期考査などでは出題可能であるし、私が現役の高校歴史教師であっても、気にせず出題する。

精選の具体例を見ていこう。

ちなみに、今回の精選提案において、先に示した「洋学」のページに関わり合いがあるのは
蘭学・杉田玄白・解体新書・平賀源内と、他の場所に記載がある新井白石に限定される。
人名では13人が3人、書名では7冊が1冊に減ることになる。
しかし、私の授業がらみでいえば、消えた人物が前野良沢・青木昆陽、書名が「ハルマ和解」くらいであり、実際の授業内容から見て違和感はない。(ただ、寛政期の林子平が消えていることは、やや違和感もあるが)
さらに、2日で扱う内容となる「宝暦・天明期の文化」全7ページ分では本文中の人名約40名(脚注・表を加えるとゆうに100人を越える!)が8名となっている。

残されたのはこれだけ。「<項目>歴史用語、で記す」
<蘭学>蘭学、杉田玄白、「解体新書」、平賀源内
<国学>国学、本居宣長、塙保己一、尊王論、頼山陽
<儒学>朱子学、藩校、郷学
<教育と思想>心学、石田梅岩、寺子屋、安藤昌益、通俗道徳
<文学・芸能>与謝蕪村、川柳、『仮名手本忠臣蔵』
<美術>錦絵、喜多川歌麿、東洲斎写楽

以上となる。さらに先ほどの新井白石のように別の場所で出てくる内容もある。

「こんなに減らされてやっていけるか!」という人もいるし、「それでも、まだこんなに覚えなければならないの!」という人もいるだろう。

幕末・維新期や戦国期ではどうか

もっとも意見が出されている幕末~維新についても見ていく。まず人名。
今回は《学習内容》と人名という形で記す。

《開国前後の世界》ペリー、ハリス、プチャーチン、孝明天皇
《開国とその影響》徳川家茂、徳川慶喜、井伊直弼、勝海舟
《尊王攘夷から倒幕へ》和宮
《廃藩置県の断行》明治天皇
《明治初期の諸改革》大久保利通、岩崎弥太郎、渋沢栄一
《明治初期の外交と国境問題》岩倉具視
《明治初期の国内政治》西郷隆盛、板垣退助、木戸孝允
《文明開化》福澤諭吉
《他の部分で》井上馨、伊藤博文、山県有朋、大隈重信

山川出版社「詳説日本史」のなかの太字(重要人物)で消えているのは、以下の10名である。

 

ビッドル、阿部正弘、堀田正睦、徳川家定、三条実美、高杉晋作、中村正直、前嶋密、尚泰(上記の範囲内で)
吉田松陰(化政文化の項で)

なお、話題に中心である坂本龍馬はもともと一般語句の扱い、近藤勇は脚注、すでに現在の教科書の扱いでもこうである。しかし、「一般語句なのに勝海舟が入った」とのだからという理屈も成り立つ。

しかし、他の語句をよく見ると《尊王攘夷から倒幕へ》のなかに、「安政の大獄」があるので松陰が、「薩長連合」があるので坂本が、長州征討があるので高杉が、禁門の変三条が、それぞれ触れられることは、授業の進めかたとして普通である。精選に際し、人名と出来事、どちらか一つを選んだ結果と考えられる。教科書の脚注などに記されることが予想されているし、そうでなくとも教師が授業のなかで補足することも想定していると考えられる。

さらに話題となる戦国大名であるが、リストには

北条早雲、毛利氏、長宗我部氏、北条氏、武田氏、今川氏、朝倉氏、島津氏、大友氏、伊達氏

と11の戦国大名家が選ばれている。こんなに多く必要とは思えない、地図や表で十分!という方が私の印象である。

誤解に基づく「用語精選」批判

ところが、精選については、総論賛成、各論反対は世の常である。予想通り、多くの反論が出てきた。まず出てきたのは、坂本龍馬や吉田松陰など自分の好みの人物が外されたという、マスコミ受けのする批判である。
この批判は、すでに見たし、研究会を主導する桃木至郎氏が何度も発言するように誤解に基づくものである。精選の対象は入試(しかも、その知識が正誤にかかわる出題のみ)と教科書本文についてである。つまり、例示や表などは使用可能である。そもそも、授業展開のシーンでは具体的な名前を入れた方がよいに決まっている。
私の「授業中継」で例を挙げれば、武田信玄の領国制を説明する中で、分国法や喧嘩両成敗による家臣団の統制、金山開発などの富国強兵策などを説明し、そこから目を転じて寄親寄子制、武士や商人らの城下町集住、指出検地、貫高制などに話を及ぼすというやり方は可能だし、そうした方が戦国大名を全体として理解できる。最終的に入試に武田信玄は出題されなくても、何ら問題はない。自分の学校の考査で出題することはなんの問題もない。

同様に、坂本龍馬や吉田松陰らを例にとって幕末期を説明することは何ら問題ないし、そうした方がいいのかもしれない。すべての教科書が横並びにその名前を出す必要はないし、入試にはでないと考えればいいのである。

これにより教科書としても、教師としてもさまざまな授業展開を可能にできる。校内の考査においてはいくら出してもかまわない。今まで教科書に出ていないものでもよい。考査は、教師の授業展開にかかわって出題すればいいものなのだから。

「国定教科書」意識は捨てるべき

多くの批判を見て感じるのは、多くの人の意識に「国定教科書」的な意識がこびりつきすぎているのではないか。教科書の本文には原則としてださないことは教えないことではない。
 高校生すべてが、坂本龍馬や吉田松陰の名前を知らなくともいいのじゃないか、全国のすべての人間が龍馬の名前を横並びで覚える必要はないというだけだ。だから入試にも出さない。
逆にいえば、他の用語も減り、時間的に余裕ができるのだから龍馬や松陰を使って、より丁寧に幕末を教える余裕もできる。授業であつかわれる龍馬や松陰の「名前」は入試にでないが、彼らがかかわった尊王攘夷運動、長州征討、薩長連合は入試にでる。自分の地域にかかわる人物を用いて尊王攘夷運動を説明できるのならそれでもかまわない。定期考査にも出題する。
武田信玄の代わりに、長宗我部元親で説明しても、伊達政宗を使って戦国大名を説明してよい。
とりあえず、記憶が自己目的化している歴史から歴史教育を解放しようということだと私は理解した。
かつての「ゆとり教育」の再現だという的外れの批判もあるが、意味のないような記憶でなく、さまざまなアプローチを可能にすることの方が大切だ。
「言葉を閉ざす」という批判もあるが、人の名前だけを意味もなく覚えることが「言葉を閉ざす」のだろうか。私が挙げた例でいえば、「稲村三伯」「ハルマ和解」「宇田川玄随」「小田野直武」「芝蘭堂」「蔵志」とぞろぞろと人の名前を覚えることにどれだけの意味があるのだろうか。
ターヘルアナトミアを中学校一年生単語だけで訳していく中で、どのようにして言語を習得したのか、学んだ単語を積み重ねることで辞書をつくり(「ハルマ和解」)、文法書をつくり、それでどのように世界を読み解いていったのか、読み解いた世界と日本の現実のギャップにどう向き合っていったのか。それを考えた方が、国際理解や言語習得の意味を深く考えられるのではないか。

芝蘭堂に集まった蘭学者たち

学ぶための共同体がつくられ、いかに協力し合ったのか。「芝蘭堂」の会合に参加した大黒屋光太夫が世界をどう紹介したか、蘭学者たちがその情報をどのように感じさせたか、説明した方がよほど「言葉を開く」。
そのなかで、必要に応じて、さりげなく、こんな人もいたよと人名を出せばいいのではないか。
歴史の流れから切り離された人名や歴史用語をマーカーで線を引かせて「さあ覚えなさい」の授業が「言葉を閉ざさない」とは私には思えない。

教科書は「厚い」方がよい!

そもそも、私自身は教科書は厚い方がよいと思っている。(ツイッターで見る限り、桃木氏も同じ考えを持っておられるようである)。教科書には、さまざまな事例が紹介され、史・資料の内容がだされ、その中から、教師(場合によっては生徒も)が、内容をチョイスし、学び、現代につながる課題を読み取っていく。それが最もよいと思っている。
問題は教科書に書いてあるすべてを記憶するものと位置づけていることだ
世界史研究の発展の中、「なぜ世界史にアフリカが登場しないのか?」「世界システム論という考え方をぜひ紹介したい!」といった声が研究者から、さらに教育者の側からも出された。それは、正しい議論であろう。しかし、今までのものが精選されないまま、教科書に反映され、新たに付け加えられた。結果は入試で扱われる内容が増えただけだった。しかも新傾向として。

内容が妥当なだけに悲しかった。結局、「さらに教えなければならないことが増えた」「さらに覚えなければならないことが増え、入試が難しくなった」との反発を受ける。あるべき世界史像を普及させようという思いが、入試という観点から拒絶される。教科書に書いてもらいたい、書くべき内容が、生徒の消化不良を促進し、入試での忌避、歴史嫌いを増やす。
理由もなく、あるいは考える余裕もなく記憶せざるを得ないものを「入試には出しません」「入試に出す可能性があるのはこの内容です」と宣言し、あとは教科書を作成する人たちと現場の教師たちの創意を活かせばいいというのが趣旨であると考える。

「精選」のさいの検討事項も

以上のような点から、私は今回の歴史用語精選はやむを得ないと考え、基本的に支持をしたい。
 ただ、検討すべき内容もある。
生徒、とくに学力に課題のある生徒にとってはみれば、何も考えず、論理構造も考えず、丸覚えする方が楽なのだ。とりあえず、言葉だけを必死になって詰め込み、「主義」がついているものには、覚えてきた「主義」がつくことばを、資本主義か、ロマン主義か、正統主義かなど、全く考えず埋め込む、そして赤点ぎりぎりで、なんとか単位認定してもらう、という現場がある。
一つ一つの「主義」を、抽象的・概念的用語を丁寧に学ばせ、理解させる方が、実はよっぽど大変なのだ。何も考えず「丸覚えする」歴史教科がさらに難しくなることにつながるし、教える側の努力も必要だ。
抽象的・概念的用語も、理解しないまま、事実の裏付けもないまま暗記させる恐れもある。歴史的な事実と結びついた形で歴史理論が組み立てるのはかまわないが、その理論を導き出した事実的裏付けなしに歴史理論だけを覚えるのならそれは非科学的なものといわざるを得ない
とくに、新科目「歴史総合」はそういった可能性が強いだけに注意が必要である。
こうした課題についても、目を向けていく必要があろう。

高校で教える歴史の教師か、歴史を教える高校教師か?

高校で教える歴史の教師か、歴史を教える高校教師か

 

「高校で教える歴史は××だ!」

大学の先生方は、よく「こんなことも教えていない高校がある」とか、「高校までの歴史は教科書を教えているだけだ」とか、「覚えさせることが高校までの歴史だった」とか、高校の歴史教育を批判されます。こうしたいい方についての思いは、やや感情的だったかもしれない批判を何度か書いてみました。(*「歴史家としての歴史教師」参照元高校教師の私としては「そんな授業にさせているのは些末な暗記ばっかりを求める大学入試のせいじゃないか」とか、「わずか一年でそんないろいろなことができるか」(*日本史Aについては「大切なことは何を教えないかだ」、日本史Bについては「現代史」までいくのは、どう考えても無理。」参照) とか、「普通に授業ができる学校だけじゃないんだぞ」(*高校の状況について「授業は仕事の合間にやる『仕事』」参照など毒づきたくなりますし、すでに十分毒づいていますので、今回は「(高校の)歴史教育ってなんだろうか」について考え、歴史の授業で何を教えるのかについて自分の考えを記したいと思います。あわせて、このHP「日本近現代史の授業中継」を書く思いの一端を記したいと思います。

「高校で教える歴史」は歴史学の簡易バージョン?

考える出発点を表題のように考えてみました。「高校で教えている歴史の教師か、歴史を教えている高校教師か?」、同じことじゃないかと思いがちですが、実は大きな違いがあります。
大学の歴史学科の先生の多くは「高校で教える歴史の教師」として考えているように感じます。「自分たちが研究している歴史学の初歩、あるいは通史を教えるのが歴史教育」とか「歴史学の下請け」や「歴史学の簡易バージョン」と考えられている気がします。「国家が与えた指導要領の通り暗記させるのが仕事だとか。だから「荘園制を1時間しか教えない先生に習った生徒は不幸です」とか、「本居宣長については高校で習ったはずです」とかいうことばがでてくるのだと思います。

「高校で教える/歴史の教師」と「高校で教える歴史/の教師」

高校で教える歴史の教師」という言い方も、区切り方によって意味合いが変わります。
高校で教える / 歴史の教師」と考える生徒たちは歴史の授業でも、テレビや映画で出てくるような楽しい歴史の話をしてくれることを期待しているみたいです。しかし、実際の授業で歴史の教師は「高校で教える歴史 / の教師」として向き合います。自分たちが期待していたものでないと知ると、往々にして「面白くない」「退屈だ」というブーイングを出してきます。ですから実際の授業では、居眠りを減らし、授業への協力者を増やすためにも、一定の妥協をします。ビデオを見せたり、エピソードをちりばめたり。「授業中継」のなかでも戦国時代(*たとえば、本能寺の乱の「陰謀」説や幕末(*高杉の例あたりにはこうしたエピソードをちりばめています。ぼくが歴史を好きになったのも、こうした部分からなので、粗末にはできません。ただ、調子に乗ってやりすぎると時間が取られすぎてしまいますが・・。

では「高校で教える歴史」とは

高校で教える歴史」とはどのようなものでしょうか。高校ではどのような歴史を教えねばならないのでしょうか。公式的には学習指導要領で規定された内容なのでしょう。しかし、実際のねらいはここにはないでしょう。ただ、めったに、教科書を開かない、開かせない私ですが、授業の組み立てという意味では指導要領に従ってはいますし、規定されていました。しかし気分の上では人間としての、教育者としての「良心」にしたがって授業をすすめていたつもりです。ちょっとおこがましいですが・・。

最後のころになって、やっと「高校で教える歴史」のなかで教えたかったのは、こんなことかなと思うようになりました。(遅すぎますね。)
「どのような経過をたどって今の私たちがいるのか」「その中で解決してきたものは何であり、まだ未解決のものは何か」。このことを通じて、「時々の課題に対して先人たちはどのように立ち向かっていったのか。その過程で犯してしまった愚行やきらりと光る人間としての素晴らしさもみつめながら、現在、直面している課題がどのようにして生まれてきて、どこまで解決し、今の私たちに託されたものは何かを知ること」。
まだいい足りないようですが、まあこんな感じです。そして
「こうした視点から「人類の歴史」を整理して教えたい」
こんなことを考えながら授業をすすめていました。

歴史を学ぶことによって新しい世代に「自分たちの世代が現在直面している歴史的課題は何か、新しい時代を創るための何が必要なのか」を考える材料を与えたいと考えたのです。
「歴史学科」を中心とする大学の先生方の高校歴史への要望とは距離がありそうですね。

「何を教えないか」という選択

「人類の歴史を整理して」といいましたが、実際には、そんなたいそうなものではありません。歴史学をはじめとする諸科学の研究成果と方法論をもとに歴史学の研究者たちが、「学習指導要領」をふまえつつ記述された教科書の力を借ります。(私はあまり教科書は使わないタイプの教師でしたが)。教科書の問題については、ここでは触れないでおきましょう。ただ国家権力による余計なノイズが入っていることは頭の片隅に置いておいた方がよいでしょう。
とはいえ、教科書に叙述された内容は膨大であり、付け加えたいこともあり、教師の課題意識によって取捨選択が迫られます。(教科書だけを教えるという先生もおられると思いますが、実際にはいろいろな工夫をされていることもわかります。)
こうした取捨選択に際しては、実際の二単位・四単位・六単位などといった時間的な制約(実授業時数、考査までの時間数など)を考え、大学入試なども頭の端においておきながら、生徒の様子や時代の課題などを考えて「教えたいこと」「教えなければならないこと」そして「何を教えないか」を選択します。(*この点については「大切なことは何を教えないかだ」として一度書きました。そのための工夫も「いかに教材を精選し、スピードアップするか」で書いてみました。)涙を飲んで荘園制を一時間でまとめたり、本居宣長をパスしたりもします。通史(日本史B)ではかなり腹をくくらないと、結局近現代史をパスすることになります。
(※実際に時間切れが多いのですが、残念ながら時間不足を口実に近現代史を教えない人がいることも事実です。*この項については「現代までいくことはどうしても無理」で少し触れました。
※なお、「入試にでないから学校では近現代史は教えない」というネット上の書き込みを目にしますが、それは「全くの嘘、事実に反するでたらめ」です。入試で一番高い確率で出題されるのは日本史・世界史をとわず近現代史です。入試で歴史を取る人は、近現代史からはじめるのが鉄則です!しかし、その近現代史は、書き込んだ人の読みたい「近現代史」(のようなもの?!)ではないと思いますが。)

そもそも「教育」とは?

これまで「高校で教える歴史の教師」の側面を見てきました。しかし、私はこれでは不十分であると考えています。高校の歴史の教師は「歴史を教える高校教師」でなければならないと思っています。少したいそうな話から始めます。
教育というものは、原始の社会、新しい世代が、親や集団といった古い世代から、狩猟・採集などといった生きるためのさまざまな知識や技術・技能を学ぶことからはじまったものです狩りや農耕の場での体験や訓練、歌や踊り・長老による昔語りなどによる知識の伝授(まさに「歴史教育」です!)、通過儀礼(たとえばバンジージャンプ)、さまざまな場面、さまざまな機会に、古い世代は次の世代に彼らが学ぶべきと考えた知識を伝授し、生きる力、集団に貢献できるような力を身につけさせようとしました。年老い・死んでいく古い世代に代わって新しい世代が成長させることで、集団を維持させ、文化的な「種の保存」=再生産を図ったのです。これ教育の原初的な形態です。
一人では生きていけない「未熟児」として生まれてきたヒトは、周囲の環境、「おせっかいな人間たち」にかまわれ、迷惑をかけながら「人間」になっていきます。「ヒト」は、教育によって「人間」に成長する高度な可塑性・可能性をもつ「未熟児」として生まれるのです。教育は、ヒトという個体が生きる絶対条件であり、各レベルの集団維持のための必要条件でした。

近代国家が付け加えた新たな「教育」の役割

近代になり、主権国家が形成されると人間は「国民」として把握されるようになり、教育のなかに「国民の形成」という機能が組み込まれ、国家の求める「規格」に合致した「製品」としての「国民」をつくる役割が与えられます。こうした役割を担うため公教育が整備されます。後進国ドイツに始まった義務教育は強い兵士を作ることが第一の目的でしたし、日本においても教育制度は富国強兵と強く結びついていました。(この項、「明治維新(2)近代的軍隊の創設と地租改正」参照)

個々の人間も「主権国家」という枠に囲い込まれた以上、さまざまなそのルールに順応せざるを得ませんでした。本来的な「人間・社会の再生産」という機能に、近代主権国家が求める「国民の形成」という新たな機能が持ち込まれるなか、こうした「教育」を効率的に身につけさせるための「装置」が「学校」であり、公教育でした。
言語や数的処理能力、法令や慣習の存在、規格化された肉体、道徳、そして共有すべき伝統、歴史あるいは神話などが、「国民の形成」という国家的目標に即し、「人間・社会の再生産」という本源的な教育の目的と渾然一体となって公教育で扱われます。

さらに教育は、その成果を「財産」化することで、立身出世を可能にし「家」も発展させうるというインセンティブが加えられました。
公教育はナショナリズムの温床であったといわれます。現在でも、国家が学校教育に介入してくるのは、こうした性格をもっているからでしょう。

教師が課せられた役割とは

このような役割を担わされたにせよ、古い世代が次の世代に彼らが学ぶべきと考えた知識を伝授し、生きる力、集団に貢献できるような力を身につけさせようとするという教育の原初以来の機能はかわりません。
個性や発達段階、理解度に配慮しながら、整理して分かりやすくかみ砕いたり、逆に厳密さ正確さを重視したり、相手を見ながら伝え、考えさせたり、習熟させるのが、原初以来の教育の姿でした。そして、学校教育という形のなかで、専門職としての教師が教育学の成果などにも学びながら合理的な教授法を確立し、教育の「一部」を担うようになったのです。
近代社会においては国家の要請に沿うことも多くなりますが、人類が未来を託すことが教育の目的である以上、それにとどまらない役割も持っているのです。
このように考えてくれば、教師の使命も見えてきます。それは、自分たちが先人から引き継いできた社会や文化をよい形で次の世代に受け継ぎ、よりよいものとして発達させ、再生産してもらうための手助けなのです。古い世代が受け継いできたバトンを、しっかりとバトンタッチすること、その営みが教育の役割だと思います。
こうした機能を専門的に特化した「学校」という機関において、教師たちが機能を分担しながら伝えていくのです。
近代資本主義社会は、個々の人間を原子化するとともに、人間関係を経済的関係へと置き替えていきます。子育ての負担は、これまで以上に家族とくに母親へ集中しますが、これまで母親を支え育ててきた家族や地域社会は衰退しています。「よってたかって子どもを育てた『おせっかいな人間』たち」が子ども(と母親)のまわりから消えていき、地域や家庭で分有されてきた「教育」機能が弱体化します。おいつめられた母親たちはその悲鳴を「教育」を公的に担う学校に向けてきます。地域すらが似た行動を取るようになります。
家庭・地域・学校といった三者で担うべき「教育」機能ですが、前の二者の機能も学校教育へ吹き寄せられてきます。このなかに「生きる力、集団に貢献できるような力」という「教育の原初以来の機能」にかかわるものがあり、「この力を身に付けずに大人になることは困る」という役割すらも押しつけられます。
こうした役割は、「国家の求める「規格」に合致した「製品」としての「国民」をつくる」というあり方や「国民道徳を涵養する」という戦前以来の公教育が担わされてきた役割と響き合う形で、現在の学校に持ち込まれているのです。
こうした役割は「次の世代が学ぶべき知識を伝授」を主要な課題とする学校教育になじまないとして拒否することも可能でしょう。それは地域や家庭の問題だといって。しかし、疲弊した地域や崩壊しつつある家庭のなかで、「生きる力、集団に貢献できるような力」を育てる課題を放棄できるのか、という苦しい選択が強いられているのです。この役割も、文句も言わず引き受けてきたのが「学校」でした。「人間サンドバック」になりながら。
部活動もそうです。「本務ではない」。しかし、そこには、学校教育を超えた教育の本質にかかわるものがあり、個人や社会の形成にかかわる「教育」で効果を上げることも多い・・。
こうして、学校は、教師は、家庭や地域が担いきれなくなった教育に対する役割すらをも背負い込み、身動きがとれなくなってしまっている。
たしかに労働条件から見ると、教育現場は「ブラック企業」のひとつです。ところが、自分たちの仕事が、児童生徒の人間としての発達・成長を保障し、それによって社会を支えているという意識(思い込みの分もあるとおもいますが)が、こうした過酷な環境を容認させているのかもしれません。
ともあれ、こうした内容さえ付与されてしまった「教育」の専門機関が学校です。

(*部活動と教師の多忙化については、「授業は仕事の合間にする仕事?」参照)
 

「歴史を教える高校教師」の仕事

こうして、「歴史を教える高校教師」という姿が見えてきます。教師はこれまで見てきたような仕事を行なう専門職であり、ホームルームや校務分掌、部活動など、教育にかかわるさまざまな場面でも、こうした仕事を担っているのです
当然、授業という場面でも、狭い意味での「高校で教える歴史の教師」をこえた役割が期待されます。
出発点となる「読み書き算」、自分で考えたり体験を元に想像する力、共感する力、自分の考えを発表したり、他の人の意見を聞く力、文章や史・資料などを読み取る力、あるいは他の人の学習権をはじめとする人権を尊重する力などなど、こうした世界を読み取り、変革していく広い意味の学力を身につけることが求められています。
こうした役割を「高校で教える歴史」とともに求めらるのが「歴史を教えている教師」です。

「歴史を教える高校教師」として私が気をつけたこと

実は、私は指導力不足気味で、面倒くさがりの「落ちこぼれ教師」でした。優れた実践をしている「歴史教育者協議会(歴教協)」や生徒を動かすことでその力を引き出そうとする「全国高校生活指導研究会(高生研)」といった人々のすぐれた実践をとりいれようとしたこともありましたが、最終的にはある文部官僚に「石器時代」と揶揄されたような伝統的な授業スタイルにもどっていきました。私が書き続けている「授業中継」の方法はこのようなカビの生えた代物です。こうした批判を持たれる先生方も多いと思います。その通りとしかいいようがありません。力量不足だったことはいなめません。
しかし、そんな私であってもいくつか気をつけたことがあります。
一つ目が国語など他教科にかかわる説明も丁寧にしようとしました生徒が、歴史(あるいは理科なども)で引っかかっている原因は、じつは国語力・語彙力にかかわっているように思います。ですから、ちょっと難しい、あるいはこれぐらいは知っているだろうという所でも、丁寧に説明しようと試みました。語彙などは、国語よりも実際に必要に応じてさまざまな言葉を使っている「社会」や「理科」といった科目の方がその定着を促進しているのかもしれません。最初に書いた「日露戦争」あたりには、そうした痕跡がのこっています。(*この点については「平安時代と室町時代、どっちが古い」参照。学習障害などにかかわる課題については「勉強ができないのは、努力が足りないせいか」もご覧ください)
二つ目は、現在を読み解く上で重要な概念やエピソードなどは脱線しても、より丁寧に教えようと考えました。「授業中継」のなかには、明治憲法の特質、選挙制度、インフレとデフレの人々への影響、実質賃金、変動相場制など主に「政経」分野への「領空侵犯」をおこなっています。(*例として自由民権運動の展開と松方デフレ」参照生きていく上で必須の知識だとおもうからです。言葉の通じない外国人とのコミュニケーションのとりかた等も書いてみました。「開国前夜~近代の台頭と対外情勢の緊迫化」参照)今回は書いていませんが、原爆の原理を教えたこともあります。
三つ目としては、歴史上の「人間」への思いや共感を大事にしました。これは歴史学としては好ましくないかもしれません。しかし、生徒たちに自分の生き方を考え、進路選択をさせるのが学校教育の大きな課題である以上、いろいろな人間の生き方を提示することは重要な教材です。しかし事実に反する説明や誇張によって戦前の「国史」のような偉人伝にならないように事実に基づいたものであり、問題点や限界などもきっちりと指摘をする必要があります。さらに、時代の中で、取り巻く条件を丁寧に描こうと考えました。(例:伊藤博文にかかわって「明治憲法体制の成立」参照)
個別の人物ではないのですが、こうした点でとくに力を入れたのが南京事件でした。(*「兵士たちの日中戦争」参照かれらは暴虐で非道な行為に携わることになったのですが、それが何故行われたのか、そうして理由を丁寧に書き込むことによって、戦争の真の姿に近づけたいと考えました。そうしないと被害者も、加害者となってしまった兵士たちも浮かばれないと考えたからです。今回の「授業中継」では時間の制約がなかったので、より丁寧に描き出したつもりです
四つめとしては、私自身や関わりのある人を出演させました。ぼくはできませんでしたが、生徒たちも出演させることができたかもしれないと思います。
現在に生きている私たちすべてが歴史の出演者であり、自分たちが見ており、体験しているすべてが歴史そのものだという当事者意識を感じてほしいからですさらに、私のささやかな経験が生き方を考える材料となったり、時代を感じさせるものとなればと思ったからです。(*日本近現代史を大雑把につかもう」。さらに「高度経済成長と日韓基本条約」「ベトナム戦争と沖縄返還」なども参照)
五つ目としては、やや強引だったかもしれませんが、いろいろな手法をつかってみました。生徒たちが、社会を、歴史を見るときの方法論を学んでほしいと思ったからです。今回は出していませんが、マインドマップなどもつかいました。階級分析と階級闘争によって歴史が動くという視点とか、底辺の民衆の目から歴史を見る視点、女性にとっての歴史など。さらに、植民地民衆、侵略を受けた側、攻撃された側など複眼の視点も重視しようと考えました。世の中を、多様な方法で、さまざまな視点から分析するツールを知ってほしいと思いました。(*「いろいろな方法を試してみたい」、あわせて「士族反乱・農民反乱・民権運動」参照

 

この「日本近現代史の授業中継」は、こうした視点から「石器時代」の手法で行ってきたポンコツの「歴史を教えている教師」による授業の実践です。(実際には、実施できなかった授業の分もありますが・・)
最も望ましいのは、多様な授業の手法で、生徒の意欲と潜在力を引き出す際、この「授業中継」が先生方や生徒の皆さん材料となることです。

 

 

五色塚古墳で考えたこと~「本物」と実際

「本物」を見せただけでは実際の姿には近づけない
 ~五色塚古墳で考えたこと~

 

ふと、気がむいて、神戸の五色塚古墳へ行ってきた。

五色塚古墳①
五色塚古墳①

神戸市西方にあり、淡路島と淡路海峡大橋を眼前においた兵庫県屈指の規模を誇る古墳である。

ここの古墳の特徴は工事用のじゃり置き場のように丸い小石、葺石がゴロゴロしているところにある。この古墳が作られたころの姿に復元すると、このような姿となるのた。

五色塚古墳②葺き石
五色塚古墳②葺き石

僕たちは、古墳といえば、大仙陵古墳(いわゆる仁徳天皇陵)のような鬱蒼とした木々に覆われた緑の森を想像してしまう。古墳といえばこういう姿だとして、こうした写真ばかり見せられるてきたからだ。歴史の教師の側からいえば、見せてしまうというべきか。

正面から・・・一般には、ここからの拝観・・・仁徳天皇陵古墳拝所・・これよ... [大仙陵古墳(伝
大仙陵古墳http://pds.exblog.jp/pds/1/201308/21/45/a0249645_1943557.jpg
たしかにこうした古墳は「本物」ではある。しかし、これを見せて、古代の人はこのような古墳を作りましたというのは正しいだろうか?ここに、五色山古墳再生の面白さがある。1000年以上経った古墳ではなく、古代の人々がつくったような、彼らが実際に目にしていた古墳を再生して現在の我々に提示しているからだ。

大仙陵古墳や周囲の陪塚全てにおいて、葺石や円筒埴輪が忠実に復元されてい... 歴史文化学科の学生
大仙陵古墳の復元図(近つ飛鳥博物館の展示) http://www.osaka-ohtani.ac.jp/blog_campus/literature/003124.html

現代人にとっては神々しいとは思えない土砂置き場のような盛り土の山、これが実際の古墳なのだ。しかし、これも実際の姿とはいえないかもしれない。周りが、まったく違うからだ。現在の我々は嫌になる程、毎日、人工物を目にしている。そうした我々にとって、自然の緑は美しく生き生きしたものと感じる。しかし、古墳が作られた時代はまったく逆なのだ。

古墳が作られた時代、人間は荒々しいまでの森林と戦いつつ自らの支配地域を広げて行く時代であった。そこに実に人工的な建造物が作られる。鬱蒼とした緑の中に、明石海峡を通る船からもくっきりとみえつ人工物、周りの葺石は太陽の光を浴びて輝き、頂上部分には埴輪が隙間なく並べられている、それは自然と対峙している人間の力の象徴のようにもみえる。古墳は自然に戦いを挑んでいる人間の力を示しているのだ。

五色塚古墳②明石海峡と明石海峡大橋を望む
五色塚古墳③ 明石海峡と明石海峡大橋を望む

だからこそ、現代人にとっての古墳が緑に覆われた神聖な空間と感じるように、緑の自然の中の人工的な輝きこそが多くの人間たちを組織してこのようなものを作らせた古代人のリーダーの権力を示すものであったのだ。 

我々は、現在に残された「本物」、本物の現況を見て、過去のことを想像する。しかし大仙陵古墳のように「本物」ではあるが、当時の現実とは異なる姿に慣らされている。

復元鋳造された銅鐸 京都の青銅器工房 「和銅寛」のHPより https://wadokan.ocnk.net/contact

私たちは、銅鐸や銅鏡が青緑色をしていると教えてこなかっただろうか。あのような輝きのない色をしたものを古代人がありがたく思ったように思わせていないだろうか。これは古代人たちの信仰をミスリードする。当時の人々が見た、銅鐸や銅鏡は金色にぴかぴかと輝いて、叩けば当時の人たちが聞いたことのないような高い金属音を発した。だからこそ、信仰の対象となったのだ。こうした古代人たちが見ていた姿を伝えていただろうか。

仏像でもそうだ。

新薬師寺十二神将婆娑羅大将 JR東海「うましうるわし奈良」より http://nara.jr-central.co.jp/campaign/shinyakushiji/special/index.html

木目が見えていたり、銅の地金が見えている仏像、これを当時の人々が信仰したと思わせていないだろうか。実際の仏像は金色に輝き、濃い群青色で隈取れるものであったり、様々な色で塗り分けられたものであった。

奈良、新薬師寺の十二神将像にいたってはヘビメタ真っ青の色彩で表現されていた。そのケバさを超自然的な力をもつ仏や神として尊んだ感覚を伝えられているだろうか。我々が感じる長い時間を生き延びるなかで得られた虚飾を脱ぎ捨てた仏像の物語とともに、もともとの姿をも思い浮かべる想像力も必要なのだろう。

浄土寺(兵庫県小野市)の阿弥陀三尊像 採光を最も劇的に用いた建物と仏像とされる。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%84%E5%9C%9F%E5%AF%BA_(%E5%B0%8F%E9%87%8E%E5%B8%82)#/media/File:%E5%B0%8F%E9%87%8E%E6%B5%84%E5%9C%9F%E5%AF%BA%E4%B8%89%E5%B0%8A.jpg

仏像の場合は、光の状態やそれを見る目線も重要である。蝋燭の光、差し込むわずかな光、護摩の炎、こうしたなかでの仏像、さらには時々で移ろっていく光に照らされた仏像こそが、人々にとっての仏像である。電気の光に照らされたり、さらには写真用の照明で完璧に照らし出された仏像とは異なるものであった。

 我々は、現在の姿で歴史的なものを見て、分かったような気になっている。しかし、それが作られた時の姿にも注意を向ける努力をしなければ、当時の人々に近づくことはできないように思う。

 鬱蒼とした緑のなかに、ひときわ輝く砂利置き場のような人工物のなかにこそ我々は古代人の思いを知ることができる。「本物」であることで満足するのではなく、作られた時代の姿や人々の前に現した状況などにも、時には配慮しなければ、実際の歴史には近づけないのだろう。

「追いつけ追い越せ」「開発独裁」「日本人の創出」~明治維新編によせて

「追いつけ追い越せ」「開発独裁」「日本人の創出」~明治維新編によせて~

 明治維新編をアップしました。

今の研究環境はすごい!

大学で課されたレポートとかかわって、自分の先祖につながる人を調べていました。すると、つぎつぎと面白い事実が出てきて、先祖の戸籍をあつめ、市史や県史をよみ、ネット上から国会図書館や郷土資料館などのデータにアクセスし、大学図書館からも史料を探し、なんてことをしているうちに、しっかり一ヶ月使ってしまいました。
しかし、いまの研究環境の進歩はすごいですね明治や大正時代の官僚名簿や、昭和初年の業界史や郷土史が国会図書館のネット上で簡単に見られました。著作権の関係で見にくい国会図書館の書籍も、大学図書館の協力で閲覧・複写できました。
台湾総督府で働いていた人物の足取りを検索エンジンでつかまえることもできました。
おかげで、名前しか知らなかった私の曾祖父の写真ゲットすることもできました。
こうしたことで、先祖調べにはまってしまい、一区切りつくまでと調べている内に、六月をまるっぽ使ってしまい、HPの更新ができませんでした。

近代日本のテーマ「追いつけ、追い越せ」

さて、「明治維新」の範囲、こんな無茶苦茶を書いていいのかと思いながら、作ってみました。
昨年の授業でやった内容を元に書いているのですがどうも大胆な仮説ばかりで、生徒にそんないい加減なことを教えていたのかというご批判もいただきそうですが、ご容赦ください。
見ていただければ分かりますように、近代日本のテーマを「列強に追いつけ、追い越せ」とまとめてみました。
その中心は軍隊の近代化から、しだいに条約改正交渉の基礎となる広義のインフラ整備へと移っていきます。
それを実現するための強大な権限をもつために、天皇の権威を利用したこと。
天皇の権威をにぎりつづけた大久保や岩倉をはじめとする少数のリーダーが開発独裁的に強引な欧米化政策を進めたという流れを中心にまとめています。この言い方は、数年前から始めた言い方です。

「開発独裁」ということ

開発独裁」などという大胆ないい方をつかっていいのかとも思いましたが、大学時代に受けた先生の授業で聞いた話を思い出し、ネットでも授業の実践例があったので使ってみました。
ついついソ連や中国の「社会主義」の方が似てそうだと知ってて脱線させました。
こんなふうに、実際の授業では、かなり大胆な話をするのですが、さすがにそれをおこして、ネットに載せるのは躊躇しました。まあ、しがない元高校教師の思いつきということで、大胆ないいかたをしています。
というのは、歴史の授業というのは過去のことのみではなく、現在の世界を分析する手段を生徒たちに与えたいと思っているからです。過去のこの事例と、現在のこの事例、こういう面では共通しているところがある」といった目を養って欲しいからです。
ある意味、高校教師は楽です。研究者の皆さんがいいたくてのど元まででかかっていても、しっかりした論証がなくていえないことをいってしまいます。ただし、「こんな風に考えられないかな?」という形で。
居直った言い方をすると、かなり大胆にいわないと生徒には歴史の意味も含めて、生徒には伝わらないのですよ。きっと、批判があると思いますが・・・。

「開発独裁」、辞書によると

もとにもどして「開発独裁」の件、ネット上の辞書を見てみると、以下のような記述があったので、ある程度安心しました。
<以下、引用>
「開発独裁」
経済発展の途上にある国の政府が、国民の民主的な政治参加を抑制しつつ、急速な発展と近代化を目指す体制。福祉や自由の尊重などの政策は後回しにして、工業・資源開発・土木・軍事部門に経済資源を優先的に配分し、国力の底上げを図ろうとする。第二次世界大戦後の韓国やフィリピン・インドネシアなどに見られたが、政権内の腐敗を招くことが多かった。広義には第二次世界大戦前のドイツや日本の体制、ソ連など共産主義国家の体制をも含む。
「デジタル大辞泉」
<引用終わり>

「国民」(=「日本人」)の創出という視点

 また、近代国家を形成するという点に関しては、「国民(「日本人」)」の形成という視点を重視しました。
昨年度の授業から、おっかなびっくりだったのですが、幕藩制(「ヨコのカベ」)と身分制(「タテのカベ」)という「二つのカベ」を取り除くことが「日本人」を形成する大きな前提になるという風に説明してきました。
今回は、授業中継としてまとめる中で少し深めてみようと思いました。ちょうど、本年度前期にうけた大学の講義の中でネーション(「国民」「民族」)の形成の話があり、ネーションの形成には公教育が大きな意味を持つというゲルナー「民族とナショナリズム」の説が紹介されたこともあり、日本ではどうだったのだろうということで、教育にかかわる内容も触れてみました。

ネーションとしての日本人の成立を追求すると、さまざまな意味での江戸時代のユニークさ・面白さがもっと際立ってくるような気がしました。

とおもって近年の歴史の研究書を見ると、1990年代以降の歴史学の世界の人気のテーマが「国民国家」だったんですね。自分の不勉強さを暴露してしまいました。

また思いつきで使った「二つのカベ」ということも、言い方は別として、研究者も使っていたので、これまたほっとしました。
 よく考えれば、教科書や啓蒙書、あるいはテレビなどを通じて、新しい研究を学べていたのだということを身にしみて感じた次第です。
< 注記>
本来なら7月中に出すべき内容の文章だったのですが、放置していたため、あとから出した自由民権編と順番が逆になってしまいました。ちょっと不細工になったことをお詫びします。

いろんな手法を試してみたい~自由民権編UPしました

いろんな手法を試してみたい。

~自由民権編をUPしました。~

自由民権運動を中心とする明治一ケタから二十年前後までの授業案をUPしてみました。
わたしは、歴史の授業において、いろいろな歴史学や社会科学など諸科学の分析・叙述の方法を用いたいと、非力を顧みず考え、やってきたつもりです。
それは、生徒たちの将来にとって有効だと考えています。
生徒が、特定の立場や方法に固執するなく、複眼的な視点を持ち、いろいろな角度から、自分を取り巻く社会や世界を分析し、行動する指針として欲しいからです。
日本史でありながらも、東アジアや世界に開かれた汎用性のある学びを得て欲しいからです。
一つ一つの歴史事象について、いろいろな角度から見る力をつけて欲しいからです
こうした考えから、全体の流れからずれない程度で、時間を見ながら、いろんな歴史理論や社会科学などの方法を意識し、授業を進めきました。
「開国」のあたりではシステム論とはいえないまでも資本主義の成立がアジアにどのような影響を与えたのかを、明治維新では国民国家論を、外交の所では主権国家や華夷体制という国際関係論をそれぞれ意識し、文明開化のあたりでは民衆思想論にも触れられたかなと思っています。
今回の自由民権を中心とする明治一ケタから十年代の歴史については階級という視点を少し使って導入してみました。
明治維新、文明開化という大きな流れの中で、
士族・農民・豪農豪商というそれぞれの階級がどのような立場に置かれ、どのように考え、行動をしたのか。といった分析を基礎におきながら、政府の動きとのかかわり、西南戦争後のインフレと松方デフレという経済の激動がそれぞれのグループにどのような影響を与え、運動をどのように変革させたのかにも触れました。
最終的には、豪農が寄生地主化することで、自由民権運動、そして明治国家、戦前の経済がどのような事になっていくかも展望したつもりです。
階級を意識した分析は、世界史では、フランス革命のところでとくに有効でした。というか、これを使わないと、うまく説明できませんでした。
階級(闘争)論というマルクス主義的な手法は時代遅れという人も多いかもしれません。
しかし、階級ごとに分析し、それぞれの置かれた状況、願いや考え、そして具体的な行動をみていく、というやり方は、現在を分析する上でも有効な手段と思いますし、こうした分析方法を知ることは高校生にとっても意義があるものだとと思っています。

歴史研究と歴史教育 ~歴史学の叙述と歴史教育の「叙述」について

歴史研究と歴史教育

     ~歴史学の叙述と歴史教育の「叙述」

 この授業中継、とくに幕末編、維新編を書きながら、ある先生のまなざしを気にしていました。授業を聴講させていただいている先生で、維新史の権威です。この授業中継にも先生の研究成果を使わせていただいています。「通説より細かい」内容のいくつかは先生に学んだものです。
 先生は、一枚の史料、その中の一語一語をゆるがせにせず研究をすすめることで、それぞれの事象を当時の状況にひきつけて掘り起こしその意味を考えることで多くの成果をあげられています。
今までの維新史研究は何も解明していない。この程度のこともできていないのだから」と毎回、毒舌が炸裂します。
「即位と践祚のちがい」、慶応四年と明治元年の区別、王政復古は1867年か1868年か、などなど、
私のような雑な人間にとっては些細とも思えるところも決してゆるがせにされません。こうした強い信念の元に研究と授業を進められます。だからこそ、「維新史の研究は全然進んでいない」という発言になるのです。

こうした先生の立場から見ると、私の授業案は、史料にも十分裏付けされず、研究史も踏まえておらず、想像と伝聞ばかりで議論を進めているとみえるでしょう。「こんなものは歴史ではありません」ということばが聞こえそうです。怖くて見せられないし、これからも無理でしょう。

 

でも、少し居直らせてください。高校の授業は、二単位ものなら、形式的には七〇時間、実際には六〇時間以下、四単位なら一四〇時間、実際一〇〇時間をいかに超えるかという時間的制約があります。

かれらは、部活や生活など、日常で疲れきっています
こうしたなかで、かれらにとって無関係にも見える日本史の授業をしていくのです。
だから、必要なことであっても省略したり、単純化したりする必要があります。このことは何度も書きました。
私は、学校での歴史授業は歴史だけを教える時間じゃないと思っています。歴史を通じて現在の日本や世界の課題、社会科学など隣接の学問内容の話もしたいし、歴史上のトレビアや与太話もします。歴史上の人物を語る形で生き方を語ることもあります。
校内で問題になっていることも、生活指導にかかわる話もします。脱線させることも大切です
逆に、生活指導などの局面では、頭髪検査とか何たらチェックとかいって、学校として脱線させようという動きが出てくるので困ったもんだとは思いますが・・。
授業の話に戻ります。
時間がないからといって、細部にこだわらないということではありません。見てもらえば分かりますが、
ときには思いきり細部にこだわります。
概説書ではたらず、いろいろな本やあやしげなネットも見ます。多少フィクションもまじえます。
細部をみることで、事件や関係者の姿がリアルにわかり、それを分析することで時代がわかるからです。
幕末編ではとくに細部のエピソードについて多く記しました。
みなもと太郎「風雲児たち」 漫画家みなもと太郎が40年近くにわたって描きつづけている大河ギャク漫画。豊富な取材によって描き出される歴史像と暖かい人間造形にファンも多い
たとえば小御所会議の叙述、先生の目も気になってかなり調べました。容堂を刺そうとしたのは岩倉か、西郷か、そもそもがフィクションだったのか、とか
上賀茂巡幸で高杉が「よっ、征夷大将軍」とやじった話は本当か、とか、高杉の功山寺決起はどこまでが事実か、とかも気になりました。
高杉のエピソードが多いですね。
恥ずかしながら、私の脳の中には司馬遼太郎(と、みなもと太郎)がしっかりと根を下ろしていて、その呪縛から逃れることはなかなか難しいのです。
みなもと太郎(とくに幕末編)は、ある程度信頼していますが、司馬遼太郎は難物です。さも本当のように怪しいことをいいますから。だから、こうしたエピソードはチェックしました・・。
でも、チェックが甘くなったところも多いかもしれません。
授業での自分の話し方を分析して、面白いことが分かりました。いつのまにか、丁寧語・標準語ではなしているところと、関西弁でちょっと雑に話しているところがあるのです。丁寧語は教科書的な定義のようなこと。教科書で言えば本文にあたるところ。関西弁は注釈や補足説明、たとえ話などです。こうした関西弁にあたる部分をいかに展開するかも重要な課題です。
わたしの授業中継では、関西弁の分をできるだけ記そうと考えました。関西弁だらけかもしれませんが。
一般論とか「これとこれを覚えなさい」といういい方は、受験校では通用しても普通の高校では通用しません。生徒がこっちを向いてくれないし、興味を持ってくれないという事もあります。居眠りの大軍ならまだましで、雑談の嵐となれば処置なしです。気の弱い私は本当に神経がやられました。いまだに生徒に無視される夢を見ます。
細部にこだわった先生の授業はネタにつかえる部分が多くありました。「堺事件」からは慶応四年攘夷実行ができると期待していた知識人でもあった武士の「抵抗」と新政府の外交姿勢が、天皇像の変遷からは前近代の天皇像と絶対主義的に着色されていく天皇の姿が。授業ではこんな風に使えるな、とおもって少し授業中継のなかに入れてみました。
他の先生方もそうですが、大学の先生方がポツッと当然のことのように話されるエピソードの中にすごい宝が隠れているのがこの年になってよくわかります。それこそが、長年史料や古典にあたり、研究への格闘してこられた経験が裏付ける力なのでしょう。私のようなものには、とうてい歯が立たない深みです。これからも学ばせていただきたいと思います。
私の授業中継では、まずは日本史Aの全範囲の授業案を作ろうと考えています。教科書程度の知識とちょっとばかりいろいろなことから学んだ程度の知識でこれをやろうというのだから無茶苦茶です。でも気になったり、怪しいと思うところは、それなりに調べるようにしたいと思っていますて。
先生の言われるような丁寧な説明はできません。「即位と践祚の違い」ぐらい(というと激怒されそうですが)は許してください。でも、できる限り、日本史の研究成果は踏まえたいと思っています。そうしないと「歴史修正主義と変わらない」ですから。
研究と教育は違います」と冷たく言い放たれそうです。
そうです。歴史学と歴史教育はちがう課題に対応しています。
したがってその叙述内容も方法も(中高の教師は基本的に授業実践が自体が歴史叙述です)も当然違うものです
わたしが、めざしているのも、受験目的ではない高校の日本史授業の叙述です。授業実践の参考になればと思って作っています。もちろん歴史学の成果にできるだけ学びたいですし、学んでいきます。
でも、「歴史教育は歴史学の子分ではありません」。
それぞれ独自の課題を持ち進むものだと思っています
 勝手なことを書いてきました。

でも、この授業中継をつくるにあたって、やはり先生のまなざしを意識し続けたいと思っています。

無茶な事を書きながらも、歴史修正主義のような事実を曲げることはないか、史実に忠実であるか、研究史をいかに踏まえているのか、現在の課題や学校現場の要求に答えられるものであるのか、自問自答しながら、次の時間の授業中継を作っていこうと思っています。

<蛇足です>
もし歴史の教師をめざす人がいれば、いろいろなエピソードをその時代の歴史の流れやその意味とからませて押さえておいてくださいね。

みなもと太郎なんかはとっても参考になります(^_^;)
内容も、その扱い方も・・
理論的な話や一般論、とくに○○的とか××制なんて話は、ちょっとやそっとでは伝わらないので、どんな風なたとえ話がよいか、とかいろいろ考えておいてくださいね。

平安時代と室町時代、どっちが古い? ~高校生の歴史的教養

平安時代と室町時代、どっちが古い ~高校生の歴史的教養

この出来事は何時代のこと?
授業で、「これ、何時代のこと?」と聞きます。
古代とか近世とかといった立派な?時代区分でもなく、
もちろん「天保」とか「享保」といった年号のことでもなく、
ごく普通の「平成」とか「江戸」とか「鎌倉」といった、あの小学校で習ったあの時代区分が。
しかし、ある時期、ふと気がついたのです。
この小学生的な時代区分すら定着していないのではないかと。
授業開きのとき、黒板に番号を書いて
「はい、古い順に時代の名前を言ってみて?」と質問したところ、全然できない。
「明治時代の前は?」「…」。
「鎌倉時代と奈良時代、どっちが古い?」「…」
といった具合でした。
どうですか、まわりの高校生たちに聞いてみては。
「アホにしてんのか」という高校生がいる一方、
まったくできないという生徒もかなりいると思います。
時代と特徴・人物と結びつけるのはもっときつい
最後にいた学校は、公立高校は、偏差値的には真ん中くらいというところでした。それでも、縄文から平成まで、しっかりいえる生徒はクラスの半数はいなかったと思います。
さらに、それぞれの時代の特徴を結びつけるとなると、もっと厳しくなります。
「藤原氏などの貴族が全盛だった時代は?」なんてすぐできると思いますよね。それができないんです。
「関東に武士の政権ができた時代は」なんかはかなり難問です。
小学校で出てくる人名を時代の中にはめ込むとなると悲惨です。
「聖武天皇は何時代?」「じゃ、紫式部は?」という質問の答えを出すのに時間がかかるのですから。
「小学校や中学校でやったやろう」と毒づきたくなりましたが。多くの生徒については悲しいほど定着していませんでした。
生徒をめぐる環境
昔は、テレビでよく時代劇をやっており、それを見ている生徒も多く、ある程度の歴史的教養や感覚もあったのです。
しかしテレビの歴史番組も減っていき、現在では大河と正月くらい。そもそも、一人一人がテレビを持っていて、年寄りが見る番組なんか見ない。そもそもゲームや携帯が忙しくてテレビもみない。
だから「水戸黄門さん」も「暴れん坊将軍」もポカーン。
信長や秀吉、坂本龍馬なんかも名前は知っていても、「じゃ、何をした人」と聞くと、かなり怪しい。
平清盛とか源義経なんかは「聞いたことがない」という声が帰ってきそう。
そのくせして、「尊敬する人は坂本龍馬」とくるからなかなか立派なものです。
他方、「歴女」や「歴史オタク」もいます。
授業中継の中でも例をあげましたが、「長宗我部元親」とか「島左近」といったマイナーな人物を知っている生徒がいます。
前田慶次なんて私の知らない(申し訳ない)人物も知っている。ゲームやマンガ、アニメで知っている事が多いみたい。
でもゲームでは、何をしたか、なんてでませんよね。
「歴史的教養」の低下は文化の基盤を揺るがす?!
こんな風に歴史に対する知識の格差は大きくなっています。
多くの生徒の歴史的教養へのレベルは、思っている以上に厳しいと思います。
歴史の知識は文化のベースという面があると思います。
「歴史の流れ」とか因果関係とか言う以前の問題として、基礎的な事実すらが入っていないのです。
歴史への無知が「日本人がそんなことをするはずがない」という思い込みにつながり、「反知性主義」の基盤になっている、と考えるのはうがちすぎでしょうか。
ともあれ、日本文化の継承という点でも黄色信号が点滅している気がします。
たいそうな話をしてしまいました。日本史の授業では、こうした事態にも目を配っていく必要があります。授業中継で、信長・秀吉・家康なんかのプロフィールを話していますが、こうした日本の常識みたいな事も、少しは知っていてほしいなという気持ちからです。
ささやかな取り組み
さて、「時代の順番、特徴、主な人物など常識問題ができていない」という問題はどうするのか。
「しかたない。授業でやろう」などというと、落とし穴に落ちます。でも放置したくない。さっきのたいそうな理由だけでなく、就職試験や公務員試験の常識問題として使われることもあるからです。
高卒だけでなく大卒ですらも。
だからまったく無視とはいきません。そこで自己満足で、お茶を濁す程度ですが、こんなことをやっています。
授業開きの日、オリエンテーションのあとに、ごく簡単な暗記プリントを渡し、次の時間に簡単なテストをするようにしました。
この程度のものだから、楽勝でできるとおもうでしょう。多くの生徒はそうです。でも、できない生徒はできません。
小学校レベルの歴史知識は絶対に必要
さらに、日本史Bでは、授業を進めるとき、中学校どころか小学校の内容すらが定着していないため、力の差がでやすく、ちんぷんかんぷんになりそうなので、最初の時間に小学生用のプリントに少し中学生の内容を加えた暗記プリントを渡しておき、単元ごとに小テストを行うことにしました。
前任校では高校生用の問題集を使ったのですが、それ以前の問題だとおもったので、こうしたやり方をしました。実際の考査でも、結果的に、このテキスト+小テストの内容が一定数出題されました。
追認考査でも
なお、毎年数名不認定になる生徒がいます。そのときはこのテキストから出題するようにしています。このテキスト程度が、日本国民の歴史的教養のミニマムくらいだと思ったからです。
これでもつらい思いをすることが多いのですが。
※暗記プリントを「資料室」のなかにいれてあります。楽勝で満点と思う人も多いと思いますが、実際は(涙)ですよ。

「歴史家」としての歴史教師

歴史学と高校歴史教育(1)

「歴史家」としての歴史教師

大学の先生は高校日本史をけなすのがお好き?!

大学の授業を聴講するようになった。
大学の先生たちは、高校の歴史教育を否定的に語る人が多いようである。
いわく、
「丸覚え中心である」。教えるべき所を教えていない。
「荘園について1時間しか教えていない。そんな先生に習った諸君は不幸であ る」とまで。
 現役時代、「教師は人間サンドバッグ。殴られたり、蹴られたりしてなんぼや」とよくいっていたが、ここでも同じ様なことがいえそうだ。

「高校日本史の授業が好きだった人」

ある授業のひとこまを紹介する。主に一回生を対象とした講座である。
講師が質問した。
「高校日本史の授業が好きだった人」?
かれの予想はこうだったのではないか。
「手は上がらないか、あるいは上がってもわずかだ。
あんな退屈な日本史の授業ではなくて、大学の授業はもっと素晴
らしい」。
しかし、その予想は、まったく外れた。
私が見ただけでも、8割ほどの学生の手があがった
ちょっとうれしかった。
講師氏は「まあ、みんな歴史がすきで来たのだから」といって、ごまかした。しかし、予想外という様子はありありと見えた。
確かに史学科にすすんだ生徒だから、歴史が好きだっただろうし、歴史が好き な生徒は授業も好きだったに違いない。
逆に、歴史が嫌いな生徒を好きにするのは難問だ。
教師たちが、あの手この手で、生徒の歴史の興味関心を高めようとしている努力、大学の先生を中心とする歴史研究者が教科書執筆で同様の努力をしていること
こうしたことが、氏の脳裏には浮かばなかったようである。
高校教師は、昔の大学の教授先生のように、決まり切ったノートを朗読しているだけとでも 思っておられるのであろうか?

高校日本史は「指導要領の目標」達成が目的?

話を進めよう。
氏は、先に手を上げさせた後、高校の日本史をかれはこのように定義づけた。
「高校の日本史というのは、学習指導要領によって、「国際社会に主体的に生 きる日本国民としての自覚と資質を養う」という目的でなされている。その目 的で教科書は編成され、日本史の授業もその目的でなされている。」
実際の授業で「指導要領にどう書いてあるか」なんて意識して授業している人など、これまで聞いたことがない。
たしかに、シラバスや目標としては掲げてはいても、授業は、授業の論理、教育の論理で進む。
文部科学省が、教育 制度いじりや指導要領で自分に都合良く教育を作り替えようとしても失敗の連続であったように。

教科書は「現在の『日本』」を肯定するために書かれている…

教科書についてもそうだろう。
氏のレジュメ曰く。
「教科書の記述は現在の『日本国』を肯定する立場に立ち、すべての説明は現 在の『日本国』に収斂する(教科書検定が行われる理由)」
では、教科書を執筆している歴史学者たちは現在の『日本国』を肯定する立場で、教科書を叙述しているのだろうか。良心を曲
げて、国家の、指導要領の指示に、唯々諾々としたがっていると考えておられるのだろうか?

そうではないと私は信じている。少なくとも私の知っている歴史学者はそうだ。確かに「あの歴史教科書」、政府や一部政党、さらには怪しい団体などの圧力で、むりやり押しつけようとしているあの教科書はそうだろう。しかし執筆者のなかで歴史学者は数人で「安保法制が合憲といった憲法学者」みたいな歴史学者が数人がいるが…。

歴史教科書を執筆している歴史研究者たちは、学者としての良心をかけて、「教科書に歴史学の成果を反映したものにしたい」「未来の主権者としての高校生にできるだけ史実に即した歴史の姿を 伝えたい」と思い、ともすれば国家の力によって曲げられようとしている歴史叙 述をなんとか良いものにしようと努力している。ときにはつらい選択に耐えな がらも…。
私は、そう考えている。

「日本史」は国民国家としての日本を説明するもの

もう少し、この講師氏の論点をたどっていこう。
氏は「日本の歴史」を考える際、「日本」が意味するものを問題にする。
そして、いくつかの例を示して、戦前と戦後で、近代以前で、日本の姿は時代によって異なる。「近代以前の領土は明確でない」
この点は、まったく異存がないし、学生にとっても、新しい論点として新鮮で あったかもしれない。
「そのくらいのこと教えてるよ」といいたいが…。
 つづけて
「だから、ここでいう日本とは近代以降の『国民国家』としての日本である。」

「ここでいう『日本』」の「ここでいう」が何をさすのかがわからない。
つづいてこんなくだりがある。

「だから、日本史は「近代国家の象徴としての『国民国家』を説明しようとす る行為に他ならない。日本史ではなく、『国史』」本人は高校の教科としての「日本史」の「日本」のつもりなのだろう。( レジュメを素直によむと、一般的な「日本の歴史」の「日本」となる。とすると、「日本史」という学問自体、国民国家としての日本を研究する学問となりそうだ。)

つづいて、レジュメでは節を変えてこうつづく。

「上記の観点で教科書を見直してみると、そこに記述されている内容(教科書 の構成)は、いうまでもなく『日本国民』がおしなべて理解しておく『日本国』の歴史的な歩みであって、普遍的な『日本の歴史』ではないことは、明ら か。」

頭が悪いせいか、もうろくしたせいか、まったくわからない。学生たちもそうではない か。 そして、先ほど紹介した「教科書の記述は…」という一文がくる!

「日本史(国史)は、その国の今を説明するためにある」

氏の発言にこんな一節があった。(この部分はレジュメには書いていない)
「日本史、実際には「国史」というものとなっているのだが、それは、その 国の今を「説明」するためにある。そしてその「説明」のために、重要である か、重要でないか、そして重要でないものを取捨選択しているのだ」
不思議な気がした。
この内容(「国」という部分は保留しておく、その「国」 の部分をこの講師は問題視している)こそが、歴史家が歴 史叙述をおこなうときの基本姿勢でないのか。

「歴史は、現在と過去との対話」

イギリスの歴史家E.H.カーは「歴史とは現在と過去との絶え間ない対話である」と述べている。
私は、最近になって、このことを強く感じるようになってきた。現在をより深く理解することが、歴史を学び伝えるための大きな使命であり、現在を深く考えることが歴史研究をいっそう深化させる。
あえて挑発的に書くが、この部分が歴史研究者と歴史家の違いかもしれないと さえ思っている
「日本史」は今の日本(国民である必要は全くないし、日本に住んでいなくと も良い)を理解するための重要な手段である。
だから
歴史家は、歴史が作り上げてきた成果や今に残っている課題などを、歴 史的に分析し、評価し、現在の課題解決のヒントを、現在を生きる人間である彼らに提示することが重要な仕事である。
そして、
何が「重要であるか、重要でないか、そして重要でないものを取捨選択」する。それこそ、歴史家が歴史叙述する際のもっとも重要な本質ではないのか

歴史教師は歴史家である。

 私は、『歴史の教師』は「歴史家」でなければならないと思っているし、多くの場合、無自覚のまま「歴史家」として生徒に対峙している。
だから、歴史家としての日本史教師が、現在の課題に向き合うという課題にかかわって、荘園制の説明を一時間しかできなくともかまわないし、やむなく省略もする。(ちなみに日本史Aはそうなっている。)逆に一つのテーマに多くの時間も割く。
「歴史家」たる歴史教師は自らの良心を掛けて、現在の課題にも向きあいつつ、歴史学をはじめとするさまざまな成果に学びながら、未来を託するに足る主権者を育てるべく実践に励んでいるのである。

歴史学と歴史教師

大学などでは、しわくちゃの古い紙一枚一枚からのミミズがのたくったような 文字を読み、活字に変え、さらに現代語に訳す。そしてその史料の信憑性をたしかめ、時代と場所の中において、持っている意味などを評価し、過去の膨大な研究の蓄積に学びながら、論文や書籍をあらわし、歴史の真実により深く迫ろうとしている。
生徒・児童に届けられる教科書もこうした地道な作業のエッセンスである。
歴史教師が知ったようなふりをしてしゃべっていることの中身は、このような地道な作業の上に成り立っている。
他方、歴史教師はこうした研究をもとに、
自分の目の前にいる生徒にわかるように、
かれらをとりまく現実にいかに切り結んでいけるか、主 権者としての彼らの成長を保障する「武器」を与え、これからの課題に立ち向かう力を身につけるように、歴史学の成果を受け入れつつ、説明し、考えさせ、身につける努力する。
それぞれがそれぞれの現場で課題に立ち向かっており、それぞれが大切な役割を担っている。
互いを信頼し合い、互いが成長し合うような取り組みが必要である。
このサイトがこうした現場になんらかの貢献ができればと思っている。

大切なことは「何を教えないか」だ。

高校の日本史で最も大切なことは「何を教えないか」だ!(1)

~週二時間、年5~60時間で何が教えられの?~

サザン・桑田が放った厳しい批判

2014年度末の紅白歌合戦の話題の一つはサザンオールスターズのステージでした。
そこでちょび髭をつけた桑田佳祐は「教科書は現代史をやる前に時間切れ、そこがいちばん知りたいのに、なんでそうなっちゃうの」(「ピースとハイライト」)と歌い、大きな感動を与えました。同時にバッシングも。
この歌は、私たち歴史の教師への厳しい批判でもありました。
ある教師の研究会の席上で、他教科の先生が「せっかく歴史の時間を保障してるのに日本の戦争をおしえてくれない」との批判を聞いたこともあります。
そのことの意味は、分かりすぎるほど分かっていますが、ちょっとだけグチを聞いてください。

日本史Aという科目

今回、授業中継をしている科目は日本史Aという科目です。指導要領によれば、日本近現代を範囲とする科目で標準単位は2単位となっています。
ちなみに、多くの人がイメージする日本史は日本史Bで、原始以来の日本史を範囲とする科目で、標準単位は4単位となっています。こっちの方が、いっそう悲惨なので、稿を改めて報告します。

二単位という時間数

二単位とは、一週間2回授業があるということ。
高校では、一年35週間が原則なので、簡単に計算すれば年間70時間の授業があります。
しかし、その間、定期試験があり、学校祭、研修旅行、高校入試などの行事があり、授業時間はどんどん減っていき、実際は、年50~60時間程度になります。
私が定年まで勤めていた学校では、この二単位の授業が5クラス横並びに並んでいました。
少なくとも、自分の持っているクラスでは共通のテストとなる(したい)ので、いちばん遅れているクラスにあわせて試験範囲を設定します。あるクラスでは骨格だけの授業となる一方で、一部のクラスではエピソードなどを増やしたり、テスト勉強の時間をしたり、ビデオ教材となったりという形で時間調整をします。
こうしてさらに実質の時間は減ってしまいます。
この時間の枠組みの中で、近現代史をするのです。

急に「大坂の国訴」といわれても…

日本史Aは近現代を扱うのですから、ペリー来航、あるいはその少し前から始めればよいし、教科書もそんな感じです。楽勝だと思われがちですし、私も最初はそう思っていました。
以前使っていた教科書では、江戸時代の中期まで、世界との関わりを中心とした概説があります。この概説が、もう少しましならいいのですが、簡単に言えば、使い物になりません。
ところが19世紀に入ったあたりから、やけに詳しい内容となるのです。鎖国の説明や幕藩体制の説明も、その他、江戸時代の説明も、ごく説明だけみたいな感じなのに、急に。
何もないところに、急に「大坂の国訴」とか、「マニュファクチュア」とか、「国学」がとか。
教える方も、教えられる方も、できるわけない、となってしまします。日本史Bと同じような細かい内容が「さあ覚えなさい」とばかりにでてきます。
教える立場からすると、「えい、やあ」という形でペリー来航から始める方がましです

ペリー以前をカットするとなぜまずい?

しかし、そうすると「日本の近代は外国のせいで始まった。それまでの日本は眠ったまま、発展してこなかった」という、誤った理解に導くことになります。そうした誤りを避けるために、ここから始まるということも理解できます。戦前からの維新史の大きな論点でしたから。
なお、ペリーから始めるときは、なぜ「日本の貿易が開国と同時に急速に伸びたのか」というあたり、あるいは草莽の志士や「新撰組」、自由民権あたりをつかって、ペリー以前の内発的な発展や矛盾を説明しています。でも、後追いの説明は、生徒には入りにくいものです。それでも、やむなくやることも多いのですが…。

歴史を途中から始める…危険な落とし穴が

日本史でも、世界史でも、歴史という教科は、それまでの時代との関わり合いのなかで説明しないと、なかなか説明しづらいです。
だから、つなぎのつもりで、慣れている前近代の概説の説明を、原始から!始めてしまいます
そこで落とし穴に落ちるのです。
その結果、2学期になっても、まだ本来の範囲に入らないなんてこともざらです。そんな人の方が多いかもしれません。

戦国時代からはじめる

私は、この授業中継の内容を見てもらえればわかるように、近世から、実際には中世末期の戦国時代から始めています
それでも、「戦国時代の前はどんな時代だったのか」といった内容が不十分です。時代区分なんてほんとうに苦手です。
「縄文・弥生・…・鎌倉・室町」といった小学生的な時代区分、知ってて当然とはいえません。逆に覚えている方が少数です。
(そんなに学力の低い高校でもなかったのですが)
だから、以前の時代については、丸覚えプリントを配り、確認テストを行ってお茶を濁して…。
 おもむろに戦国時代からの授業を始めます。自前の(パクリ気味の)テキスト(「近世史」)授業プリントを準備して。内容は、授業中継の方を見ていただければと思います。

1学期中間で本来の範囲までいけるか?

「授業中継」はやや盛り込みすぎました。あの内容をやれば、やはり落とし穴に落ちます。だから、実際には、生徒のノートに記された板書に毛の生えた程度ですすめます。江戸期の改革なんて5~10分というひどさです。本当はカットしたかったのですが、考査で使いたいので残したというところです。
あんなこんなで、落とし穴に落ちれば「江戸時代までの概説」でおわり、なんとか踏みとどまって「開港とその影響」ぐらいまでが1学期中間考査の範囲です。

気がつけば、大正時代にすらいけていない?!

前任校では大きな校内行事があったり、幕末ではついつい講談調になってしまったりで、廃藩置県や地租改正など明治初年の改革の途中という中途半端なところで1学期末考査。
急がなければ、と思いながら、明治初年の改革や民権運動、明治憲法、条約改正あたりで2学期中間。
前任校の特殊事情もあって、日清・日露、韓国併合ときて、大正に入るかはいらないかで2学期が終わってしまう。

せめて8月15日までいかなければ!

やばい、尻に火がついてきたと、猛ダッシュするのが3学期
なぜなら「せめてアジア太平洋戦争が終わるまで、できれば日本国憲法ができるまではやらねば、日本近代史(近現代史といえないところがつらい!)にならないではないか」と涙をぬぐって、次々と内容を削り、ビデオ教材を乱発し、「こうして戦争は終わった。こんなことは二度としたらだめだ、こうした思いから現在の憲法ができたんだ」となって終わるのが、連年の流れとなってしまいます。
サザンの批判にどれだけ応えられているかは内心忸怩たるおもいです・・・。

近現代史だけでも3~4単位ほしい!

本来なら、日本史Aで3単位、平成まで行こうとするなら4単位は必要だと思います。
なお、大正以降の授業中継は、3年生での選択講座の授業などを使って、書いていくつもりです。
また、スピードアップのやり方も紹介したいと思っています。。

多くの先生は明治で終わってしまう。

日本史Aという狭い範囲を扱い、受験ともあまりかかわらない科目ですら、このようなばたばたしたようすです。
私は「アジア太平洋戦争が終わり、なぜ憲法ができたか」までいかないといけないという思いがありますので、生徒にぶつぶついわれながら、進めます。
しかし、多くの先生方は受験と関係がないということもあって、明治末年か、大正で終わってしまいます

「何を教えないか」、覚悟を決めること。

歴史を教えてきて、いつも感じたのは時間切れで教えたいことが教えられないということでした。
ですから、腹をくくって、計画的に何を切るか、どこにポイントを置くか、覚悟を決めておくことです。ときには生徒のブーイングも覚悟しながら。
サザンの歌にもあった「現代史をやる前に時間切れ」としないためには、どこを切るか、そして切ったときのフォローをどうするのかが重要です。
ここでは、マイナーな「日本史A」で例を示してきました。一般的な日本史Bについては稿を改めたいと思います。

どうしても現代までいけない…!「余談だが」

実際の授業のシーンでは、なかなかカットする覚悟がつかない、急いだけどどうしても無理、スピードアップすると生徒がついてこない・暴動が起こる?!などさまざまな問題で、近現代史までいけないことが多いです。
私の上の例でも、1945年、よくて1951年止まりです。
「本当に教えたいのは現代史なのになんでそうなっちゃうの?」実は、かなり多くの歴史の教師の本音でもあります
そこで、よく使ったのが、「雑談・余談」のたぐいです。
授業中継のなかに、そういった内容、「戦争は終わってからが大変」とか「戦争でもっとも大切なもはの何?」とか、「戦争モードのなかで人間は」とか、いった内容を、入れておきました。
そうそう、授業開きのプリントなんかは、その要素が強いですね。
参考にしていただければと思います。