「共通テスト」試行調査をどう見るか?

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「試行テスト」と高校教育

~「共通テスト」試行調査をどうみるか

大学の喫茶でお世話になっている教授から声をかけていただきました。共通テスト試行調査について、高校の立場から感想を聞きたいとのことでした。頭の中が「歴史用語の精選」の方に向いていたので、ややピント外れの答えをしたのですが、やはり重要な問題だと考え、そのときの問答をもとに、試行テストを分析しつつ思ったことを記してみたいと思います。
なお、共通テスト試行調査問題、それについての私の具体的な分析は、以下を参照してください。

共通テスト試行問題(日本史) 大学入試センターのHPへ

共通テスト試行調査・日本史問題 (「日本史Aの自習室」)

また「歴史用語の精選」についての私の考えは以下の通りです。

「歴史系用語の精選問題にかかわって」(「日本史Aの自習室」)

教育的・文化的環境で差が出ないか?

P(先生):今回の試行テストについて、高校現場からの意見を聞きたい
S(小生):じっくりと分析していないので、細かくはいえないが、家庭の文化環境などが影響しそうだと思う。ある種の人たちにとっては、日本史を何一つ学んでいなくても50点ぐらいはとれるし、逆に、必死で勉強した人も50点ぐらいとなる可能性のある試験と思う
これまでの試験は涙ぐましい努力で点数がとれたが、今回はこれまで以上に、センスというか一般常識、学力のベースが意味を持つ。これがきちっとしている生徒はルンルンで解けるが、それが通用しなくなるという印象がある。
とくに歴史は記憶すればいいと思っている生徒には厳しい国語力とくに読解力、さらに論理的・科学的分析力、地理的感覚、こういったものが欠けている、もっといえばわからなくとも考えようという習慣がない生徒はつらい。残念ながら、私がこれまで勤務してきたタイプの高校の生徒にはハードルが高い。こうした総合的な学力は一朝一夕に身につかず、教育的・文化的環境にかかわり「努力」が報われにくい。できない生徒は、いくらやっても点数がとれなく感じ、何をやればいいか悩むことになるのではないか。
進学校でも教育方法で差が出そうだし、同じ学校内でも生徒間の差が出てな気がする。

日頃の学習とは違う部分で点差が出る?

P たとえばどんな問題?
S 第一問全部。「会議」や「意思決定」に関わる問題。いずれも文章読解力だけで、極端に言えば日本史を全く学んでいなくとも解ける。問1は「左大臣と参議、どちらが偉いか」「定文には賛否の意見が列挙された」という事実が読み解ければできる。前者は「人間を列挙する際は身分の上から書くだろう」という常識で対処できる。問2は御成敗式目の「道理」の理解と「武家社会」に限定した決まりであり、さらに「権門」の意味がわかって判断するというのならいいが、語群では「道理」の誤答が「多数決」、「権門」も注で意味が記されており、歴史的知識なしで解ける。「権勢のある家柄」とは「身分が上」という日本語の意味がわかればできてしまう。
こうした問題はさすがに正答率も高く60%台の正答率である。逆に言えば、30%強の生徒が誤答をしているところに、日本の教育の問題性を感じる。ちょっと考えればわかることを、知らないからわからないと決めつけ、適当に選んでしまう生徒を多く見てきた。
とくにケチをつけたい部分がある。第一問の問4・5だ。問4は「指導者に選ばれる」ことは「代表」か「支配」か、「治められる」という言葉があり、「命令者よりも執政官の意見」という言葉が「支配」か「自立」かを判断するキーワードとなる。これは国語の問題だ。問5は設問があまりに常識的すぎて、問題・史料文から正確に読み取ろうという生徒の方が迷いそうな気がする。
いずれの問題も日本史の知識はいらない。日本史を題材にして文章から情報を読み取る「国語」や「情報分析」の問題といえる。日本史の学習とは違うところで点差が出る
下地中分の絵図の問題は、有名な絵図の目が届きにくい部分を使う学ぶことの多い「力作」だが、資料のなかに答えがもろに書かれており、読解力のみで解ける。
こうした問題は高校での授業や学習が不要という印象を受ける。このような問題で日本史の力が測れないというのが率直な印象だ。

「知識・技能」という従来型学力の軽視

P:いくつかの学校では、何を教えていいのかわからなくなったという声もある。
S:確かにそうだ。「知識・技能」という従来型の学力を軽視した問題が多い
歴史的な用語を理解して覚え、その時代のイメージをつかみつつ、それがどのように変化していくのか、歴史の流れをとらえさせようという現場の歴史教育のやり方とはかなり違う。これまで些末な歴史用語や年号を聞いてきたかのに対し、今回は重要な歴史事象すら確認せずにすむ
日本史の授業は手抜きしても「要領よく」テクニックだけで、必死で学習に励む「不器用な」生徒と同じくらいの点数がとれる生徒がいる。
「御成敗式目」の授業では、武家を対象とし東国に限定されていたという点に力点をおく。しかし今回はちがった部分を問う。「先例」とは武家のルールであることを問いたいし、「法治主義」的性格を問うのなら「権門」についての注は削除すべきだ。
問題1の5では(「会議」や「意思決定」が)「社会の階層によって参加が制限された」という語句の正誤を問う。あまりに常識過ぎて、逆に困った生徒がいただろう。正答率が40%を割っている。
問題2の3では50年間に1回しか朝貢していない年表を出して、「倭は梁にひんぱんに朝貢していないようなので・・」というストレートな選択肢、当然すぎて何か引っかけがあるのではないかと疑う生徒の姿が思い浮かぶ。「倭」についてなら、倭の五王にせよ、従来からの倭からの使者にせよ、「日本」という国号を用いたにせよ、資料を用いて、いくらでも良問は作れたはずだ。もうすこしまともな選択肢をたててほしい。
高校の授業が力を入れて教えているところ(指導要領の強調する部分と重なるのではあるが)を理解して出題して、現場を力づけてほしかった。
これまでの入試はあまりにも多い歴史用語や細かすぎる年号を出して高校の歴史教育をゆがめたが、今回は「授業を受けても無駄なのでは」という意味で、現場のやる気をそぐ結果ともなりかねない。「変化球」より「ストレートの剛速球」で勝負してほしい。

現場への問題提起となる良問も

P:逆に、現場によって、よい意味で励みになる問題はなかったか。解答が二通りあるタイプの問題、歴史的事実に対する2つの評価を聞く問題があったようだが。
S:第5問3の問題。幕府の滅亡のきっかけを「桜田門外の事件」と「第二次長州征討」の二つの説を示し、自分はどちらの説を採るかを選ぶかを問い、理由を選択肢から選ぶというパターン。セットがあって正答となる。非常に面白いと思った。授業では触れてきたが、考査などでは出しにくく、生徒には「どうでもいい」ととらえられがちだった。こうした問題をきっかけにして、学んでほしい部分に生徒の目が向くようになればと思うし、暗記中心で事実だけを問う問題から一歩踏む出した点で、現場への問題提起となる。
第5問2の問題は、幕府の官僚は「外交経験が不足していた」という説と「合理的に判断し、主体的に条約を結んだ」という二つの説を出し、その論拠になる項目をそれぞれ選ばせていた。これは一般に不平等条約といわれる内容の中から、否定的な面と、積極的な面を見つけさせるものであり、受験生にとっても教師にとっても新鮮であったと思う。
難問ではあったが第3問4は3つの時代の仏教の性格が建築様式にどのように反映したか、さらにそれを年代順に並べるというユニークなもので、いろいろな力の総合を見る良問でもあった。授業でも取り上げてみたい内容であった。
第4問2も、大名が江戸育ちであることの意味を問い、廃藩置県への影響すら視野に入れている問題。「上げ米」がキーワードとなるが、それなしでも解答に近づけ、近世の参勤交代という政策がどのような歴史的意味を持っていたかを問う良問といえる。

「データベース」としての知識と「ネットワーク」型の知識

P:センターがこうした方向に進んでいくなか、高校現場はどうなるのか。
S:一般には、用語の暗記に重点を置く高校日本史は、学力に課題がある生徒、とりあえずよい評価を得たい生徒の意識におもねっている側面がある。内容を全く理解していなくとも、太字を中心に何の脈絡がなくとも、考査の直前に用語を覚えておいて、何も考えず、考査の空欄にぶちまける。それで一定の点数をとる。それで終わりだ。
厳しい生徒が多いところでは、教師もご丁寧に考査に酷似した練習問題を配り、穴あきの順番すら変えないことで、それをやりやすくする。こういうやり方をすると、教師としても問題も作りやすいし、採点もやりやすい。授業を全く理解していなくとも一定の点がとれるために、赤点をとる生徒は減らせる。
その結果、歴史の記憶の有効期限は定期考査までとなり、考査が終われば一挙に消去される。入試に必要な際もそれまでだ。こうして歴史の知識は剥落現象がおこりつづけている。このため、知識は積み上げられず、小学校・中学校・高校と同じ内容をやりつづけている。大学でも同じ現象が起こっているのではないか。
これでは歴史を教えることの意味があまりない。何でもいいから記憶すればいい、させればいいというやり方は限界に来ている。記憶がネットワーク化し、社会や世界を読み解く知識に結びつく形こそが望ましいのだが、
しかし「つめこみ」を「悪」とみる立場には反対だ。ある時期、「つめこみ」が必要な時期があるように思う。人間の知識には、いろいろな知識を吸収しデータベースを形成する時期と、そのデータを元に知のネットワークを形成する時期があると聞いた。こどもたちにも「考えてみよう」より「記憶ゲーム」を欲している時期がある。人間がものを考えるためには豊富な基礎的な知識のデータベースが必要だ。これなしで知識のネットワークは形成されない。その記憶は生活や実物などと結びつくこと、生きた記憶であることがのぞましい。こうした部分は、各家庭における教育環境や文化的環境に左右されることが多い。学び・記憶する面と、それを元に考える、さらに知識を増していくという相互作用が必要だ。
高校段階においては、卒業後、知識を生かす方向が望まれるという意味で、闇雲に教えるよりも、考えることで知識のネットワーク化を進めながら、さらに知識を増していくというやり方、エピソード型記憶を中心に必要な用語を学ぶ方向に進めなければならない。データベース作り重視からネットワーク作りをメインにすることが必要だ。アクティブラーニングの提起もこうしたところから出てきているとおもう。
これまでの学校現場の歴史教育は、従来型の大学入試のあり方、生徒の「覚えたらええのやろ」との学習スタイル、教師の教えやすく考査も作りやすく採点も簡単な事情、こうしたものが相まってデータベース的知識の充実に偏重してきたし、せざる得なかった。
高大連携研究会が提案しているように、歴史用語を精選しデーターベース偏重に歯止めをかけつつ、ネットワーク型の知識形成に努める必要があると思う。今回の試行テストでの良問は、そうしたことを考えさせるヒントになるとも思える。
難しいのは生徒や教師の意識改革であるし、教師の力量の差かもしれない。

「アクティブラーニング」型の知識

P:文科省のすすめる教育改革との関わりなどはどうか。
S:あまり興味がなかったので、あまりわかっていないが、「アクティブラーニング」というような主体的な学習の方向を進めようとしている。しかし、いまのままでは「総合的学習の時間」「ゆとり教育」の二の舞になる気がする。データベースが不十分な人間に「一緒に考えてみよう」「想像してみよう」と促しても、低いレベルの常識に流れたり、一人の「物知り」の意見に流される。主体的な学習は、参加者がどれだけ「手持ち札」を持っているかによる。「手持ち札」が多い生徒たちが意見交流をすれば、劇的な効果を上げることができるかもしれないが、「手持ち札」が少ない人が多い場合は沈黙の時間となったり、「独演会」になったり、教科書のなかに答えを探すことになる。
「ゆとり教育」「総合的学習」「アクティブラーニング」が成功している学校というのは、生徒の頭脳にすでに一定のデータベースが形成され、その「学校知」で遊べる程度まで来た生徒が一定数いる学校だろう。そこで新たなデータの獲得法やデータベースの活用法、プレゼンテーションの手法などを集団的に学べば大きな成果を上げられるだろう。
「学校知」、学校で学ぶタイプのデータベースはなくとも、「生活知」を積み重ねてきた生徒は、生活知と学校知の結合、つまり体験を語る言葉が身につけばうまく対応しうるかもしれない。うまくいかないのは、いずれのデータベースも不足している生徒や、「学校知」のみを「言葉」だけで覚えている生徒だ。生徒の理解度を調査をしたら成績が「4」ぐらいの体育系の努力家の女生徒あたりが一番理解できておらず、愕然としたことがあった。何も考えず、記憶だけをしようとしたからだと思った。
大学側も、入試センター試験を中心にデータベース型からの脱却を図ってきた。その流れの中に試行テストがある。今回の試行テストは、データベース的知識を求めるより、アクティブラーニング型能力を求めたものとなった。しかし、アクティブラーニングもデータベースが不十分のまま進めると低いレベルの内容に終始すると同様のことが、今回の試行テストのなかにも感じる。

私学の入試との関わりは?

P:センターがこうした方向に進んでいくなか、私学の入試はどうあるべきなのか
S:すでにセンター試験と私学の入試は別の対策が必要だった。センター試験は正誤問題中心で、ナマの形で歴史用語が出てくることはほぼなかった。一定の理解(用語の内容に即した言い換えなど)がもとめられ、とりあえずの穴埋め的な用語の暗記では通用しなかった。しかも、時代をまたぐ問題が多く、全体を見通し未習範囲を残さないことが必須だった。しかし、正誤問題のキーワードに脚注にしかでていない用語が隠れていたり、年号を覚えていなければ時間の前後がわからない出題も多く存在した。
これにたいして、私学の問題は時代ごと、分野ごとの出題が多く、未習分野があっても、個々の大学の傾向や出題されやすい分野(多くは高校では省略される分野)を重点的にやっておけばそれなりに対応できた。とくに穴埋め問題が多い大学では、語群もあることが多いので理解不足であっても用語を埋めればよかった。受験層がセンターとかぶる場合は、センター試験に準拠して正誤問題重視に移行したところもあったが、穴埋めをつづけるところもあった。
様々なタイプの受験生が集まるタイプの私大で、試行テスト風の問題を行うのは無理がある。作問も大変だ。ただ、お願いしたいのは、点数を平均点あたりにするため、たとえ穴埋めであっても安易に難しい用語に頼らないでほしいということだ。用語の意味を問う問題や正誤問題、分野ごと(農業史や法制史など)の重要事項の順番並べなどなら、生徒の力を見やすいと思う。(点差が出やすい!)。そうした問題は、高校教育をよい意味で力づけることになる
たくさんの用語を知っていればよいという問題よりも、重要な語句や内容をしっかり押さえていれば点もとれるような内容で歴史教育、そして生徒の基礎力を伸ばすお願いしたい。

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