【史料】「岩倉具視憲法大綱領」(井上毅起草)

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岩倉具視憲法大綱領

(出典:江村栄一校注『日本近代思想体系9 憲法構想』)

解題:

井上毅(1844*-1895)明治時代の官僚,政治家。明治憲法や教育勅語の草案作成の中心となった。

明治十四年(1881)七月、岩倉具視が提出した憲法制定に関す意見書。実際の起草者は井上毅で、岩倉の下問に応え、六月に準備している(「井上毅伝」史料篇第一他)。欽定憲法、強大な天皇大権、ニ院制議会、議院内閣制の否定、前年度予算執行権の構想など、明治政府側の憲法起草の基本となる方針が列挙されている。「意見」においても、漸進主義の立場からプロシアに倣い、英国に範をとる交詢社の私擬憲法案を批判している。井上の見解が岩倉の意にかなうものであったことはいうまでもない。
(江村栄一校注『日本近代思想大系9 憲法構想』より)

具視憲法制定ニ関シ意見ヲ上ツル事(抄)

先日以来追々御談合ニ及候憲法云々之件、未ダ端緒ヲ開カザルハ、具視不幸ニシテ病気ノ為メ請暇致候事、恐縮且遺憾之至御座候。就テハ左之三件、両公深ク御注意ヲ仰ギ度<たく>奉存候。

ー、憲法制定ニ就キ、其条目ニ渉ニ候テハ議論百出、容易ニ決定シ難キ場合ニ立至ル可キヤモ測ラレズ。就テハ先以<まずもって>テ宸衷<しんちゅう>ヨリ断ゼラレ、其大綱領数箇条ハ確乎不動之聖猷<せいゆう>ヲ被定、宸筆ヲ以テ大臣へ御下附ニ相成候テ、憲法起草ノ標準ヲ御指示被為在<あらせられて>可然卜存候。此事誠ニ全局之眼目ニシテ、後来百年ニ渉リ紛議ヲ裁断スルノ鏡鑑<きょうかん>卜存候。両公宜ク御奏上有之度候。

ー、憲法起草手続之事ハ左之三様之方法中何<いず>レカ御決定相成度候。

ー、公然卜憲法調査委員ヲ設ケラルゝ事。
ニ、宮中ニ中書局又ハ内記局ヲ置カレ、大臣一人其総裁ヲ命ゼラレ、内密ニ憲法ヲ起草シ、成案ノ上内閣ノ議ニ附セラルゝ事。
三、大臣参議三四人内密ニ勅旨ヲ奉ジ、憲法ヲ起草シ、成案ノ上内閣ノ議ニ附セラルゝ事。

ー、右憲法起草ハ国家ノ大要件ニ候処、内閣一致ニ無之テハ完全無欠ノ成案ハ無覚束<おぼつかなし>ト存候。因テ右起草手続御決定ニ相成候迄ニ衆参議之意見帰一致候様、御取纏メ有之度、両公ニ於テ篤ク御配慮是希<これねがい>候。
ー、憲法起草ニ付凡ソ大綱領卜為ルベキ条件、別紙ニ記載仕候。聖上御参考迄ニ御奏上有之度候。

右条々愚考一筆如斯<かくのごとく>候事。

七月                   具 視
太政大臣殿
左大臣殿

別紙

憲法起草可被仰出候ニ付、先ヅ大綱領数件聖断被為在、其他ノ条目ハ此主旨ニ拠リ起草可致旨、御沙汰被為在可然卜存候事。

大綱領

一、欽定憲法之体裁可被用事。
一、帝位継承法ハ祖宗以来ノ遺範アリ、別ニ皇室ノ憲則ニ載セラレ、帝国ノ憲法ニ記載ハ要セザル事。
一、天皇ハ陸海軍ヲ統率スルノ権ヲ有スル事。
一、天皇ハ宣戦講和及外国締約ノ権ヲ有スル事。
一、天皇ハ貨幣ヲ鋳造スルノ権ヲ有スル事。
一、天皇ハ大臣以下文武重官任免ノ権ヲ有スル事。
一、天皇ハ位階勲章及貴号等授与ノ権ヲ有スル事。
一、天皇ハ恩赦ノ権ヲ有スル事。
一、天皇ハ議院開閉及解散ノ権ヲ有スル事。
一、大臣ハ天皇ニ対シ重キ責任アル事。
一、法律命令ニ大臣署名ノ事。
一、立法ノ権ヲ分ツ為ニ、元老院、民撰議院ヲ設クル事。
一、元老院ハ特撰議員卜華士族中ノ公撰議員トヲ以テ組織スル事。
一、民撰議院ノ議員撰挙法ハ財産ノ制限ヲ用ウル事。
一、歳計ノ予算、政府卜議院卜協同ヲ得ザルトキハ、総テ前年度ノ予算ニ依リ施行スル事。
一、臣民一般ノ権利及義務ヲ定ムル事。
一、議院ノ権限ニ関スル事。
一、裁判所ノ権限ニ関スル事。

参考意見

具視又憲法ノ制定ニ関スル大綱領ニ就キ、詳<つまびらか>ニ其旨趣ヲ書シ、之ヲ実美<さねとみ> 熾仁<たるひと>親王ニ示シ、以テ其参考ニ供ス。其文ニ日ク、

憲法起草可被仰出ニ付テハ、起草委員タル者、自己ノ意想ヲ用ヰ一家ノ私議ヲ雑<まじ>へ候様之事無之筈ニ候へ共、大体ノ目的予<あらかじ>メ一定イタサズ候テハ、徒<いたずら>ニ架空ノ議ヲ費シ、或ハ主義ヲ誤ルニ至ルモ難計候歟<か>卜深ク憂慮仕候。因テ左之重大之条々先以<まずもって>聖衷ヨリ断ゼラレ起草委員ニ下附セラレ、其他ノ節目ハ右根本之主義ニ拠リ起草致候様被仰出可然卜存候事。

綱 領

「憲法中綱領之議 岩公上奏」国立国会図書館デジタルコレクション(リンク

ー、欽定憲法之体裁ヲ被用事。
欽定国約之差別ハ別紙ヲ以テ具陳スベシ。
ー、漸進之主義ヲ失ハザル事
附、欧洲各国之成法ヲ取捨スルニ付テハ、孛国<プロシア>之憲法尤漸進之主義ニ適スル事。
孛国<プロシア>之最初ニ憲法ヲ発スルニ当テ紛紜<ふんうん>ヲ生ゼシ事跡ハ別ニ具陳スベシ。
ー、帝室之継嗣法ハ祖宗以来ノ模範ニ依ニ、新タニ憲法ニ記載スルヲ要セザル事。
ー、聖上親<みずか>ラ陸海軍ヲ統率シ、外国ニ対シ宣戦講和シ、外国卜条約ヲ結ビ、貨幣ヲ鋳造シ、勲位ヲ授与シ、恩赦ノ典ヲ行ハセラルゝ等ノ事。
ー、聖上親ラ大臣以下文武ノ重官ヲ採択シ及進退セラルゝ事。
附、内閣宰臣タル者ハ議員ノ内外ニ拘ハラザル事。
内閣ノ組織ハ議院ノ左右スル所ニ任ゼザルベシ。
ー、大臣執政ノ責任ハ根本ノ大政ニ係ル者<政体ノ改革、疆土<きょうど>ノ分割譲与、議院ノ開閉、和戦ノ公布、外国条約ノ重大事ノ類ヲ根本ノ大政トスベキ歟>ヲ除ク外、主管ノ事務ニ付各自ノ責ニ帰シ連帯責任ノ法ニ依ラザル事。
附、法律命令ニ主管ノ執政署名ノ事。
ー、立法ノ権ヲ分タルゝ為ニ、元老院、民選議院ヲ設ケラルゝ事。
一、元老院ハ特撰議員卜華士族中ノ公撰議員トヲ以テ組織スル事。
ー、民撰議院ハ撰挙法ハ財産限制ヲ用ウベシ。
但、華士族ハ財産ニ拘ハラザルノ特許ヲ与フベキ事。
一、凡ソ議案ハ政府ヨリ発スル事。
ー、歳計之予算ニ付、政府卜議院卜協同ヲ得ズシテ、徴税期限前ニ議決ヲ終ラザル歟、或ハ議院解散ノ場合ニ当ル歟、又ハ議院自ラ退散スル歟、又ハ議院之集会定メタル員数ニ満タズシテ決議ヲ得ザルトキハ、政府ハ前年ノ予算ニ依ニ施行スルコトヲ得ル事。
一、一般人民之権利各件<各国ノ憲法ヲ参酌ス>

意見第一

立憲ノ政ヲ行ヒ民会ヲ開クニハ、先ヅ其時期ノ適度卜、及其立憲政体中何等ノ制度ガ尤モ我国体民俗ニ適スベキヤヲ講究スルハ、不可闕<かくべからざる>ノ要用ナルベシ。今其時期ハ既ニ熟セリ卜仮定セバ、次ニ制度ノ事宜ヲ問フノ場合ニ到著セリ。
欧洲各国ニ行ハル、立憲ノ政体、其標的ハ大抵同一ナリト雖、
其方法順序ハ各々其国ノ開化ノ度卜国体民俗トニ従テ多少ノ異同アリ。即チ国会ノ権ニ大小ノ差アルコト是ナリ。
国会ノ権、其小ナル者ハ僅ニ立法ノ議ニ参預スルニ止マリ、其強大ナル者ハ政令ノ実権ヲ握ルニ至ル。議院ノ勢力各国異同アリ。而シテ最大至強ノ勢カアル者ハ英国議院ニ若クハナシ<但シ共和国ヲ除ク>
英国ノ議院ハ独リ立法ノ権ノミニ非ズ、併セテ行政ノ実権ヲモ把握セリ。英国ノ諺ニ、英国議院ハ為シ得ザルノ事ナシ、但男ヲシテ女タラシメ女ヲシテ男タラシムルコト能ハザルノミト。
何故ニ英国ノ議院ハ併セテ行政ハ[ノ]実権ヲ把握スト云フヤ。英国ノ習慣法ニ従ヘバ、英国王ハ自ラ政治ヲ行ハズシテ専ラ内閣宰相ニ責任セシメ、内閣宰相ハ即チ議院多数ノ進退スル所タリ。内閣ハ多数政党ノ首領ノ組織スル所タリ。議院政党多数ノ変更アル毎ニ従テ内閣宰相ノ変更ヲ致シ、輾転<てんてん>相代リー輪動テ二輪之ニ応ズルニ異ナラズ。而シテ国王ハーニ議院多数ノ為ニ制セラレ、政党ノ贏輸<えいゆ>ニ任ジ、式ニ依リ成説ヲ宣下スルニ過ギズシテ、ー左一右宛<あたか>モ風中ノ旗ノ如キノミ。故ニ名ハ行政権専ラ国王ニ属スト雖、其実ハ行政長官必ズ議院中政党ノ首領ニ取ルヲ以テ、行政ノ実権ハ実ニ議院ノ政党ノ把握中ニ在リ。名ハ国王卜議院卜主権ヲ分ツト称スト雖、其実ハ主権ハ専ラ議院ニ在リテ、国王ハ徒<いたずら>ニ虚器ヲ擁スルノミ。英国ノ語ニ、国王ハ国民ヲ統率スト雖、自ラ国政ヲ理セズ卜云フ、是ナリ。其実形、宛<あたか>モ我ガ国中古以来、政治ノ実権ハ武門ニ帰シタルト異ナルコト無シ。
是ニ反シ普魯西<プロシア>ノ如キハ、国王ハ国民ヲ統<す>ブルノミナラズ、且実ニ国政ヲ理シ、立法ノ権ハ議院卜之ヲ分ツト雖、行政ノ権ハ専ラ国王ノ手中ニ在リテ敢テ他ニ譲予セズ。国王ハ議院政党ノ多少ニ拘ハラズシテ其宰相執政ヲ撰任スルモノトス。
但実際ノ事情ニ従ヒ、多クハ議院輿望ノ人ヲ採用スト雖、其権域ヲ論ズルトキハ決シテ議院政党ノ左右ニ任ズルコト無シ。
以上両様異同ノ間ニ於テ政学論者ノ説一定ナラズト雖、大概各国ノ国体人情ニ従ヒ同一ナルコト能ハズト謂フニ帰セリ。
<けだ>シ若シ英国ヲシテ遽<にわかニ普国ノ制ニ倣<なら>ハシメバ忽チ内乱ヲ起スコトヲ免レザルベキハ、猶普国ニシテ英国ノ為ス所ヲ学ブモ亦平和ヲ紊<みだ>ルコトヲ免レザルガ如シ。
今我ガ国ニ於テ立憲ノ政ヲ起シ国会ヲ設立セント欲セバ、事誠ニ新創ニ係ル。是レ宜<よろし>ク一進シテ英国ノ政党政府ニ模傲シ、執政ノ進退都テ議院ノ多数ニ任ズベキカ、又ハ宜ク漸進ノ主義ニ本ヅキ、議院ニ付スルニ独リ立法ノ権ノミヲ以テシ、行政長官ノ組織ハ専ラ天子ノ採択ニ属シ以テ普国ノ現況ニ比擬スベキヤ、此ニ様取舎<しゅしゅ>ノ間ハ実ニ今日ノ廟謨<びゅうぼ>以テ永遠ノ基本ヲ立テ百年ノ利害ヲ延<ひ>クベキ者ニシテ、最要至重ノ問題ナリ。

英国ノ慣法ハ政党ノ結成大抵両党ニ帰ス。故ニ一党少数ヲ得ルトキハ即チ他ノー党多数ヲ得。今我ガ国ノ如キ、政党未ダ結成セズ、縦令<たとい結成スルモ必ズ数小党各自ニ分立シテ一大団結ニ帰スルコト能ハズ。此時ニ於テ、現在ノ内閣少数ヲ得テ罷免セント仮定センニ、其後ニ代ルノ党果シテ衆望ノ帰スル所多数ノ集マル所ナランヤ。数小党必ズ鑣<くつわ>ヲ並べ、競立シテ相合一スル能ハズ。其現成ノ政府ヲ攻撃スルニ当テ、一時声勢ヲ合セ以テ各自ノ勝欲ヲ達シタルモ、一党其位地ニ代リ以テ内閣ヲ組成セントスルニ当リ、他ノ数党必ズ争競ノ勢ヲ成シ、行政権ノ位地ハ一ノ争区タルニ過ギズシテ、輾転相攻メ、甲蹶<つまず>キ乙僵<たおレ安定スル所ナク、将ニ政務ノ何物タル、国事ノ緩急何様ナルヲ問フニ暇アラズ。其終リ、力ヲ兵刃ニ仮ルニ至ルコトヲ免レザラントス。是レ彼此事情ノ同<おなじ>カラザルノ第一ナリ。
英国ニ於テ各局各課ノ長及法官ノ類ハ、是ヲ永久官トスルヲ除クノ外、諸省卿輔、書記官長、諸官ハ皆一政党ヲ以テ組織シ、議院ノ多数一変シテ内閣ノ更替<こうたい>アル毎ニ、重要ノ諸官ハ一時ニ類ヲ挙ゲテ退職スルヲ以テ慣法トス。今我ガ国ノ内閣一変セント仮定センニ、参議及各省ノ長次官並ニ重要書記官ノ如キ、一時其後任ニ代ルベキ人ヲ求メンニ、在野ノ俊傑二三著名ノ人ヲ除ク外、果シテ衆望ノ帰スル所、人心ノ属スル所歟、将<は>タ少年才子蹶起シテ争進スルニ任ゼントスル歟。是レ彼此事情ノ同ジカラザル第ニナリ。

更新以来、王化未ダ人心ニ浹洽<しょうこう>セズ、廃藩ノ挙、怨望ノ気、正ニ政府ニ集マル。今若シ俄カニ英国政党政府ノ法ニ倣ヒ、民言ノ多数ヲ以テ政府ヲ更替スルノ塗轍<とてつ>ヲ蹈ムトキハ、今日国会ヲ起シテ明日内閣ヲ一変セントスルハ鏡ヲ懸ケテ視ルニ均シ。議者、内閣更替ノ速<すみやか>ナルハ国ノ平安ヲ扶クル所以<ゆえん>ナリ卜謂フ。予ハ議者ノ或ハ英国ノ成蹟ニ心酔シテ、我国ノ事情ヲ反照セザルモノナルヲ疑フコトヲ免レズ。
立憲ノ大事方<まさ>ニ草創ニ属シ未ダ実際ノ徴験ヲ経ズ。其一時ニ急進シテ事後ノ悔ヲ貽<のこ>シ、或ハ与ヘテ後ニ奪フノ不得已アラシメンヨリハ、寧<むし>ロ普国ニ倣ヒ、歩々漸進シ以テ後日ノ余地ヲ為スニ若<し>カズト信ズルナリ。

意見第ニ

岩倉具視(1825〜83)
当時、右大臣。大隈の即時国会開設案に危機感を感じ、井上毅に意見書を書かせ、自らの名で提出した。

内閣執政ヲシテ天子ノ選任ニ属セシメ、国会ノ為ニ左右セラレザラント欲セバ、左ノ三項ニ依ルベシ。

第一 憲法ニ於テ「天子ハ大臣以下勅任諸官ヲ選任シ及之ヲ進退ス」トノ明文ヲ掲グベシ。此明文ヲ掲グルトキハ、縦令<たとい>実際ニ於テハ執政大臣ハナルベク衆望ノ人ヲ採用シ、其ノ極メテ輿論ニ背クノ人ハ之ヲ罷免セザルヲ得ズト雖<いえども>、進退ノ大権一ニ天子ニ在ルヲ以テノ故ニ、宰臣タル者亦<また>天子ノ知遇卜国家ノ慶頼トニ倚<よ>リ、衆議紛言ノ為ニ左右セラレズ。其意見ヲ一定シ確然不抜ノ針路ヲ取リ、縦令一ニノ議事ニ於テ議院ノ少数ヲ得ルモ仍<な>ホ終始内閣ノ大局ヲ全クスルヲ得テ、旦夕廟猷<びょうゆう>ヲ変更スルニ至ラザルベシ<普国ノ国憲ニ依ル>

第ニ  憲法ニ於テ宰相ノ責任ヲ定メ、其連帯ノ場合卜各個分担ノ場合ヲ分ツベシ<仏国千ハ百七十五年ノ憲法ニ、「宰相ハ政府ノ大政ニ付テハ連帯シテ其責ニ任ズベク、各個ノ職掌ニ付テ各自其責ニ任ズベシ」トアリ>。若<も>シ英国ニ倣ヒ諸大臣ハ一概ニ連帯ノ責ヲ負フ者トセバ、一省長官ノ職務失錯アリテ議院ノ詰責ヲ得ル毎ニ、他ノ各省長官モ従テ一同ニ退職セザルヲ得ズ。此<かく>ノ如キトキハ、内閣ハ容易ニ議院ノ攻撃ヲ致シ、更替頻煩<ひんぼん>一ノ争区トナルニ至ランコト必セリ。且理ヲ以テ之ヲ論ズルニ、若シ一執政ノ過失必ズ衆執政ノ責ニ帰セシメバ、凡ソ行政ノ事務ハ各部ノ分任専掌アルニ拘ハラズ、必ズ予<あらかじ>メ衆執政ノ公議ヲ経セシメザルベカラズ。而シテ却<かえっ>テ各自分担ノ責任ヲ軽クセルニ至ラントス。英国ニ於テ連帯責任ノ法アルハ、其内閣執政ヲ以テー個政党ノ集合体トシテ、一個人卜同一ニ看做<みな>スヲ以テノ故ナリ。
<そもそも>行政事務ニ省ヲ分チ職ヲ定ムルハ、理固<もとよ>リ立法議院ノ数員合同シテーノ集合体ヲ結成スル者卜同カラザルベキナリ。

第三 憲法ニ於テ普国ノ左ノー条アルニ倣ハザルベカラズ。
普国憲法第百九条ニ云<いわく>、「旧税ハ其力ヲ保ツ」卜。其説明ハ、若シ歳計予算ニ付テ政府卜国会卜協同セザルトキハ、前年ノ予算其効ヲ有スベシト云ニアリ。蓋シ此一条ハ、普国ノ建国憲法ニ於テ専<もっぱ>ラ行政権ヲ維持スル所以ノ主脳タリ。
此一条ナキトキハ、議院若シ内閣ヲ攻撃シテ内閣ノ重大法案ヲシテ少数ナルニ至ラシメ、而シテ内閣仍<な>ホ天子ノ保護ニ依リ退職ニ至ラザルトキハ、議院ハ其議ヲ固執スル為ニ独リ徴税ヲ抗拒シ、国庫須要<しゅよう>ノ資料ヲ貢納セザルノ一法アルノミ。議院ハ其カ能<よ>ク立国ノ生命ナル租税ヲ拒ムコトヲ得ルガ為ニ、英国及他ノ白耳義<ベルギー>、伊太里<イタリー>諸邦ノ如キモ亦皆議院ノ為ニ政党内閣ヲ組織シ、以テ議院ノ衆望ヲ買フコトヲ務メタリ。今果シテ普国ニ倣ヒ内閣ヲシテ議院ノ外ニ在ラシメント欲セバ、必ズ又普国ノ税法ノ条ニ依ラザルベカラズ。然ラザレバ天子ハ宰相ヲ進退スルノ条アルモ亦将<ま>サニ有名無実ニ帰セントス。

以上三項ハ漸進ノ主義ヲ維持シ、永遠ニ国ノ洪福ヲ保ツ為ニ必要ナルモノト信ズ。

意見第三

前第二議ニ於テ掲グル所ノ三項ノ中、第三項ハ、欧洲中独リ普魯西<プロシア>ニ其例ヲ見ル所ニシテ、普国建国法ニ此条アルハ政論学者ノ満足セザル所ナリ。政論家ノ説ニ従ヘバ、普国ノ国憲ハ幾分ノ圧制ヲ免レザルモノニシテ、普国ノ議院ハ完全ナル気力ナキ者タリト云フ。
元老院上奏ノ憲法艸案第ハ篇第ニ条ニ、「法律ノ承認ヲ得ザル租税ハ之ヲ賦課スルコトヲ得ズ」卜。此レ乃<すなわ>チ明カニ賦税ノ全権ヲ国会ニ附与スルモノニシテ、此条ニ従ヘバ、政府徴税ノ法案ニシテ若<も>シ議院ノ異議スル所卜為レバ、人民ハ租税ヲ課出スルノ義務ヲ免レ、国庫由<よっ>テ以テ資給スル所ナカラントス。賦税ノ全権既ニ議院ニ在ルトキハ、虎ニシテ嵎<ぐう>ヲ負フガ如シ。内閣ヲ進退シ王命ヲ左右スルモ、孰<た>レカ敢<あえ>テ之ヲ防ガン。此レ急進政論家ノ十分ニ満足スル所ナルベシ。

又第一項第ニ項ニ於テ執政ノ進退ヲ専ラ天子ニ帰シ、及連帯責任ヲ免レシメントスルガ如キモ、亦現今国憲ヲ主唱スル論者ノ説卜相反対スル者ナリ。

交詢社私擬憲法案とそれを記載した交詢雑誌。イギリス憲法に範とった私擬憲法。高い完成度を示し、大隈の国会開設案との関係が深い。結論的には正反対ではあるが、形式面では「大綱領」「帝国憲法」の形式に大きな影響を与えたとされる。(【史料】交詢社私擬憲法案

交詢社ニ於テ起草セル私擬憲法案第九条ニ、「内閣宰相ハ協同一致シ内外ノ政務ヲ行ヒ、連帯シテ其責ニ任ズベシ」云々、第十二条ニ、「首相ハ天皇衆庶ノ望ニ依テ親シク之ヲ撰任シ、其他ノ宰相ハ首相ノ推薦ニ依テ之ヲ命ズベシ」、第十三条ニ、「内閣宰相タル者ハ元老議員若クハ国会議員ニ限ルベシ」、第十七条ニ、「内閣ノ意見立法両院ノ衆議卜相符合セザルトキハ、或ハ内閣宰相其職ヲ辞シ、或ハ天皇ノ特権ヲ以テ国会院ヲ解散スルモノトス」、以上各条ノ主意ハ内閣執政ヲシテ連帯責任セシメ、而シテ議院卜合ハザルトキハ輙<すなわ>チ其職ヲ辞シ、議員中衆望アルモノ之ニ代ル、所謂政党内閣新陳交替ノ説ニシテ、正ニ英国ノ模範ニ倣フモノナリ。因<よっ>テ惟<おも>フ、今日急進ノ論ハ漸<ようや>クニ朝野ノ間ニ浸染シ、一時風潮ノ勢積重シテ昇リ、必ズ最上極点ニ至テ而後<しかるのち>止マントス。予ノ深ク慮ル所ノ者ハ、当局者或ハ理論ニ心酔シテ深ク各国ノ異同ヲ究メズ、永遠ノ結果ヲ思ハズシテ徒<いたずら>ニ目前ノ新奇ヲ悦<よろこ>ビ、内閣ノ組織ヲ以テ衆議ノ左右スル所ニ任ゼント欲スルアラバ、一タビ与フルノ権利ハ流汗ノ再タビ回<めぐ>ラスベカラザルニ同ジ。独リ国体ヲ敗ルコトアルノミナラズ、其レ世ノ安寧国民ノ洪福ヲ図ルニ於テ、亦或ハ将ニ空理臆想ノ外ニ出テ悔ユトモ追フべカラザルニ至ラントス。
立憲ノ大事ハ実ニ非常ノ変革ニシテ、廟猷<びょうゆう>遠大一定シテ回ラザルニ非ザレバ、衆議紛擾何ノ底止スル所ナルコトヲ知ラズ。漸進ノ主義ハ一時世論ノ満足セザル所、予ガ意見三項ノ如キ、之ヲ実際ニ施スニ於テ物議ヲ激動シ、囂々<ごうごう>喧譁臂<ひじ>ヲ攘<かか>ゲテ相迫ルモ亦料<はか>ル可カラズ。其確然不抜以テ永久ノ固メヲ為スモノ、独リ我ガ天皇ノ聖断卜輔相大臣画策誤ラザルトニ頼<よ>ルノミ。予ガ区々微衷、実ニ仰望ニ堪へザルナリ。

  明治十四年七月              具視
〔『岩倉公実記』下巻〕

解説 江村栄一「幕末明治前期の憲法構想」より

江村栄一「日本近代思想大系9 憲法構想」

大隈奏議と十月の明治十四年政変の間に入るのが、岩倉具視「憲法綱領」である。伊藤と大隈の対立が進行中、岩倉は井上毅をブレインとして憲法制定の準備を始めていた。井上もこの頃積極的に伊藤に働きかけている。
岩倉の下問に答えて、井上は同年六月、(憲法)「意見第一、第二、第・三」「進右大臣書」「綱領」などを精力的に書き上げ、七月に「大綱領」をまとめた(『梧陰文庫影印明治皇室典範制定前史』)。
本書所収の『岩倉公実記』本では、上記史料の排列が再構成され、最初に三条実美・有栖川宮熾仁両大臣に宛てた岩倉の書簡が付され、「大綱領」を掲げている。日付は七月とあるが、『伊藤博文伝』中巻には七月五日とある。「大綱領」は後の大日本帝国憲法の根本方針を決定した重要な史料である。まず欽定憲法方式をとることからはじまり、帝位継承法は憲法からはずすとし、天皇大権をつらねた後、大臣は天皇に責任を負うこと、二院制、制限選挙制、予算不成立の際の前年度予算施行制などを列挙している。憲法意見第一・第二・第三では、英国の議院制をとらずプロシア憲法に倣う必要性が説かれ、元老院の「国憲」と交詢社の「私擬憲法案」が批判されていることが注目される。
政変直前の十月八日、岩倉宛井上書簡にはつぎのように危機感が表明されている。

現今之景況、立志社其他昨年の請願連中は府下に於て国会期成会を催し、福沢は盛んに急進論を唱へ(中略)各地方此二三十日来結合奮起之勢にて、此儘打過候はヾ、事変不測と相見へ候。(中略) 一度彼より先鞭を着けられ候に至らば、憲法も徒に空文に帰し、百年之大事を誤り、善後之策なきに至候は必然と奉存候。

十月十二日には10年後に国会開設を約束する勅諭が出されるが、その末尾で「若シ仍ホ故サラニ躁急ヲ争ヒ事変ヲ煽シ国安ヲ害スルアラバ、処スルニ国典ヲ以テスベシ」と民権派を威嚇した。この勅諭も井上が起草したものである。
十四年政変は薩長藩閥政府の体制を確立するとともに、民権派にたいしては起死回生の巻返し策であった。
 井上毅は翌年春、一八五〇年のプロシア憲法に倣ったところが多い「憲法試草」(『日本近代思想体系9 憲法構想』所収)を起草した。欽定憲法主義をとり、国民の権利を「賜予」されるものとしている。皇位の継承法を憲法外とし、二院制、財産による制限選挙、前年度予算施行制など、「大綱領」にそった憲法案になっている。しかし、議会の権限は後の明治憲法より大きく、この時期を反映してか、なお民権派の二院制案と共通性があることは興味深い。(p482)

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