身分制と「部落前史」をどのように教えるのか。

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身分制と「部落前史」をどのように教えるのか。

はじめに

編集部からいただいたテーマのねらいは、近世身分制の研究成果をいかに教育現場で生かしているかレポートせよ、ということであろう。こうした研究成果は教科書を通して、現場に伝えられているが、現場で十分生かしているとは言いがたい。
本稿では、その背景にある日本史教育の課題について触れ、さらに本年行った授業の内容とポイントを示し、最後に、参考として授業案を示し、責をふさぎたい。

一 日本史の授業をとりまく課題と歴史学

現在、日本史教育をとりまく現状は厳しい。「ことば」の力の低下、興味の偏りと文化的常識の弱さ、歴史に引き付ければ「時代の順番」や歴史上の人物名や用語など小中学校などで身につけなければならない知識の未定着である。したがって、授業では、生活指導的対応をし読解力・語彙力などのケアもし、歴史の常識(人物名や歴史的事実、エピソード)なども触れることになる。さらに、部落問題のような社会問題を考えるための基礎知識も身につけさせたいし、戦争も問題も外せない。受験に対応した内容も必要である。
こうして、日々の授業は、悪戦苦闘の中にある。強引な単純化や類型化をし、現在の出来事からの連想を促し、勧善懲悪風なストーリーに、生徒受けしそうな「怪しい」エピソードも用いる。厳密な史料批判と理論構成、厳密な概念規定、地域的特色などを重視する最新の歴史学の成果を、組み込むことはなかなか難しい。
考えると、部落の「政治起源説」、「士農工商えた非人」といった単純な類型化なども、わかりやすさを求める「教育」の側の要請もあったのではないか。専門外の教員に特設「歴史学習」を押しつけたことが、この傾向を強めたように思える。
授業には時間的制約もある。前近代史を含む内容を扱う日本史Bの標準単位数は4単位、年140単位時間であるが、実際には120時間程度、この枠で、原始から現代を扱い、視聴覚教材もみせ、考査や小テストなどを行う。したがって、近世の身分制に充当できる時間は農村と都市・身分秩序をあわせて本来は1~2時間である。本年は、身分秩序とテーマ史的な部落問題前史をあわせ、2~3単位時間弱を充当した。

二 身分制と「部落前史」の扱いについて

筆者は、「部落問題の歴史」を特設学習などで扱うべきでないと考えてきた。また前近代の被差別身分の歴史を「部落の歴史」として教えたり、前近代の「ケガレ」観が部落問題の本質と教えることも問題が多いと考える。前近代の被差別民の歴史や近代の部落の歴史は、日本史の授業で、それぞれの時代全体の中に位置づけながら説明すべきである。前近代身分社会での「差別」と、形式的であっても「四民平等」を前提とする近代における「部落問題」とは自ずから異なると考える。

三 授業の実際から

近世の身分制は、豊臣政権での兵農分離政策などで形成期を扱い、さらに幕藩体制成立の章で「村と百姓」「町と町人」に続いて「身分秩序」の項で扱った。本年は時間の都合上、2学期末考査をはさみ、考査前に江戸時代の身分秩序の全体像を、考査後にテーマ史的な形で前近代の被差別民について扱った。なお、「四民平等」「解放令」については学年末に明治維新の章で短時間扱った。
テーマ史として扱った理由は、社会問題としての部落問題を理解するには、細切れの授業では生徒の印象に残りにくく、一定のボリュームをもった方がよいと考えたからである。この内容を特殊化するのではというためらいもあったが、時間をかけ、時代の全体像にも目を向けながら、時代による違いをはっきりさせてて扱う方が定着しやすいと考えた。

(1)幕藩体制下の身分秩序について

「身分秩序」全般を扱った前半では、被差別身分にはあえて触れないことで、この身分を近世の身分構造の中に位置づけようと考えた。幕藩体制下、百姓は農村に住み、武士や町人・職人は城下町に住み、それぞれの身分に社会的な役割(「役」)と「特権」が与えられていた。さらにその中にも細かい階層があり、結婚や居住にも制約があった。こうした制約こそが幕藩体制下の身分秩序の本質であり、「えた」「非人」身分に限定されたものではなかった。さらに、士農工商に含まない身分が多くあったことを、教科書にもとづき説明した。
特に強調したのは、前近代の社会は身分を基礎とした社会であり、「人間の価値に違いがあって当然」の時代であり、「人間は平等」といった考えはとうてい許されなかった。「個人」は「家」に埋没していた。自由と平等、基本的人権といった近代とは全く異なる論理で動いていた時代であることを理解させたいと考えた。

(2)隅田川沿いの風景から

授業では、歴史上の出来事と現在を生きる自分たちとの距離感を近づけたいと考え、現在の話から始めたいと思っている。テーマ学習「部落問題前史」では、隅田川のほとりのブルーシートハウスの話から始めた。ホームレスの人たちがなぜここに住むようになったのか、住まいと「仕事」、独特の社会、周囲の「視線」や暴力、彼らの姿は、中世「非人」の姿を想起させる。彼らの姿とから、中世の被差別民を説明しはじめた。なお、この類推は、近世の「非人」の説明でも用いた。中世の「非人」と近世の「非人」、さらに今日のホームレス、似たようなメカニズムから生み出された人たちが、歴史上存在したこと、しかし歴史の制約を受けて違う形態をとることなどを考えさせたいと思った。

(3)中世の「被差別民」

現在のホームレスのような形で、流出した人々が、仕事と生活を求め、有力者の下に組織されたり、グループを作ったりしたという形で、中世の被差別民の成立を説明した。
惣村や町といった共同体の形成と、それに属さない集団との間の「距離感」の問題、当時の人々の「ケガレ」意識と結びついた差別意識などを指摘した。

(4)「かわた」「非人」「雑種賤民」

中世の被差別民の中で、なぜ「かわた」が近世の身分として固定・維持されていったのかを、その社会の中での役割に注目しながら説明した。「草場権」といった具体例にも触れて「頭」支配など百姓とは異なる原理で編成されていたこと、他方、「かわた」村が本村と枝村という形で地域社会に位置づけられていたことにも触れた。
「かわた」身分の人口増から、近代の「部落」を単純に投影させないようにした。
なお、先のホームレスの問題とかかわって「非人」身分の特徴を考えさせた。またその特質から「非人」がのちの「部落」にかかわることは少ないことも説明した。

(5)差別の拡大と解放をめざす動き

「えた」という賤称が定着されていくなど、江戸期中期以降に差別事象が増加、差別拡大政策が打ち出されてきたことを、経済の発展とそれにもとづく身分間の接触の拡大という側面から説明した。
他方、経済の発展と身分間の交流の拡大は、差別の不当さを感じさせたり、身分を超えた共通利害を認識させたり、共通のたたかいをつくりだす背景にもなったことも触れた。

(6)「解放令」と「部落問題」の成立

「解放令」によって、「穢多・非人」という身分が廃止され、形式的であっても「平等」を前提とする社会へ移行したとにもかかわらず、なぜ差別が残ったのか、を考えさせようとした。実態としての差別が残されたまま皮革生産といった身分的特権が消滅したため、封建的な「差別」と資本主義社会の「貧困」が結合したと説明、それが「部落問題」であり、前近代の身分差別は部落問題の「前史」であると説明した。あわせて、差別の背景にある近代日本の民衆が置かれた状態についても触れた。

五、おわりに

一昨年、久しぶりに日本史Bの授業を担当、本年になって山川の「詳説日本史B」を用い、驚くとともに、戸惑いをおぼえた。十五年戦争の授業などでは「権威ある」教科書を利用することで「楽」に授業できるようになった反面、「身分秩序」の叙述などは古いノートを反古にするような「革新的」な内容となっていたからだ。なかなか全体像がつかめず、「どのように説明するか」考えることも多かった。本稿は、塚田孝氏の近著などに学びながら、この難物を何とか咀嚼しようとした学習ノートでもある。
身分的周縁の研究など近世史研究の成果は著しいものがある。こうした成果を、目の前にいる生徒にどのように伝えるか、厳しいがやりがいのある仕事でもある。

※具体的にどのように授業をすすめるかという例ここをご覧ください

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