「罪なきもの、まず石を投げうて」

先に歴史を道徳に貶めてはならない!という文章をかきました。そして、次のように記しました。

現在、世界で過剰に「道徳」を歴史に持ち込む動きが広がっているように思います。
歴史上の人物について、人種差別主義者であったという面のみから捉えて彼らを全否定する動きです。コロンブスが、リー将軍が、チャーチルが、批判の対象として描き出されます。
ある人物を銅像にするということ自体が歴史を「道徳」として見ており問題があるのですが、逆に自分たちの視点だけから批判し、撤去をもとめることも気になります。
こうした動きを受け、映画「風と共に去りぬ」の配信が配信会社からいったんとめられました。しかし十分に注意を喚起した上で再配信するとのことです。こうした冷静な対応が必要だとおもいます。

もともとは韓国における反「親日派」キャンペーンへも疑問を呈する文章の中で、触れた内容です。こうしたキャンペーンとヨーロッパで起こっている銅像倒しがオーバーラップして仕方なかったのです。

「右派」として批判されそうですね。

個別の人種差別の「戦犯」探しをしながら銅像を倒しているひとたち、かれらには是非とも先住民を虐殺して建国したアメリカの「罪」、アメリカの「原罪」も問いかけてほしいとおもいます。
奴隷貿易を利用し、インドを犠牲にして産業革命を達成したイギリス資本主義の「原罪」をも問うてほしいと思います。

そして、それをもとに現在をどう考えべきなのか、歴史とどう向き合うべきと考えているのか、是非聞きたいと思います。

そうした視点は、アイヌモシリを奪った和人にも、アテルイを捕らえ、処刑したヤマトへの目ともオーバーラップしてきますね。

そうした歴史への「羞恥」をお互いにもたねばならないと思っています。

そもそも銅像なんてもの自体、人物に対する一方的な評価を押し付けるウザい存在なんだから、ぶっつぶせ!という態度、
これも嫌いではないけど、
「じゃ、立派な人っているの?」と、問い返したい気持ちが先にきてしまいます。
「立派な人の言ったことはすべて正しいの?」とも問いかけたくもなります。
かつて、朝日新聞が「空海の文章の中に差別的な表現がある」って、問題視したことを思い出しました。

「とにかく、歴史を、現在の価値観だけで一方的に非難するのは気に入らん」のです。
あかんたれの自己弁護なのかもしれません・・・。

先の文章は以下のようにまとめました。

私自身、歴史叙述において、善悪という道徳を語ることはときには必要だし、重要なことではあります。しかし「悪」として終わってしまえば、歴史叙述としては正しくないと思います。
歴史叙述には、悪や非道の中にも、客観的には歴史をすすめたことも認められるような、ある種のニヒリストの目が必要なように思っています。

ここに書いたニヒリズムを少しフォローしたいと思います。

私は、歴史を評価するとき、「汝らの中、罪なき者、まず石をなげうて」という聖書の言葉をつねに思います。

この言葉の前に来る部分は以下のようなものでした。

学者たちが、不倫の現場で捕らえられた女性をイエスのもとに連れてきて、イエスに一つの問いを投 げかけます。「こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはど うお考えになりますか。」と。

これに対するイエスの答えがこの言葉でした。

私たちの中に、私たちの歴史に、「罪なきものはいるのでしょうか」。

「石を打つ」ことによって、さらなる罪を得るのではないでしょうか

人類は歴史の中で犯して愚行や許しがたい行為、それを繰り返してきました。

昨日見ていたテレビでは、かつてヨーロッパで多くの黒猫が大量に虐殺された話を紹介していました。魔女裁判の一環でした。

歴史を学ぶものは、こうした「闇」そして「罪」を暗い目でジッと凝視しながら、その中にも輝くものを見つけだそうとする。そして、今生きているものが、再び愚行を繰り返したり、さらなる「悪」に陥ることに警告を発する。そうしたものが歴史の使命であるような気がするようになってきました。

わたしには「不幸な女性に対し石を投げつける」勇気はありません。

「石を投げつける」人に、「それでいいの?」とは、声をあげたいのです。

本編の「日露戦争への道(1)」を書き直しました。

「日露戦争」にかかわる4編を新版に変更します。(2020/06/21)

 

このたび、「授業中継」の日露戦争にかかわる四編をとりあえず、書き直すことにしました。本日(20/6/21)から、順次発表することとします。

日露戦争への道(1)へのリンクはここから。

この4編は、このサイトを開く以前の2015年12月、現役最後の冬休みに入ると同時に書き出したもので、ちょうど数週間前に行った授業をそのまま再現しようというつもりで書いたものです。新たに文献などにあたることもなく、授業でのノートや実際のやりとりをやや誇張しつつ書きました。
しかし、四年余の時間が経ち、大学で多くの講義を受け、文献にも当たる中で、不十分と思う部分も多く、妥当とは思えない記載もみられました。
司馬遼太郎の『坂の上の雲』に引っ張られていると苦笑する部分もありました。

一応、授業中継の全体がほぼ完成すると、やはりこの部分は書き直さねばと思っていました。しかし、他の興味などから着手できない状態が続きました。
そのようななか、このたび、縁あって協力させていただく「講座」で、「日露戦争」を扱う機会を得ることになり、この機会に全面的な書き換えをしたいと考えた次第です。

日露戦争研究は、ソ連の崩壊に伴いロシア側の史料が大量に公開されたこともあって、急速に研究が進んできた分野です。(申し訳ないことにこうした動向を授業に反映できていませんでした)和田春樹氏の研究(「日露戦争~起源と発生」)など新しい内容をできるだけ組み入れたつもりです。そのせいで、強い反発を受けるかも知れない内容ともなりましたが・・。

「朝鮮問題と日清戦争」についても、同様の機会をいただきました。「授業中継」本編の内容も、不十分という思いを強くもっていましたが、元の骨格を残し、大幅な書き直しですでに対応させていただきました。
なお、そのかわりといってはなんですが、研究ノート的な「朝鮮近代史」にかかわる文章を準備させていただいております。
「朝鮮近代史を考える」についての続編は・・ですが。

とりあえず日露戦争にかかわる4編について、準備でき次第、新稿と差し替えさせていただきます。さらに、日露戦争中の朝鮮にかかわる分は「朝鮮併合」のところで記述する予定ですので、これも早急に書き直さねばとおもっています。

ただ、研究の紹介と個々のエピソードを多く組み入れたため、本来の「授業中継」とはかけ離れたものとなっているのではとのご批判もあると思います。ただ授業、とくにアクティブラーニングなどでは、教師側の手持ちをできるだけ準備しておく必要があるとおもうので、こうした形になりました。そろその名称変更も必要かなとも考えています。

とはいえ、現場色満載で、思い入れの強い、しかし問題点だらけの「若気の至りの文章(といっても六〇歳の時に書いたものですが)も残しておきますので、あわせてご覧ください。

歴史を「道徳」に貶めてはならない

歴史を「道徳」に貶めてはならない

本日(20,6,18)の「東北アジア史」のオンライン授業が終了した。
本日の内容は皇民化政策、連合国による戦後構想など。
そのなかで、対日協力者の扱いの問題が触れられていた。
次の時間のテーマにつながるのかとおもいつつ、この点を意見質問欄に書き込んだ。今回はその内容に手を入れたものをアップした。

台湾人すべてが「対日協力者」とみなされた?

ありがとうございました。
「対日協力者の扱い」という点、考えれば考えるほどいろいろな課題がありそうですね。

林献堂 台湾の民族運動家・資産家。台湾の自治議会設立請願運動などをすすめていた。1945年4月貴族院議員となる。

台湾で、中華民国政府は対日協力者を処罰せず、逆に自治議会運動にかかわり最終的には貴族院議員として日本に協力した林献堂と、蒋介石が笑顔で握手しているのですから。林は対日協力者として意識されているのでしょうか、ある研究者は民族運動家という面だけで林を評価し、貴族院議員・対日協力者という点には触れられませんでしたが)

しかし、話を聞きながら逆のことを考えました。
国民党というか、外省人は台湾の人間すべてをトータルに「対日協力者」「敵」として扱っていたのではないかと。
中華民国の台湾獲得とは、敵(「日本」)から自領をとりもどすとともに、その対日協力者(「台湾人」)をトータルに統治から排除したようにも見えます。政治・行政機構はもちろん、国公営企業の経営からも排除し、「味方」である外省人が独占する。「差別」は容易です。外省人(大陸系中国人)と内省人(旧日本籍中国人)という確実に分離されたカテゴリーがあったからです。理由付けとして、中国語(北京語)の習熟度などを名目にしました。台湾人は北京語をしゃべれない「二等中国人」であり、もっといえば「敵性中国人」として扱われました。個々人の「対日協力者」は罪を問わない代わりに台湾人すべてが「対日協力者」とされたのでは、と思いました。

誰が「対日協力者」なのか?誰が決めるのか?

これにたいし、韓国の場合はどうでしょうか。
台湾のように全体を「対日協力者」としてトータルに捉えることは不可能です。そんなことをすれば、国外ないし獄中で抵抗をつづけている一部の運動家を除き、すべてがこのカテゴリーに含まれてしまうからです。

蔚山の市場の風景 https://11958787.at.webry.info/upload/detail/123260429466716215814.jpg.html

戦争中、多かれ少なかれすべての日本人が「戦争協力者」であったように、半島内で普通に生きていたほぼすべての朝鮮人(「朝鮮系「日本」人」)が、何らかの意味で「対日協力者」にならざるをえなかったからです。
税金を払い、法令を遵守し、子弟を学校に通わせ、警察などの命令にとりあえず従う。総督府の命令に耐えきれず、日本人風の名を名乗る・・・。

韓国では、個人のなかに対日協力者=「親日派」を捉えることになります。何らかの基準を設けて。
日本に協力して朝鮮人に被害を与えた、総督府の統治に能動的な協力をおこなった、軍や総督府と結んで不当な利益を得たなどなど。
しかし、現実に当てはめれば、ありとあらゆるグレーゾーンがでてくるでしょう。
帝国議会への参政権を求める運動は朝鮮を日本の一部であるという前提に立っています、この運動は「親日」なのでしょうか。植民地議会を求める運動も日本統治を前提としています。韓国が独立するための力量を得るために総督府の役人となった人物は役人になってからも朝鮮に工場を誘致することが利益になると考え努力したと主張します。ある歴史家は「親日」と一刀両断にしましたが、その判断でいいのでしょうか。自分が戦死することで韓国人の地位が向上されると心底からおもって特攻隊に志願した青年は「親日」なのでしょうか。

 問題は、だれが、どのような権限で、こうした判断をするのかということです。そしてともすれば自分は無謬であると自称する人によって、判断がなされがちなのです。

植民地支配が作り出した「闇」と、「特効薬」

朴正熙(1917~79)師範学校卒業後、日本陸軍士官学校卒業。満州に配属される。一時南労党(共産党)に入党。61年クーデターで権力掌握、63~79年大統領として独裁政権を樹立、79年、暗殺される。

台湾では台湾人(内省人)は多くの公的な仕事からトータルに排除されましたが、韓国ではこれまで日本人が行ってきた業務のほぼすべてを自分たちで運営する必要がありました。
その際、実際には総督府や日系企業のエリート韓国人=「対日協力者」に頼らざるを得ませんでした。
軍隊や警察も同様です。かつて取り締まる側にいた人間が取り締まられる側にいた人間が机をならべる事態もうまれました。かつての「親日派」が「親日派」を取り締まる法律を策定する、逮捕するといった事例もありました。
こうして多くの人が、濃淡の違いはあれ「闇」を抱えたまま戦後を生きることになりました。
「闇」を抱えた人が他の人の「闇」を告発する、こうした苦悩のなか韓国は歩き出しました。親日派の分別と、逮捕と処罰はそれほど簡単ではありませんでした。ときに「親日」派への糺弾と処罰は政治的思惑と結びつきました。

こうした「闇」を見えなくために、朴正熙政権が強調した「特効薬」が、新たな敵「アカ」でした。
共産主義の侵略と戦うということを表に建てることで、「親日」という過去は第二義的にできたのです。朴自身が「親日派」であるとともに「共産主義者」でもあったのですが。

絶対的「正義」と萎縮する人たち

共和国(「北朝鮮」)は少し事情が違うかも知れません。印象とすれば、台湾に似た面がありそうです。
絶対的な「正義」を背負った抗日運動の闘士が外から入ってきて、解放者であるソ連の力も借りて、日本と戦わないまま「解放」のときを迎えた積極的・消極的な「親日派」を統治する形です。

この構図は、戦後の日本における「戦争協力」「転向」という問題とも似ているようにおもいます。
戦争直後の日本で「抗日英雄」の位置にいたのは、「獄中非転向」の共産党員たちでした。積極的・消極的に戦争に協力した、させられた幾多の人びとにとって、戦争中も戦争反対を唱え説を曲げなかったかれらは輝ける存在でした。それが共産党の無謬神話を生み出しました。
しかし戦時下の抵抗で得られた賞讃と、かれらが「正義」を独占することとは別問題です。あるいは転向し、あるいは戦争に協力したこと自体、行為や弱さを批判されることはあっても、人格を全否定されたり、かつての行動をもとに、その後の行為自体を否定することは違うと思います。誠実な人に限って、こうした落とし穴に落ちたように思えます。

歴史を道徳に貶めてはならない

歴史を善悪二元論で判断することは極めて危険であり、それまでの行動が正しかったからといって、それを権威として正当化することは誤りです。
その愚は現在の共和国(「北朝鮮」)指導者の例を見れば明らかだと思います。
21世紀に入り、韓国の盧武鉉政権が「親日派」の摘発をすすめました。たしかに歴史の「闇」を掘り出すうえでは有効でしたが、そこにその人間が「善」か「悪」かという二元論的な判断が入りこむことによって、歴史を「道徳」に貶めてしまったように思います。
豊饒な歴史事象、善悪でくくりきれない人間の存在、善・悪が一体化してすすむ「近代」をこうした「道徳」で描きだすことは、干からびた歴史像しか提供できないでしょう。
かつて小田実が「巻き込まれながら、巻き返す」重要さを説いていました。歴史においては、こうした視点が必須だと思います。
歴史を儒教的、二元論的な「道徳」に貶めてはいけないと思います。

現在、世界で過剰に「道徳」を歴史に持ち込む動きが広がっているように思います。

リー将軍(1807~70)像 南北戦争における南部連合の軍司令官。アメリカ史上屈指の名将とされる。

歴史上の人物について、人種差別主義者であったという面のみから捉えて全否定する動きです。コロンブスが、リー将軍が、チャーチルが、批判の対象として描き出されます。
ある人物を銅像にするということ自体が歴史を「道徳」として見ており問題があるのですが、逆に自分たちの視点だけから批判し、撤去をもとめることも気になります。
こうした動きを受け、映画「風と共に去りぬ」の配信が配信会社からいったんとめられました。しかし十分に注意を喚起した上で再配信するとのことです。こうした冷静な対応が必要だとおもいます。

歴史叙述において、善悪という道徳を語ることはときには必要だし、重要なことではあります。しかし「悪」として終わってしまえば、歴史叙述としては正しくないと思います。
歴史叙述には、悪や非道の中にも、客観的には歴史をすすめたことも認められるような、ある種のニヒリストの目が必要なように思っています。

例によって、たいそうな物言いになってしまい申し訳ありません。
次回は戦後ですね、期待しています。

何でも死刑!台湾の匪徒刑罰令

今日は、朝から、自宅で大学の授業をネットで受講。

内地と外地の法律面での違いなど。
とくに台湾では、内地や近代国家ではとうてい信じられ程、無茶苦茶な法令が作られていた。
そのひとつに匪徒刑罰令がある。

この法律の内容や日本の植民地支配については以下の文章も参照してください。

http://jugyo-jh.com/nihonsi/日本史aの自習室/植民地の「文明化」と「『日本』化」~参政権問/

なんでも、かんでも死刑とされた。
軍や警察に逆らったものはもちろん、電信柱を傷つけても、野積みの食料、さらにワラを燃やしても、人を匿っても、場所を提供しても、飯を食わせてやっても死刑というのだから、驚く。
こまわり君ならギャグで済むが、実際に行われたのだから驚く。
この法律をつくったのは、児玉源太郎、後藤新平コンビ。

ちなみに後藤は1896〜1902年の間で捕縛もしくは護送の際抵抗せしめたため」5673人、「判決による死刑」2999人、「討伐隊の手に依るもの」3279人合計1万1951人を「殺戮」さらにその他、9000人を「帰順証交付」と呼び出し、一斉射撃で殺した。と講演会で、得意げに語っている。原田敬一「日清・日露戦争」(岩波新書)p102〜3

年号に注意してほしい。公的な台湾掃討戦は1895年のうちに終わっている(中国人兵士・住民の死者14000人)。したがってこの数字は、それ以後の、別の数字である。
こうした残虐行為ののちに、「親日国・台湾」が作られたのである。

本日の講師の先生曰く、台湾では抗日勢力が根絶やしにされたので日本統治は比較的平穏であった。
朝鮮ではそれが残ったし、逃げ場もあったし、人口も多かったから、抵抗運動が以後も激しく展開された。

以下、匪徒刑罰令の全文引用。

全文引用。

第一条 何等ノ目的ヲ問ハス暴行又ハ脅迫ヲ以テ其目的ヲ達スル為多衆結合スルヲ匪徒ノ罪ト為シ左ノ区別ニ従って処断ス
一 首魁及教唆者ハ死刑ニ処ス
二 謀議ニ参輿シ又ハ指揮ヲ為シタル者ハ死刑ニ処ス
三 附和随従シ又ハ雑役ニ服シタル者ハ有期徒刑又ハ重懲役ニ処ス
第二條 前條第三号ニ記載シタル匪徒左ノ所為アルトキハ死刑ニ処ス
一 官吏又ハ軍隊ニ抗敵シタルトキ
二 火ヲ放チ建造物汽車船舶橋梁ヲ焼燬シ若ハ毀壊シタルトキ
三 火ヲ放チ山林田野ノ竹木穀麦又ハ露積シタル柴草其他ノ物件ヲ焼燬シタルトキ
四 鉄道又ハ其標識灯台又ハ浮標ヲ毀壊シ汽車船舶往来ノ危険ヲ生セシメタルトキ
五 郵便電信及電話ノ用ニ供スル物件ヲ毀壊シ又ハ其他ノ方法ヲ以テ其交通ノ妨害ヲ生セシメタルトキ
六 人ヲ殺傷シ又ハ婦女ヲ強姦シタルトキ
七 人ヲ略取シ又ハ財物ヲ掠奪シタルトキ
第三條 前條ノ罪ハ未遂犯罪ノ時ニ於テ仍本刑ヲ科ス
第四條 兵器弾薬船舶金穀其他ノ物件ヲ資給シ若ハ会合ノ場所ヲ給与シ又ハ其他ノ行為ヲ以テ匪徒ヲ幇助シタル者ハ死刑又ハ無期徒刑ニ処ス
第五條 匪徒ヲ蔵匿シ又ハ隠避セシメ又ハ匪徒ノ罪ヲ免カレシムルコトヲ図リタル者ハ有期徒刑又ハ重懲役ニ処ス
第六條 本令ノ罪ヲ犯シタル者官ニ自首シタルトキハ情状ニ依リ其刑ヲ軽減シ又ハ全免ス
本刑ヲ免シタルトキハ五年以下ノ監視ニ附ス
第七條 本令ニ於テ罰スヘキ所為ハ其本令施行前ニ係ルモノモ仍本令ニ依テ之ヲ処断ス
附 則

本令ハ発布ノ日ヨリ施行ス

「自治議会開設」運動と「参政権請願」運動

今日(20/6/11)の東北アジア史のオンライン授業がおわりました。
一つは三・一運動にさいしてだされた「独立宣言」文の格調高さです。これは別の場所に投稿しました。

いま一つは、朝鮮における民族運動を「独立運動(武装闘争・外交論・実力養成)」「自治議会開設運動」「参政権請願運動」と3類型に分けるやりかたです。

韓国の「革新」派や共和国の見解からすれば、「独立運動」のうちの武装闘争と外交論以外は「親日派」としてバッサリやられかねませんが、抵抗運動(民族運動とすれば落としてしまうものも出てきそうな気がする・・)としてトータルに捉え、問題性をも含めつつ捉えていくことが重要だと思います。

そのなかで、「自治議会開設運動」「参政権請願運動」の二つの運動のことが気になりました。このふたつは日本帝国内のの、対植民地政策の二つの潮流に対応しているだけでなく、朝鮮の近代化、さらには琉球王国・日本をも含む「植民地的近代化」を余儀なくされた人びとの近代化にも共通する二つの課題とかかわると考えたからです。昔ながらの言い方をすると「反侵略」と「反封建」という二つの課題です。

<以下は感想・意見欄に書いた文章の一部です>
この二つの民族運動のありかたは、「朝鮮の近代化」(実は「植民地的近代」を歩むそれぞれの地全体というべきかも知れませんが)において、一方では対外侵略(ここでは日本)といかにたたかうかという「反侵略」の課題があると共に、他方で旧来の支配者(ここでは李朝)がおこなってきた前近代的な支配(「苛斂誅求」)に対する抵抗運動(昔の言い方では「反封建」の課題)に対応しているように思えるのです。
自治議会論は前者の「反侵略」に見られる民族主義に、参政権請願論は「反封建」のながれを引いた権利拡大の流れに対応しているのではないかと考えました。
同時にこの二つは、日本側の特別統治論と内治延長主義にも対応しており、特別統治論は総督府の独裁的な権限の維持を図るものですが、結果として朝鮮の独自性を強調することで朝鮮民族の独自性を認め自治議会論の議論につながります。
他方、参政権請願論は李朝以来の民衆の無権利状態を、完全な「日本臣民」になることによって日本臣民並みの権利を獲得しようとするもののようにも見えます。それは政党などの内治延長主義の具体化であったことは明らかでしょう。
こうして考えれば、この二つの潮流は日本を含めて「植民地的近代化」を余儀なくされた諸民族の二つの課題に即したものであったようにおもわれました。
どちらの議論も日本帝国からすれば受け入れがたいものであったことには変わりなかったと思います。

三・一運動における「独立宣言書」

今日(20/6/11)の東北アジア史のオンライン授業がおわりました。本日の授業のなかで、興味深く聞いた内容は三・一運動にさいしてだされた「独立宣言」文の格調高さです。
李朝末期の歴史をまとめていて、やるせなく悲しい気持ちにとらわれていたなか、独立宣言書の内容に目をみはりました。

授業後の感想・意見欄の一部を引用したあと、独立宣言書の口語訳・現代語訳を二種類引用しておきます。(<>で区切った文は歴史学研究会編「世界史史料」の中略部です)

*****

<感想・意見欄>

ありがとうございました。
恥ずかしながら、三・一運動の独立宣言文、はじめてじっくりと読みました。19世紀段階とくに衛正斥邪思想中心の「かなしい」状態に対し、この文書の質の高さ、国際性や時代性を感じます。こうした思想が19世紀段階で広がっていたらと妄想したりしました。この文章には、「5000年の歴史」という辺りを除いては「小中華」的な意識が見えないのですが、それは日本や世界にアピールするための配慮とみるべきでしょうか、儒者が参加していないメンバーとのかかわりなのでしょうか。
また起草者のなかに、朝鮮(韓国)の政治文化をリードし、ある意味、イデオロギー的には以後にも影響を与え続けたとおもわれる衛正斥邪派の姿(私の勝手な思い込みかも知れませんが)が見えないのですが、かれらはどうしていたのでしょうか。また独立宣言「文」をどのように見たのでしょうか。義兵運動で壊滅、ないし国外での闘争に移行したのでしょうか。前にレポートした任文恒の父親のように隠遁と儒教的行事に沈潜していたのでしょうか。
(以下、略)

*****

wikisourceによる口語訳

宣 言 書

我らはここに我朝鮮が独立国であることと朝鮮人が自主民であることを宣言する。これをもって世界万国に告げ人類平等の大義を克明にし、これをもって子孫万代に教え民族自存の正当な権利を永久に保有させる。半万年歴史の権威によってこれを宣言し、二千万民衆の誠忠を合わせてこれを布明し、民族の恒久一の如き自由発展のためにこれを主張し、人類的良心の発露に基因する世界改造の大機運に順応併進するためにこれを提起するものである。これは天の明命、時代の大勢、全人類共存同生権の正当な発動であり、天下何者といえどもこれを阻止抑制することはできない。

旧時代の遺物としての侵略主義、強権主義の犠牲となり有史以来数千年で初めて異民族に束縛される痛苦を嘗めてからここに十年が過ぎた。我が生存権が剥喪されたのはどれほどか、心霊上発展が障礙されたのはどれほどか、民族的尊栄が毀損されたのはどれほどか。新鋭と独創によって世界文化の大潮流に寄与、補裨できる機縁をわれらはどれほど遺失したであろうか。

<噫旧来の抑欝を宣暢しようとすれば、時下の苦痛を擺脱しようとすれば、将来の脅威を芟除しようとすれば、民族的良心と国家的廉義の圧縮銷残を興奮伸張しようとすれば、各個人格の正当な発達を遂げようとすれば、可憐なる子弟に苦恥的財産を遺与しないようにするならば、子々孫々の永久完全なる慶福を導迎しようとすれば、最大急務は民族的独立を確実にすることである。二千万各個人が方寸の刃を懐にし、人類の通性と時代の良心が正義の軍と人道の干戈とで護援する今日、我が進んで勝ち取るのにどんな強さが挫かせられるだろうか、退いて作すのに何の志が展するだろうか。
丙子修好條規以来時々種々の金石盟約を食んだとして、日本の信の無さを罪しようとするものではない。学者は講壇で、政治家は実際で我が祖宗世業を植民地視し、我が文化民族を土昧人遇し、ただ征服者の快を貪るだけで、我が久遠の社会基礎と卓越する民族心理を無視するものとして、日本の義の少なさを責めようとするものではない。自己を策励することに急ぐ我は他を怨尤する暇はない。現在を綢繆することに急ぐ我は宿昔を懲弁する暇はない。今日我の所任はただ自己の建設にあるだけで、決して他を破壊することにあるのではない。厳粛な良心の命令によって自家の新運命を開拓しようとするものであり、決して旧怨や一時的感情によって他を嫉逐排斥するものではない。旧思想、旧勢力に覇靡されている日本為政者の功名的犠牲である不自然で不合理な錯誤状態を改善匡正して、自然で合理な政経の大原に帰還させようとするものである。>

当初民族的要求に出されない両国併合の結果が、畢竟姑息的威圧と差別的不平と統計数字上虚飾の下で利害相反する両民族間に永遠に和同することのできない怨溝を去益深造させた今来実積をみよ。勇明果敢をもって旧誤を廓正し真正な理解と同情とを基本とする友好的新局面を打開することが、彼と我が間の遠禍召福の近道であることを明知すべきではないだろうか。二千万含憤蓄怨の民を威力で拘束することは東洋の永久の平和を保障する理由にならないだけでなく、これによって東洋安危の主軸としての四億万中国人の日本に対する危懼と猜疑を濃厚にし、その結果として東洋全局の共倒同亡の悲運を招致することは明らかである。今日我の朝鮮独立は朝鮮人に正当な生栄を遂げさせると同時に、日本を邪路から出て東洋支持者としての重責を全うさせ、中国に夢にも逃れられない不安恐怖から脱出させ、東洋平和に重要なる一部をなす世界平和、人類幸福に必要な階段とさせるものである。これがどうして区々たる感情上の問題なのであろうか。

<ああ新天地は眼前に展開された。威力の時代は去って道義の時代が来た。過去全世紀に錬磨長養させられた人道的精神は、今や新文明の曙光を人類の歴史に投射し始めた。新春は世界に来て万物の回蘇を催促しつつある。凍氷寒雪に呼吸を閉蟄したのも一時の勢いとすれば和風暖陽の気脈を振舒するのも一時の勢いであり、天地の復運に際し世界の変潮に乗じた我はなんらの躊躇なく、なんら忌憚することもない。我に固有の自由権を護全し生旺の楽を飽享し、我に自足の独創力を発揮し春満てる大界に民族的精華を結紐すべきである。>

我らはここに奮起した。良心は我と同存し、真理は我と併進する。老若男女は陰欝な古巣から活発に起来して、万彙群象とともに欣快な復活を成し遂げる。千百世祖霊は我らを陰佑し、全世界気運は我らを外護する。着手はすなわち成功であり、前頭の光明に驀進するのみである。

公 約 三 章

一、今日我らのこの行動は正義、人道、生存、尊栄のための民族的要求であり、自由的精神を発揮するものであり、決して排他的感情に逸走してはならない

<一、最後の一人まで、最後の一時まで民族の正当な意思を快く発表せよ
一、一切の行動は秩序を最も尊重し、我の主張と態度をあくまで光明正大とすること>

朝鮮建国四千二百五十二年三月一日 朝鮮民族代表
孫秉熙   吉善宙   李弼柱   白龍城   金完圭
金秉祚   金昌俊   權東鎭   權秉悳   羅龍煥
羅仁協   梁甸伯   梁滿默   劉如大   李甲成
李明龍   李昇薫   李鍾勳   李鍾一   林禮煥
朴準承   朴熙道   朴東完   申洪植   申錫九
呉世昌   呉華英   鄭春洙   崔聖模   崔 麟
韓龍雲   洪秉箕   洪基兆 >

*****
3・1朝鮮独立運動100周年キャンペーンによる現代語訳

宣言書

わたしたちは、わたしたちの国である朝鮮国が独立国であること、また朝鮮人が自由な民であることを宣言する。このことを世界の人びとに伝え、人類が平等であるということの大切さを明らかにし、後々までこのことを教え、民族が自分たちで自分のことを決めていくという当たり前の権利を持ち続けようとする。
5000年の歴史を持つわたしたちは、このことを宣言し、2000万人の一人ひとりがこころを一つにして、これから永遠に続いていくであろう、わたしたち民族の自由な発展のために、そのことを訴える。そのことは、いま、世界の人びとが、正しいと考えていることに向けて世の中を変えようとしている動きのなかで、いっしょにそれを進めるための訴えでもある。
このことは、天の命令であり、時代の動きにしたがうものである。また、すべての人類がともに生きていく権利のための活動でもある。たとえ神であっても、これをやめさせることはできない。
わたしたち朝鮮人は、もう遅れた思想となっていたはずの侵略主義や強権主義の犠牲となって、初めて異民族の支配を受けることとなった。自由が認められない苦しみを味わい、10年が過ぎた。支配者たちはわたしたちの生きる権利をさまざまな形で奪った。そのことは、わたしたちのこころを苦しめ、文化や芸術の発展をたいへん妨げた。民族として誇りに思い大切にしていたこと、栄えある輝きを徹底して破壊し、痛めつけた。そのようななかで、わたしたちは世界の文化に貢献することもできないようになってしまった。

<これまで押さえつけられて表に出せなかったこの思いを世界の人びとに知らせ、現在の苦しみから脱して、これからの危険や恐れを取り除くためには、押しつぶされて消えてしまった、民族として大切にして来た心と、国家としての正しいあり方を再びふるい起こし、一人ひとりがそれぞれ人間として正しく成長していかなければならない。
次世代を担う若者に、いまの状況をそのままとしていくことはできないものであり、わたしたちの子どもや孫たちが幸せに暮らせるようにするためには、まず、民族の独立をしっかりとしたものにしなければならない。2000万人が固い決意を相手と闘う道具とし、人類がみな正しいと考え大切にしていること、そして、時代を進めようとするこころをもって正義の軍隊とし、人道を武器として、身を守り、進んでいけば、強大な権力に負けることはないし、どんな難しい目標であってもなしとげられないわけはない。
日本は、朝鮮との開国の条約を丙子年・1876年に結び、その後も様々な条約を結んだが、〔朝鮮を自主独立の国にするという約束は守られず〕そこに書かれた約束を破ってきた。
しかし、そのことをわたしたちは、いま非難しようとは思わない。日本の学者たちは学校の授業で、政治家は会議や交渉の際に、わたしたちが先祖代々受け継ぎ行なってきた仕事や生活を遅れたものとみなして、わたしたちのことを、文化を持たない民族のように扱おうとしている。彼ら日本人は征服者の位置にいることを楽しみ喜んでいる。
わたしたちは、わたしたちが作り上げてきた社会の基礎と、引き継いできた民族の大切な歴史や文化の財産とを、彼ら日本人が馬鹿にして見下しているからといって、そのことを責めようとはしない。わたしたちは、自分たち自身をはげまし、立派にしていこうとしていて、そのことを急いでいるので、ほかの人のことをあれこれ恨む暇はない。いまこの時を大切にして急いでいるわたしたちは、かつての過ちをあれこれ問題にして批判する暇はない。
いま、わたしたちが行なわなければならないのは、よりよい自分を作り上げていくことだけである。他人を怖がらせたり、攻撃したりするのではなしに、自ら信じるところにしたがって、わたしたちは自分たち自身の新しい運命を切り開こうとするのである。決して昔の恨みや、一時的な感情で、ほかの人のことをねたんだり、追い出そうとしたりするわけではない。
古い考え方を持つ古い人びとが力を握って、そのもとで手柄を立てようとした日本の政治家たちのために、犠牲となってしまった、現在の不自然で道理にかなっていないあり方をもとにもどして、自然で合理的な政治のあり方にしようとするということである。>

もともと、日本と韓国(注・大韓帝国)との併合は、民族が望むものとして行なわれたわけではない。その結果、威圧的で、差別・不平等な政治が行なわれている。支配者はいいかげんなごまかしの統計数字を持ち出して自分たちが行なう支配が立派であるかのようにいっている。
しかしそれらのことは、二つの民族の間に深い溝を作ってしまい、互いに反発を強めて、仲良く付き合うことができないようにしている、というのが現在の状況である。きっぱりと、これまでの間違った政治をやめ、正しい理解と心の触れあいに基づいた、新しい友好の関係を作り出していくことが、わたしたちと彼らとの不幸な関係をなくし、幸せをつかむ近道であるということを、はっきり認めなければならない。

また、怒りと不満をもっている、2000万の人びとを、力でおどして押さえつけることでは、東アジアの永遠の平和は保証されないし、それどころか、東アジアを安定させる際に中心になるはずの中国人の間で、日本人への恐れや疑いをますます強めるであろう。

その結果、東アジアの国々は共倒れとなり、滅亡してしまうという悲しい運命をたどることになろう。いま、わが朝鮮を独立させることは、朝鮮人が当然、得られるはずの繁栄を得るというだけではなく、そうしてはならないはずの政治を行ない、道義を見失った日本を正しい道に戻して、東アジアをささえるために役割を果たさせようとするものであり、同時に、そのことで中国が感じている不安や恐怖をなくさせようとするためのものである。つまり、朝鮮の独立はつまらない感情の問題として求めているわけではないのである。

<ああ、いま目の前には、新たな世界が開かれようとしている。武力をもって人びとを押さえつける時代はもう終わりである。過去のすべての歴史のなかで、磨かれ、大切に育てられてきた人間を大切にする精神は、まさに新しい文明の希望の光として、人類の歴史を照らすことになる。

新しい春が世界にめぐってきたのであり、すべてのものがよみがえるのである。酷く寒いなかで、息もせずに土の中に閉じこもるという時期もあるが、再び暖かな春風が、お互いをつなげていく時期がくることもある。いま、世の中は再び、そうした時代を開きつつある。

そのような世界の変化の動きに合わせて進んでいこうとしているわたしたちは、そうであるからこそ、ためらうことなく自由のための権利を守り、生きる楽しみを受け入れよう。そして、われわれがすでにもっている、知恵や工夫の力を発揮して、広い世界にわたしたちの優れた民族的な個性を花開かせよう。>

わたしたちはここに奮い立つ。良心はわれわれとともに進んでいる。老人も若者も男も女も、暗い気持ちを捨てて、この世の中に生きているすべてのものとともに、喜びを再びよみがえらせそう。

先祖たちの魂はわたしたちのことを密かに助けてくれているし、全世界の動きはわたしたちを外側で守っている。実行することはもうすでに成功なのである。わたしたちは、ただひたすら前に見える光に向かって、進むだけでよいのである。

公約三章

一、今日われわれのこの拳は、正義、人道、生存、身分が保障され、栄えていくための民族的要求、すなわち自由の精神を発揮するものであって、決して排他的感情にそれてはならない。

<一、最後の一人まで、最後の一刻まで、民族の正当なる意志をこころよく主張せよ。

一、一切の行動はもっとも秩序を尊重し、われわれの主張と態度をしてあくまで公明正大にせよ。>

朝鮮建国四千二百五十二年三月一日

朝鮮民族代表

<孫秉煕 吉全宙 李弼柱 白龍城 金完圭 金秉祚
金昌俊 權東鎮 權秉悳 羅龍煥 羅仁協 梁甸伯
梁漢默 劉如大 李甲成 李明龍 李昇薰 李鍾勳
李鍾一 林礼煥 朴準承 朴煕道 朴東完 申洪植
申錫九 呉世昌 呉華英 鄭春洙 崔聖模 崔麟
韓龍雲 洪秉箕 洪基兆>

現代語訳/3・1朝鮮独立運動100周年キャンペーン
※『週刊金曜日』第1221号(2019年2月22日)より転載。

3・1運動の「宣言書」の現代日本語訳の意義・東アジアの平和、人権、民主宣言~外村大・東京大学大学院教授による解説

「国籍」法、そして朝鮮の「反日」と台湾の「親日」

今日は、朝から大学のオンライン授業をうけた。

前半は「国籍」と「地域籍」の問題。戦前の日本帝国においては「日本人」の中に、「内地人」「朝鮮人」「台湾人」がいたという話。なぜ国籍法は台湾人には適用され、朝鮮人には適用されなかったのかなど。そして帝国崩壊後は、その国籍はどのように扱われたのか、現在の在日の人にとって「韓国」籍は国籍であるが、「朝鮮」籍は戦前の「地域籍」としての「朝鮮」籍が残っているだけで、法的には「無国籍」としての扱いであって、決して北朝鮮籍という意味ではないということなど。

ちなみに現在の国籍でいえば「韓国籍」は45万人、「朝鮮籍」は3万人。その背景にあった1984年の「国籍法」改正によって、日韓両国の夫婦から生まれた子どもが成人まで二重国籍をもつことが可能になったことも大きいなど。
後半は、現在の台湾は「親日」といわれ、韓国は「反日」といわれるのか、理由について両者を,植民地以前、植民地統治、植民地統治からの解放後、の三つの時期に分け考えるという中身。
ちなみに、台湾の親日と韓国の反日にかかわる問題については、以下のような文章を、やはりこの先生の授業のレポートとして書いたことがある。
http://jugyo-jh.com/…/%e6%a4%8d%e6%b0%91%e5%9c%b0%e3%81%ae…/

以下は、受講後の小テストの感想欄に書いた文章を加筆、訂正した文章です。

ありがとうございました。よく論点を整理した内容で、いずれの内容も非常に興味深く聞かせていただきました。

私が高校で人権担当をしていた40年前は在日65万人といっていましたが、現在は48万人なのですね。韓国籍と朝鮮籍の人口の割合の変化は80年代から教師を勤めていたものとしては驚異的です。当時はほぼ同数だったと思います。朴政権末期でした。国籍法の問題やパスポートの問題とともに、朴政権崩壊以降の、韓国の民主化の進展(当初はジグザグの動きでしたが)と次第に明らかになってきた北朝鮮のヤミの部分、それに対応した日本での組織の問題などがこうした結果の一因のように感じました。

朴政権下、日本においてもその余波が問題を引き起こしていました。大学時代、友人の友人である在日の学生が「KCIAからマークされている」といっていましたし、大学構内には「キムジハの死刑判決糺弾」という立て看板があふれていました。(学生運動の激しい大学でした)。
共和国の実態はまだ十分に知られていず、朴政権との関わりでまだましなようには見えていました。(実際にはこの時期に拉致事件が頻発していたのですが。)とはいえ共和国も個人崇拝などもなんか変だという感覚も生まれつつありました。「双方」とも「双方」だったため、暗然たる思いをもちつつ韓国の民主化をたたかっているひと(当時のシンボルとしてはキムジハや金大中など)にエールを送っていた記憶があります。

さらに以前、戦前の韓国で発生していたような両国の生徒の暴力事件、「不良同士の喧嘩」が日本の中学生のまわりでも頻発していたことをあとになって知りました。思い出してみると、私が通学していた中学校前に民族学校の生徒がやってきて、先生方が対応のためにばたばたしていたことを思い出します。まさに「パッチギ!」の世界だったのです。なお、私はこの映画の主人公よりやや若い世代です。

台湾の親日と朝鮮の反日の比較、表にしていただいたおかげでよくわかりました。客観的に捉えらることができてありがたかったです。ただ「外国の支配」にたいし、朝鮮は「なし」とされています。「それでいいんだけど、それでいいのかな?」という微妙な感覚があります。朝鮮にとっての清との宗属関係をどう評価すべきなのか、この宗属関係が逆に朝鮮を「小中華」としてのかたくなな方向に向かわせたようにも感じるのですが。
なお、韓国の反日運動のの背景に、この小中華→衛正斥邪思想な感覚の流れを感じることもあります。こうした人たちからすると、先生が「民族運動の主な形態」のなかに加えられた「実力養成運動」は「親日」的で反民族運動と評価されるのだろうなと感じました。

今日の講義では、本当にいろいろと多くの事を考えさせていただきました。ありがとうございました。