「同時代史」カテゴリーアーカイブ

歴史を「道徳」に貶めてはならない

歴史を「道徳」に貶めてはならない

本日(20,6,18)の「東北アジア史」のオンライン授業が終了した。
本日の内容は皇民化政策、連合国による戦後構想など。
そのなかで、対日協力者の扱いの問題が触れられていた。
次の時間のテーマにつながるのかとおもいつつ、この点を意見質問欄に書き込んだ。今回はその内容に手を入れたものをアップした。

台湾人すべてが「対日協力者」とみなされた?

ありがとうございました。
「対日協力者の扱い」という点、考えれば考えるほどいろいろな課題がありそうですね。

林献堂 台湾の民族運動家・資産家。台湾の自治議会設立請願運動などをすすめていた。1945年4月貴族院議員となる。

台湾で、中華民国政府は対日協力者を処罰せず、逆に自治議会運動にかかわり最終的には貴族院議員として日本に協力した林献堂と、蒋介石が笑顔で握手しているのですから。林は対日協力者として意識されているのでしょうか、ある研究者は民族運動家という面だけで林を評価し、貴族院議員・対日協力者という点には触れられませんでしたが)

しかし、話を聞きながら逆のことを考えました。
国民党というか、外省人は台湾の人間すべてをトータルに「対日協力者」「敵」として扱っていたのではないかと。
中華民国の台湾獲得とは、敵(「日本」)から自領をとりもどすとともに、その対日協力者(「台湾人」)をトータルに統治から排除したようにも見えます。政治・行政機構はもちろん、国公営企業の経営からも排除し、「味方」である外省人が独占する。「差別」は容易です。外省人(大陸系中国人)と内省人(旧日本籍中国人)という確実に分離されたカテゴリーがあったからです。理由付けとして、中国語(北京語)の習熟度などを名目にしました。台湾人は北京語をしゃべれない「二等中国人」であり、もっといえば「敵性中国人」として扱われました。個々人の「対日協力者」は罪を問わない代わりに台湾人すべてが「対日協力者」とされたのでは、と思いました。

誰が「対日協力者」なのか?誰が決めるのか?

これにたいし、韓国の場合はどうでしょうか。
台湾のように全体を「対日協力者」としてトータルに捉えることは不可能です。そんなことをすれば、国外ないし獄中で抵抗をつづけている一部の運動家を除き、すべてがこのカテゴリーに含まれてしまうからです。

蔚山の市場の風景 https://11958787.at.webry.info/upload/detail/123260429466716215814.jpg.html

戦争中、多かれ少なかれすべての日本人が「戦争協力者」であったように、半島内で普通に生きていたほぼすべての朝鮮人(「朝鮮系「日本」人」)が、何らかの意味で「対日協力者」にならざるをえなかったからです。
税金を払い、法令を遵守し、子弟を学校に通わせ、警察などの命令にとりあえず従う。総督府の命令に耐えきれず、日本人風の名を名乗る・・・。

韓国では、個人のなかに対日協力者=「親日派」を捉えることになります。何らかの基準を設けて。
日本に協力して朝鮮人に被害を与えた、総督府の統治に能動的な協力をおこなった、軍や総督府と結んで不当な利益を得たなどなど。
しかし、現実に当てはめれば、ありとあらゆるグレーゾーンがでてくるでしょう。
帝国議会への参政権を求める運動は朝鮮を日本の一部であるという前提に立っています、この運動は「親日」なのでしょうか。植民地議会を求める運動も日本統治を前提としています。韓国が独立するための力量を得るために総督府の役人となった人物は役人になってからも朝鮮に工場を誘致することが利益になると考え努力したと主張します。ある歴史家は「親日」と一刀両断にしましたが、その判断でいいのでしょうか。自分が戦死することで韓国人の地位が向上されると心底からおもって特攻隊に志願した青年は「親日」なのでしょうか。

 問題は、だれが、どのような権限で、こうした判断をするのかということです。そしてともすれば自分は無謬であると自称する人によって、判断がなされがちなのです。

植民地支配が作り出した「闇」と、「特効薬」

朴正熙(1917~79)師範学校卒業後、日本陸軍士官学校卒業。満州に配属される。一時南労党(共産党)に入党。61年クーデターで権力掌握、63~79年大統領として独裁政権を樹立、79年、暗殺される。

台湾では台湾人(内省人)は多くの公的な仕事からトータルに排除されましたが、韓国ではこれまで日本人が行ってきた業務のほぼすべてを自分たちで運営する必要がありました。
その際、実際には総督府や日系企業のエリート韓国人=「対日協力者」に頼らざるを得ませんでした。
軍隊や警察も同様です。かつて取り締まる側にいた人間が取り締まられる側にいた人間が机をならべる事態もうまれました。かつての「親日派」が「親日派」を取り締まる法律を策定する、逮捕するといった事例もありました。
こうして多くの人が、濃淡の違いはあれ「闇」を抱えたまま戦後を生きることになりました。
「闇」を抱えた人が他の人の「闇」を告発する、こうした苦悩のなか韓国は歩き出しました。親日派の分別と、逮捕と処罰はそれほど簡単ではありませんでした。ときに「親日」派への糺弾と処罰は政治的思惑と結びつきました。

こうした「闇」を見えなくために、朴正熙政権が強調した「特効薬」が、新たな敵「アカ」でした。
共産主義の侵略と戦うということを表に建てることで、「親日」という過去は第二義的にできたのです。朴自身が「親日派」であるとともに「共産主義者」でもあったのですが。

絶対的「正義」と萎縮する人たち

共和国(「北朝鮮」)は少し事情が違うかも知れません。印象とすれば、台湾に似た面がありそうです。
絶対的な「正義」を背負った抗日運動の闘士が外から入ってきて、解放者であるソ連の力も借りて、日本と戦わないまま「解放」のときを迎えた積極的・消極的な「親日派」を統治する形です。

この構図は、戦後の日本における「戦争協力」「転向」という問題とも似ているようにおもいます。
戦争直後の日本で「抗日英雄」の位置にいたのは、「獄中非転向」の共産党員たちでした。積極的・消極的に戦争に協力した、させられた幾多の人びとにとって、戦争中も戦争反対を唱え説を曲げなかったかれらは輝ける存在でした。それが共産党の無謬神話を生み出しました。
しかし戦時下の抵抗で得られた賞讃と、かれらが「正義」を独占することとは別問題です。あるいは転向し、あるいは戦争に協力したこと自体、行為や弱さを批判されることはあっても、人格を全否定されたり、かつての行動をもとに、その後の行為自体を否定することは違うと思います。誠実な人に限って、こうした落とし穴に落ちたように思えます。

歴史を道徳に貶めてはならない

歴史を善悪二元論で判断することは極めて危険であり、それまでの行動が正しかったからといって、それを権威として正当化することは誤りです。
その愚は現在の共和国(「北朝鮮」)指導者の例を見れば明らかだと思います。
21世紀に入り、韓国の盧武鉉政権が「親日派」の摘発をすすめました。たしかに歴史の「闇」を掘り出すうえでは有効でしたが、そこにその人間が「善」か「悪」かという二元論的な判断が入りこむことによって、歴史を「道徳」に貶めてしまったように思います。
豊饒な歴史事象、善悪でくくりきれない人間の存在、善・悪が一体化してすすむ「近代」をこうした「道徳」で描きだすことは、干からびた歴史像しか提供できないでしょう。
かつて小田実が「巻き込まれながら、巻き返す」重要さを説いていました。歴史においては、こうした視点が必須だと思います。
歴史を儒教的、二元論的な「道徳」に貶めてはいけないと思います。

現在、世界で過剰に「道徳」を歴史に持ち込む動きが広がっているように思います。

リー将軍(1807~70)像 南北戦争における南部連合の軍司令官。アメリカ史上屈指の名将とされる。

歴史上の人物について、人種差別主義者であったという面のみから捉えて全否定する動きです。コロンブスが、リー将軍が、チャーチルが、批判の対象として描き出されます。
ある人物を銅像にするということ自体が歴史を「道徳」として見ており問題があるのですが、逆に自分たちの視点だけから批判し、撤去をもとめることも気になります。
こうした動きを受け、映画「風と共に去りぬ」の配信が配信会社からいったんとめられました。しかし十分に注意を喚起した上で再配信するとのことです。こうした冷静な対応が必要だとおもいます。

歴史叙述において、善悪という道徳を語ることはときには必要だし、重要なことではあります。しかし「悪」として終わってしまえば、歴史叙述としては正しくないと思います。
歴史叙述には、悪や非道の中にも、客観的には歴史をすすめたことも認められるような、ある種のニヒリストの目が必要なように思っています。

例によって、たいそうな物言いになってしまい申し訳ありません。
次回は戦後ですね、期待しています。

「国籍」法、そして朝鮮の「反日」と台湾の「親日」

今日は、朝から大学のオンライン授業をうけた。

前半は「国籍」と「地域籍」の問題。戦前の日本帝国においては「日本人」の中に、「内地人」「朝鮮人」「台湾人」がいたという話。なぜ国籍法は台湾人には適用され、朝鮮人には適用されなかったのかなど。そして帝国崩壊後は、その国籍はどのように扱われたのか、現在の在日の人にとって「韓国」籍は国籍であるが、「朝鮮」籍は戦前の「地域籍」としての「朝鮮」籍が残っているだけで、法的には「無国籍」としての扱いであって、決して北朝鮮籍という意味ではないということなど。

ちなみに現在の国籍でいえば「韓国籍」は45万人、「朝鮮籍」は3万人。その背景にあった1984年の「国籍法」改正によって、日韓両国の夫婦から生まれた子どもが成人まで二重国籍をもつことが可能になったことも大きいなど。
後半は、現在の台湾は「親日」といわれ、韓国は「反日」といわれるのか、理由について両者を,植民地以前、植民地統治、植民地統治からの解放後、の三つの時期に分け考えるという中身。
ちなみに、台湾の親日と韓国の反日にかかわる問題については、以下のような文章を、やはりこの先生の授業のレポートとして書いたことがある。
http://jugyo-jh.com/…/%e6%a4%8d%e6%b0%91%e5%9c%b0%e3%81%ae…/

以下は、受講後の小テストの感想欄に書いた文章を加筆、訂正した文章です。

ありがとうございました。よく論点を整理した内容で、いずれの内容も非常に興味深く聞かせていただきました。

私が高校で人権担当をしていた40年前は在日65万人といっていましたが、現在は48万人なのですね。韓国籍と朝鮮籍の人口の割合の変化は80年代から教師を勤めていたものとしては驚異的です。当時はほぼ同数だったと思います。朴政権末期でした。国籍法の問題やパスポートの問題とともに、朴政権崩壊以降の、韓国の民主化の進展(当初はジグザグの動きでしたが)と次第に明らかになってきた北朝鮮のヤミの部分、それに対応した日本での組織の問題などがこうした結果の一因のように感じました。

朴政権下、日本においてもその余波が問題を引き起こしていました。大学時代、友人の友人である在日の学生が「KCIAからマークされている」といっていましたし、大学構内には「キムジハの死刑判決糺弾」という立て看板があふれていました。(学生運動の激しい大学でした)。
共和国の実態はまだ十分に知られていず、朴政権との関わりでまだましなようには見えていました。(実際にはこの時期に拉致事件が頻発していたのですが。)とはいえ共和国も個人崇拝などもなんか変だという感覚も生まれつつありました。「双方」とも「双方」だったため、暗然たる思いをもちつつ韓国の民主化をたたかっているひと(当時のシンボルとしてはキムジハや金大中など)にエールを送っていた記憶があります。

さらに以前、戦前の韓国で発生していたような両国の生徒の暴力事件、「不良同士の喧嘩」が日本の中学生のまわりでも頻発していたことをあとになって知りました。思い出してみると、私が通学していた中学校前に民族学校の生徒がやってきて、先生方が対応のためにばたばたしていたことを思い出します。まさに「パッチギ!」の世界だったのです。なお、私はこの映画の主人公よりやや若い世代です。

台湾の親日と朝鮮の反日の比較、表にしていただいたおかげでよくわかりました。客観的に捉えらることができてありがたかったです。ただ「外国の支配」にたいし、朝鮮は「なし」とされています。「それでいいんだけど、それでいいのかな?」という微妙な感覚があります。朝鮮にとっての清との宗属関係をどう評価すべきなのか、この宗属関係が逆に朝鮮を「小中華」としてのかたくなな方向に向かわせたようにも感じるのですが。
なお、韓国の反日運動のの背景に、この小中華→衛正斥邪思想な感覚の流れを感じることもあります。こうした人たちからすると、先生が「民族運動の主な形態」のなかに加えられた「実力養成運動」は「親日」的で反民族運動と評価されるのだろうなと感じました。

今日の講義では、本当にいろいろと多くの事を考えさせていただきました。ありがとうございました。

浜矩子「甦れジャーナリズム~下心政治から日本を救うために」

浜矩子「甦れジャーナリズム~下心政治から日本を救うために」

昨12月8日「安保法制に反対する学者の会」主催の「脱政治化する社会を問う~メディア・社会・市民」のシンポジウムに参加した。日本の頭脳ともいえる人々による興味深い内容であり、深く考えさせられる内容であった。そのなかから、今取り組んでいるマスメディア史と絡んでいる内容とかかわる、浜矩子さんの「甦れジャーナリズム~下心政治政治から日本を救うために」の骨子を紹介する。
あくまでも、私にはこのように聞こえたということであり、文責はすべて私にある。
以下、わたしが聞いた(つもりになっている)浜先生の講演骨子
******
本日のタイトルの副題に「メディア」という文字をつかっていることには不満だ。
現在はジャーナリズムという言葉が抹殺され、メディアという言葉が用いられる。よりひどくなると情報産業だ。ここに「チームアホノミクス」の「下心政治」の中心がある。かれらの「下心」は岸の時代の復権というよりさらに、古い21世紀版の「大東亜帝国」の建設であり、「大東亜共栄圏の親方」になりたいといういう下心だ。
それを阻止するために必要なのがジャーナリズムの復活ということだ。
3つのことをいいたい。1)メディアとはなにか 2)ジャーナリズムとは 3)ジャーナリズム復権の秘策、である。

メディアとは
メディアは「①通路である②中途半端である③神がかりである」という3つの性格がある。
メディアという言葉の訳は「媒体」ということであり、単なる「通り道」に過ぎないということである。しやがっていかがわしいものも、逆に役立つものも通ることになる。
メディアという言葉の単数形はMedium(メーディアム)といことばであり、中間的であったり途中という意味でもある。メーディアム(Medium)のもう一つの意味は「霊媒師」という意味でもある。お告げを伝えるものという意味で、いかがわしいメッセージを伝える。つまり単なる媒体であるとともに、中途半端で、いかがわしいメッセ-ジを伝え、ムードを作り出すという意味合いを持つ。

ジャーナリズムとは
ではジャーナリズムとは何か。これにも3つの役割がある。
一つ目は「荒れ野で叫ぶ声」という役割である。聖書の中の預言者のイメージ。城壁の外つまり、城壁の外の「荒野」から、町(「城内」)にむかって叫ぶという役割である。聞きたくないこと、耳障りの悪いことを叫ぶという役割である。
二つ目は「『王様は裸だ』と叫ぶ声」である。権力に対して反対し、権力から人々を守るという役割である。ここに「メディア」とのちがいがある。
三つ目は「大人の怒りと笑いの絶妙のバランス」ということである。極上の笑いの中に怒りを交えていく、説得力をもった怒りである。
実はこうした役割は「よきエコノミスト」の役割である。本来のエコノミストに「御用エコノミスト」という存在はあり得ない。
「コント」のすすめ
それでは「ジャーナリズム復権の秘策」はなにか、それは「コント大会」である。自分はビジネススクールの最終講では受講者にコントを課している。それはテーマをよく知っていなければならないし、笑いというシャープな批判精神が必要になる。こうして笑いにこそ「極上の笑い」を含めることが出来る。