「歴史教育の視点」カテゴリーアーカイブ

40万アクセスに到達、ありがとうございました。

「元歴史教師」にこだわりたい。

このホームページへのアクセス数が、昨日2019年8月11日、40万件を達成しました!
おっかなびっくりではじめたこの「日本近現代史の授業中継」、2年と4ヶ月足らずでこのような数字にまで来たことに感動しています。
もちろんちょっとのぞいただけ、写真をみてたら勝手に飛んだだけというも多いとは思います。そうであっても多くの方の目に止まっただけでも光栄です。

ネット上の「近現代史」に一石を投じたい。

このページを始めた頃、ネット上で「近現代史」として検索すると、ヒットするものの多くは、研究者からは相手にされない、ちょっとわかっている人から見れば噴飯物のような歴史修正主義があふれており、読んだ人を誤った歴史認識に誘導するようなものでした。
「いろいろな人、とくに高校生や大学生たちが安易にネット検索で参照し、ホイホイと利用すれば困るな」という内容のものも多々ありました。
そういった記事に対して、もう少し「まともな」内容を提供できないかな、一石を投じられないかな、というのもこのページを始めた一つの理由です。
この点では少しくらい意味があったのかなとは思っています。

また、毎日現場で頑張っておられる先生方、近現代史に興味をもったり気になることを調べたいというみなさん、勉強・研究のとっかかりを求めておられる生徒・学生のみなさん・・などなどに少しでも参考になれたのではないでしょうか。

この点でも少しは役だったかなと、勝手におもっております。
いかがでしょうか。

大学や高校の先生にはコピペのネタとして迷惑をかけている面もあるかもしれませんが・・。

「歴史にかかわるチーム」という考え方

文章を書きながらいつも思うのは、歴史の教師という仕事です。いつも気になり、心配なのは、十分に史料にあたらずその史料批判もなしで、しかも十分な研究史にもあたれないまま、数人の研究者たちの成果に依存して書かざるを得ないということです。さきほどの怪しい歴史修正主義的なしろものとしっかりした一線を引けているかということです。この記述で本当にいいのだろうか、いつもいつも気になっています。

しかし、私は居直ることにしました。
かつて、私の仕事であった授業は、そうでもしなければやっていけないからです。
そして「歴史にかかわる仕事は分業体制で成り立っている」と考えたからです。歴史認識を伝える仕事を「歴史にかかわる仕事」としてとらえた場合、それは歴史学者や歴史研究者だけでは完結するものではない、チームとしての仕事だと考えるようになったからです。
史・資料を発掘し、読解し、史料批判を行い、そこから史実を確定、専門書さらにはそれに基づいて「啓蒙書」を執筆するに従事するのが歴史研究者・歴史学者。それは大学や研究所、博物館などの研究機関でかかわる人もいれば、他の仕事をしながらこつことと研究を続ける民間の研究者もいます。もちろん、教師のなかにもそういう人は多くいます。こうした人たちによって次々と新しい史実が発見され、歴史像を更新させてきました。
こうした研究にヒントを得ながら、それを土台に、自らの想像力によるフィクションも交えながらその時代とそこにに生きた人間のドラマを描き出す文学者・歴史小説、あるいは映画やテレビドラマなどを製作するひとたち。歴史漫画家。かれらがもっとも影響力を持っているかもしれませんね。
歴史のひとこまや隠れた事実などを探求したりする記事や評論をかいたり、ドキュメント番組やクイズ番組をつくる人たち、記者、ジャーナリスト、評論家。歴史学と違った分野の研究者なども大きな影響力を持っていますね。
忘れてならないのは観光などにかかわる旅行関係のジャーナリストやガイド・案内人。各種旅行番組。旅行サイト、往々にしてこまった説明をされ、聞いていてえ〜と引いてしまうこともママあります。
そして学者・研究者の成果をもとに(それは教科書という形で一部具体化されてもいるが)学ぶ人にわかりやすい説明にあった例(ときには不適切なことも多いのですが)を考えたり、図や表にしたり、討論を組織したりしながら、さらにはテストやレポート・作文など、あの手この手のさまざまな手法を用いて、被学習者に歴史研究のエッセンスを選択し「翻訳」して伝えていくのが歴史教師。

こうしたものがあつまって、人々の歴史認識、世界認識や現代認識の形成にかかわるチームを形成しているのです。
このように整理して考えると、歴史教師の役割は、本質的には史料に基づき正確な研究を進めるという研究者・学者ではありません。(もちろん両方を兼ねている方は多いのですが)そんなことをしていたら授業などできません。歴史の全体像を頭に置き、時間的制約など物理的制約も頭に入れながら、学んでほしい内容を自分なりに選択し、被学習者の歴史認識の形成に当たるという仕事です。ひとつの事例に焦点を当て深めていくという多くの研究者のやりかたとは自ずと役割が違うと思います。
しかし研究者の到達点を学び、伝えていくことによって、歴史小説家・歴史ジャーナリストなどと同様に人々の歴史認識の形成に大きな役割、使命をもつ仕事です。

元「歴史教師」の誇り

歴史教師の役割は、こうして歴史学者・研究者とともに、人々の歴史認識さらには世界・現代認識を培う役割を担う一員であるということです。
もちろん研究の「生産」者たる学者・研究者のしもべではありません。歴史学ではやっているテーマでも、それが目の前にいる人たちにとって意味が少ないと感じれば無視しますし、逆にすでに評価の決まっている時代遅れのテーマであっても時間をかけて教えます。あえて古い切り込み方で分析、教えることもあります。
歴史学の成果を、学び、評価しながら、歴史学の人からすれば、やりすぎと思うほど単純化し、歴史小説や教養番組風の方法も用いながら、自分たちの前にいる人たちに向かってわかりやすいことばで、なぜそれが重要なのかという自分なりの理由も交えながら伝える。授業という形式をとって「叙述」していく仕事、それが歴史教師の役割だと思います。
そういう意味では、歴史教師も立派に「歴史家」(歴史叙述を行うもの、という意味で)であるし、その自覚をもつ必要があると思います。この考えは、このページを始めたころから変わりません。

私は、最近、自覚的に「元高校歴史教師」という肩書きにこだわりたいと思っています。歴史学者の下請けでない、歴史教師としてやってきた仕事と役割に自信を持っていますし、おなじ「歴史にかかわる仕事」をしてきた一員として、研究者の方々と対等に渡り合いたいと思っています。(とはいえ、親しくしていているH先生やK先生、さらにはA先生の前ではいまでも萎縮してしまうのですが)

町外れの「個人商店」として

歴史の教師というのは、歴史研究の「生産者」とはいいきれないが「消費者」でもない。私たちの仕事は研究者から仕入れてきて小分けにし、三枚に下ろすなど加工をして「消費者」に売るいわば「小売商」というところなのでしょう。
私は教育現場は離れましたが、同じような仕事をこのページを通して行いたいと思っています。

このページは、町はずれの「個人商店」ではありますが、隠れた場所にひっそりと立っている個性豊かな本屋さんや魚屋さんのように「鮮度の良いもの」「癖が強いが栄養のあるもの」「下の方にかくれていてもとても素敵なもの」「一部では必要とされるちょっとマニアックなもの」そして「定番」などなど、いろんなものを探しだしてきて「翻訳」し「加工」し、その良さを伝えながら、「店頭」に並べたいと思っています。

ぜひご利用ください。

なお、一部に「鮮度の落ちたもの」「痛んだもの」⁈も若干まざっています。変な表現という「小骨」はやまほど混ざっています。なにしろ個人商店なので手が回りきれないところが多々ありますので、ご利用に際してはご注意願います。

十分な検討をできないまま教壇に立たざるをえないという「仕事の性格上やむを得ない」と居直ることをお許しください。
研究等で正確を期される場合は、歴史研究者の専門書、必要に応じ直接に史・資料を参照していただきますようお願いします。

また店主は極端に小心かつずぼらなので、クレーム処理する能力に欠けております。お許しください。

これまでの皆さまのご愛顧ご支援に深く深く感謝します。
本当にありがとうございました。
そしてこれからもよろしくお願いします。

敬白

注:FB版に書いた文章を元に一部かきあらためました。

国定教科書の代わりに「入試」がある。

歴史用語削減案の中心として頑張っておられる桃木先生のFBでの投稿への返信として書いた文章を転載します。
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高校から受験指導を外すことは、信じ難いほど大変でしょう。桃木先生もうすうす感じられておられると思いますが、実は多くの教師は教えるべき何かを見失っています。見失った彼らの「精選」の一つの基準はなんのことはない「入試」です。かつての国定教科書の代わりに入試がいるのです。入試に世界史や日本史を使う生徒が一桁いるかどうかの高校でしか教えていなかった私も長い間、その引力圏内にいました。他の基準はなかなか見つかりません。(最終的には、面倒臭くなって、某問題集を利用しましたが)

高校では、入試でいかに多くの点数をとれるかが、いつの間にか課題になっています。しかも、大学で65点(位かな?)を平均点とするために敢えて高校で教えない部分を攻めてくる問題が出されればだされるほど高校の指導はどんどん隘路に入っていきました。その手法として教えられることが少ない範囲での記憶に頼る問題が多くなってきたからこそ、高校の歴史教育を歪めつつあるのでしょう。
私の学校などはおりざるを得なくなりました。それなら、何かを基準にするか、それが課題となります。ここに国家権力が介入することが、最悪のシナリオです。だからこそ、今回の提案の意味があるのです。逆に「良心的」に削減案を批判する人の中には、こうしたシナリオに利用されるのではという怖れを感じている人がいるのかもしれません。
入試での難問が、高校の歴史教育をプラスに動かす難問なら、それはそれでいいとも思います。確かに授業でも経済史や社会史といった教えにくいところを「飛ばしにくく」してくれましたから。そうした意味で今回の試行テストの「良問」!はいい影響を与えるかも知れません。(逆に一部の問題は高校の歴史の授業を受けても意味が無いと思わせるかもしれません)
問題は何故歴史を学ぶのかを問うことのない歴史教育のあり方でしょう。でもケンカ腰でいうのなら、現代歴史学に対する問いかけ、タコツボにこもりがちな歴史研究にも刺さる問いかけかもしれませんね。
支離滅裂気味で、無礼な物言いをお詫びします。

テロの黒幕としての「西郷」も西郷

本編用のFBにUPしたものです。
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ツィーターを見ていて、坂本龍馬暗殺の黒幕は西郷ではないという話がでていた。確かに、現在の研究の到達点からすれば、それは正しいだろう。そもそも、竜馬暗殺の日に、薩摩の三トップは京都にいない。かれらなしで竜馬暗殺を促す行動を行うということは困難だとおもわれる。それは、それでよい。

しかし、だからといって西郷はこうした暗殺とかいった現在から見て非難されるような行動をしない正義の人だというのなら、それは別の話だ。西郷はほぼ確実に罪のない人物の殺害を命じている。実際に存在したのか疑問が出されている坂本の船中八策より先に、それより優れた内容の改革案を島津久光、徳川慶喜や松平慶永らに提出した、ある面で坂本のモデルであった(だから存在を隠されてきた可能性もある)とされる上田藩・赤松小三郎の暗殺だ。厳密な史料批判で有名な青山忠正教授なども、ほぼ西郷の命令であることは明らかであることを公言している。赤松の門弟であった中村半次郎に殺害を命じるのだから、エグい。
薩摩の軍事顧問であったため、赤松が帰藩すれば薩摩の軍事情報が流れること、幕府側の軍事力を高める可能性を嫌い、口封じをしたともみられる。さらにいえば、赤松は薩摩の三トップよりも、島津久光に近かったことから、薩摩藩内部のヘゲモニー争いとの関わりも考えられる。
この行為をどう評価するか、その是非は別として、(それが幕末のリアル)、こうした行為を命令する凄味をもった人物であったことを押さえないと、リアリストとして「悪」にも手を染める正しい西郷像は描けない。親しい仲間や友人・恩人であってもやむを得ないときには命を奪い、仲間に盗賊行為を命じ、江戸の町を焼き払うことも辞せず、さらには会津藩などを人身御供とできる人物。他方で、ひょっとしたら自分の命も道具としてさしだすこともいとわない人物、だからこそ庄内藩など戦争で敗れた藩などから尊敬を受ける人物であったように思える。
こうした西郷の「悪」や「闇」を「西郷どん」で描けるか。結局は正義の人、偉人伝に終始するのだろうな。そうして、幕末から維新にかけてのイメージが作られていく・・・。
なお、赤松についての研究もすすんできた。上記の内容は拓殖大の関良基氏の労作も参考にした。たしかに赤松は優れた人物であったかもしれないが、赤松への思い入れの強さから、時代や状況を無視した贔屓の引き倒しになっていないか。とくに「人民」とはだれか?冷静な分析が必要と思う。

注:数日前、何の気なしに見たNHKーBSの再放送で赤松小三郎暗殺をとりあげていた。リアルタイムで視聴しないで、上記の文章を書いていたことになる。下の番組紹介をみて、大河の提灯番組と判断し見落としたのかも知れない。
番組では赤松小三郎の暗殺を薩摩の仕業としていたし、赤松の業績が紹介され前出・関教授のインタビューもあった。「あり得たもう一つの近代」とのコメントもあった。責任が曖昧で幕末史のリアルというから見れば不十分で唐突の感は否めなかったが、知られざる思想家赤松小三郎が紹介されたことも含め、評価すべきと考える。

NHKが、大河や歴史番組でこうしたリアルを今後どう扱うか?気になるところである。西郷らが負うべき暴力とテロの責任を含めて、単なる偉人伝ではないリアルな幕末の歴史・人物像が描かれることが望まれる。
 この番組は、NHKオンデマンドで見ることが可能です。
 また、この番組に言及された関教授のブログへのリンクもつけておきます。

***番組紹介より「引用」***
英雄たちの選択新春スペシャル
「幕末ヒーロー列伝 これが薩摩藩の底力だ!」
 
日本がかつてない危機に直面した幕末、西郷隆盛や大久保利通らの英雄が薩摩藩から次々と登場し、維新の原動力となった。変革の時代をリードした薩摩藩の底力を徹底解剖!

 260年続いた江戸幕府を打倒し、新時代を切り開く原動力となったのが、日本の南端にある藩「薩摩藩」。幕末、薩摩藩は西郷隆盛や大久保利通、小松帯刀ら傑出したヒーローを次々と生み出した。日本が進むべき将来の明確なビジョンを掲げ、欧米列強とも互角に渡り合い、歴史を変えていった薩摩の英雄たち。なぜ、そんなことができたのか?「薩摩藩の底力」を徹底解剖し、混迷の時代を生きぬく知恵を磯田道史がゲストとともに探る。
【司会】磯田道史,渡邊佐和子,【出演】中野信子,岩下哲典,桐野作人,瀧本哲史,【語り】松重豊

歴史系用語の精選問題にかかわって

歴史系用語の精選問題にかかわって
~元高校教師の視点から

 

歴史教科書の実態から

まず、実際使われている(いた)教科書を見ていただきたい。

山川出版社「詳説日本史」P225

手元にあった「詳説日本史」の1ページ「宝暦・天明期の文化」のなかの1ページ(P225)である。
ここに記載される人名本文の太字で6人(青木昆陽・野呂元丈・前野良沢・杉田玄白・稲村三伯・平賀源内)通常の文字で5人(西川如見・新井白石・大塚玄沢・宇田川玄瑞)、注釈や写真説明で2人(シドッチ・山脇東洋)、さらに表中でさらに8名(略)。計22名がこの1ページのなかで登場する。さらに書名7冊(解体新書・ハルマ和解・采覧異言・西洋紀聞・蔵志・蘭学階梯・西説内科撰要)、その他、塾の名前(芝蘭堂)などもある。
この部分は、文化史なので、多めではあるが、こうした叙述が、この教科書では415ページにわたって続く。

コラムなど省略しやすい部分があるので、約400ページ、この膨大な量が高校で授業すべき対象として期待され、大学入試の「試験範囲」となる。
さらに、大学の先生には常識であっても、高校では常識でない問題、教科書に記載されない問題が出題され、さらに教科書に載せられる用語が増える。
 かつて「天台宗の中心になる経典は」という問題(答、わかりますか:「法華経」ですよ!)が出題され、翌年にはもう教科書に載っていた。

1日50分間の授業のノルマは3ページ強

本来、日本史Bは4単位であり、実際には授業時間数は120時間程度なので、1時間に3ページ以上進むことを前提に教科書は編纂されている
さきに掲げた部分なら、「宝暦・天明期の文化」全体で約7ページなので、授業時間2回分となる。掲げた分は、洋学(蘭学)でまとまっているのでやりやすいが、これを15分で終わらせられるか。儒学は、江戸期全体(室町期も)もにらみながら、授業するのでさらに厄介だ。
本当に可能か考えていただきたい。精選しつつ教える。「入試に出るかも」という不安を抱えながら。
入試に対応する「質」を求めると、ここで示した部分だけで1時間近くかかるだろう。「思考力育成型の授業と両立可能な用語数は一時間の授業数で15語程度」という指摘からすれば、このページだけでオーバーする。1日1ページならば、鎌倉・室町で年間時間数を使い切る。
 「学校では近現代史まで教えてくれない!」という批判に、「当然じゃないか」と居直りたくなる理由をわかっていただきたい。

実際の授業では

では「宝暦・天明期の文化」全7ページを2時間、さきにみたようにこの部分は15分程度で仕上げる。
私の例を挙げよう。「授業中継(開国前夜)」では、以下のような感じとなる。

**************

蘭学も広がりを見せた。

解体新書表紙 山川出版社「詳説日本史」P225


蘭学とは、オランダ語を学び、それを元に世界の文化に触れようとする学問だ。
蘭学は、実際の人体解剖に立ち会った医師の前野良沢・杉田玄白らが、もっていたオランダ解剖書の挿絵のあまりの正確さに衝撃を受けこの本の翻訳をはじめる。いわば中学校1年の単語帳だけで医学専門書を翻訳する感じだ。
そうした努力の上に、オランダ語、さらには西洋文化の知識を蓄積される。その蓄積は辞書や文法書を作るなどの形となり、オランダ人らから直接学ぶといった過程を経ていく。そして世界の知識に飢えていた知識人(おもに医師)の中に急速に広がっていった。
18世紀後半には、その興味は医学だけにはとどまらなくなっていく。すでに18世紀中期には平賀源内のようなあらゆる分野に興味を示す人物が出現したが、この時期には林子平のように世界情勢を深く理解し、日本のあり方に警鐘を鳴らす者も現れてきた。
田沼意次はこうした動きを好意的であったが、松平定信は「幕府が世界の知識を独占すべきだ」との立場から、こうした動きを危険視、林のように弾圧されることもあった。

 これにエピソードを加えて15分。「日本史A」での内容なのでこれでいいが、入試を考えた「日本史B」では厳しい。

<板書例>
2,宝暦・天明期の文化
a.洋学
 蘭学・・吉宗期の漢訳洋書の輸入緩和とオランダ語学習(青木昆陽ら)
 18C後期、前野良沢・杉田玄白ら・・「解体新書」=オランダ語文献を翻訳
  ⇒その過程での知識の積み上げ(蘭学隆盛へ)
     蘭日辞書「ハルマ和解」や文法書
           ↓
 医学から他の分野への興味の高まり(←幕府の弾圧も)
平賀源内・・「万能の天才」

 本来ならこの程度。
黒板に書き、ノートに採らせる。それで数分。
これに「解体新書」のエピソードや源内の活躍と死(たとえば、「玄白の追悼文」を紹介)、なぜ幕府が蘭学を弾圧したか、などを紹介して、15分という展開となる。時間があれば、芝蘭堂に大黒屋光大夫がきた話なども。

教えきれないからプリントを使用するが・・

ただ、これは勤務校がそれほどの進学校でなかったからできるので、進学校で通用しない。
なぜなら、入試で出題される中心は「稲村三伯」「ハルマ和解」「宇田川玄随」「小田野直武」であり「芝蘭堂」や「蔵志」であり、私の板書にはあまり入っていない。
決して杉田玄白・前野良沢・平賀源内ではない。
 受験に対応していないとなる。

実は、ここで記した範囲は、授業で実施できなかった内容である。単純に時間不足だから。幕末維新史を残すか、こちらを残すかの判断で、カットした。
少し余裕があれば、上記「授業中継」程度の内容をさらっととながす程度である。そして、補習回しとなるが、人数不足からめったに開講されない。

板書には時間がかかるという場合とか、より正確な説明と密度を濃くしたいという場合はプリントを用いる。
板書にもどした時期も文化だけはプリントを用いることが多かった。
しかし、こうしたプリントをつくっても、多くの生徒は空欄に赤ボールペンで答を写すだけ。試験前に赤い下敷きで隠してその部分を覚えるだけ。

歴史の授業は構造的に消化不良を起こす!

丁寧に教えるべきことには時間をかけて教えたい。近現代まで教えたい。これから生きていく上で指針となったり、役立つことを身につけさせたい、私はそうおもって、歴史の教師となり、教えようとしてきた。
しかし、そのような余裕は全くなく、時間と、授業という形式(この点については別の機会に述べたい)のため、困難であった。
どうあるべきか。
一つは、いっそうの時間保障がなされることである。どの学校でも、いろいろな口実を付けて時間数を増やそうとしている。しかし、行政側は、いろいろなけちを付け、もし増加単位を置くとすれば、訳のわからない科目名をつけ、やれる訳のない教案まで要求する。そうとはいいながら、こうしたフィクションを行いながら、多くの学校で時間数を増やしている。
いま一つは、教えきれるわけもないまま、入試の都合や研究成果を盛り込みたい学界の都合などから押し込まれる膨大な歴史用語を精選するしかない
入試や教科書から来ている以上、ある程度「外側からの力」をもって精選を図るしかない。ただその精選は国家権力によるものであってはいけない。あくまでも、教育現場と研究現場が、国民的、世界市民的教養とはなにかを考えて行うべきものである。

放置すれば、歴史教育は、さらに暗記のみを強要する無駄なものとなる。入試と教科書において、歴史用語と内容の肥大化をなんとか押しとどめるガイドラインを出さねば、歴史教育の新たな展開はない。

このままでは歴史教育は崩壊しかねない。

実は、私自身、生徒たちにセンター試験のみで必要という者にたいし「世界史や日本史を選択すべきでない」と指導してきた。努力に対し、結果との乖離(コストパフォーマンス?の悪さ)があまりにも大きすぎる。
このまま「歴史総合」2単位の教科書が編成され、さらに他の「日本史探究」「世界史探究」などの選択科目が置かれ、単位数削減にさらされるとするならば、歴史教育はさらなる用語の羅列となる可能性が大きい。
無政府的に示された歴史用語から配慮なしに入試問題がつくられるという悪夢すら想定できる。2単位であることを看過したまま。

入試至上主義の高校からは歴史科目は消え去る動きが表面化したのが、世界史未履修問題であった。あまりに難度が高まり、些末に流れる「歴史」科目自体が、まとめて教育から消去されかねない。

高大連携歴史教育研究会の提案

こうした危機感の中を背景に、2011年「学術研究者の国会」ともいうべき、日本学術会議が、国民および世界市民として学ばねばならない教養としての歴史の最低限を「歴史基礎」(および「地理基礎」)にまとめて新設必履修化すること、そしてそうした最低限およびその発展した内容と視点の歴史用語精選を提案したのである。

この流れにしたがって蛮勇をふるって汚れ役を引き受けて原案を出していただいたのが高大連携歴史教育研究会の皆さんであると理解している。 それは、指導要領に影響されつつも、あくまでも現実の歴史教育の当面する問題を検討し、歴史学と歴史教育のあり方を検討するなかで出てきたものである。

今回の精選案(高等学校教科書および大学入試における歴史系用語精選の提案(第一次))に対しては、いくつかの誤解がつきまとっている。
ひとつめは、「精選」の主体を、文部科学省・中央教育審議会などといった政府系の機関と考える誤解である。こうした機関が上意下達的に提出したといった印象で見られがちである。
しかし、実際は日本学術会議の分科会による「関係学会などで重要用語を精選するガイドラインを作成し、大学入試の出題をそのガイドライン内で行うとともに、歴史的思考力を問う問題を増やすように働きかけていく」という提案にもとづくものであり、民間の「高等学校歴史教育研究会」が学術会議などで行った高大の現場アンケートを元に試案を作成し、「大学と高校の教員の交流を可能にする全国的規模の研究会の必要性が痛感されるようになり」2015年に発足した高大連携歴史教育研究会で検討、作成したものである。
今回公表されたものは第一次案で、2018年2月までにアンケート等によって意見を集約し、2017年度中に最終案を発表するとしている。
今回の精選案は、アンケート調査のための具体例として出されている。精選の是非、精選の考え方、具体的な用語選定など、高大連携歴史教育研究会へアンケートを集中することによって、より多くの意見を集約したいとしている。
※なお、アンケートは高大連携歴史教育研究会のホームページからも回答をすることができる。このページからもリンクしておくことにする。

是非、アンケートを寄せていただきたい。

さらに、本年度中にだされる、最終案自体も「学習指導要領」のように、それ自体が権力的に扱われるものではない。こうした考え方と具体例を示すことで、新たな教科書編成や入試などへ活かしてもらえるよう働きかけるという性格を持つものである。

精選によって「龍馬」が消えるわけでない。

なお、多くの人が誤解をしているのは、この精選によって、今まで載っていた語句が教科書に載らなくなるのではないかという点である。
もっともポイントとなる部分を「提案」から引用することにする。

このガイドラインに記載された用語を教科書で「基礎用語」として本文に記載し、大学入試でも知識として問うのはこの範囲に限定する、それ以外の用語については、例えば、教科書では「発展用語」などの扱いで資料や図表・課題中に含めて自主的な学びに導く、入試でも大学入試でその知識を求めることはしないが、基礎用語の知識と組み合わせで解答すべき資料中に使うことは制限しないというやり方で、高等学校の歴史教育に柔軟性と多様性を保証することが期待されます。(中略)
また授業内容や教科書執筆全体については、本用語精選案がリスト外の用語を、授業中に例示することや教科書の資料・図表やコラムなどに掲載することを否定してはいないことをよくよくご理解いただきたいと思います。精選(制限)を提案しているのは、「教科書本文に掲載し、入試で必須暗記事項として扱う」用語だけです。

 今回精選のリストから外れた坂本龍馬や吉田松陰であっても、教科書の本文には載らず、入試には出ない(現実問題として、そんな簡単な問題が出るとは思えないが)ということであって、教科書執筆に当たっては、資料や図表にだすことは可能であるし、後で示す理由から、脚注などでの補足にも記される可能性が高いと考えられる。
もちろん、高校の定期考査などでは出題可能であるし、私が現役の高校歴史教師であっても、気にせず出題する。

精選の具体例を見ていこう。

ちなみに、今回の精選提案において、先に示した「洋学」のページに関わり合いがあるのは
蘭学・杉田玄白・解体新書・平賀源内と、他の場所に記載がある新井白石に限定される。
人名では13人が3人、書名では7冊が1冊に減ることになる。
しかし、私の授業がらみでいえば、消えた人物が前野良沢・青木昆陽、書名が「ハルマ和解」くらいであり、実際の授業内容から見て違和感はない。(ただ、寛政期の林子平が消えていることは、やや違和感もあるが)
さらに、2日で扱う内容となる「宝暦・天明期の文化」全7ページ分では本文中の人名約40名(脚注・表を加えるとゆうに100人を越える!)が8名となっている。

残されたのはこれだけ。「<項目>歴史用語、で記す」
<蘭学>蘭学、杉田玄白、「解体新書」、平賀源内
<国学>国学、本居宣長、塙保己一、尊王論、頼山陽
<儒学>朱子学、藩校、郷学
<教育と思想>心学、石田梅岩、寺子屋、安藤昌益、通俗道徳
<文学・芸能>与謝蕪村、川柳、『仮名手本忠臣蔵』
<美術>錦絵、喜多川歌麿、東洲斎写楽

以上となる。さらに先ほどの新井白石のように別の場所で出てくる内容もある。

「こんなに減らされてやっていけるか!」という人もいるし、「それでも、まだこんなに覚えなければならないの!」という人もいるだろう。

幕末・維新期や戦国期ではどうか

もっとも意見が出されている幕末~維新についても見ていく。まず人名。
今回は《学習内容》と人名という形で記す。

《開国前後の世界》ペリー、ハリス、プチャーチン、孝明天皇
《開国とその影響》徳川家茂、徳川慶喜、井伊直弼、勝海舟
《尊王攘夷から倒幕へ》和宮
《廃藩置県の断行》明治天皇
《明治初期の諸改革》大久保利通、岩崎弥太郎、渋沢栄一
《明治初期の外交と国境問題》岩倉具視
《明治初期の国内政治》西郷隆盛、板垣退助、木戸孝允
《文明開化》福澤諭吉
《他の部分で》井上馨、伊藤博文、山県有朋、大隈重信

山川出版社「詳説日本史」のなかの太字(重要人物)で消えているのは、以下の10名である。

 

ビッドル、阿部正弘、堀田正睦、徳川家定、三条実美、高杉晋作、中村正直、前嶋密、尚泰(上記の範囲内で)
吉田松陰(化政文化の項で)

なお、話題に中心である坂本龍馬はもともと一般語句の扱い、近藤勇は脚注、すでに現在の教科書の扱いでもこうである。しかし、「一般語句なのに勝海舟が入った」とのだからという理屈も成り立つ。

しかし、他の語句をよく見ると《尊王攘夷から倒幕へ》のなかに、「安政の大獄」があるので松陰が、「薩長連合」があるので坂本が、長州征討があるので高杉が、禁門の変三条が、それぞれ触れられることは、授業の進めかたとして普通である。精選に際し、人名と出来事、どちらか一つを選んだ結果と考えられる。教科書の脚注などに記されることが予想されているし、そうでなくとも教師が授業のなかで補足することも想定していると考えられる。

さらに話題となる戦国大名であるが、リストには

北条早雲、毛利氏、長宗我部氏、北条氏、武田氏、今川氏、朝倉氏、島津氏、大友氏、伊達氏

と11の戦国大名家が選ばれている。こんなに多く必要とは思えない、地図や表で十分!という方が私の印象である。

誤解に基づく「用語精選」批判

ところが、精選については、総論賛成、各論反対は世の常である。予想通り、多くの反論が出てきた。まず出てきたのは、坂本龍馬や吉田松陰など自分の好みの人物が外されたという、マスコミ受けのする批判である。
この批判は、すでに見たし、研究会を主導する桃木至郎氏が何度も発言するように誤解に基づくものである。精選の対象は入試(しかも、その知識が正誤にかかわる出題のみ)と教科書本文についてである。つまり、例示や表などは使用可能である。そもそも、授業展開のシーンでは具体的な名前を入れた方がよいに決まっている。
私の「授業中継」で例を挙げれば、武田信玄の領国制を説明する中で、分国法や喧嘩両成敗による家臣団の統制、金山開発などの富国強兵策などを説明し、そこから目を転じて寄親寄子制、武士や商人らの城下町集住、指出検地、貫高制などに話を及ぼすというやり方は可能だし、そうした方が戦国大名を全体として理解できる。最終的に入試に武田信玄は出題されなくても、何ら問題はない。自分の学校の考査で出題することはなんの問題もない。

同様に、坂本龍馬や吉田松陰らを例にとって幕末期を説明することは何ら問題ないし、そうした方がいいのかもしれない。すべての教科書が横並びにその名前を出す必要はないし、入試にはでないと考えればいいのである。

これにより教科書としても、教師としてもさまざまな授業展開を可能にできる。校内の考査においてはいくら出してもかまわない。今まで教科書に出ていないものでもよい。考査は、教師の授業展開にかかわって出題すればいいものなのだから。

「国定教科書」意識は捨てるべき

多くの批判を見て感じるのは、多くの人の意識に「国定教科書」的な意識がこびりつきすぎているのではないか。教科書の本文には原則としてださないことは教えないことではない。
 高校生すべてが、坂本龍馬や吉田松陰の名前を知らなくともいいのじゃないか、全国のすべての人間が龍馬の名前を横並びで覚える必要はないというだけだ。だから入試にも出さない。
逆にいえば、他の用語も減り、時間的に余裕ができるのだから龍馬や松陰を使って、より丁寧に幕末を教える余裕もできる。授業であつかわれる龍馬や松陰の「名前」は入試にでないが、彼らがかかわった尊王攘夷運動、長州征討、薩長連合は入試にでる。自分の地域にかかわる人物を用いて尊王攘夷運動を説明できるのならそれでもかまわない。定期考査にも出題する。
武田信玄の代わりに、長宗我部元親で説明しても、伊達政宗を使って戦国大名を説明してよい。
とりあえず、記憶が自己目的化している歴史から歴史教育を解放しようということだと私は理解した。
かつての「ゆとり教育」の再現だという的外れの批判もあるが、意味のないような記憶でなく、さまざまなアプローチを可能にすることの方が大切だ。
「言葉を閉ざす」という批判もあるが、人の名前だけを意味もなく覚えることが「言葉を閉ざす」のだろうか。私が挙げた例でいえば、「稲村三伯」「ハルマ和解」「宇田川玄随」「小田野直武」「芝蘭堂」「蔵志」とぞろぞろと人の名前を覚えることにどれだけの意味があるのだろうか。
ターヘルアナトミアを中学校一年生単語だけで訳していく中で、どのようにして言語を習得したのか、学んだ単語を積み重ねることで辞書をつくり(「ハルマ和解」)、文法書をつくり、それでどのように世界を読み解いていったのか、読み解いた世界と日本の現実のギャップにどう向き合っていったのか。それを考えた方が、国際理解や言語習得の意味を深く考えられるのではないか。

芝蘭堂に集まった蘭学者たち

学ぶための共同体がつくられ、いかに協力し合ったのか。「芝蘭堂」の会合に参加した大黒屋光太夫が世界をどう紹介したか、蘭学者たちがその情報をどのように感じさせたか、説明した方がよほど「言葉を開く」。
そのなかで、必要に応じて、さりげなく、こんな人もいたよと人名を出せばいいのではないか。
歴史の流れから切り離された人名や歴史用語をマーカーで線を引かせて「さあ覚えなさい」の授業が「言葉を閉ざさない」とは私には思えない。

教科書は「厚い」方がよい!

そもそも、私自身は教科書は厚い方がよいと思っている。(ツイッターで見る限り、桃木氏も同じ考えを持っておられるようである)。教科書には、さまざまな事例が紹介され、史・資料の内容がだされ、その中から、教師(場合によっては生徒も)が、内容をチョイスし、学び、現代につながる課題を読み取っていく。それが最もよいと思っている。
問題は教科書に書いてあるすべてを記憶するものと位置づけていることだ
世界史研究の発展の中、「なぜ世界史にアフリカが登場しないのか?」「世界システム論という考え方をぜひ紹介したい!」といった声が研究者から、さらに教育者の側からも出された。それは、正しい議論であろう。しかし、今までのものが精選されないまま、教科書に反映され、新たに付け加えられた。結果は入試で扱われる内容が増えただけだった。しかも新傾向として。

内容が妥当なだけに悲しかった。結局、「さらに教えなければならないことが増えた」「さらに覚えなければならないことが増え、入試が難しくなった」との反発を受ける。あるべき世界史像を普及させようという思いが、入試という観点から拒絶される。教科書に書いてもらいたい、書くべき内容が、生徒の消化不良を促進し、入試での忌避、歴史嫌いを増やす。
理由もなく、あるいは考える余裕もなく記憶せざるを得ないものを「入試には出しません」「入試に出す可能性があるのはこの内容です」と宣言し、あとは教科書を作成する人たちと現場の教師たちの創意を活かせばいいというのが趣旨であると考える。

「精選」のさいの検討事項も

以上のような点から、私は今回の歴史用語精選はやむを得ないと考え、基本的に支持をしたい。
 ただ、検討すべき内容もある。
生徒、とくに学力に課題のある生徒にとってはみれば、何も考えず、論理構造も考えず、丸覚えする方が楽なのだ。とりあえず、言葉だけを必死になって詰め込み、「主義」がついているものには、覚えてきた「主義」がつくことばを、資本主義か、ロマン主義か、正統主義かなど、全く考えず埋め込む、そして赤点ぎりぎりで、なんとか単位認定してもらう、という現場がある。
一つ一つの「主義」を、抽象的・概念的用語を丁寧に学ばせ、理解させる方が、実はよっぽど大変なのだ。何も考えず「丸覚えする」歴史教科がさらに難しくなることにつながるし、教える側の努力も必要だ。
抽象的・概念的用語も、理解しないまま、事実の裏付けもないまま暗記させる恐れもある。歴史的な事実と結びついた形で歴史理論が組み立てるのはかまわないが、その理論を導き出した事実的裏付けなしに歴史理論だけを覚えるのならそれは非科学的なものといわざるを得ない
とくに、新科目「歴史総合」はそういった可能性が強いだけに注意が必要である。
こうした課題についても、目を向けていく必要があろう。

高校で教える歴史の教師か、歴史を教える高校教師か?

高校で教える歴史の教師か、歴史を教える高校教師か

 

「高校で教える歴史は××だ!」

大学の先生方は、よく「こんなことも教えていない高校がある」とか、「高校までの歴史は教科書を教えているだけだ」とか、「覚えさせることが高校までの歴史だった」とか、高校の歴史教育を批判されます。こうしたいい方についての思いは、やや感情的だったかもしれない批判を何度か書いてみました。(*「歴史家としての歴史教師」参照元高校教師の私としては「そんな授業にさせているのは些末な暗記ばっかりを求める大学入試のせいじゃないか」とか、「わずか一年でそんないろいろなことができるか」(*日本史Aについては「大切なことは何を教えないかだ」、日本史Bについては「現代史」までいくのは、どう考えても無理。」参照) とか、「普通に授業ができる学校だけじゃないんだぞ」(*高校の状況について「授業は仕事の合間にやる『仕事』」参照など毒づきたくなりますし、すでに十分毒づいていますので、今回は「(高校の)歴史教育ってなんだろうか」について考え、歴史の授業で何を教えるのかについて自分の考えを記したいと思います。あわせて、このHP「日本近現代史の授業中継」を書く思いの一端を記したいと思います。

「高校で教える歴史」は歴史学の簡易バージョン?

考える出発点を表題のように考えてみました。「高校で教えている歴史の教師か、歴史を教えている高校教師か?」、同じことじゃないかと思いがちですが、実は大きな違いがあります。
大学の歴史学科の先生の多くは「高校で教える歴史の教師」として考えているように感じます。「自分たちが研究している歴史学の初歩、あるいは通史を教えるのが歴史教育」とか「歴史学の下請け」や「歴史学の簡易バージョン」と考えられている気がします。「国家が与えた指導要領の通り暗記させるのが仕事だとか。だから「荘園制を1時間しか教えない先生に習った生徒は不幸です」とか、「本居宣長については高校で習ったはずです」とかいうことばがでてくるのだと思います。

「高校で教える/歴史の教師」と「高校で教える歴史/の教師」

高校で教える歴史の教師」という言い方も、区切り方によって意味合いが変わります。
高校で教える / 歴史の教師」と考える生徒たちは歴史の授業でも、テレビや映画で出てくるような楽しい歴史の話をしてくれることを期待しているみたいです。しかし、実際の授業で歴史の教師は「高校で教える歴史 / の教師」として向き合います。自分たちが期待していたものでないと知ると、往々にして「面白くない」「退屈だ」というブーイングを出してきます。ですから実際の授業では、居眠りを減らし、授業への協力者を増やすためにも、一定の妥協をします。ビデオを見せたり、エピソードをちりばめたり。「授業中継」のなかでも戦国時代(*たとえば、本能寺の乱の「陰謀」説や幕末(*高杉の例あたりにはこうしたエピソードをちりばめています。ぼくが歴史を好きになったのも、こうした部分からなので、粗末にはできません。ただ、調子に乗ってやりすぎると時間が取られすぎてしまいますが・・。

では「高校で教える歴史」とは

高校で教える歴史」とはどのようなものでしょうか。高校ではどのような歴史を教えねばならないのでしょうか。公式的には学習指導要領で規定された内容なのでしょう。しかし、実際のねらいはここにはないでしょう。ただ、めったに、教科書を開かない、開かせない私ですが、授業の組み立てという意味では指導要領に従ってはいますし、規定されていました。しかし気分の上では人間としての、教育者としての「良心」にしたがって授業をすすめていたつもりです。ちょっとおこがましいですが・・。

最後のころになって、やっと「高校で教える歴史」のなかで教えたかったのは、こんなことかなと思うようになりました。(遅すぎますね。)
「どのような経過をたどって今の私たちがいるのか」「その中で解決してきたものは何であり、まだ未解決のものは何か」。このことを通じて、「時々の課題に対して先人たちはどのように立ち向かっていったのか。その過程で犯してしまった愚行やきらりと光る人間としての素晴らしさもみつめながら、現在、直面している課題がどのようにして生まれてきて、どこまで解決し、今の私たちに託されたものは何かを知ること」。
まだいい足りないようですが、まあこんな感じです。そして
「こうした視点から「人類の歴史」を整理して教えたい」
こんなことを考えながら授業をすすめていました。

歴史を学ぶことによって新しい世代に「自分たちの世代が現在直面している歴史的課題は何か、新しい時代を創るための何が必要なのか」を考える材料を与えたいと考えたのです。
「歴史学科」を中心とする大学の先生方の高校歴史への要望とは距離がありそうですね。

「何を教えないか」という選択

「人類の歴史を整理して」といいましたが、実際には、そんなたいそうなものではありません。歴史学をはじめとする諸科学の研究成果と方法論をもとに歴史学の研究者たちが、「学習指導要領」をふまえつつ記述された教科書の力を借ります。(私はあまり教科書は使わないタイプの教師でしたが)。教科書の問題については、ここでは触れないでおきましょう。ただ国家権力による余計なノイズが入っていることは頭の片隅に置いておいた方がよいでしょう。
とはいえ、教科書に叙述された内容は膨大であり、付け加えたいこともあり、教師の課題意識によって取捨選択が迫られます。(教科書だけを教えるという先生もおられると思いますが、実際にはいろいろな工夫をされていることもわかります。)
こうした取捨選択に際しては、実際の二単位・四単位・六単位などといった時間的な制約(実授業時数、考査までの時間数など)を考え、大学入試なども頭の端においておきながら、生徒の様子や時代の課題などを考えて「教えたいこと」「教えなければならないこと」そして「何を教えないか」を選択します。(*この点については「大切なことは何を教えないかだ」として一度書きました。そのための工夫も「いかに教材を精選し、スピードアップするか」で書いてみました。)涙を飲んで荘園制を一時間でまとめたり、本居宣長をパスしたりもします。通史(日本史B)ではかなり腹をくくらないと、結局近現代史をパスすることになります。
(※実際に時間切れが多いのですが、残念ながら時間不足を口実に近現代史を教えない人がいることも事実です。*この項については「現代までいくことはどうしても無理」で少し触れました。
※なお、「入試にでないから学校では近現代史は教えない」というネット上の書き込みを目にしますが、それは「全くの嘘、事実に反するでたらめ」です。入試で一番高い確率で出題されるのは日本史・世界史をとわず近現代史です。入試で歴史を取る人は、近現代史からはじめるのが鉄則です!しかし、その近現代史は、書き込んだ人の読みたい「近現代史」(のようなもの?!)ではないと思いますが。)

そもそも「教育」とは?

これまで「高校で教える歴史の教師」の側面を見てきました。しかし、私はこれでは不十分であると考えています。高校の歴史の教師は「歴史を教える高校教師」でなければならないと思っています。少したいそうな話から始めます。
教育というものは、原始の社会、新しい世代が、親や集団といった古い世代から、狩猟・採集などといった生きるためのさまざまな知識や技術・技能を学ぶことからはじまったものです狩りや農耕の場での体験や訓練、歌や踊り・長老による昔語りなどによる知識の伝授(まさに「歴史教育」です!)、通過儀礼(たとえばバンジージャンプ)、さまざまな場面、さまざまな機会に、古い世代は次の世代に彼らが学ぶべきと考えた知識を伝授し、生きる力、集団に貢献できるような力を身につけさせようとしました。年老い・死んでいく古い世代に代わって新しい世代が成長させることで、集団を維持させ、文化的な「種の保存」=再生産を図ったのです。これ教育の原初的な形態です。
一人では生きていけない「未熟児」として生まれてきたヒトは、周囲の環境、「おせっかいな人間たち」にかまわれ、迷惑をかけながら「人間」になっていきます。「ヒト」は、教育によって「人間」に成長する高度な可塑性・可能性をもつ「未熟児」として生まれるのです。教育は、ヒトという個体が生きる絶対条件であり、各レベルの集団維持のための必要条件でした。

近代国家が付け加えた新たな「教育」の役割

近代になり、主権国家が形成されると人間は「国民」として把握されるようになり、教育のなかに「国民の形成」という機能が組み込まれ、国家の求める「規格」に合致した「製品」としての「国民」をつくる役割が与えられます。こうした役割を担うため公教育が整備されます。後進国ドイツに始まった義務教育は強い兵士を作ることが第一の目的でしたし、日本においても教育制度は富国強兵と強く結びついていました。(この項、「明治維新(2)近代的軍隊の創設と地租改正」参照)

個々の人間も「主権国家」という枠に囲い込まれた以上、さまざまなそのルールに順応せざるを得ませんでした。本来的な「人間・社会の再生産」という機能に、近代主権国家が求める「国民の形成」という新たな機能が持ち込まれるなか、こうした「教育」を効率的に身につけさせるための「装置」が「学校」であり、公教育でした。
言語や数的処理能力、法令や慣習の存在、規格化された肉体、道徳、そして共有すべき伝統、歴史あるいは神話などが、「国民の形成」という国家的目標に即し、「人間・社会の再生産」という本源的な教育の目的と渾然一体となって公教育で扱われます。

さらに教育は、その成果を「財産」化することで、立身出世を可能にし「家」も発展させうるというインセンティブが加えられました。
公教育はナショナリズムの温床であったといわれます。現在でも、国家が学校教育に介入してくるのは、こうした性格をもっているからでしょう。

教師が課せられた役割とは

このような役割を担わされたにせよ、古い世代が次の世代に彼らが学ぶべきと考えた知識を伝授し、生きる力、集団に貢献できるような力を身につけさせようとするという教育の原初以来の機能はかわりません。
個性や発達段階、理解度に配慮しながら、整理して分かりやすくかみ砕いたり、逆に厳密さ正確さを重視したり、相手を見ながら伝え、考えさせたり、習熟させるのが、原初以来の教育の姿でした。そして、学校教育という形のなかで、専門職としての教師が教育学の成果などにも学びながら合理的な教授法を確立し、教育の「一部」を担うようになったのです。
近代社会においては国家の要請に沿うことも多くなりますが、人類が未来を託すことが教育の目的である以上、それにとどまらない役割も持っているのです。
このように考えてくれば、教師の使命も見えてきます。それは、自分たちが先人から引き継いできた社会や文化をよい形で次の世代に受け継ぎ、よりよいものとして発達させ、再生産してもらうための手助けなのです。古い世代が受け継いできたバトンを、しっかりとバトンタッチすること、その営みが教育の役割だと思います。
こうした機能を専門的に特化した「学校」という機関において、教師たちが機能を分担しながら伝えていくのです。
近代資本主義社会は、個々の人間を原子化するとともに、人間関係を経済的関係へと置き替えていきます。子育ての負担は、これまで以上に家族とくに母親へ集中しますが、これまで母親を支え育ててきた家族や地域社会は衰退しています。「よってたかって子どもを育てた『おせっかいな人間』たち」が子ども(と母親)のまわりから消えていき、地域や家庭で分有されてきた「教育」機能が弱体化します。おいつめられた母親たちはその悲鳴を「教育」を公的に担う学校に向けてきます。地域すらが似た行動を取るようになります。
家庭・地域・学校といった三者で担うべき「教育」機能ですが、前の二者の機能も学校教育へ吹き寄せられてきます。このなかに「生きる力、集団に貢献できるような力」という「教育の原初以来の機能」にかかわるものがあり、「この力を身に付けずに大人になることは困る」という役割すらも押しつけられます。
こうした役割は、「国家の求める「規格」に合致した「製品」としての「国民」をつくる」というあり方や「国民道徳を涵養する」という戦前以来の公教育が担わされてきた役割と響き合う形で、現在の学校に持ち込まれているのです。
こうした役割は「次の世代が学ぶべき知識を伝授」を主要な課題とする学校教育になじまないとして拒否することも可能でしょう。それは地域や家庭の問題だといって。しかし、疲弊した地域や崩壊しつつある家庭のなかで、「生きる力、集団に貢献できるような力」を育てる課題を放棄できるのか、という苦しい選択が強いられているのです。この役割も、文句も言わず引き受けてきたのが「学校」でした。「人間サンドバック」になりながら。
部活動もそうです。「本務ではない」。しかし、そこには、学校教育を超えた教育の本質にかかわるものがあり、個人や社会の形成にかかわる「教育」で効果を上げることも多い・・。
こうして、学校は、教師は、家庭や地域が担いきれなくなった教育に対する役割すらをも背負い込み、身動きがとれなくなってしまっている。
たしかに労働条件から見ると、教育現場は「ブラック企業」のひとつです。ところが、自分たちの仕事が、児童生徒の人間としての発達・成長を保障し、それによって社会を支えているという意識(思い込みの分もあるとおもいますが)が、こうした過酷な環境を容認させているのかもしれません。
ともあれ、こうした内容さえ付与されてしまった「教育」の専門機関が学校です。

(*部活動と教師の多忙化については、「授業は仕事の合間にする仕事?」参照)
 

「歴史を教える高校教師」の仕事

こうして、「歴史を教える高校教師」という姿が見えてきます。教師はこれまで見てきたような仕事を行なう専門職であり、ホームルームや校務分掌、部活動など、教育にかかわるさまざまな場面でも、こうした仕事を担っているのです
当然、授業という場面でも、狭い意味での「高校で教える歴史の教師」をこえた役割が期待されます。
出発点となる「読み書き算」、自分で考えたり体験を元に想像する力、共感する力、自分の考えを発表したり、他の人の意見を聞く力、文章や史・資料などを読み取る力、あるいは他の人の学習権をはじめとする人権を尊重する力などなど、こうした世界を読み取り、変革していく広い意味の学力を身につけることが求められています。
こうした役割を「高校で教える歴史」とともに求めらるのが「歴史を教えている教師」です。

「歴史を教える高校教師」として私が気をつけたこと

実は、私は指導力不足気味で、面倒くさがりの「落ちこぼれ教師」でした。優れた実践をしている「歴史教育者協議会(歴教協)」や生徒を動かすことでその力を引き出そうとする「全国高校生活指導研究会(高生研)」といった人々のすぐれた実践をとりいれようとしたこともありましたが、最終的にはある文部官僚に「石器時代」と揶揄されたような伝統的な授業スタイルにもどっていきました。私が書き続けている「授業中継」の方法はこのようなカビの生えた代物です。こうした批判を持たれる先生方も多いと思います。その通りとしかいいようがありません。力量不足だったことはいなめません。
しかし、そんな私であってもいくつか気をつけたことがあります。
一つ目が国語など他教科にかかわる説明も丁寧にしようとしました生徒が、歴史(あるいは理科なども)で引っかかっている原因は、じつは国語力・語彙力にかかわっているように思います。ですから、ちょっと難しい、あるいはこれぐらいは知っているだろうという所でも、丁寧に説明しようと試みました。語彙などは、国語よりも実際に必要に応じてさまざまな言葉を使っている「社会」や「理科」といった科目の方がその定着を促進しているのかもしれません。最初に書いた「日露戦争」あたりには、そうした痕跡がのこっています。(*この点については「平安時代と室町時代、どっちが古い」参照。学習障害などにかかわる課題については「勉強ができないのは、努力が足りないせいか」もご覧ください)
二つ目は、現在を読み解く上で重要な概念やエピソードなどは脱線しても、より丁寧に教えようと考えました。「授業中継」のなかには、明治憲法の特質、選挙制度、インフレとデフレの人々への影響、実質賃金、変動相場制など主に「政経」分野への「領空侵犯」をおこなっています。(*例として自由民権運動の展開と松方デフレ」参照生きていく上で必須の知識だとおもうからです。言葉の通じない外国人とのコミュニケーションのとりかた等も書いてみました。「開国前夜~近代の台頭と対外情勢の緊迫化」参照)今回は書いていませんが、原爆の原理を教えたこともあります。
三つ目としては、歴史上の「人間」への思いや共感を大事にしました。これは歴史学としては好ましくないかもしれません。しかし、生徒たちに自分の生き方を考え、進路選択をさせるのが学校教育の大きな課題である以上、いろいろな人間の生き方を提示することは重要な教材です。しかし事実に反する説明や誇張によって戦前の「国史」のような偉人伝にならないように事実に基づいたものであり、問題点や限界などもきっちりと指摘をする必要があります。さらに、時代の中で、取り巻く条件を丁寧に描こうと考えました。(例:伊藤博文にかかわって「明治憲法体制の成立」参照)
個別の人物ではないのですが、こうした点でとくに力を入れたのが南京事件でした。(*「兵士たちの日中戦争」参照かれらは暴虐で非道な行為に携わることになったのですが、それが何故行われたのか、そうして理由を丁寧に書き込むことによって、戦争の真の姿に近づけたいと考えました。そうしないと被害者も、加害者となってしまった兵士たちも浮かばれないと考えたからです。今回の「授業中継」では時間の制約がなかったので、より丁寧に描き出したつもりです
四つめとしては、私自身や関わりのある人を出演させました。ぼくはできませんでしたが、生徒たちも出演させることができたかもしれないと思います。
現在に生きている私たちすべてが歴史の出演者であり、自分たちが見ており、体験しているすべてが歴史そのものだという当事者意識を感じてほしいからですさらに、私のささやかな経験が生き方を考える材料となったり、時代を感じさせるものとなればと思ったからです。(*日本近現代史を大雑把につかもう」。さらに「高度経済成長と日韓基本条約」「ベトナム戦争と沖縄返還」なども参照)
五つ目としては、やや強引だったかもしれませんが、いろいろな手法をつかってみました。生徒たちが、社会を、歴史を見るときの方法論を学んでほしいと思ったからです。今回は出していませんが、マインドマップなどもつかいました。階級分析と階級闘争によって歴史が動くという視点とか、底辺の民衆の目から歴史を見る視点、女性にとっての歴史など。さらに、植民地民衆、侵略を受けた側、攻撃された側など複眼の視点も重視しようと考えました。世の中を、多様な方法で、さまざまな視点から分析するツールを知ってほしいと思いました。(*「いろいろな方法を試してみたい」、あわせて「士族反乱・農民反乱・民権運動」参照

 

この「日本近現代史の授業中継」は、こうした視点から「石器時代」の手法で行ってきたポンコツの「歴史を教えている教師」による授業の実践です。(実際には、実施できなかった授業の分もありますが・・)
最も望ましいのは、多様な授業の手法で、生徒の意欲と潜在力を引き出す際、この「授業中継」が先生方や生徒の皆さん材料となることです。

 

 

五色塚古墳で考えたこと~「本物」と実際

「本物」を見せただけでは実際の姿には近づけない
 ~五色塚古墳で考えたこと~

 

ふと、気がむいて、神戸の五色塚古墳へ行ってきた。

五色塚古墳①
五色塚古墳①

神戸市西方にあり、淡路島と淡路海峡大橋を眼前においた兵庫県屈指の規模を誇る古墳である。

ここの古墳の特徴は工事用のじゃり置き場のように丸い小石、葺石がゴロゴロしているところにある。この古墳が作られたころの姿に復元すると、このような姿となるのた。

五色塚古墳②葺き石
五色塚古墳②葺き石

僕たちは、古墳といえば、大仙陵古墳(いわゆる仁徳天皇陵)のような鬱蒼とした木々に覆われた緑の森を想像してしまう。古墳といえばこういう姿だとして、こうした写真ばかり見せられるてきたからだ。歴史の教師の側からいえば、見せてしまうというべきか。

正面から・・・一般には、ここからの拝観・・・仁徳天皇陵古墳拝所・・これよ... [大仙陵古墳(伝
大仙陵古墳http://pds.exblog.jp/pds/1/201308/21/45/a0249645_1943557.jpg
たしかにこうした古墳は「本物」ではある。しかし、これを見せて、古代の人はこのような古墳を作りましたというのは正しいだろうか?ここに、五色山古墳再生の面白さがある。1000年以上経った古墳ではなく、古代の人々がつくったような、彼らが実際に目にしていた古墳を再生して現在の我々に提示しているからだ。

大仙陵古墳や周囲の陪塚全てにおいて、葺石や円筒埴輪が忠実に復元されてい... 歴史文化学科の学生
大仙陵古墳の復元図(近つ飛鳥博物館の展示) http://www.osaka-ohtani.ac.jp/blog_campus/literature/003124.html

現代人にとっては神々しいとは思えない土砂置き場のような盛り土の山、これが実際の古墳なのだ。しかし、これも実際の姿とはいえないかもしれない。周りが、まったく違うからだ。現在の我々は嫌になる程、毎日、人工物を目にしている。そうした我々にとって、自然の緑は美しく生き生きしたものと感じる。しかし、古墳が作られた時代はまったく逆なのだ。

古墳が作られた時代、人間は荒々しいまでの森林と戦いつつ自らの支配地域を広げて行く時代であった。そこに実に人工的な建造物が作られる。鬱蒼とした緑の中に、明石海峡を通る船からもくっきりとみえつ人工物、周りの葺石は太陽の光を浴びて輝き、頂上部分には埴輪が隙間なく並べられている、それは自然と対峙している人間の力の象徴のようにもみえる。古墳は自然に戦いを挑んでいる人間の力を示しているのだ。

五色塚古墳②明石海峡と明石海峡大橋を望む
五色塚古墳③ 明石海峡と明石海峡大橋を望む

だからこそ、現代人にとっての古墳が緑に覆われた神聖な空間と感じるように、緑の自然の中の人工的な輝きこそが多くの人間たちを組織してこのようなものを作らせた古代人のリーダーの権力を示すものであったのだ。 

我々は、現在に残された「本物」、本物の現況を見て、過去のことを想像する。しかし大仙陵古墳のように「本物」ではあるが、当時の現実とは異なる姿に慣らされている。

復元鋳造された銅鐸 京都の青銅器工房 「和銅寛」のHPより https://wadokan.ocnk.net/contact

私たちは、銅鐸や銅鏡が青緑色をしていると教えてこなかっただろうか。あのような輝きのない色をしたものを古代人がありがたく思ったように思わせていないだろうか。これは古代人たちの信仰をミスリードする。当時の人々が見た、銅鐸や銅鏡は金色にぴかぴかと輝いて、叩けば当時の人たちが聞いたことのないような高い金属音を発した。だからこそ、信仰の対象となったのだ。こうした古代人たちが見ていた姿を伝えていただろうか。

仏像でもそうだ。

新薬師寺十二神将婆娑羅大将 JR東海「うましうるわし奈良」より http://nara.jr-central.co.jp/campaign/shinyakushiji/special/index.html

木目が見えていたり、銅の地金が見えている仏像、これを当時の人々が信仰したと思わせていないだろうか。実際の仏像は金色に輝き、濃い群青色で隈取れるものであったり、様々な色で塗り分けられたものであった。

奈良、新薬師寺の十二神将像にいたってはヘビメタ真っ青の色彩で表現されていた。そのケバさを超自然的な力をもつ仏や神として尊んだ感覚を伝えられているだろうか。我々が感じる長い時間を生き延びるなかで得られた虚飾を脱ぎ捨てた仏像の物語とともに、もともとの姿をも思い浮かべる想像力も必要なのだろう。

浄土寺(兵庫県小野市)の阿弥陀三尊像 採光を最も劇的に用いた建物と仏像とされる。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%84%E5%9C%9F%E5%AF%BA_(%E5%B0%8F%E9%87%8E%E5%B8%82)#/media/File:%E5%B0%8F%E9%87%8E%E6%B5%84%E5%9C%9F%E5%AF%BA%E4%B8%89%E5%B0%8A.jpg

仏像の場合は、光の状態やそれを見る目線も重要である。蝋燭の光、差し込むわずかな光、護摩の炎、こうしたなかでの仏像、さらには時々で移ろっていく光に照らされた仏像こそが、人々にとっての仏像である。電気の光に照らされたり、さらには写真用の照明で完璧に照らし出された仏像とは異なるものであった。

 我々は、現在の姿で歴史的なものを見て、分かったような気になっている。しかし、それが作られた時の姿にも注意を向ける努力をしなければ、当時の人々に近づくことはできないように思う。

 鬱蒼とした緑のなかに、ひときわ輝く砂利置き場のような人工物のなかにこそ我々は古代人の思いを知ることができる。「本物」であることで満足するのではなく、作られた時代の姿や人々の前に現した状況などにも、時には配慮しなければ、実際の歴史には近づけないのだろう。

「憲法はまだか?」~1時間目の授業、手直ししました。

昨夜、自分の書いた文章をみていて、ミスを発見しました。

1時間目 日本近現代史を大雑把につかもう>のところです。
小生のパソコンのせいか、ソフトのせいか、調子に乗って入力していると、いつのまにかカーソルが前の方に移動していて、後の方の文章が、もとの文章のなかに紛れ込んでいるのです。

ちゃんと見ているはずだったのですが、まだ残っていました。訂正しました。見苦しくてごめんなさい。

ついでに、あとの方もチェックしていくと、やはり語尾のぶれがきになったので直しました。

さて、大学で聴講している憲法の授業で、1996年にNHKが放映したドラマ「憲法はまだか」の一部を鑑賞しました。脚本はジェームズ三木。古関彰一という憲法史の第一人者が監修しており、かなり事実に即した内容でした。憲法学ではそこそこ名の通っている私の通う授業の担当教授もそういったので、信頼できそうです。
授業で見たのは、数分間だけでしたが印象深いもので、学生さんたちもどうすれば全体を見られるのかと質問していました。

<以後、ウィキペディアからの引用>・・・・・・・・・・

憲法はまだか』(けんぽうはまだか)は、NHK日本国憲法公布50周年を記念し、1996年に放映したテレビドラマ日本国憲法制定までのいきさつや、草案をめぐって政治家GHQ民政局憲法学者たちが繰り広げた舞台裏の駆け引きを再現。全身包帯で巻かれた人間を「産まれつつある憲法の象徴」として登場させるなど単なる歴史ドラマ・政治劇の枠を超える斬新な演出が注目を浴び、放送文化基金賞優秀賞(1997年)を受賞。のち角川書店から小説として出版されている。

<引用終わり>
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私もさっそくYouTubeにアップされているこの作品をみました。
現在、憲法が「押しつけだ」「押しつけでない」などいろいろな意見があります。いろいろいう前に、まずこのドラマをみてから考えてほしいのです。ある人は「やっぱりおしつけじゃないか」という感想を持つと思いますし、他の人は「憲法研究会」という民間の日本人がつくった草案の存在に注目するでしょう。「国会でしっかり議論をしており、国民の声といってもよい」という人もいるでしょう。あるいは憲法制定過程におけるいろいろな問題点に気づく人もいるでしょう。だからこそ、見てほしいのです。
何れの立場の人も、憲法成立の事実関係を知るには絶好の作品だと思います。これをふまえて議論することで、よりかみあった議論となると思います。憲法を争点とした選挙がなされている今だからこそ、是非見てほしいのです。

ということで、このドラマをみて、どうしても戦後改革の部分を書き直したくなってしまいました。ある意味では、わたしはこのドラマをこのようにみたという結果です。

追記:この文章を書いてから、一年近くがたちました。不十分とは思いますが、本編でも憲法制定の経緯をまとめてみました。また日本国憲法の世界史的意味ついても触れてみました。多くの研究者の成果をなぞっただけですが、昨年前期にうけていた「憲法」の講義が少しなりと反映できたかなと思っています。(’17,6,14記)