日本の近現代史を大雑把につかもう。

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日本の近現代史を大雑把につかもう!

ご挨拶

こんにちは、日本史Aを担当します。よろしくお願いします。
私は、1955年の未年生まれ、昨年60歳で還暦となり、2016年3月に定年退職しました。
日本史Aという科目は、日本の近現代史を学ぶ科目です。
昔、ぼくが教えていた生徒で、「授業で教えてることなんか、作り事だ。何も信じないからな」とごろを巻いた生徒がいました。「そしてんな事言うけど、授業でやった時代、ぼくに優しく接してくれたおじいちゃんやおばあちゃんが生きていた時代やで。ぼくのおじいちゃんは近眼だったから、日露戦争へ行かなかったという話や」と話すと、いつのまにか元気がなくなってしまいました。ということで、まず、ぼくの年齢をネタに日本の近現代史を見ていきたいと思います。

ぼくが生まれる前、60年間の日本

年齢を逆にさかのぼると、日清戦争に

さて、私が生まれた1955年、昭和30年です
この年を軸にして、私の年齢である60年を逆にさかのぼってみるたいと思います。1895年、明治28年、日清戦争が終わった年です。
9年後、小学生時代に日露戦争が始まります。「冬の夜」という歌、知ってますか。「ともしび近く、衣(きぬ)縫う母は…」ではじまるとってもやさしく、おだやかな唱歌です。その2番の歌詞に、「いろりの端で縄なう父は、過ぎしいくさのの手柄を語る」というのがあります。子供たちは「眠さ忘れて、こぶしを握る」のですが、まさにそういった子どもの年齢にあたります。

17歳で大正。第一次大戦中に徴兵検査

17歳で大正。19歳のときに第一次世界大戦が始まり、戦争さなかに成人式です。この当時、20歳になると徴兵検査といって軍人になるための検査を受けることになっていました。
 へたをすると兵隊にとられて、ヨーロッパまでいったかもしれません。そのあとも、シベリア出兵というかなり激しい戦争があり、シベリアで凍えたかもしれない年齢です。関東大震災が28歳となります。

31歳で昭和。真珠湾が46歳で、50歳で終戦

31歳で昭和をむかえます。その後、満州事変が36歳で、日中戦争が42歳、太平洋戦争開始のときが46歳、職業軍人でない限り、兵士として戦場に行くことはなさそうですが、内地で竹槍の訓練防火演習をさせられ、空襲や原爆で命を失ったかもしれませんね。

東京書籍日本史AP132
1945年昭和20年、50歳で敗戦。その後も、食糧難の厳しい時代が続きます。でも、新しい日本に期待していたかもしれませんね。
そして、やっと生活が安定し、日本も豊かになり始め、「もはや戦後ではない」といわれはじめた1955年(昭和30年)私が生まれた歳となります。
私が、60年前に生まれていれば、このように戦争に次ぐ戦争の時代を生きてきたことになります。実際に私が生きた60年とのあまりの違いに驚くばかりです。

昭和30年代~戦争はまだ身近だった。

私がこどものころ、1950年代から1960年代、子供にとっては戦争は遠い昔のように思っていました。でも今から思うとまだ身近な存在でした。
10年というたら、ものすごく前みたいですが、私の年齢では10年なんてほんのちょっと前、いまだに今年はときかれて、「昭和」といってみたり、「千九百・・」といってしまうのですから。
母親たちもそうでした。いつも「ちょっと前の戦争」という言い方をし、雑草を指さし「あの草を食べたよ」なんていっていました。子供は不服そうに「戦争なんてものすごく昔の事やん」と口をとんがらせましたが。
墓参りに行くと、白い服を着た腕や足のない人(「傷痍軍人」といったけど)が昔の歌を歌ってられたし、戦死した伯父のたちの法事でいとこがよく集まりました。普通に「戦没者の家」というプレートが玄関先にはってあり、「あの家の息子さんは特攻にいかはったんや」という話も聞きました。
漫画やテレビでも戦争を扱ったものも多く、中学生?の頃、話題になった超アバンギャルドなテレビドラマお荷物小荷物では元「慰安婦」が家を訪ねてくるという設定もありました。(ただし、国籍については触れていませんでしたが、今から考えると日本人とは限らないようにも思えます)
戦争がまだ身近な時代でした

江戸時代生まれの人も?!

ちなみに、私の子供の頃には明治生まれの人は山ほどおられ、元気なお年寄りが「明治は遠くなりにけり」と嘆いていました。今の、ぼくたちでいうと「昭和は遠くなりにけり」という感じ。
小学校低学年の頃のテレビドキュメンタリーで「100歳になる○○おばあさんは5つの時代を生き抜いた」と紹介していたのを変に鮮やかに覚えています。5つの時代、どういう意味かわかる?明治大正昭和に加え、江戸時代の年号である慶応と元治という二つの年号をあわせて、5つの時代といっていたのです。江戸時代生まれの人がテレビに出ていました。
ぼくが生まれた年に100歳の人は、ペリー来航の3年後の生まれ。小学校時代には、江戸時代生まれの人も息をしていました。
今から考えるとすごく不思議な感じがします。

扱う時間、私の父の寿命ぐらいの時間

授業であつかう範囲は、1853年から2016年までの163年だけど、実際は時間の関係で1950年ごろ、よくて僕が生まれた1955年でしかいけないと思います。
 だから授業で実際扱うのは約100年。
昨年亡くなった父が93歳だったので、父の年齢より少し長いぐらいの期間。
この100年にとんでもないくらいのドラマがありました。

近現代史をグラフに書いてみる

この時期のイメージをグラフを書いてみたいと思います。
すると、こんな風な放物線状のグラフとなります。(右の図の左側だけを板書する)
たんなるイメージなので、つっこまれたら「ごめん、そんな気がする」というしかなないのですが、あまり異存がないような気がします。

<生徒のノートから>

下に掲げた図は、「生徒のノート」を拝借したものです。
グラフと赤い字は板書したものを生徒が写したもので、イラストや吹き出しは、私が授業でいったことをこの生徒なりに受け止めて書いたものです。
実際に授業では、左のグラフを書きながら前半を話し、「グラフの後半を」の部分から右の二つ目のグラフを書き始めた。

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出発点としての幕末

一番左側のあたりが1853年から1871年ごろの幕末・維新と呼ばれる時代。列強の力を思い知らされ、不平等条約を強要されます。それをきっかけに、国内の混乱が広がり、ついには内乱が発生する、そんな時代です。

「坂の上の雲」をめざした「明治」、富国強兵

そうした状態を改善すべく、当時のリーダーたち「列強に追いつけ、追い越せ」と猛烈な勢いで「近代化」を進める。こうした「富国強兵」の時代が「明治」時代。
最初のころは「日本のものはすべてダメ!欧米のものが素晴らしい!」とばかりに、産業も、経済も、文明も、制度も、そして軍隊も、すべて欧米のものをまねる。日本の良さも、国民生活も、命さえも犠牲にしながら、強引に近代化を進める時代、それが明治時代
作家の司馬遼太郎がこの時代を題材にした小説にうまい題名をつけました。当時の日本にとって欧米ははるか雲の上にいて、明治の日本人たちはそれをめざして険しい坂を必死で上っていきました。「坂の上の雲」というのがその題名です。数年前、NHKでやっていたので見た人もいるかもしれませんね。
松山に生まれた日露戦争で活躍した秋山兄弟と正岡子規の三人を中心に明治時代を描いた。
この放物線が上に向かって上がっているあたり。
二回の戦争もしました。日清戦争と日露戦争。とくに日露戦争はものすごく厳しい戦争でした。ちなみに「坂の上の雲」は日露戦争が主な舞台になっています。

「世界の一等国」?!になった「大正」

日清・日露二つの戦争を経て、日本も列強の一角となる、これが放物線の頂点あたりのなだらかな部分です。がむしゃらに坂をよじ登ろうという空気は薄れ「世界の一等国」として振る舞おうとした時代です。でも、坂の上の稜線上には思ったようなものではなかったのですが…。とりあえず、括弧付きではあっても「平和」な時代が来ました
今、日本で使っている年号(「元号」)は、天皇がその地位にあった時期で区切っているだけだけど、不思議にイメージがかぶるのです。
この時期、おもに「大正」時代。大正デモクラシーなんて言葉もあるように…、デモクラシー…「民主主義」。民主主義なにおいがする時代です
政府も一等国として「紳士的」に振る舞おうとしました。第一次大戦におけるドイツ捕虜に対し、「おもてなし」の精神を発揮し、ドイツでも賞賛されたりしました。20数年後とはまったく違う対応をしています。がんばって世界(実際には欧米列強だが)と仲良くしようとしていました。しかし、大正時代が15年しかなかったように、こうした時期は短かったのです。

「戦争と破滅」の時代、「昭和前半」

そして、昭和(正式にいうと昭和前期・あるいは戦前戦中期)にはいります。
ブラックホールに吸い込まれるように、日本は戦争へ、破滅へと突き進んでいく、これが放物線の下向きの部分。
日本は15年間つづく戦争をして、ぼろ負けをします
わがままばっかりいって世界から孤立し、中国に戦争、ついにはやけくそ気味にアメリカやイギリスの戦争をふっかける
1945年(昭和20年)敗戦。日本は再びどん底に落ち込んでしまう、それがこのグラフの底の部分です。

グラフの続きを書く。戦後の日本。

敗戦と戦後復興~ふたたび、どん底から

どん底の中から日本は再び立ち上がっていく
去年はここで終わっていたんだけど、今年はこのグラフの続きを書いてみることにします
日本は1945年から51年までアメリカに占領されます
占領下で、憲法を作ったり、日本の経済システムを改めたり、人権と民主主義を定着させようとした戦後改革がすすめられました。最近、この改革は「本当に日本のためだったのか疑問。アメリカが日本を都合良くつくり変えようとしただけではないの?」という人も増えてきました。
その結果「いまでもアメリカは、日本とくに沖縄の多くの基地を使いたい放題。その費用も日本が払っている。法律においても、憲法よりアメリカの都合が優先されている。アメリカのいうことを聞かない総理大臣はすぐやめさせられる・・・。」と。
ちょっと言い過ぎのような気もしますが、アメリカの都合で戦後の日本、とりわけ戦後改革が動いたことは事実だと思います。
昭和天皇と並んでたつマッカーサー元帥。当時の人々はこの写真を見て敗戦を実感したという。
 戦後改革の背後には、「もう二度と戦争はしたくない」「これまでの日本はおかしかった、もっと素晴らしい日本にしたい」といろいろな形で行動に立ち上がった人々もいました。日本国憲法を感動をもってうけとめた人々がいました。
 当時の政府の中枢にいたのは、日本が戦争で負けたことの意味を理解できず、負けた理由も深く考えない人たちでした。かれらはできるだけ戦前のやり方を続けたいと考えていました。だからアメリカの指示をすこしずつ都合よく書き換えながら、改革をすすめました。憲法9条も、人権の尊重も、国民主権も、「天皇さんのいる日本を守るためには仕方ない」と考えうけいれたのです。この流れを引き継ぐ人が、いまだに「憲法はアメリカに押しつけられた」といっているのです。
こういった国内のいろいろな考えや運動、アメリカの政策(これも冷戦の進行もあって一枚岩ではありません)、さらに「二度と戦争はいやだ」とくに「日本の軍国主義復活は絶対に困る」という世界の世論などの相互作用の結果、戦後の改革があり、現在があると思っています。

新たな坂を上っていく~「高度経済成長」

この時期を底として、日本はまた必死になって、坂を上り始めます。まるで明治時代の「おいつけ、おいこせ」がよみがえったみたいに、「富国強兵」の時代に逆戻りしたみたいに。しかし「強兵」が抜けた分「富国」=経済を中心に…。やはり、明治のときのように、他の多くのものを犠牲にして…。
そして日本のGDPは世界第二位にまで駆け上がる。この時期の日本の経済発展を…「高度経済成長」といいます。
こうした流れが変わるのが、オイルショック、このあたりから低成長といわれましたが、すぐ立ち直りを見せ、経済大国といわれるようになります。
この辺のグラフは、急カーブから緩やかなカーブへと変わっていきます。

冷戦終結、バブル崩壊、「失われた年月に」

このグラフが下向きになるのが、昭和天皇がなくなり、平成時代にかわった1989年ごろ
1989年は、ほんとうに激動の年でした…。
戦後一貫して続いた冷戦が終わり、東側・共産主義陣営が崩壊。中国では政府軍が民主化を求める学生を大量に弾圧します。
この年がグローバリズムが本格化するきっかけと言われています。
このころ日本はバブル景気といわれ異常な、本当に異常な好景気に沸いていました。
公務員みたいな安月給でどうするんだ」と馬鹿にされ、「自分の家を持つことは一生無理だ」とあきらめました…。
でも多くの人が「こんなことはいつまでも続くはずがない」とも思ってもいました。
そしてバブルにひびが入りかけたのもこの年を超えたあたり。
以後、日本は「バブルの崩壊」から「失われた十年(十五年…)」という低迷期にはいっていきます
グラフは一気に下向きの度合いを高めていきます。
そして21世紀を迎えます。
みんなが、歴史の舞台に登場するのがこのころですね。
 僕は、ときどき今の高校生に申し訳ない気持ちになります。
というのは、僕が育ってきたのは、グラフの上向き、いわゆる右肩上がりの時代の時代。だからいつでも「きっと良くなる」とついつい楽観的になってしまいます。
それに対して、僕たちは君たちに「世の中が良くなるという展望をもっているのかなあ」と思ってしまうのです。

それでは現在はどこにいるのか。

 では、下向きのグラフは上向きになったのでしょうか。
これまでは、だれが書いても、あまり変わらないグラフになると思います。でも現状をどう見るかは意見が分かれるでしょう。ある人は「アベノミクスで上向きとまではいかないまでも下げ止まった」というだろうし、「いや、いっそう下向きになっている」という人もいると思います。
もう一度、グラフを見てください。新しく書いたグラフと最初のグラフが相似形になっている気がしませんか。
そして、下向きと考えた場合、前半の先にあったのは・・・戦争と破滅でした

主権者として、未来に生きるため

高校二年生のみんなは、来年には選挙権をもち、主権を行使する立場になります。これから後の日本がどういう風に進めるか、責任を負う立場になります。このグラフを左側と同じに方向に進めてしまうのか、違う形にするのか、僕たちと同じように、君たちも責任を負わされるのです。

僕らは子供だから関係ない」という言葉は通用しません。
年寄りは、先に死んでしまうのです。君たちに与えられた責任はより大きいのです。みなさんは、すでに歴史という壮大なドラマの登場人物になってしまっているのです・・・。

そう、人類の歴史に責任を負う立場なのです。

そんな責任、持ちたくないなんていわないでください。
実は、憲法のこと、安全保障のことなど、若い人がもっとも関わりが深いからこそ18歳選挙制を導入したのだという人もいるくらいですから。
投票にいかないと「せっかく機会をあたえたのに、若者は白紙委任したのだね。だから勝手にやっていいということだよね」となります。

一番痛い目にあうのは君たちです。

日本の歴史は、みんなが未来に責任をもって正しく判断するための参考になります。一年間、いっしょに考えていきましょう。

実際の授業の進行について~業務連絡

次の時間から最初の時間は、近現代史以前(前近代史ともいうけれど)について勉強していきます。
しかし、気をつけないと、ドツボにはまってしまい、来年の三月に、やっとペリーさんがくるなんてことになりかねないので、戦国時代ぐらいからはじめます。
 それ以前は、小学校や中学校で勉強したと思うので…
次の時間、小中学校で習ったことの復習テストをやります!かなり点数に入れるから、そのつもりで。
就職試験や公務員試験、大学をでてからの就職試験でもこの程度の内容が出ているのでやっておく方がいいと思いました。この程度の内容がまず基本です。
テストの内容は、今から配るプリントの内容から出します。まず時代名とその順番、時代のイメージ、主な人物や出来事くらい、しっかり準備するように。
何もしなくとも満点取れる人が多いと思うけど。
では、今日の時間はこれでおわり。ありがとうございました。

元高校教師の近現代史の授業と講座を公開します