世界初の近代戦争~日露戦争の発生

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<前回の授業 日露戦争への道(2)>

 

<生徒のノート(板書事項)より>

次回分も含めてのノートである。自分の工夫で地図を作成したり(授業中、地図は見せたが書いてはいない)、戦費をグラフにしたり(これも書いていない)、人々の声を吹き出しにしたりして、非常に考えたノートになっている。

日露戦争1

日露戦争2

 

日露戦争の開戦

じゃ授業を始めます。

前回前々回は、日露戦争がどのようにして起こったのか?という原因を二回に分けて見てきました。

今日からは、実際の戦闘とそのなかで出てきたいろいろな問題を見ていきたいと思います。

では、 プリントに即しての確認から。

日露戦争は1904年にはじまって5年に終わった。

当時の首相は…桂太郎

伊藤によるロシアとの交渉が決裂したのち、1902年、ロシアが嫌いな国…イギリスと日英同盟を結ぶ

戦争の概況

宣戦布告前の奇襲

戦争は1904年、(明治37)年2月8日に、韓国の仁川沖にいたロシア艦隊と旅順軍港にいたロシア艦隊への奇襲によって始まる。

そして2月10日に宣戦布告をして、日露戦争が始まる。日清戦争も、日露戦争も、宣戦布告前に攻撃をするという反則ではじまる。
このときは、問題にならへんかったんやけど、これから37年後の対米開戦では、このやり方が大問題になる。今でも、アメリカ人が原爆を落としたことの免罪符にこのことをいう。しってるか「リメンバーパールハーバー」って。

ただ、昭和の政府のために一応弁護しておくと、日本政府は一応、真珠湾攻撃の前に宣戦布告は渡そうとしていたことは事実らしい。でも、日本大使館の送別会かなんかで渡すのが遅れたいうことになっている。事実ではあるが、軍の側では、できる限り、ぎりぎりになってから渡してほしいという思いがあったのも事実みたい。それが真珠湾攻撃と宣戦布告の時間逆転の背景にあったのは確かやと思う。

陸軍の戦いと補給

日本軍は一〇〇万人という大軍を主に中国東北部(「満州」)南部に展開した。陸軍は、旅順攻略戦、遼陽会戦、そして奉天会戦という戦いで、なんとか優勢のうちに戦いを進めた

日露戦争関連地図
山川出版社「詳説日本史」P290より

前の時間にもいったかもしれないけど、補給という意味で日本とロシアと比べた場合、どっちが優勢やったのかと考えてみる。

日本の方が戦場にはるかに近いから優勢と思うかもしれへんけど、ロシアはシベリア鉄道なんかを使って、ストレスなしに軍隊を展開できる。列車に兵隊と武器弾薬を積んだら、数日後には戦場のそばまで運ぶことができる。

ところが日本はどうやろうか。ちょっと厳しいものがあることが分かるだろうか・・・・。そう、海、対馬海峡なんかの存在や。陸軍が兵隊を送ろうと思っても、ロシア海軍が輸送船に大砲を撃ち込めば、兵隊さんが何百人もおぼれ死ぬ。必死の思いで集めた食料も、作った武器・弾薬もおしまいだ

シーレーンをめぐる攻防~旅順攻略戦の意味

だから、ロシアの船を対馬海峡あたりの補給路(軍事的には「シーレーン」いうらしい)が来させないことが至上命題となる。日本が開戦時、反則技を使った理由、わかったかな。

ロシアの軍艦、太平洋艦隊の動きを封じることが海軍の最大の命題だったのだ。だから海峡に一番近い仁川のロシア艦隊を襲い壊滅させ、さらに太平洋艦隊の最大の拠点旅順に小型船を潜り込ませて一隻でも多くの船を沈めようとしたんだ。

でも旅順の方はうまくいかなかった。

日本側としては、旅順の軍艦が黄海から対馬海峡、日本海へと出てこないようにするため必死やったんや。
日本にとって、最悪のシナリオがあった。

ロシアは広い国だ。ロシアに面した海は3つある。一つは日本海、ここに置かれたのが太平洋艦隊。第一拠点は旅順。第二の拠点がウラジオストク。一部が仁川にいた。

旅順とウラジオが逆だったら日露戦争は下手したら負けていたのちがうかな。日本軍は少数のウラジオの艦隊のために痛い目にあっているんだから。

二つ目は黒海、ここにも黒海艦隊というのがある。司馬遼太郎なんかにいわせると、ぼろ船が多く、バルチック艦隊の足を引っ張ってくれたおかげで、日本は得をしたいうてるけど。

三つ目が大西洋につながるバルト海。ここにバルチック艦隊という最新鋭の軍艦を集めた艦隊がある。
戦争が始まると当然バルチック艦隊が日本に向けてやってくる。そして、太平洋艦隊と一緒になって日本の輸送船を襲い、さらに日本の港を襲い、上陸作戦なんかをしたら・・・

だから、バルチック艦隊がやってくる前に太平洋艦隊を始末して、それもできるだけ被害が少ない状態で。そしてやってくるバルチック艦隊を迎え撃つという戦略が必要となる。

ロシアの側からすれば、バルチック艦隊が来るまで太平洋艦隊を温存すれば勝利は間違いなしとなる。だから、ウラジオストクへいければ最高だけど、だめなら旅順で我慢しようとなる。

旅順攻略戦

日本海軍は、入り口の狭い旅順港に船を沈めて出られないようにしようとしたり、爆雷を敷設して待ち伏せをしたり、いろいろ手段をとる。

総攻撃中の黄金山(正面)と203高地(右奥)

 

一度は、ウラジオに向かおうとしたロシア艦隊だが、日本海軍との激しい海戦ののち、旅順でがまんする作戦をとる。バルチック艦隊がくるのをひたすら待つ作戦をとるんだ。

時間がたつにつれ、日本が不利になる。日本はやむなく陸側から旅順艦隊をつぶす作戦をとらざるを得なくなる。こうして始まったのが旅順攻略戦だ。

乃木希典将軍のもと、何度攻撃しても旅順要塞は破れない。
要塞を作る技術はロシアが世界最高だったいわれている。
そのロシアが作った要塞だ。
考えてみてほしい。けわしい山の上に、コンクリートで固められた要塞が築かれ、そのわずかにひらいた窓から銃が狙っている。そこに向かって、いっそう銃火がひどくなる中を、山に登りながら突撃していく。
こっちからは滅多に当たらず、向こうからは狙いたい放題だ。いかに訓練しても、戦死するかどうかは、かなりが確率論の問題だ。日本側も日本最強と言われた北海道の旭川から行った師団は二万人の部隊が、数日の戦闘で大部分が死傷し、戦闘が終わった時点で無事だったのは1900人程度であったという。そんな戦闘が続いた。最終的には、死者が両軍合わせて3万数千人負傷者が7万5千人近くという激烈な戦いとなる。
こうした激しい戦いの結果、日本軍は二〇三高地、聞いたことがあるかな、この高地を占領、そこからの指示で、巨大な大砲をうちこんで太平洋艦隊を全滅させた。

黄金山より見た陥落後の旅順口港内

実はそれまでの戦いで、ロシア太平洋艦隊はスクラップ状態になっていたという説もあるが。

奉天会戦~日本軍の惨勝

ロシアは世界最強の陸軍を持つといわれている。

激しい戦いの連続で、日本軍は大量の犠牲を出しながら北上していく。そうしたなか、日露両軍が正面から戦ったのが奉天の会戦だ。

ロシア軍32万人、日本軍21万人、50万人以上の兵隊が参加する戦いとなった。日本のかなり大きな都市ぐらいの人数が戦争に参加したんだ。日本軍は苦戦を強いられ、敗北寸前までいったといわれているが、ロシア軍が撤退し、この地を守り切った。

これをもって一応優勢勝ちとされる。しかし、これ以降、陸軍は戦い続けるだけの力を失った。ぼくの勝手な造語だが「惨勝」とさえいえるような勝利だった。

なぜロシアは撤退したのか?

ロシアはなぜ撤退したか、いろいろな説はあるが、こんなこともいえる。

ロシア(ソ連時代も含んで)は、世界史を変えたと言われる戦いに2回も勝利している

一度はナポレオンのロシア(モスクワ)遠征、今一度は第二次大戦における独ソ戦だ。そしてこの二回の戦いに共通点がある。

つまり、ロシアの大地深くに引きずり込んで、ロシアの厳しい冬(冬将軍)の力で、相手の動きを封じ込めて、反撃していくというやり方だ。
ロシア側に、この歴史の経験(とはいえ、この段階ではナポレオン戦争の経験しかないが)がなかったとはいえないだろうか。
しかし、ロシア側もこの戦い以後、兵力の損傷とともに士気の低下が著しく、やはり戦う余裕はなくなりつつあった。

陸軍はこれ以上戦えなかった!ロシアも?

日本陸軍は、持ち駒を使い果たし、将棋なら投了寸前になっていたことは間違いない。最前線から「早く講和を進めてくれ」という悲鳴のような声が届いていたという。東京からは、「もっとすすんで、占領地を広げよ」というお気楽な命令が検討されていたのだが…。
40年後の悲劇の前兆を感じさせるエピソードだ。
しかし、ロシア側も、別の意味で投了寸前だったのだが。

日本海海戦~バルチック艦隊の「悲劇」

この段階で、バルチック艦隊が日本に近づいている

少しバルチック艦隊の話もしたい。彼らのことを考えると、あまりのかわいそうさに涙が出そうになる。
考えてほしい。

バルチック艦隊・及び黒海艦隊の航主力はアフリカ南端の喜望峰を経由して33,340キロもの長大な距離を半年かけて航行した。

寒いロシアのバルト海から出て、ヨーロッパではイギリス海軍に襲われるのではとびくびくしながら南下。スエズ運河が使えないから、赤道を越え、アフリカの最南端の喜望峰を回る。途中途中でイギリスに嫌がらせをされ、入港できる港がなかなか見つからない。同盟国のフランスさえも露骨にいやな顔をする。(実はイギリスとフランスは軍事同盟を結ぶべく話が進んでいる)。
唯一、歓迎してくれるのはドイツだけ。寒いところから、暑いところへいく。寒いところに強いロシア人が赤道付近でどんな思いをしただろうか。休めないし補給も困難、伝染病も発生する。
こんな苦労をしながらやっと目的地であるにウラジオストクに接近する。兵士たちをゆっくり休ませることも、船のシェープアップもできないまま。
やっと目的地が目前にせまる。へとへとに疲れた彼らの前に、船も兵士たちもリフレッシュし、訓練も十二分に積んだ日本海軍が現れる…。

日本海海戦に向かう連合艦隊(「朝日」艦上より)

日本海海戦にてバルチック艦隊壊滅完敗。多くのものが命を失い、他のものも日本軍にとらえらる。
ウラジオについたのはごくわずか。
彼らの航海はいったい何だったのか、無惨な死だけのために、二万キロ以上の苦しい航海をしたのだと考えると胸がつぶれる気がする

日露戦争の経済学

史上初の「近代戦争」「消耗戦」

海軍は圧倒的な勝利をしたものの、陸軍はもはや戦える力を失う状況となっていた。

日露戦争は、史上初の近代戦争であったと言われる。

ここで用いられる武器弾薬の量も桁違いであり、戦死者も負傷者もすべて桁違いである。戦争に使われる戦費も桁違いであった。こうしたことは、これにつづく第一次大戦の悲劇を先取りしていたと言われ、日露戦争を観戦していた欧米の軍人たちにも衝撃を与えるものであった。

緒戦のわずか数日間で、日清戦争以来、営々と製造してきた弾薬の約半数を使い尽くしたとさえ言われるほどだ。

膨大な戦費をどのように調達したのか?

一度始めた戦争はやめられない。だから日本は必死になって武器弾薬を作り、かつ輸入し続ける

戦争の費用(戦費)も膨大となった。じゃ、戦費はどのようにして調達するのかな

最初に考えるのは・・・・そう、増税。おもに間接税、現在の消費税をあげるんだね。これで5億円ほど調達できる。

まだ足りないから、・・・国民からの借金(内国債)、これで6億円、まだまだ足りない。
だから、・・・・、外国から借金(外国債)をする
でも誰が貸してくれる?そう、同盟国のイギリス、それからロシアを嫌っていたアメリカから借りた。これが7億円。
日本は、外国からの借金で戦争をしたんだ

だれが、なぜ、貸してくれたのか?

でも、なんで貸してくれたのかな
イギリスでは何でも賭けにする業者がいるんだけど、日露戦争での「賭け」、つまり日本とロシアのどっちが勝つかという賭けは成立しなかったといわれている。わかる?
日本が勝つとは誰も思っていなかったんだ。誰も
本来なら、イギリスという国も貸してくれないはずだね。
負ける国にカネを貸す「馬鹿」は、いくら同盟国でもいないよな。
でも、カネを貸した人たちがいた。ロシアを嫌い抜いている大金持ちたち…。
欧米における大金持ち、金貸しはどういう人が多いか知ってる?ロスチャイルド家をはじめとするユダヤ人たち。第二次世界大戦後、イスラエルという国ができたが、それは「彼らがイギリスからパレスチナを買ったから」と言われるほどだ。

ユダヤ人たちの思い

なぜ、かれらがロシアを嫌い、日本人を応援したのかって。

19世紀の末ぐらいからロシアではポグロムというユダヤ人に対する迫害がひどくなっていたんだ。だから、ユダヤ人の仇、ロシアと戦っている日本を援助しようという動きが生まれてきたんだ。

開かれた戦争~宣伝戦は戦費につながる

金が足りない日本は、宣伝作戦を展開する。欧米人記者を戦場に招き、欧米のマスコミを引き込んで、日本軍が勝っているという好意的な記事を書いてもらおうとした

日露戦争は、ある意味開かれた戦争という性格を持っていたともいえる。

欧米の記者たちは「飲ませて食わせるが戦場に近づけない」という日本のやり方に反発して冷淡な態度をとっていた。しかし日本側が、従軍を認め、苦戦しながらも日本軍が北上していくのをみて、「日本が優勢だ」という記事も現れ始める。賭けも成立するようになり、ユダヤ人を中心とする金持ちたちの財布も緩んでくる。

旅順攻略戦において司馬遼太郎にボロクソにけなされた乃木大将だがこの人物の古武士的な風貌が、アメリカ人記者を魅了し、ファンも生まれてきた。こうして、欧米のマスコミの評価も変わっていく。

しかし、戦争が長期化するにつれて、どこの国も、どの金持ちも、しぶくなってくる

<つづく ポーツマス条約・靖国神社

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