ポーツマス条約、靖国神社~日露戦争終了

Pocket

<前の時間:世界初の近代戦争日露戦争の開戦

日露戦争、ポーツマス条約、靖国神社

<生徒のノート(板書事項)>

今回は2名分のノートを紹介する。

上の2枚を書いた生徒は、板書事項というよりも、内容をいかにイラストで表現するかを考えている。

下の1枚はエピソードをうまく組みこんだノートとなっている。
国民の声をしっかり組こんでいるので、紹介した。
自分なりの学習内容も一部組こんでいるみたいである。

日露(赤堀) 日露赤堀2

日露戦争のノート

日露戦争と国民

戦争の実態が伝えられるということ

日露戦争が始まると国民は、最初は熱狂的に戦争を支持した。

しかし、戦争の実際の姿を知るうちに、流れが変わりだす。
国民にとっての戦争は、
第一に、ただでさえ重い税金がいっそう増加すること。
第二に、自分の周りの人が、夫が、子供が、兄弟が、恋人が、召集されて戦場に連れて行かれること
そのことは直ちに、家族の生活の困窮につながった。
いやがって脱走する兵士もいた。
東京書籍「日本史A」p91
夫を連れて行かれて、生活がたちいかなくなって一家心中をする家族もいた。兵士が帰ってきたら、みんな死んでいたという悲劇も。
そして戦闘で、戦傷で、病気で、兵士が傷つき、命を失うことだった
平和に生きていた江戸時代の百姓が、「近代国家の国民になる」ということはこういうことでもあったのだ。

厭戦気分の広がり

人々は、少しずつ戦争の姿を知り始めてきた。
鉄道や船は軍事目的に使われるし、食べ物や工場で作ったものも、軍事目的が優先されるもんやから、生活必需品も乏しくなり、値段も上がる。
農家では、人だけでなく、牛や馬までもっていかれる。農業生産にも影響がでてくる。
こうして「もういやや」という厭戦気分が広がっていく

「君死にたまふこと勿れ」

こうした国民のもう一つの気分を示した詩があるんだけど、知ってる?女性歌人が詠んだんやけど・・・?
東京書籍「日本史A」P91
そう、与謝野晶子の「君死にたまふこと勿れ」。
晶子の弟は、旅順の戦いに従軍した。その激戦のようすが次々伝わってくる。
晶子は詠むんだな。親は、家族は、あなたが人を殺したり、人に殺されたりするために育てたんじゃない。死なないで・・・。
そういう、率直な思いを詠んだんだ。
当然、激しい批判にもあうわけだけど。
ただこうした詩が詠めるだけでも、この時代は、まだましだったのかもしれない。
前に見た幸徳秋水や堺利彦らは「平民新聞」で戦争を批判し続けている。

日露戦争の終結

ロシア第一革命の発生

こうした厭戦気分は、相手側のロシアでも強かった。
曲がりなりにも国民の支持を得ている日本とは違って、ロシアでは政府への不信も強く、明確な反政府運動もある。
日本は、強い相手に対して善戦しているからいいものの、ロシアは、格下で、あっという間にやっつけられると思っていた日本に対し苦戦どころか押されている。
国民への不満も高まる。
1905年になると、血の日曜日事件をきっかけにロシア第一革命と呼ばれる革命が発生し、ロシア政府は日本との戦争どころではなくなる。
帝国書院「図説日本史通覧」P229
 
日本はというと、前回見たように、兵隊も、カネもいっぱいいっぱい。満州にいる陸軍の大山巌元帥からは「早く講和せよ」との矢の催促もある。アメリカやイギリスも金貸すの渋ってきた。
機は熟してきた。

ポーツマス講和会議開催~アメリカの「本音」

日本も、ロシアも戦争をつづけることが困難になった。
こうした様子を見ていたのが、アメリカだ。ひょっとすると、イギリスも同じ思いを持ったかもしれない。
アメリカは、強引な中国侵略をすすめるロシアを嫌っていたから日本を応援していたが、日本が優勢に立つのをみて、新たな脅威を感じ始めた
ロシアに、いや日本に。
このままでは日本が勝つ。圧勝でもしようものなら、東アジアにおける日本の影響力が強まり過ぎるのではないか。ロシアにかわって日本が出てくるだけではないかと。
ここでアメリカ、大統領はセオドア・ローズヴェルト
あとでフランクリン・ローズヴェルトがでてくるからファーストネームも必要。略す時はS・ローズヴェルトでなく、Tだから気をつけてね。歯で舌を挟んでの「TH」だからね。
この大統領が、両国に「そろそろ、戦争をやめたどうか」と双方に声をかけてきた。「アメリカが仲介してやるから」と。
日本としては、最大の援助国から声をかけられたのだから、どうしようもない。「いやなら、もう金貸さへんで」といわれたら戦争はつづけられない。
両国とも、今までみてきたように、もう続けられない状況であったから、「渡りに船」だったかもしれない。
こうして、アメリカの軍港ポーツマスで話し合いが始まることになる。
日本側全権は外務大臣小村寿太郎。本来なら、伊藤あたりの大物が行くんやろうけど、やや小ぶりな代表や。伊藤あたりは、どんなことになるか分かってたから逃げたのかもしれないね。
というのは、宣伝してるほどの圧勝でもないし、アメリカも日本にきびしくなりつつあるとの動きもつかんでいただろうし。
責任を小村に押しつけて、二枚腰で対応しないとまずい」との「大人の判断」もあったかもしれないね。

講和条約の内容は

講和会議では、日本の味方と思っていたアメリカが、どっちかというとロシア寄りとも見える動きをする
韓国の指導監督権」と、「旅順・大連の租借権引き渡し」、「のちの南満州鉄道南部(長春以南)の敷設権」などで話をつけようとする。
小村からしたら、こんなもんで終わったら、どない言われるか分かっている。だから必死で「領地をよこせ、金をくれ」と主張しまくった。
その結果、「北緯50度以南の樺太の割譲」「沿海州などでの漁業権」を獲得、これ以上はあかんいうことで妥協した。
こうして結ばれたのがポーツマス条約だ。
日露戦争後の東アジア 帝国書院「図説日本史通覧」P229

よくよく考えたら、小村は頑張ったかもしれない。領土の割譲を認めたいうことは、ロシアが負けたということを示すことになるし、韓国と「満州」の権利を得たということは、この戦争の目的からみると成功といえるのかもしれない

伊藤なんかは、「小村よくやった」と思ったかもしれない。最初から、きついと思っていただろうから。

国民の怒り爆発~あの戦争は何だった?

しかし、一般の国民にとって、ポーツマス条約はどう映ったか。政府やマスコミから「日露の戦争大勝利」と吹き込まれていたにもかかわらず、得たものはなんだ。
「韓国の指導・監督権」そんなこと言われたかて分からへん。
「旅順大連の租借権」、日清戦争ではこの二つの都市を含む遼東半島全部を手に入れていたんや。
「鉄道敷設権」いうたかて、ロシアが清からもぎとったもんに過ぎないやないか。
「樺太」だって、千島樺太交換条約までは、日本のものでもあったではないか。
「日清戦争の時の戦果と比べてはあまりにも乏しい」という声は当然であった。
しかし、いちばん大きいのは、賠償金がもらえなかったこと
何、贅沢言うてんねとと思うけど、よう考えてえな。
日本は、アメリカやイギリス、さらに国民に膨大な借金をした。金がもらえなかったらこの借金がこれからの日本、国民にずしっとかかってくる。
東京書籍「日本史A」P90
「戦争の時だけの臨時的な増税」いうことで我慢したけど、こんな借金が残ったら、増税をやめるどころか、さらなる増税がかかってくる。生活はいっそうきつくなる。
こうして考えてるうちに、こんなことも思いはじめる。
戦争で死んだり傷ついた兵隊さんたちの犠牲にこの条約の戦果は釣り合うのか、戦争中の国民の苦労に釣り合うのか?」
釣り合うわけがないし、苦労が報われるどころか、いっそうの負担も食らう。だから国民は、この条約締結を聞いて激怒した。

日比谷焼き討ち事件

東京の日比谷公会堂で、条約反対講演会が開催された。
こんな条約はあかん、戦争を続けよう」「小村は売国奴や。戦争で死んだものは無駄死になってしまう」なんて感じで盛り上がった。
東京書籍「日本史A」P91
その勢いで、集まった群衆が暴動を起こし、交番や新聞社を襲ったりするという大暴動を起こす。
これを日比谷焼き打ち事件とい。
群衆が、好戦的、排外主義的になった評価された。確かにそうだけど、同時に、政府に「よくもこれまでだましてくれたな」という怒りの面も持っていたといえる。政府に対する民衆運動という面では、大正時代になって活発化する民衆運動のさきがけという意味もある

「戦争での死」をどう捉えるのか。

戦争で死んだものは無駄死にだったのか
この問いかけは政府にとっても大きな問いであった。
あの戦争で死んだ人間が無駄死にということならば、これからあと国民に、戦争のため命を捧げてくれといいにくくなる。

靖国神社、招魂社、忠魂碑

これにたいし、政府はどうした答えをだしたのか、分かる?
時々新聞で出てくるやろ。中国や韓国が…公式参拝はけしからん…いっている?知らん?、
靖国神社。聞いたことがある?
靖国神社の存在感が、日露戦争の以後、急速に拡大してくる。
政府は「あの戦争は、日本のための戦争で、戦争で死んだもんは日本を守る神様になって、靖国神社でお祀りされるようになったありがたいことに、天皇様自らが、百姓の小せがれを、うちの息子を、…を、神様として拝んでくださる。そやから戦争で死んでも命は惜しくない
こういう理屈や。
こういう理屈で、これから後の戦争では兵士たちが「靖国神社であおう」という合い言葉が生まれたりする。
靖国神社の横の資料館では、人の名前の下に(・・・「命」という字がついてる。何かいなと思たら命(いのち)と違て「ミコト」いう神さんとしての名や。死んで神様になったいうことで「命」いう漢字がついている)
こんなふうにして、人々に戦争における死(それは軍人としての死で、空襲なんかの死は含まれない、いわんや敵方の死者なんかは論外だ)を納得させる役割を果たしたのが、靖国神社や。
さらに各都道府県には招魂社(のちの護国神社)がつくられ、村々には忠魂碑いうのがつくられることになる。神社の境内とかに時々立ってるけど、みたことないかな?

中国・韓国などの公式参拝批判について

ひとこと、コメントしておく。
中国や韓国の政府が、大臣の靖国神社の参拝を批判してるのは、今言ったような戦死を納得させるという機能にたいしてではない。
どこの国でも、靖国神社的なものは存在する。各国にある「無名戦士の碑」とかいうものがそうであって、外国に旅行に行ったら頼んでもいないのに案内されることもある。アメリカでいうたらアーリントン墓地がそれにあたる。だから、これは問題にしていない。
だから、何の問題もない、というわけではない。戦争を正当化する装置であるという批判もある。逆に国のために死んだのだから国家が責任を持って祀るべきだとの意見もある。憲法の精神にしたがって、現在の人間が判断すべき問題だ。
安倍首相の靖国神社参拝へのアメリカの「失望」2013年12月27日東京新聞
では、中国や韓国、さらにはアメリカも問題にしているのはどういう点か?
日本は、満州事変以後太平洋戦争にいたる侵略戦争を行った。
世界はこの戦争は不正義の戦争と考え、裁判をし、1930年代以降の戦争(日中戦争やアジア太平洋戦争なども含め)の責任者を犯罪者として罰を与えた。とくに7名を死刑にすることで、日本が行った戦争は間違いだったと確認した。
ある意味では責任を押しつけられて、死刑とされたともいえる。
彼らに責任があったのも事実、うまく責任を逃れ、逃げ切ったものがいるのも事実。日本人の手で裁判を行わず、外国人による裁判に任せたという問題もある。
結果として、死刑にされた人々はあの戦争が間違いだったという証である
 ところが、どうしたことか靖国神社が「勝手に」彼らを日本のために死んだ「神」として祀ったんだ。
とすると世界の人々は思う。「あの戦争の責任はどうなるのだ」「日本は、あの戦争は正しい戦争で、理不尽にも責任を押しつけられて殺されたかわいそうな犠牲者だ、とでもいいたいのか」そして「いったい、日本はあの戦争が間違った戦争だったと、心の底から認めているのか」という論理になってくる。
靖国神社というただの神社が勝手にやったのなら、それはそれでかまわない。ところが、ここに政府の高官、とくに総理大臣が詣るとなると大問題だ。
間違った戦争の責任者としてけじめをつけるて処刑された人を神様として祀り、政府の責任者が公的に彼らを拝むいうことは、「あの戦争が間違いだった」という国家としての反省を疑わせる。日本は本当にあの戦争を反省もしてないし、間違いだったとも思っていないのではないかと疑わせる・・・。中国は、韓国は、そしてアメリカも、この点を問題にしている。
ついでにいうとくと、自分の家族を靖国で祀ってほしくないいう人(戦争の時は「日本人」として戦争に行かされた韓国・朝鮮の人や台湾の人もふくめて)もたくさんいるいうこともつけくわえておく。
 <次の時間:韓国の植民地化

元高校教師の近現代史の授業と講座を公開します