日露戦争への道(1)閔妃殺害事件と北清事変

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Contents

日露戦争への道

 

<生徒のノート(板書事項)より

的確に授業内容をまとめているノートである。

 

 

日露戦争の概略を知ろう。

それでは授業を始めます。
今日は、日露戦争への道ということで、日露戦争がどのようにして起こったのかを見ていこう。
その前に、日露戦争について、簡単に見ていくことにする。
前いうたように、戦争の下一桁は「4」の年に始まることが多いのや ったな。
日清戦争が・・・「1894年」 やったから
その10年後の・・・
1904年」に始まって、翌年の1905年  に終わった戦争
戦争を見るときは、どことどこが戦ったのかが、重要、
日露戦争は、こんなん聞いたら馬鹿にしとるんやともうけど、
日本と・・・「ロシア」やな。
この露(つゆ)という字はロシアを指す。あっ「露」の訓読みわからへんかった・・・「つゆ」やで。こんなんいうとったらいつまでたっても進まへん。

日露戦争の戦場は?

ここまでは簡単なんやけど、つぎは、意外と知らへんのやけど、どこが戦場、戦った場所やな、やったか、わかるかな?
ちょっと、地図見てな。線がいっぱい交差しているあたり、朝鮮半島の北あたり、なんというんやったかな、今の言い方で「中国東北部」、昔の言い方で・・・「満州」、その南部、前の時間に出てきたこの半島・・・「遼東半島」とその付け根あたり。
日露戦争関連地図

山川出版社「詳説日本史」より

主な戦場が、ここ旅順。「203高地」とか「乃木大将」とかきいたことないかな。すごい戦闘やったとこや。それから、北にいって「奉天」(今は瀋陽いうけど)。50万人以上が、ここで戦ったんや。この人数、地方の中核都市ぐらいの人数やな、それが殺し合ったんやから、たいそうな話や。
そして、日本海の所に戦いマークがあるな、海軍が日本海海戦でロシア軍をコテンパンにやっつけたとこや。ということで戦場はOKか。

日露戦争の原因は?

戦争の原因、この辺になったら、かなりきついかな。まず二つ目からいこうか。戦場からわかるように「満州」をめぐる対立。そして一つめは、この図でも線がいくつか走っていることからもわかるかもしれへんけど、・・・「朝鮮半島」、実はこのころには「韓国」と名前変えてたんやけど、おもにこの二つをめぐる対立や。
日露戦争のおおよそのとこはこの辺にしておいて、戦争の原因になったこの二つの原因を順番にみていこういうのが,今日の内容や。

朝鮮をめぐる日本の動きとロシアとの対立

下関条約と閔妃殺害事件

まずは,朝鮮をめぐる対立から。
日清戦争のもともとの原因は・・「朝鮮をめぐる日清の対立」やったな。
そして、下関条約の一つ目で、「朝鮮国の独立」が定められた。簡単に言うたら、清国は朝鮮から手を引くいうことやったな。そやけど、朝鮮の立場になって考えてみたらどうや。
自分をめぐって、二つの国が、自分の国の上で戦争を始めて、
そして好きでもない(どっちかいうたら嫌いな)国が勝ってしまって、「あいつ、おれがやっつけたから、仲良うしよう」いうてきて、仲良うできるやろうか。「あんな奴、いやや」となんのが普通ちゃうやろうか。
Miura_Goro

晩年の三浦梧楼

せやから、朝鮮(リーダーは閔妃(びんひ・ミンキ))は、日本と対立しとった国、…ロシアに接近しようとした
日本側からしたら、
戦争までして、朝鮮に影響力を強めようとしたのに,逆にロシアに近づこうとしたんやから、困るわな。
どないしようか言う話になって、最低・最悪の方法とった!
やったのが、この人物、三浦梧楼という人物。朝鮮にいた日本公使、長州の奇兵隊の出身。山県なんかと仲がよい
閔妃殺害東書

東京書籍「日本史A」p78

まあ、「俺に任しとけ」いうことで、公使館のメンバーやガラの悪い連中を集めて、朝鮮王宮に乱入、閔妃を殺した!!
これを閔妃殺害事件という。
お妃さんを殺したんやで。これを日本にあてはめたらどうなる。外国の軍隊が皇居に乱入して…。
閔妃は朝鮮では首相みたいな役割やから、
某国の軍隊が、首相官邸に乱入して、首相を…。
という風にもいえる。
朝鮮の人、いくら何でも怒るやろう。
そやのに、三浦は「これで朝鮮は言うことを聞くやろう」なんて、あほちゃうか!!
ちょっと言葉が過ぎるかもしれんけど。
こんだけやっても、三浦は「結局は証拠不十分。無罪!」いうことで終わり。
こんな無茶苦茶しても「国のためや」「国の恥をさらすべきでない」で責任を問わない。
現在でも、こういう風土がみられそうや。

朝鮮政府のロシア接近

嫁さんを殺された国王の高宗(コジョン)さん、
腹立てたというより、まず怖かったみたい。
そらそうや、嫁さん殺されて,次、自分もやられんのと違うかと思たんやから。
そしたら、どこやったら安心やと思う?・・・そう、ロシア。
国王は、ロシア公使館に逃げ込んで、そこから約1年間にわたって政治を進めた
当然、政治はロシア寄りになる。こうして、ロシアは朝鮮における影響力を強めることになる
それこそ、日清戦争以前よりも悪い状況に進んだことになる

国名を大韓帝国(韓国)へ改める

そして1898年には、さっきもいうたように、国名を「大韓帝国」(韓国)と改名した。
理由、わかるかな?
この「帝国」いうのがミソや。
Gojong_of_the_Korean_Empire

高宗皇帝 ドイツ軍服を着用している(1904)

王国が「王様が支配する国」、帝国は?…「皇帝(または天皇)が支配する国」
「朝鮮国王」は「韓国皇帝」になったんや。
「皇」の字に注目してほしい。前、征韓論の時も話したように、日本が天「皇」の文字を使ったことに朝鮮側は強く反発した。
あのときは、朝鮮は名目上、清の属国やった訳やから「皇」は使えず、1ランクしたの「王」しかつかえない。日本がこの文字を使ったら、朝鮮は日本より1ランク下になる言うて反発したんや。
属国でなくなったんだから、日本の天皇と同じランクの「皇帝」の称号を使うことにした。日本と同格やいう主張を込めて
日本に対する反発の一ついうことができる。

朝鮮半島をめぐる日露の対立激化へ

こうして、朝鮮、改め韓国は日本への反発を強め,ロシアへ接近していく
戦争の原因の一つはこうして生まれた。
自業自得と言える。けど、日本の支配層からしたら、より危機感が増したと感じる。朝鮮がロシアの影響下に置かれると、朝鮮海峡を挟んで日本はロシアと向き合い、のど元にナイフを突きつけられたような状況になるという人もいる。

列強の中国分割の進行

日清戦争が中国に与えた影響

日露戦争の原因の二つ目は、中国東北部(満州)をめぐる対立関係やったな。
その前に、日清戦争が中国に与えた影響を見ておこう。
これまで中国(清)は、欧米から見て「眠れる獅子」と思われていたし、あまり挑発して怒らしたらまずいという気持ちあった。ところが、列強から見て、格下の日本に一方的にやられて台湾、さらに遼東半島まで日本に与えた
地図見たらわかるけど、イギリスが手に入れた香港と比べたらその大きさの違いは一目瞭然。
遼東半島の場所は、天津・北京へのモロ入り口。

中国の分割、半植民地化の進行

欧米列強は思った。「なんや、中国は獅子やなかったのか、それならおいしくいただこう」。
列強は、「日本にあんなに土地やるのなら、俺にちょっとぐらいくれてもいいじゃないか。言い間違えた、貸してくれ」とばかりに、「租借地」(99年間借りる)という名目で実質的には植民地としてもらうことにした。(当時の契約では99年以上の貸借契約は無効いうルールがあったみたい。)
それから、勢力範囲の設定、その地域は特定の国が鉱山開発や鉄道敷設なんかの優先権を得られるなどの特権を持つ地域を清側に認めさせたんや。

列強による分割の実態

教科書のそこの地図はよく入試に出るし、入試が必要なやいう人は具体的にどこの国がどこを租借地にしたか、勢力圏はどの辺か、おさえておくこと。定期テストに細かくはださないけど。
山川出版社「詳説日本史」より

山川出版社「詳説日本史」より

そやけど、いくつかは確認しとこうか。ロシアは遼東半島先端部の旅順・大連を租借し、東北部からモンゴルを勢力範囲にする。三国干渉に参加したドイツは遼東半島の対岸の山東半島を中心とした山東省、租借地は膠州湾、中心都市は青島(チンタオ)やしな。ドイツ人て、ビール好きやろ、そやからビール工場を作ったんや。だから中国のビールの生産の中心は青島や。青島ビールって知ってる?まあ、知ってたら困るけど。
フランスは南の広州湾、そしてフランスの拠点がベトナムなんかのインドシナやから、ここにつながる地域が勢力圏。
イギリスは長江流域、ちょっと思い出してな。下関条約で開港された港って全部長江流域ばかりやったな。下関条約の裏にイギリスあり、という想像もできるな。そして香港の周りの九龍半島全域を99年借りることにした。
1898年に99年契約で借りたから、イギリスは1997年に中国に返還することになるんやけどな。それから北京につながる渤海が北はロシア、南はドイツという,新旧のイギリスのライバルに抑えられたのでやばいいうことで、山東半島の先っちょの威海衛を租借することにした。
日本は、台湾の対岸の福建省を勢力圏にした。まさに、切り分けられたわけやな。
そしてやっぱり中国は「眠れる、あるいは死んだ豚や」と思ったかもしれん。
そやけど、現在をみると「中国は荒ぶる獅子」になっている。
実は、列強、とりわけ日本が目を覚まさせてしまったんかもしれんけどな。これについては、おいおい勉強していこう。

義和団事件(北清事変)の発生

こんな風に列強が中国をいいように分断した
列強、日本を除きキリスト教国ばっかりやな。
キリスト教の一部の人は、「自分たちだけが正しく、他の宗教はだめな宗教」とか、「キリスト教を伝えることが文明化だ」というひとりよがりな使命感を持って人がたまにいる。
現在でも、アメリカ人のなかにこういうタイプの人が多いように思うが…。
こうした人が、中国でも、古来の宗教や信仰を遅れたものとして強引に改宗させたり、お寺を破壊したりした。
こうしたやり方は中国民衆の反発を買い、キリスト教、そしてそれにつながる欧米文明(その象徴は「鉄道」)を攻撃するようになった。これを難しい言い方で「仇教運動」いう。
こうした動きはドイツの勢力下にあった山東省で特に激しかった。キリスト教会を破壊し、外国宣教師や改宗した人を襲い、さらに鉄道を破壊する、といった行動をとるようになっていった。こうした行動の中心が義和団いう秘密結社。
義和団というのは、羲和拳という空手を身につけたら鉄砲玉が当たっても死なないという力を身につけられるいうことで、欧米の振る舞いに反発をもっていた民衆の中に広がっていった。
空手で何でそんな力があるかやて?高野山とかの密教でも印を結ぶいうような手の型なんかで宇宙の力を身につけることがあるやろ。空手でも、その全身の動きによって宇宙の法則とかと一体化できるいう分に考えたんと違うかな。少林寺拳法なんかもその影響を受けているらしい。

北清事変へと発展

影響力を増してきた義和団は山東省から、天津そして北京へと進出してきた。そして北京にある列強の公使館街、日本でいうたら東京の青山とか港区近辺かな、東京のことはよう知らんけど、その辺を55日間にわたって包囲した。

映画「北京の55日」 映画制作時の国際感覚を彷彿とさせるDVDケース。

小学校の頃、「北京の55日」いう映画があって、伊丹十三いう俳優、後に映画監督になった人が日本人役で出ていたけど。
今やったら帝国主義的、侵略的な映画といわれるやろな。そのせいか、リバイバル上映はめったにされない。
こういう情勢をみて、当時の清のリーダーたちは頭抱えるかわりに「ようやった」と考えた。中心は、西太后。(前に「蒼穹の昴」いうドラマで田中裕子がこの役やってた…知ってるわけないか)
義和団が「扶清滅洋」いうスローガンを掲げて、清を大切にするいうこともあって、列強を追い出す絶好のチャンスと考え、列強に宣戦布告、つまり戦争を挑んだわけや
こうして、義和団事件は、義和団+清VS列強連合軍の戦いという形をとる。これを北清事変というんや。

北京議定書

もし、西太后さんに、もう少し軍事、あるいは歴史なんかの常識があったら、無理に決まってると気がつくやろうけど・・・。
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北清事変に参加した連合軍の兵士。左から、イギリス、アメリカ、オーストラリア、イギリス領インド、ドイツ、フランス、ロシア、イタリア、日本。(Wikipedia「義和団の乱」より)

 こうして7カ国の連合軍が直ちに編成されて、北京に攻め込んできた。鉄砲の弾が当たって死なへんはずが、あっさりと死んでしまうとなると、義和団は総崩れ、あっという間に鎮圧される。
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清華大学(旧校門) ある米国誌では、工学系世界一位にも位置づけられる名門校である。

列強は「西太后さん、よくもけんか売ってくれはりましたな」ということで北京議定書という講和条約を結ばされ、清はよりいっそうひどい目に遭わされたんや。
外交団を守らなあかんからいうて、北京郊外に列強の軍隊が駐留する権利が認められ、またまた膨大な賠償金を払わされたんや。ちなみに、アメリカはこの賠償金を中国の人に言う建前で、北京にアメリカ風の「清華大学」いう大学を建てる。アメリカの好印象をつけるとともに、親米派を育てる。アメリカは、この時点ではすごい外交センス持ってたんやな。どっかとえらい違いや。
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