冷戦体制成立期の台湾と沖縄(4)まとめと文献

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冷戦体制成立期の台湾と沖縄(4)

第4章 アメリカ主導の秩序のなかで

(1)産業基盤が破壊された沖縄・韓国と、維持された台湾

堀和生は『東アジア資本主義論Ⅰ』のなかで台湾の主要10産業の工業生産高が戦前水準に復帰したかどうかなどを検討し、回復発展型、衰退型、新規移植型などに分類した。
40年代に戦前の水準に到達したのが過燐酸石灰や石灰窒素といった肥料分野で、60年には戦前の5倍弱となる。セメントやタバコは50年、酒は53年、植民地期の代表的輸出品であるパイナップルの缶詰も58年には戦前水準を回復する。他方、植民地期の特産物であった樟脳は、早い時期に戦前の水準に到達するが50年代にはいると急速に生産高を減少、衰退型とされる。砂糖とアルミニウムはある程度復興はするが、結局戦前の水準を回復しないままの「中間型」である。戦後の輸出品を代表する砂糖について、堀は「日本帝国圏に独占的に輸出したような条件がなくなったこと」にみている。それにたいし戦前はゼロであったのが急速な発展をみせる「新規移植型」が綿糸となっている。
こうした検討を元に、堀は「植民地期に台湾に存在した工業のうち、砂糖、アルミ、パイナップル缶詰等のように世界市場の条件に直接規定される商品は、その回復にかなり時間がかかり、あるいは樟脳のように衰退していくものもあった。しかし、基本的に台湾国内を市場とする産業業種は、比較的早く50年前後には植民地期のピークを越えて、しかも引き続いて発展していったのである。」と指摘した。
戦前に一定の水準の経済力を維持し、戦災による被害も小さかった台湾の産業が、帝国の崩壊とそれにひきつづく変化の中、どのように経済を再構築していったかをしめすモデルを示すようにおもわれる。
破壊が少なかったといっても、戦前の産業や経済のあり方はそのまま引き継がれるのではないし、逆に以前の姿をいったん破棄して始まるのではない。様々な条件を背景に、あるものは戦前の遺産を生かしながら発展を遂げるし、遺産は残っていても消滅していくものもある。新たにスタートを切るものもある。こうしたあまりにも当たり前だが、つい見落としがちになりそうである。
こうしたことは、戦時統制経済と空襲によってとくに軽工業が壊滅し、比較的残っていた重化学工業も軍需産業として操業を禁じられた日本本土とも、発展途上の工業を日本の侵略と内戦によって破壊された中国本土とも、朝鮮戦争によって国土を戦場とされさらに分断された朝鮮(とくに朝鮮南部=韓国)とも、そして戦場となりほぼすべての産業が消滅した沖縄とも、全く異なった「スタート」であるが、多かれ少なかれ同じことがいえる。

(2)帝国の崩壊と密貿易

1945年の日本の降伏は、「日本帝国」の崩壊を意味しており、帝国内の分業体制は解体した。日本本土・朝鮮南部・沖縄を軍事占領下においたアメリカは、それぞれの間の交易を制限した。
史上まれに見る地上戦の舞台となった沖縄本島とその周辺では産業基盤はほぼ壊滅、人々も収容所にいれられるというゼロないしマイナスからのスタートであり、アメリカの援助に頼るしかない状態からのスタートであった。(実は日本本国の政府が支払いの多くを強要されていたのであるが)。島同士の交易も米軍の政策および船舶の不足などによって困難となっていた。
台湾には産業基盤の多くが残された。しかし、最大の「貿易」相手国であった日本との交易が絶たれたことで、経済は混乱した。日本の役割を大陸が担うことは困難であり、逆に大陸との接合が混乱を台湾にもちこんだ。国民党軍の敗北によって、台湾は再度大陸経済と切り離される。
「日本帝国」の崩壊と米軍の占領政策によって生じた国際分業体制の解体による沖縄・台湾・日本本土の分断で東アジア全体での経済混乱はいっそう進んだ。
こうした間隙を縫う形で、とくに沖縄における物資不足を引き金に形成されたのが東シナ海・与那国島を中心とした「密貿易」ネットワークであった。

(3)「東亜新秩序建設」から「共産主義封じ込め」へ

沖縄では、10月以降、援助物資を与えつつすこしずつ収容所からの解放を始めた、しかし生産の再開は困難であり、アメリカの援助に頼らなければ生活を維持できない状態が続いた。沖縄をどうするかというアメリカの戦略が定まらないまま「忘れられた島」として無為無策のうちに置き去りにされた。その状態は米兵の軍紀にも反映し、非行も頻発した。
台湾では大陸から進駐してきた国民政府軍が日本企業を接収、私利私益を追求し国民党軍の資金源とした。さらに台湾人(内省人)を「準敵国人」として扱ったために228事件という抵抗運動が発生、国民党=外省人による強権政治が強化された。1949年、大陸を追われた国民政府が移動してくるなか、内省人は長い圧制下におかれることになる。

「東亜新秩序建設」をめざした日本帝国の侵略的膨張に対し、米英帝国主義と中国・東南アジアなどのナショナリズムが協力して戦ったのが、第二次世界大戦=アジア太平洋戦争であった。この結果、日本帝国は崩壊する。しかし中華人民共和国成立と朝鮮戦争勃発によって、東アジアは東西冷戦の一方の最前線となり、アメリカによる「共産主義封じ込め」戦術が始まる。台湾も沖縄も、もちろん韓国もこの最前線に位置づけられた。
沖縄では西太平洋最大の軍事基地建設に向けての米軍による占領体制の強化によって、台湾では国民党=外省人が「大陸反攻」を唱え戒厳令体制をとるやりかたによって、強権的支配が固定された。

(4)「朝鮮特需」による経済の「回復」

アメリカの対日政策も変化していった。軍国主義の除去・平和と民主主義の定着をはかるというそれまでの方針は、西側陣営の一角としての経済復興という方針へと大きく変化、「逆コース」と評された。かつての敵国・日本はアジアにおけるアメリカ=反共勢力の後方兵站基地として位置づけられる。
この方針を軍事的に支えたのが沖縄である。
1949年、アメリカは沖縄の半永久的保有と恒常基地化を正式に決定し、巨額のドルを沖縄に投入する。その手法は極端なまで円安B円高の為替レートを設し、「日本」は輸出で、沖縄は基地建設にかかわる収益で、それぞれを復興させようとするものであった。1950年の朝鮮戦争のもと、双方とも「特需景気」に湧く。しかし沖縄の「特需景気」は本土からの分離と全島基地化をも意味するものであり、経済を基地依存型経済とするものであった。
同様のことは台湾でも見ることができる。見捨てられかけた国民党政府であったが、アメリカはかれらの軍事力に頼らざるを得なかった。アメリカは台湾に大量の援助を投入、急速な復興を遂げつつある日本を説得し関係を再構築させる。台湾も「封じ込め」と「特需景気」の恩恵を受けた。
こうして、「共産主義封じ込め」というアメリカの世界戦略にくみこまれることで、東アジアにおける「西側」勢力は経済「復興」をとげた。
この図式は「熱戦」の舞台となって焦土と化した韓国でも、おくれつつ適用される。見放されかけていた李承晩政権が延命され、さすがにもたなくなると朴正熙の強権政治に引き継ぐ。この政権を維持すべくアメリカの強力なイニシアチブ下に1965年日韓条約が締結され、日本からの多額の「援助資金」(さらには技術援助と資本)が与えられる。さらに韓国軍のベトナム出兵の見返りに資金が提供され、「漢江の奇跡」が実現した。
台湾海峡と同様、朝鮮半島にもにらみをきかせる世界規模の暴力装置の設置場所が沖縄であり、そこにおかれた核兵器であった。

(5)冷戦下の「復興」「安定」と密貿易の終焉

1950年前後の東シナ海にもどる。
敗戦直後に始まり、沖縄や台湾さらには日本本土の人々の生活を支えつづけてきた「密貿易」のメリットは失われつつあった。「密貿易」の背景となったのは、東シナ海を中心とする海域の政情不安と経済混乱であった。
日本帝国の崩壊によって、それまでの国際分業体制が解体され、地域間交易が寸断された。戦争による沖縄・中国大陸などの荒廃、日本敗北ののち再開された国共内戦、冷戦開始期におけるアメリカの国際戦略、こうしたものが、この地域に空白地帯を作り上げ、人々の生活を困難にしていた。
「密貿易」はこうした地域をむすぶ形で大きな利益を生み出すと共に、それぞれの地域の人々の暮らしを支えた。
しかし「密貿易」の物資、とくに武器や軍需物資である薬莢などが香港・マカオを経由、共産主義陣営に流出している事実がわかると、アメリカは断固たる措置をとる覚悟をおこなう。
1950年に入り、アメリカは密貿易への取り締まりを強化する。
これは、アメリカが沖縄への経済安定に自信を持ち始められたからだともいえる。アメリカは基地建設にともなう多額の資金を、それがインフレ化しないだけの物資とともに供給した。密貿易とヤミ物資に頼る必要はもはやないといわんばかりに。
前年には自由取引制が導入され「ヤミ」は「ヤミ」でなくなっていた。群島・離島間の交易も大幅に規制が緩和され、輸送手段も整いつつあった。
東シナ海をめぐる地域は東西の二大陣営に大分されつつあった。戦争がつづく朝鮮半島を除き、この悲劇を利用して西側陣営は経済的に安定しはじめる。
台湾ではアメリカの支援と経済援助を得て国民党独裁政権は西側の一員として認められ、日本から分離されつつある沖縄は「不沈空母」化・恒久基地化がすすめられ、「日本」は特需景気で。
アメリカ中心のこうした戦略は、急速な復興を遂げつつある日本経済によって支えられた。日本は沖縄への消費物資・建設資材などを大量に「輸出」することで沖縄の恒久基地化を支え、台湾からの砂糖や米を大量に輸入し工作機械や高度な部品材料などを輸出することで、のちには資本輸出で、台湾の復興を支えた。そしてかつての「帝国」各地をアメリカと共に経済圏にくみこみつつ、高度経済成長の道を歩んでいく。
東西対立が「熱い戦争」としての朝鮮戦争が始まり、この地が「共産主義封じ込め」を基本戦略とする国際秩序のもとで再統合されるなか、中国側に武器の材料を提供するような密貿易は「封じ込め」政策に反するものであり、もはや許されるものではなかった。
与那国島などを経由する「密貿易」は急速に衰退し、1952年頃を最後におわり、与那国島はかつての離島にもどっていった。

現在の与那国島・久部良漁港https://edenhappy.site/distinations/%E4%B9%85%E9%83%A8%E8%89%AF%E6%BC%81%E6%B8%AF/

 

 

 

 

【目次とリンク】

はじめに

第1章 沖縄と台湾の戦後史

第2章 戦後の沖縄経済~ヤミ経済と密貿易、そして基地依存

第3章 台湾経済、戦後のあゆみ

第4章 アメリカ主導の秩序のなかで(本稿)

 

<おもな参考文献> 本文中に注記したもののみ記載

<沖縄の経済について>
琉球銀行調査部編(牧野浩隆執筆)『戦後沖縄経済史』(琉球銀行 1984)
牧野浩隆「仕掛けとしてのアメリカの経済政策」(『新琉球史近代・現代編』琉球新報社1992)

「27年で5回も通貨が変わった沖縄」琉球新報(2019年5月15日付)2020/02/13ネットにて参照

<密貿易について>
石原昌家『空白の沖縄社会史』(晩聲社 2000)

<沖縄の戦後史>
川平成雄『沖縄空白の一年1945-1946』(吉川弘文館 2011)
琉球新報社『ことばにみる沖縄戦後史』(琉球新報社 1992)

<台湾および中国近現代史全般について>
若林正丈『台湾』(筑摩新書 2001)
戴國煇『台湾』(岩波新書 1998)
周婉窈『図説台湾の歴史』(平凡社 2007)
呉密察「台湾人の夢と2・28事件」(『日本帝国主義と植民地8』1993)
久保亨『社会主義への朝鮮』(岩波新書 2011)

<台湾の経済史について>
隅谷三喜夫・劉進慶・涂照彦『台湾の経済』(東大出版会 1997)
堀和生『東アジア資本主義史論1』(ミネルヴァ書房 2009)

<その他>
ウォーラステイン『史的システムとしての資本主義』(岩波書店 1997)

『国史大辞典』佐藤和義「戦後処理費」
(2020・1・23参照)
ギブニー「忘れられた島」(http://jugyo-jh.com/nihonsi/日本史aの史料室/「沖縄-忘れられた島」占領後四年目の沖縄/)

※なお、沖縄、および台湾など植民地について記した文章を、私自身のHP(http://jugyo-jh.com/nihonsi/近現代史を考える講座)にもアップしています。

 

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