日本近代史をどうとらえるのか(はじめに)

文部省が編纂した副読本「新しい憲法のはなし」より(東京書籍「日本史A」P157)

Contents

<目次・リンク>

  1. はじめに~近代日本をどう捉えるのか
  2. 幕藩体制と「国民」の萌芽的形成
  3. 幕末の政治過程(「オールジャパンをめぐる抗争」)
  4. 「開発独裁」政権としての維新政府
  5. 「明治憲法体制」の矛盾と展開
  6. 権力中枢の「空洞化」と政党内閣
  7. 戦時体制下の「革命」と戦後社会
  8. 近代社会をどう捉えるのか~総括と展望

日本近代史をどうとらえるのか
~はじめに~

出発点としての「疑問」から

本稿は、岩波新書「日本近現代史」をいっしょに読んでいこうという市民講座のなか、井上勝生氏の「幕末・維新」を読む中で生じた疑問、すなわち「孝明天皇が最初の段階で『勅許』を下していたなら、日本はどうなったのだろうか」、「なぜ、幕府は滅ぼされなければならなかったのか」、さらには「幕末の政治過程は大いなる『無駄』ではなかったのか」といった連続した疑問に対し、自分なりの解答を出そうとしたことに始まる。

その問いは、幕府が体現していた江戸時代の政治・社会体制とはなにか、さらに「列藩同盟」「公武合体」「公議政体」論などの改革が、当時の日本が直面していた課題にどこまで有効であったかという問題とつながった。そして、一八六八(慶応三~四)年段階では、課題が何一つ解決していないことに思い至る。こうした課題を追っていくうち、ついには戦後さらには現在にまでいたってしまった。

1、近世幕藩制国家の構造と萌芽的な「国民」形成

本稿は、六つの部分と「まとめと展望」から構成される。
第一章は、日本近代史の前提となる近世幕藩制国家の構造を考え、そのなかから幕末の混乱と「世界=経済」というシステムのなかで日本の近代が負わされた課題を考えた。
幕藩制国家は小独立国としての諸大名領(「藩」)を将軍家が武威をもって統御する封建制国家という性格と、天皇家を中心に家元的な身分制的支配をおこなうという小帝国的性格をあわせもつ二元的国家であり、両者を頂点とする「公儀」権力が、武家や公家、村落や都市の指導層へ影響力を行使し、権力を分有する構造をもっていた。これが日本に地方分権的な遠心力と、「公儀」権力を中心とする求心力を与える。この求心力と「国民経済」形成期ともいいうる経済の成熟を背景に、幕末にはすでに「国民」形成が課題となっており、ナショナリズムも生まれつつあった。それが、「世界=経済」という主権国家体制と接触することで顕在される。それは「屈辱」感として「国民」的に共有され、いかに対抗するかが提起される。ここに近代国家への動きが本格化する。
これが第一章の内容である。

2,幕末の具体的政治過程

第二章では、幕末の具体的な政治過程を追求した。ペリー来航にはじまる開国・開港という主権国家体制への包摂の過程は、「屈辱」というナショナルな感情を呼び起こした。この危機に対し、いかにオールジャパン体制をつくるかが課題となる。このナショナルな課題は、幕府・朝廷という二元的な権力の解消を迫る。その背景には、幕府による統御を脱しようとする諸大名家の活動、天皇復権を目指す朝廷・公家勢力、村落共同体の弛緩に悩み身分制的支配からの脱却をめざす村落支配層、世界経済への包摂にともなう国内経済の再編にゆれるブルジョワジーたち。それぞれの要求と運動が複雑に絡み合い、さまざまな議論が展開され、抗争が繰り返される。いったんは大政奉還・王政復古という急進的な「公議政体」形成という形で決着を遂げるが、それは課題の解決とほど遠く、出発点に過ぎないものであった。
これが第二章の内容である。

3,開発独裁政府としての維新政府

本来なら、ここまでのはずであった。ところが、今見たように大政奉還・王政復古は、天皇を中心とした「オールジャパン体制」をつくるという方向を打ち出したものの、肝心の課題は何一つ解決できていなかった。改革の方向性も、天皇の下でだれがどのように権力を行使するかも。一八六八年段階では、オールジャパンの内実はまったく存在してしないし、「天皇中心の国家」という以外の合意も存在しない。そのなかで、「万国対峙」を可能にする近代国家、主権国家体制というシステムに適合しうる国家をどのようにつくるか。こうした議論がなされないまま、幕府は倒され、天皇を形式的に頂点とする政府が作られた。
「なぜ、幕府は滅ぼされなければならなかったのか」「幕末の政治過程は大いなる『無駄』ではなかったのか」「幕府に近代化の改革を担いきる主体的力量があったか」という疑問の解答は、実はこれ以後の過程のなかに隠れていた。
変革の内容については、「開発独裁」という仮説に沿って考えることとした。対処すべき課題の多さ・深刻さに対処すべく、薩長出身者を中核とする「維新官僚」グループが「天皇の信任」を旗印に、「万国対峙」の大義をかかげて「開発独裁」体制を構築、急進的な改革を実施したとの仮説である。こうした方法は幕藩体制下では不可能であった。幕府が倒された意味はここにあった。しかし「開発独裁」の担い手にとって、自らの正統性は「天皇の信任」のみであるし、幕末期の「オールジャパン」の原理に反するものであった。「国民の支持」という下からの「正統性」も得られず、「藩閥」政府との批判を免れ得ないものであった。
問題の中心は「オールジャパン」をどうとらえるかであったのかもしれない。幕末期「オールジャパン」の議論は、諸侯さらに天皇・公家、次には「草莽」という名の自覚した「志士」(中下級武士や知識人・豪・農商など)の政治「参加」ととらえられていた。この「参加のオールジャパン」は、それぞれの幕藩制的・身分制的な関係性を基盤としていた。しかし、「万国対峙」という課題実現にむけて求められた「オールジャパン」は、国境で区切られる領域内の人民を囲い込み、「国民」という枠組みに包摂することであった。維新政府は「参加のオールジャパン」を封印し「包摂のオールジャパン」をめざす。
第二次大戦後のアジアなどでも明らかなように、開発独裁政権は「即席の近代化」を進めるには効果的で、短期間で大きな成果が上る。しかしその効率性は前近代的な制度や価値観に依存しており、自由と民主主義といった「非効率」で危険な原理を抑圧、権力維持のため軍隊や警察といった「暴力装置」に依存する。
初期の明治国家を「開発独裁」政権としてとらえた場合、どのような特徴をもつか、戦前の天皇制国家全体もにらみつつ整理していくこととした。
これが第三章の内容である。

4,執行権力と地主・ブルジョワジーとの結合

「開発独裁」政権としての明治政府は、欧米の知識に学んだエリートらを内部に取り込み、その力も借りつつ近代化をすすめる。しかし、それは確固たる社会的・階級的な基盤をもたないまま、力不足を軍隊や警察の「暴力」によって補完しつつ権力を行使する不安定な政権であった。
この点を厳しく攻撃したのが自由民権運動である。それは幕末での「公議政体論」(「参加のオールジャパン」)の復活という性格をもち、新たに台頭しつつある農村有力層やブルジョワジーの政治参加要求をも組み込みうるものであった。
ところが、改革が一段落し、政権基盤が安定するにつれて、政府は「天皇の信任」を背景とした「執行権力」独裁の権力を維持・再生産しつつ、自由民権運動の基盤であった農村有力層やブルジョワジーを権力基盤にくみこむことで政権の安定をめざすようになる。明治憲法制定と帝国議会開催への過程、日清・日露戦争へとつづく初期議会などを舞台とする抗争はこうした過程としてとらえることができる。
維新政府に始まる「開発独裁」的執行権力は、その優位を維持したまま、ナショナリズムと利益誘導を媒介にブルジョワや地主を組み込もうとし、かれらはより深い政治への関与を要求する。こうした緊張関係の下に抗争が繰り広げられ、そのすりあわせの中で、明治憲法体制が定着していく。以上が第四章の内容である。

5,政党内閣という国家統合の動きとその挫折

開発独裁政府とその後継者である執行権力の独裁が一定の合理性を維持していたのは、幕末にうけた「屈辱」をバネにした「万国対峙」という国家目標があり、それに向けての富国強兵・文明開化・条約改正・海外進出といった一連の方向性があったからである。
日清・日露という二つの戦争と条約改正の実現は、これまでの国家目標がほぼ達成し、それまでの名目が消滅したことを意味した。さらに戦争への参加と熱狂は、当初は国家によって与えられたにすぎなかった「国民」という立場を実質化しはじめる。自らを「国民」の主体として「参加」を求め始めた。他方、時間の経過は「元老」と姿を変えたかつての「志士」の生命を奪っていく。これまでの政治は明らかに行き詰まっていた。
あるべき解答は、「国民」主権の方向へすすむことであったのだろう。大正デモクラシー、普通選挙獲得運動はこの方向を示していた。にもかかわらず執行権力側は権限維持をはかり、軍部は独立性を高める。原内閣のもとではじまった政党政治・議院内閣制による統合の動きは、元老西園寺が政党代表を首相に指名するという方法によって形を整えたかに見えた。しかし、それは執行権力の「鬼子」ともいえる軍部の暴力と近代議会主義の悪癖ともいえる政党間の抗争によって崩壊、国家機関の間の連携が調整できないまま戦争に突入、敗戦へと至ることになる。この展望を示したものが第五章である。

6,総力戦体制下での変革と戦後日本の展望

近代戦争は総力戦という形を取らざるを得ない。総力戦体制は国内のあらゆるものを戦争目的に組織化する。戦争遂行という目的合理性から、あらゆるものが審査され改変される。寄生地主制や財閥支配、資本主義なども例外ではない。戦争目的に最適化されたものや計画されたものは、敗戦によって混乱した社会の処方として、「現代国家」に適するものが多かった。こうして、戦時下にすすめられた政策が、占領軍の間接統治によって命を長らえた執行権力のもとで維持・実行される。さらに冷戦のもとで、アメリカの世界戦略と結び従属する形で、日本は経済発展をとげていく。この延長線上に戦後の高度経済成長がある。こうした内容を記したものが第六章である。

本稿は、大学時代からの課題であった幕末から明治維新までの位置づけを自分なりに納得のいく論理で整理し、アジア太平洋戦争、さらには戦後へとつづく日本近代史のながれのなかで把握したいと考えた素描である。

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  1. はじめに~近代日本をどう捉えるのか
  2. 幕藩体制と「国民」の萌芽的形成
  3. 幕末の政治過程(「オールジャパンをめぐる抗争」)
  4. 「開発独裁」政権としての維新政府
  5. 「明治憲法体制」の矛盾と展開
  6. 権力中枢の「空洞化」と政党内閣
  7. 戦時体制下の「革命」と戦後社会
  8. 近代社会をどう捉えるのか~総括と展望
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