浜矩子「甦れジャーナリズム~下心政治から日本を救うために」


浜矩子「甦れジャーナリズム~下心政治から日本を救うために」

昨12月8日「安保法制に反対する学者の会」主催の「脱政治化する社会を問う~メディア・社会・市民」のシンポジウムに参加した。日本の頭脳ともいえる人々による興味深い内容であり、深く考えさせられる内容であった。そのなかから、今取り組んでいるマスメディア史と絡んでいる内容とかかわる、浜矩子さんの「甦れジャーナリズム~下心政治政治から日本を救うために」の骨子を紹介する。
あくまでも、私にはこのように聞こえたということであり、文責はすべて私にある。
以下、わたしが聞いた(つもりになっている)浜先生の講演骨子
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本日のタイトルの副題に「メディア」という文字をつかっていることには不満だ。
現在はジャーナリズムという言葉が抹殺され、メディアという言葉が用いられる。よりひどくなると情報産業だ。ここに「チームアホノミクス」の「下心政治」の中心がある。かれらの「下心」は岸の時代の復権というよりさらに、古い21世紀版の「大東亜帝国」の建設であり、「大東亜共栄圏の親方」になりたいといういう下心だ。
それを阻止するために必要なのがジャーナリズムの復活ということだ。
3つのことをいいたい。1)メディアとはなにか 2)ジャーナリズムとは 3)ジャーナリズム復権の秘策、である。

メディアとは
メディアは「①通路である②中途半端である③神がかりである」という3つの性格がある。
メディアという言葉の訳は「媒体」ということであり、単なる「通り道」に過ぎないということである。しやがっていかがわしいものも、逆に役立つものも通ることになる。
メディアという言葉の単数形はMedium(メーディアム)といことばであり、中間的であったり途中という意味でもある。メーディアム(Medium)のもう一つの意味は「霊媒師」という意味でもある。お告げを伝えるものという意味で、いかがわしいメッセージを伝える。つまり単なる媒体であるとともに、中途半端で、いかがわしいメッセ-ジを伝え、ムードを作り出すという意味合いを持つ。

ジャーナリズムとは
ではジャーナリズムとは何か。これにも3つの役割がある。
一つ目は「荒れ野で叫ぶ声」という役割である。聖書の中の預言者のイメージ。城壁の外つまり、城壁の外の「荒野」から、町(「城内」)にむかって叫ぶという役割である。聞きたくないこと、耳障りの悪いことを叫ぶという役割である。
二つ目は「『王様は裸だ』と叫ぶ声」である。権力に対して反対し、権力から人々を守るという役割である。ここに「メディア」とのちがいがある。
三つ目は「大人の怒りと笑いの絶妙のバランス」ということである。極上の笑いの中に怒りを交えていく、説得力をもった怒りである。
実はこうした役割は「よきエコノミスト」の役割である。本来のエコノミストに「御用エコノミスト」という存在はあり得ない。
「コント」のすすめ
それでは「ジャーナリズム復権の秘策」はなにか、それは「コント大会」である。自分はビジネススクールの最終講では受講者にコントを課している。それはテーマをよく知っていなければならないし、笑いというシャープな批判精神が必要になる。こうして笑いにこそ「極上の笑い」を含めることが出来る。

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