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歴史系用語の精選問題にかかわって

歴史系用語の精選問題にかかわって
~元高校教師の視点から

 

歴史教科書の実態から

まず、実際使われている(いた)教科書を見ていただきたい。

山川出版社「詳説日本史」P225

手元にあった「詳説日本史」の1ページ「宝暦・天明期の文化」のなかの1ページ(P225)である。
ここに記載される人名本文の太字で6人(青木昆陽・野呂元丈・前野良沢・杉田玄白・稲村三伯・平賀源内)通常の文字で5人(西川如見・新井白石・大塚玄沢・宇田川玄瑞)、注釈や写真説明で2人(シドッチ・山脇東洋)、さらに表中でさらに8名(略)。計22名がこの1ページのなかで登場する。さらに書名7冊(解体新書・ハルマ和解・采覧異言・西洋紀聞・蔵志・蘭学階梯・西説内科撰要)、その他、塾の名前(芝蘭堂)などもある。
この部分は、文化史なので、多めではあるが、こうした叙述が、この教科書では415ページにわたって続く。

コラムなど省略しやすい部分があるので、約400ページ、この膨大な量が高校で授業すべき対象として期待され、大学入試の「試験範囲」となる。
さらに、大学の先生には常識であっても、高校では常識でない問題、教科書に記載されない問題が出題され、さらに教科書に載せられる用語が増える。
 かつて「天台宗の中心になる経典は」という問題(答、わかりますか:「法華経」ですよ!)が出題され、翌年にはもう教科書に載っていた。

1日50分間の授業のノルマは3ページ強

本来、日本史Bは4単位であり、実際には授業時間数は120時間程度なので、1時間に3ページ以上進むことを前提に教科書は編纂されている
さきに掲げた部分なら、「宝暦・天明期の文化」全体で約7ページなので、授業時間2回分となる。掲げた分は、洋学(蘭学)でまとまっているのでやりやすいが、これを15分で終わらせられるか。儒学は、江戸期全体(室町期も)もにらみながら、授業するのでさらに厄介だ。
本当に可能か考えていただきたい。精選しつつ教える。「入試に出るかも」という不安を抱えながら。
入試に対応する「質」を求めると、ここで示した部分だけで1時間近くかかるだろう。「思考力育成型の授業と両立可能な用語数は一時間の授業数で15語程度」という指摘からすれば、このページだけでオーバーする。1日1ページならば、鎌倉・室町で年間時間数を使い切る。
 「学校では近現代史まで教えてくれない!」という批判に、「当然じゃないか」と居直りたくなる理由をわかっていただきたい。

実際の授業では

では「宝暦・天明期の文化」全7ページを2時間、さきにみたようにこの部分は15分程度で仕上げる。
私の例を挙げよう。「授業中継(開国前夜)」では、以下のような感じとなる。

**************

蘭学も広がりを見せた。

解体新書表紙 山川出版社「詳説日本史」P225


蘭学とは、オランダ語を学び、それを元に世界の文化に触れようとする学問だ。
蘭学は、実際の人体解剖に立ち会った医師の前野良沢・杉田玄白らが、もっていたオランダ解剖書の挿絵のあまりの正確さに衝撃を受けこの本の翻訳をはじめる。いわば中学校1年の単語帳だけで医学専門書を翻訳する感じだ。
そうした努力の上に、オランダ語、さらには西洋文化の知識を蓄積される。その蓄積は辞書や文法書を作るなどの形となり、オランダ人らから直接学ぶといった過程を経ていく。そして世界の知識に飢えていた知識人(おもに医師)の中に急速に広がっていった。
18世紀後半には、その興味は医学だけにはとどまらなくなっていく。すでに18世紀中期には平賀源内のようなあらゆる分野に興味を示す人物が出現したが、この時期には林子平のように世界情勢を深く理解し、日本のあり方に警鐘を鳴らす者も現れてきた。
田沼意次はこうした動きを好意的であったが、松平定信は「幕府が世界の知識を独占すべきだ」との立場から、こうした動きを危険視、林のように弾圧されることもあった。

 これにエピソードを加えて15分。「日本史A」での内容なのでこれでいいが、入試を考えた「日本史B」では厳しい。

<板書例>
2,宝暦・天明期の文化
a.洋学
 蘭学・・吉宗期の漢訳洋書の輸入緩和とオランダ語学習(青木昆陽ら)
 18C後期、前野良沢・杉田玄白ら・・「解体新書」=オランダ語文献を翻訳
  ⇒その過程での知識の積み上げ(蘭学隆盛へ)
     蘭日辞書「ハルマ和解」や文法書
           ↓
 医学から他の分野への興味の高まり(←幕府の弾圧も)
平賀源内・・「万能の天才」

 本来ならこの程度。
黒板に書き、ノートに採らせる。それで数分。
これに「解体新書」のエピソードや源内の活躍と死(たとえば、「玄白の追悼文」を紹介)、なぜ幕府が蘭学を弾圧したか、などを紹介して、15分という展開となる。時間があれば、芝蘭堂に大黒屋光大夫がきた話なども。

教えきれないからプリントを使用するが・・

ただ、これは勤務校がそれほどの進学校でなかったからできるので、進学校で通用しない。
なぜなら、入試で出題される中心は「稲村三伯」「ハルマ和解」「宇田川玄随」「小田野直武」であり「芝蘭堂」や「蔵志」であり、私の板書にはあまり入っていない。
決して杉田玄白・前野良沢・平賀源内ではない。
 受験に対応していないとなる。

実は、ここで記した範囲は、授業で実施できなかった内容である。単純に時間不足だから。幕末維新史を残すか、こちらを残すかの判断で、カットした。
少し余裕があれば、上記「授業中継」程度の内容をさらっととながす程度である。そして、補習回しとなるが、人数不足からめったに開講されない。

板書には時間がかかるという場合とか、より正確な説明と密度を濃くしたいという場合はプリントを用いる。
板書にもどした時期も文化だけはプリントを用いることが多かった。
しかし、こうしたプリントをつくっても、多くの生徒は空欄に赤ボールペンで答を写すだけ。試験前に赤い下敷きで隠してその部分を覚えるだけ。

歴史の授業は構造的に消化不良を起こす!

丁寧に教えるべきことには時間をかけて教えたい。近現代まで教えたい。これから生きていく上で指針となったり、役立つことを身につけさせたい、私はそうおもって、歴史の教師となり、教えようとしてきた。
しかし、そのような余裕は全くなく、時間と、授業という形式(この点については別の機会に述べたい)のため、困難であった。
どうあるべきか。
一つは、いっそうの時間保障がなされることである。どの学校でも、いろいろな口実を付けて時間数を増やそうとしている。しかし、行政側は、いろいろなけちを付け、もし増加単位を置くとすれば、訳のわからない科目名をつけ、やれる訳のない教案まで要求する。そうとはいいながら、こうしたフィクションを行いながら、多くの学校で時間数を増やしている。
いま一つは、教えきれるわけもないまま、入試の都合や研究成果を盛り込みたい学界の都合などから押し込まれる膨大な歴史用語を精選するしかない
入試や教科書から来ている以上、ある程度「外側からの力」をもって精選を図るしかない。ただその精選は国家権力によるものであってはいけない。あくまでも、教育現場と研究現場が、国民的、世界市民的教養とはなにかを考えて行うべきものである。

放置すれば、歴史教育は、さらに暗記のみを強要する無駄なものとなる。入試と教科書において、歴史用語と内容の肥大化をなんとか押しとどめるガイドラインを出さねば、歴史教育の新たな展開はない。

このままでは歴史教育は崩壊しかねない。

実は、私自身、生徒たちにセンター試験のみで必要という者にたいし「世界史や日本史を選択すべきでない」と指導してきた。努力に対し、結果との乖離(コストパフォーマンス?の悪さ)があまりにも大きすぎる。
このまま「歴史総合」2単位の教科書が編成され、さらに他の「日本史探究」「世界史探究」などの選択科目が置かれ、単位数削減にさらされるとするならば、歴史教育はさらなる用語の羅列となる可能性が大きい。
無政府的に示された歴史用語から配慮なしに入試問題がつくられるという悪夢すら想定できる。2単位であることを看過したまま。

入試至上主義の高校からは歴史科目は消え去る動きが表面化したのが、世界史未履修問題であった。あまりに難度が高まり、些末に流れる「歴史」科目自体が、まとめて教育から消去されかねない。

高大連携歴史教育研究会の提案

こうした危機感の中を背景に、2011年「学術研究者の国会」ともいうべき、日本学術会議が、国民および世界市民として学ばねばならない教養としての歴史の最低限を「歴史基礎」(および「地理基礎」)にまとめて新設必履修化すること、そしてそうした最低限およびその発展した内容と視点の歴史用語精選を提案したのである。

この流れにしたがって蛮勇をふるって汚れ役を引き受けて原案を出していただいたのが高大連携歴史教育研究会の皆さんであると理解している。 それは、指導要領に影響されつつも、あくまでも現実の歴史教育の当面する問題を検討し、歴史学と歴史教育のあり方を検討するなかで出てきたものである。

今回の精選案(高等学校教科書および大学入試における歴史系用語精選の提案(第一次))に対しては、いくつかの誤解がつきまとっている。
ひとつめは、「精選」の主体を、文部科学省・中央教育審議会などといった政府系の機関と考える誤解である。こうした機関が上意下達的に提出したといった印象で見られがちである。
しかし、実際は日本学術会議の分科会による「関係学会などで重要用語を精選するガイドラインを作成し、大学入試の出題をそのガイドライン内で行うとともに、歴史的思考力を問う問題を増やすように働きかけていく」という提案にもとづくものであり、民間の「高等学校歴史教育研究会」が学術会議などで行った高大の現場アンケートを元に試案を作成し、「大学と高校の教員の交流を可能にする全国的規模の研究会の必要性が痛感されるようになり」2015年に発足した高大連携歴史教育研究会で検討、作成したものである。
今回公表されたものは第一次案で、2018年2月までにアンケート等によって意見を集約し、2017年度中に最終案を発表するとしている。
今回の精選案は、アンケート調査のための具体例として出されている。精選の是非、精選の考え方、具体的な用語選定など、高大連携歴史教育研究会へアンケートを集中することによって、より多くの意見を集約したいとしている。
※なお、アンケートは高大連携歴史教育研究会のホームページからも回答をすることができる。このページからもリンクしておくことにする。

是非、アンケートを寄せていただきたい。

さらに、本年度中にだされる、最終案自体も「学習指導要領」のように、それ自体が権力的に扱われるものではない。こうした考え方と具体例を示すことで、新たな教科書編成や入試などへ活かしてもらえるよう働きかけるという性格を持つものである。

精選によって「龍馬」が消えるわけでない。

なお、多くの人が誤解をしているのは、この精選によって、今まで載っていた語句が教科書に載らなくなるのではないかという点である。
もっともポイントとなる部分を「提案」から引用することにする。

このガイドラインに記載された用語を教科書で「基礎用語」として本文に記載し、大学入試でも知識として問うのはこの範囲に限定する、それ以外の用語については、例えば、教科書では「発展用語」などの扱いで資料や図表・課題中に含めて自主的な学びに導く、入試でも大学入試でその知識を求めることはしないが、基礎用語の知識と組み合わせで解答すべき資料中に使うことは制限しないというやり方で、高等学校の歴史教育に柔軟性と多様性を保証することが期待されます。(中略)
また授業内容や教科書執筆全体については、本用語精選案がリスト外の用語を、授業中に例示することや教科書の資料・図表やコラムなどに掲載することを否定してはいないことをよくよくご理解いただきたいと思います。精選(制限)を提案しているのは、「教科書本文に掲載し、入試で必須暗記事項として扱う」用語だけです。

 今回精選のリストから外れた坂本龍馬や吉田松陰であっても、教科書の本文には載らず、入試には出ない(現実問題として、そんな簡単な問題が出るとは思えないが)ということであって、教科書執筆に当たっては、資料や図表にだすことは可能であるし、後で示す理由から、脚注などでの補足にも記される可能性が高いと考えられる。
もちろん、高校の定期考査などでは出題可能であるし、私が現役の高校歴史教師であっても、気にせず出題する。

精選の具体例を見ていこう。

ちなみに、今回の精選提案において、先に示した「洋学」のページに関わり合いがあるのは
蘭学・杉田玄白・解体新書・平賀源内と、他の場所に記載がある新井白石に限定される。
人名では13人が3人、書名では7冊が1冊に減ることになる。
しかし、私の授業がらみでいえば、消えた人物が前野良沢・青木昆陽、書名が「ハルマ和解」くらいであり、実際の授業内容から見て違和感はない。(ただ、寛政期の林子平が消えていることは、やや違和感もあるが)
さらに、2日で扱う内容となる「宝暦・天明期の文化」全7ページ分では本文中の人名約40名(脚注・表を加えるとゆうに100人を越える!)が8名となっている。

残されたのはこれだけ。「<項目>歴史用語、で記す」
<蘭学>蘭学、杉田玄白、「解体新書」、平賀源内
<国学>国学、本居宣長、塙保己一、尊王論、頼山陽
<儒学>朱子学、藩校、郷学
<教育と思想>心学、石田梅岩、寺子屋、安藤昌益、通俗道徳
<文学・芸能>与謝蕪村、川柳、『仮名手本忠臣蔵』
<美術>錦絵、喜多川歌麿、東洲斎写楽

以上となる。さらに先ほどの新井白石のように別の場所で出てくる内容もある。

「こんなに減らされてやっていけるか!」という人もいるし、「それでも、まだこんなに覚えなければならないの!」という人もいるだろう。

幕末・維新期や戦国期ではどうか

もっとも意見が出されている幕末~維新についても見ていく。まず人名。
今回は《学習内容》と人名という形で記す。

《開国前後の世界》ペリー、ハリス、プチャーチン、孝明天皇
《開国とその影響》徳川家茂、徳川慶喜、井伊直弼、勝海舟
《尊王攘夷から倒幕へ》和宮
《廃藩置県の断行》明治天皇
《明治初期の諸改革》大久保利通、岩崎弥太郎、渋沢栄一
《明治初期の外交と国境問題》岩倉具視
《明治初期の国内政治》西郷隆盛、板垣退助、木戸孝允
《文明開化》福澤諭吉
《他の部分で》井上馨、伊藤博文、山県有朋、大隈重信

山川出版社「詳説日本史」のなかの太字(重要人物)で消えているのは、以下の10名である。

 

ビッドル、阿部正弘、堀田正睦、徳川家定、三条実美、高杉晋作、中村正直、前嶋密、尚泰(上記の範囲内で)
吉田松陰(化政文化の項で)

なお、話題に中心である坂本龍馬はもともと一般語句の扱い、近藤勇は脚注、すでに現在の教科書の扱いでもこうである。しかし、「一般語句なのに勝海舟が入った」とのだからという理屈も成り立つ。

しかし、他の語句をよく見ると《尊王攘夷から倒幕へ》のなかに、「安政の大獄」があるので松陰が、「薩長連合」があるので坂本が、長州征討があるので高杉が、禁門の変三条が、それぞれ触れられることは、授業の進めかたとして普通である。精選に際し、人名と出来事、どちらか一つを選んだ結果と考えられる。教科書の脚注などに記されることが予想されているし、そうでなくとも教師が授業のなかで補足することも想定していると考えられる。

さらに話題となる戦国大名であるが、リストには

北条早雲、毛利氏、長宗我部氏、北条氏、武田氏、今川氏、朝倉氏、島津氏、大友氏、伊達氏

と11の戦国大名家が選ばれている。こんなに多く必要とは思えない、地図や表で十分!という方が私の印象である。

誤解に基づく「用語精選」批判

ところが、精選については、総論賛成、各論反対は世の常である。予想通り、多くの反論が出てきた。まず出てきたのは、坂本龍馬や吉田松陰など自分の好みの人物が外されたという、マスコミ受けのする批判である。
この批判は、すでに見たし、研究会を主導する桃木至郎氏が何度も発言するように誤解に基づくものである。精選の対象は入試(しかも、その知識が正誤にかかわる出題のみ)と教科書本文についてである。つまり、例示や表などは使用可能である。そもそも、授業展開のシーンでは具体的な名前を入れた方がよいに決まっている。
私の「授業中継」で例を挙げれば、武田信玄の領国制を説明する中で、分国法や喧嘩両成敗による家臣団の統制、金山開発などの富国強兵策などを説明し、そこから目を転じて寄親寄子制、武士や商人らの城下町集住、指出検地、貫高制などに話を及ぼすというやり方は可能だし、そうした方が戦国大名を全体として理解できる。最終的に入試に武田信玄は出題されなくても、何ら問題はない。自分の学校の考査で出題することはなんの問題もない。

同様に、坂本龍馬や吉田松陰らを例にとって幕末期を説明することは何ら問題ないし、そうした方がいいのかもしれない。すべての教科書が横並びにその名前を出す必要はないし、入試にはでないと考えればいいのである。

これにより教科書としても、教師としてもさまざまな授業展開を可能にできる。校内の考査においてはいくら出してもかまわない。今まで教科書に出ていないものでもよい。考査は、教師の授業展開にかかわって出題すればいいものなのだから。

「国定教科書」意識は捨てるべき

多くの批判を見て感じるのは、多くの人の意識に「国定教科書」的な意識がこびりつきすぎているのではないか。教科書の本文には原則としてださないことは教えないことではない。
 高校生すべてが、坂本龍馬や吉田松陰の名前を知らなくともいいのじゃないか、全国のすべての人間が龍馬の名前を横並びで覚える必要はないというだけだ。だから入試にも出さない。
逆にいえば、他の用語も減り、時間的に余裕ができるのだから龍馬や松陰を使って、より丁寧に幕末を教える余裕もできる。授業であつかわれる龍馬や松陰の「名前」は入試にでないが、彼らがかかわった尊王攘夷運動、長州征討、薩長連合は入試にでる。自分の地域にかかわる人物を用いて尊王攘夷運動を説明できるのならそれでもかまわない。定期考査にも出題する。
武田信玄の代わりに、長宗我部元親で説明しても、伊達政宗を使って戦国大名を説明してよい。
とりあえず、記憶が自己目的化している歴史から歴史教育を解放しようということだと私は理解した。
かつての「ゆとり教育」の再現だという的外れの批判もあるが、意味のないような記憶でなく、さまざまなアプローチを可能にすることの方が大切だ。
「言葉を閉ざす」という批判もあるが、人の名前だけを意味もなく覚えることが「言葉を閉ざす」のだろうか。私が挙げた例でいえば、「稲村三伯」「ハルマ和解」「宇田川玄随」「小田野直武」「芝蘭堂」「蔵志」とぞろぞろと人の名前を覚えることにどれだけの意味があるのだろうか。
ターヘルアナトミアを中学校一年生単語だけで訳していく中で、どのようにして言語を習得したのか、学んだ単語を積み重ねることで辞書をつくり(「ハルマ和解」)、文法書をつくり、それでどのように世界を読み解いていったのか、読み解いた世界と日本の現実のギャップにどう向き合っていったのか。それを考えた方が、国際理解や言語習得の意味を深く考えられるのではないか。

芝蘭堂に集まった蘭学者たち

学ぶための共同体がつくられ、いかに協力し合ったのか。「芝蘭堂」の会合に参加した大黒屋光太夫が世界をどう紹介したか、蘭学者たちがその情報をどのように感じさせたか、説明した方がよほど「言葉を開く」。
そのなかで、必要に応じて、さりげなく、こんな人もいたよと人名を出せばいいのではないか。
歴史の流れから切り離された人名や歴史用語をマーカーで線を引かせて「さあ覚えなさい」の授業が「言葉を閉ざさない」とは私には思えない。

教科書は「厚い」方がよい!

そもそも、私自身は教科書は厚い方がよいと思っている。(ツイッターで見る限り、桃木氏も同じ考えを持っておられるようである)。教科書には、さまざまな事例が紹介され、史・資料の内容がだされ、その中から、教師(場合によっては生徒も)が、内容をチョイスし、学び、現代につながる課題を読み取っていく。それが最もよいと思っている。
問題は教科書に書いてあるすべてを記憶するものと位置づけていることだ
世界史研究の発展の中、「なぜ世界史にアフリカが登場しないのか?」「世界システム論という考え方をぜひ紹介したい!」といった声が研究者から、さらに教育者の側からも出された。それは、正しい議論であろう。しかし、今までのものが精選されないまま、教科書に反映され、新たに付け加えられた。結果は入試で扱われる内容が増えただけだった。しかも新傾向として。

内容が妥当なだけに悲しかった。結局、「さらに教えなければならないことが増えた」「さらに覚えなければならないことが増え、入試が難しくなった」との反発を受ける。あるべき世界史像を普及させようという思いが、入試という観点から拒絶される。教科書に書いてもらいたい、書くべき内容が、生徒の消化不良を促進し、入試での忌避、歴史嫌いを増やす。
理由もなく、あるいは考える余裕もなく記憶せざるを得ないものを「入試には出しません」「入試に出す可能性があるのはこの内容です」と宣言し、あとは教科書を作成する人たちと現場の教師たちの創意を活かせばいいというのが趣旨であると考える。

「精選」のさいの検討事項も

以上のような点から、私は今回の歴史用語精選はやむを得ないと考え、基本的に支持をしたい。
 ただ、検討すべき内容もある。
生徒、とくに学力に課題のある生徒にとってはみれば、何も考えず、論理構造も考えず、丸覚えする方が楽なのだ。とりあえず、言葉だけを必死になって詰め込み、「主義」がついているものには、覚えてきた「主義」がつくことばを、資本主義か、ロマン主義か、正統主義かなど、全く考えず埋め込む、そして赤点ぎりぎりで、なんとか単位認定してもらう、という現場がある。
一つ一つの「主義」を、抽象的・概念的用語を丁寧に学ばせ、理解させる方が、実はよっぽど大変なのだ。何も考えず「丸覚えする」歴史教科がさらに難しくなることにつながるし、教える側の努力も必要だ。
抽象的・概念的用語も、理解しないまま、事実の裏付けもないまま暗記させる恐れもある。歴史的な事実と結びついた形で歴史理論が組み立てるのはかまわないが、その理論を導き出した事実的裏付けなしに歴史理論だけを覚えるのならそれは非科学的なものといわざるを得ない
とくに、新科目「歴史総合」はそういった可能性が強いだけに注意が必要である。
こうした課題についても、目を向けていく必要があろう。

管理も部活動もしたくないんだけど・・

「憲法は『校門』の前で立ち止まる」

ツイッターなどで、教師の長時間労働、とりわけ部活動のあり方への厳しい批判がなされています。同時に、そこでおこなわれている指導内容にも厳しい目が向けられています。その批判をききながら、かつてきびしい「校則」批判や管理教育批判が世間をおおっていたことを思い出します。ジャーナリストで現世田谷区長の保坂展人氏などがその急先鋒でした。「憲法は『校門』の前で立ち止まる」とさえいわれました。私も、当時、指導していた社研部の生徒たちから厳しく迫られました。「たしかにその批判は当たっている」と思いつつ、なんとも腰の据わらぬ対応をしていました。

「幸福な高校」の代償としての「管理主義」?

現在、この問題はどうなっているのでしょうか。少なくともかつてのようなジャーナリスティックな批判は消えました。しかし、こうした管理的手法がなくなったとはおもえないのですが。教師というのは、自分以外の学校は意外なほどわからないのですが。こうした管理主義的指導は続いているのでしょうか。

 私が最後に勤めた高校は「管理」が大手を振っていた学校でした。「部活動」が過剰な高校でもありました。そんな学校であるという評判もあって、生徒指導案件も少なく、安定していました。「管理」によって生徒が萎縮するといういい方がされますが、私のいた数年についてはそうした面よりも中学時代には小さくなっていた生徒が安心して楽しく通えたという面が表に出ていたようです。授業を妨害したり、騒いだりする生徒がいないため、生徒もある程度授業に集中できたし、まじめに授業に取り込むことを馬鹿にする風潮もありませんでした。提出物なども出やすかったし、教師も授業でいろいろな工夫をしやすかったと思います。
目に見える「いじめ」はなく多くの生徒が「安心」して「普通に」に授業をうけ、部活動に熱中する、そんな「平和」な高校生活を送れるという点では効果があったことは認めざるをえません。学校や授業が「平和」だと、教師の側も「幸福」に暮らせます。「怒鳴りあい」と「緊張」、「居眠りの大軍」では、教師も生徒も神経を病んでしまいます。
 ただ、熱心なので、効果があがっていると思うと、そうでもないことにも衝撃を受けましたが・・。学科の特質や長時間通学が多かったせいもありますが、中退する生徒がかなりの数になっていたのも事実です。その理由の一つに、学校の管理的なありかた、それを体現した「教科」の存在もあったようです。

 学校において「管理」は「平和」「幸福」をえるための代償?!でした。この『授業中継』もこうした学校での授業が原型です。静粛にさせるのが精一杯だった学校ではこのような授業はできなかったでしょう。こうした「管理」的手法がいいのかどうかは、最後まで自分なりの答えを出せませんでした。とりあえず、事実だけを記しておきます。
ただ、世間からこのような教育における管理的手法にたいする批判や疑問がなくなってしまったことについては「それでいいの?」という気持ちもあります。

何もできない『新採』の野球部長を支えた職場

最近の部活動批判の主張自体に文句はありません。本務でない部活動の理不尽さは、退職の数年前、全く指導ができない体育系部活動の主顧問となって苦しめられた経験からもよくわかります。(この経験は別稿「授業は仕事の合間にする仕事?」のなかで一部触れています。参照してください。

 私は大学を出て講師経験もないまま採用され、担任をもち、専攻であった「日本史」「世界史」でもなく「地理」の授業をもち、そして形式的ではあれ野球部長にさせられました。まったくの運動音痴の私が!です。「練習に出てこい」といわれ、放課後、なすこともないままグランドのすみに座り、土日は平日よりも早く起きて近隣の町で行われる試合に付き添いました。田舎町では高校野球部が“町の『タイガース』『カープ』”です。飲んでいると「○○高の野球部は何をやっているんだ。△△(主顧問で監督の老先生)のせいだ。」などという酔客の声、知らんふりをし続ける、そんな日々でした。
校内暴力が話題になっていた時代です。次々と起こる生徒指導上の案件(とはいえパーマなど頭髪加工やバイク免許証取得などが中心ですが)の合間を縫っての教材研究、とはいえ、教える科目は、何を、どう教えるのか、皆目わからない「地理」です。授業は“お祭り状態!”、ひどいものでした。そうした時代、ありがたかったのは、職場の仲間の存在でした。野球部の実務はメインの先生たちがやっておられました。同じ宿舎には同期採用の先生がおり、若い先生も多く、年長の先生も(「悪い」ことも含め)なにかと気をつかってくださったので、乗り切ることができました。

失敗を許さず、馬鹿話の聞こえない学校での長時間労働

当時はいろいろな面でアバウトでした。失敗だらけの私を許す空気がありました。ところが、約四〇年の間で、しだいに教職員管理が強化され、現場では失敗を許さないピリピリした空気が生まれてきました。さらに教育の向上にはまったく不要な雑務が教育行政からおりてきます。学校改革や教育改革などと称して、現場のニーズとはかけ離れた内容から来る不満やストレスがあふれています。職場の合意のないままトップダウンですすむ学校運営は「ご勝手に!」という空気を作ります。職場の協力体制を作ることが困難になり、管理職に見込まれた(職場内では・・・の人も多いのですが)「まじめな人」に仕事が集中し、痛い目に遭わされます。(しかも部活動に熱心な人が多いので、仕事はいっそう過酷になる
自分の仕事だけをきっちりやればよい」という空気が広がり、逆に失敗には厳しくなります。こうして、自分の責任部分に対する緊張が増し、自己責任論が大手を振っていきます。かつて馬鹿話とともに教育論が語られた職員室は静粛の場となり、キーボードの音が響いているようです。(私は、オールドスタイルが残る小部屋に「隔離」されていたのでそれほどではありませんでしたが
先生方は多忙です。昔もそうでした。しかし、かつては職場で支える空気がきつさを和らげていました。「まあ、つきあってやるか」と仕事を分担したて手伝ったりしてくれる人がいました。そうした仲間や先輩たちをまわりに見いだせなくなったことが、多くの先生を痛めつけます。
仕事が終われば、そそくさと帰る人がいる一方、仕事が集中する人もいます。かつては、考査のときに行われていたような各種の職場の福利厚生事業も「地域の目」などといったことを口実に消えていきました。「先生たち楽しそうにやっているね。」というポジティブなとらえ方にかわって、「勤務時間になによやっているのだ!」というネガティブな声の方が教育現場を包むようになりました。功罪半ばともいえる「呑みニュケーション」は劇的に減りました。
孤立化が進み、相談に乗りにくい職場での長時間勤務は過酷です。肉体だけでなく精神的にも破壊的な役割を持ちます。長時間労働の身体的・精神的破壊力は職場の雰囲気で倍増します。みんなからいやがられている仕事を押しつけられている人はもっとそうでしょう。(明るい職場環境が長時間勤務を生みやすい面もあることも事実ですが…)
「本務でもない」のに圧倒的な責任を負わされる部活動は耐えられないものです。協力体制がなく、一人でかぶらされたときのきつさはひどいものです。さらに学習には期待しなくても、部活動に期待する親や地域の方が増えてきたようにも思います。そのため、さまざまなヤジが飛んできます。しんどい部活動を若い先生や転勤したての先生に押しつけられるのもよくある話です。部活動への全員加入制を取っている学校などはいっそうきびしいでしょう。「今度の顧問は・・・」という容赦のない声が聞こえます。

部活動返上となぜいいにくいのか?

現在あるような部活動は改めるべきなのはいうまでもありません。学校教育から社会教育へ移行すべきであるという主張も正しいものです。

しかし、そういったことをわかっていながら、現在の「部活動は本務でない。だから返上すべきだ」といういい方は、職場では多数派にはならず、組合活動に熱心な先生も含めて、腰が引けてしまいます。かつて一世を風靡した「『校則』などの管理は学校教育になじまない」という声とともに、「でもね・・・」という違和感が生まれているのです。

まず、社会教育に移行した場合の問題点を指摘しておきます。
ひとつは指導者の問題です。現在でも校外の技術指導者に手伝ってもらうシステムはあります。しかし、生徒指導の責任は学校・顧問教師が負い、技術指導者も顧問の管理下に指導します。ですから顧問教師の試合の付き添いも減りません。
わずかな礼金でボランティアに来てくださるありがたい外部指導者ですが、教育者ではありませんので、学校としてのルールを理解していただきにくい方もおられることも事実です。学校教育の一環としての部活動であることを忘れ、勝利至上主義になったり、学業とのバランスを欠く指導をされるなど、学校の方針とズレてしまい顧問教師など学校側が走り回ることも多々あります。一度お願いした方にお引き取り願うのは大変だという声も聞きました。「教育としての論理」を学外指導者に求めることは難しい問題でした。
近年、都市部では職業的なコーチ集団が請け負われ、試合の付き添いなども教職員なしでもよいとテレビではいっていましたが、責任の問題はどうクリアするのか、「教育としての論理」とのかねあいが気になります。活動場所や費用なども気になるし、「教育としての論理」が担保されるのかが気になります。

「教育の本質」とかかわって部活動を考える

さらに、教育の本質にかかわる問題があります。
この文章の出発点は、前々回の(高校で教える歴史の教師か、歴史を教える高校教師か?から独立させたもので、生徒指導や部活動への教師の関わりを中心に書くことにしました。しかし、前置きだけでかなりの分量になってしまいました。

ともあれ、本文に入りましょう。「教育の論理」との関わりの中で部活動を考えた部分です。

まず前々回の内容を、書き直した形で引用しておきます。(色の変わっている部分が、今回主に書き直した部分です。)

教師が課せられた役割とは

このような役割を担わされたにせよ、古い世代が次の世代に彼らが学ぶべきと考えた知識を伝授し、生きる力、集団に貢献できるような力を身につけさせようとするという教育の原初以来の機能はかわりません。
 (中略)
近代社会においては国家の要請に沿うことも多くなりますが、人類が未来を託すことが教育の目的である以上、それにとどまらない役割も持っているのです。
このように考えてくれば、教師の使命も見えてきます。それは、自分たちが先人から引き継いできた社会や文化をよい形で次の世代に受け継ぎ、よりよいものとして発達させ、再生産してもらうための手助けなのです。古い世代が受け継いできたバトンを、しっかりとバトンタッチすること、その営みが教育の役割だと思います。
こうした機能を専門的に特化した「学校」という機関において、教師たちが機能を分担しながら伝えていくのです。
近代資本主義社会は、個々の人間を「原子」化するとともに、人間関係を経済的関係へと置き替えていきます。子育ての負担は、これまで以上に家族とくに母親へ集中しますが、これまで母親を支え育ててきた家族や地域社会は衰退しています。「よってたかって子どもを育てた『おせっかいな人間』たち」が子ども(と母親)のまわりから消えていき、地域や家庭で分有されてきた「教育」機能が弱体化します。おいつめられた母親たちはその悲鳴を「教育」を公的に担う学校にクレームという形などで向けてきます。地域すらが似た行動を取るようになります。
家庭・地域・学校といった三者で担うべき「教育」機能ですが、前の二者の機能も学校教育へ吹き寄せられてきます。このなかに「生きる力、集団に貢献できるような力」という「教育の原初以来の機能」にかかわるものがあり、「この力を身に付けずに大人になることは困る」という役割すらも押しつけられます。
こうした役割は、「国家の求める「規格」に合致した「製品」としての「国民」をつくる」というあり方や「国民道徳を涵養する」という戦前以来の公教育が担わされてきた役割と響き合う形で、現在の学校に持ち込まれているのです。
こうした役割は「次の世代が学ぶべき知識を伝授」を主要な課題とする学校教育になじまないとして拒否することも可能でしょう。それは地域や家庭の問題だといって。しかし、疲弊した地域や崩壊しつつある家庭のなかで、「生きる力、集団に貢献できるような力」を育てる課題を放棄できるのか、という苦しい選択が強いられているのです。この役割も、文句も言わず引き受けてきたのが「学校」でした。「人間サンドバック」になりながら。
部活動もそうです。「本務ではない」。しかし、そこには、学校教育を超えた教育の本質にかかわるものがあり、個人や社会の形成にかかわる「教育」で効果を上げることも多い・・。
こうして、学校は、教師は、家庭や地域が担いきれなくなった教育に対する役割すらをも背負い込み、身動きがとれなくなってしまっています。
たしかに労働条件から見ると、教育現場は「ブラック企業」のひとつです。ところが、自分たちの仕事が、児童生徒の人間としての発達・成長を保障し、それによって社会を支えているという意識(思い込みが多々あるとおもいますが)が、こうした過酷な環境を容認させているのかもしれません。
ともあれ、こうした内容さえ付与されてしまった「教育」の専門機関が学校です。

いいたいことの多くはここでいってしまったような気がします。
本音の一部を言いましょう。授業では希薄な人間関係が、部活動だと親密になる(なったような気がする)という人がいます。それは生徒にとってもそうでしょう。授業などでは伝わりにくい「ことば」が入っていくのはうれしいものですし、集団のなかの一人である生徒に先生が正面から対応してくれる。生徒が真剣に物事に取り組み、真剣にとりくみ、結果もでるという状況は教師を燃えさせます。自分の指示で生徒が動くことは気持ちがよいものです。がんばれば、父母からも評価してもらえることもおおい。こうして、「部活動なんて」といっていた教師が「転向」していくことも・・。ときには勘違いも起こりやすく、マスコミを賑わす問題の発生する土壌もこのあたりにあるのですが・・・。

労働者としての教師の労働環境は「ブラック『企業』」であり、部活動は教師としても「本務ではない」し、ただちに、こうした状況を改善すべきだ。教師の長時間労働が本来の教育活動、とくに授業の質の低下につながっていることも事実です。こうした状況にただちにメスをいれる必要があります。早急に改善されねばなりません。
しかし、これまで見てきたような事情もあって、「こんなもの放り出してしまえ!」と勇敢に言い切れず、多くの先生方が口ごもってしまうのです。

青少年犯罪の割合が少ない日本~「学校」の日本的役割?!

「校則には基本的人権に反するものがある」、「服装や頭髪指導はおかしい」といういい方に対しても、やはり同様の思いがあります。そうした「管理」をやめて、本当に学校がうまく動いていくのか、学校の機能が維持できなくなるのではないかという恐怖心です。

何かで聞いたことがあります。「日本では青少年犯罪の割合が世界と比べて著しく少ない。」その話を少ししたいと思います。

外国においては、「野放し」にされている「困っている」若者が、日本ではあまり「野放し」にされていない。若者の大部分が、とりあえず学校(中学・高等学校)という「教育」機関に居場所をもち(「収容」?され)、教育的指導をうける。あるいみでは、学校は「矯正」機関であり、「警察」「裁判所」さらには「刑務所」の役割すら果たしている。裏返しとした、地域ではよっぽど「困っている」若者は以外は、あまり可視化されず、昼間からぶらぶらしていれば、それこそ「警察」などに目を付けられるというのです。
警察が行うような仕事を、学校が「生徒指導」の名で行う。こうしてよかれ悪しかれ、日本の治安は保たれ、町には、目を合わせるのを躊躇するような行き場のない若者は少なく、「△△高校の○○部の連中の電車内のマナーは悪い」の程度ですんでいるのです。警察や裁判所・刑務所はおかげで「楽」をし、司法予算も、都市政策予算も、青少年の職業支援費用も安上がりですんでいる・・・。

まあ、そんな内容でした。
話を聞いて、喜んでいいのか、腹立たしく思うべきなのか、苦笑いをした思い出があります。「それならもっと学校にカネをよこせ」といちゃもんをつけたくもなりました。
現在の学校、とくに部活動にはこうした治安維持の機能があるのかもしれません。現在の学校は、「学習」機能より「託児所」「青年保育所」の機能と「矯正」機能の方が重要なのかもしれません。ちょうど、小学生高学年の学習塾や習い事・スポーツクラブが学童保育所のかわりとなっているように・・。
 学校は秩序維持の効果を担うとともに、将来の社会問題化を鎮めている面もあります。行き場のない「困っている」生徒を支え、その苦しみをある程度聞いてやり、「このまま卒業したらあかんやろ!」という部分は指摘しとくには「矯正」し、進路保障の手助けもする。こうした役割も行っています。

管理主義に支えられる現在の「学校」

「管理」を強化する理由、もうすこし露骨な話をしましょうか。さっき前任校の話でしたように「しめあげないと、授業、そして学校が成立しなくなる」との恐怖心があるからです。教育、とくに授業は楽しいものとはいいきれません。いろんな事情で授業についてこられない生徒もたくさんいます。おとなしくすることが「体質」として苦手な生徒もいます。家庭生活上の重い事情をかかえていたり、学校以外のことが大切な生徒がいます。なぜ授業を受けなければならないのかわからないという生徒が大多数かもしれません。そうしてなかで授業を行ない、学校活動をすすめているのです。
原初の教育では教育をする側は、村の長老や父や母、年長者といったある種の権威や権力を背景に、とくにはさまざまな強制力も行使しながら、教育活動を進めます。教育というものが、ある意味では動物としての人間の本質とあまり合致しないものである以上、こうした強制力も必要になるのでしょう。こうしてこそ「矯正」といった役割も達成できるのでしょう。
「よい授業、わかる授業をしないおまえたちが悪いのだ」という声も聞こえてきそうです。教師も、生徒の状況を配慮し、興味関心を引くように工夫し、その理解を引きつけようとしますが、限界があります。考えてみてください。3~40人、しかもさっき見たようないろいろな人に、話を聞かせること、できますか?授業成立のためには、さまざまな手段を使います。発問、討論、さまざまなエピソードや各種の冗談、下ネタに特技、考査や落第などの成績面での脅し、怒声などによる威嚇、各種の「懲戒」などなど。それでもなかなかうまくいかないのが実態です。下手をすれば「反撃」を食らいます。教師は、日々こうしたなかで授業実践を進めています。しかし個人的な努力では限界があります。このため、学校全体としての権威や権力を強め、授業は静粛に受けなければならないという秩序をつくろうとするのです。こうして学校は秩序を揺るがす可能性のあるものを排除するために、校則などでハリネズミのように武装しはじめるのです。一度、こうした道を歩み出すとそれはエスカレートしていきます。
手を緩めると取り返しがつかなくなる」学校でよく話される言葉です

なぜ部活動も管理主義教育もいやでたまらないんだけど・・

学校には、校則による管理などがいやでいやでたまらない教師が山ほどいます。学校で決まっていたからとしかたなしにやっている人もたくさんいます。部活動も同様です。しかし、心のどこかで仕方ないなと思う人も一定数に上ります。その背景にはこんな事情も隠れているとおもいます。

ツイッターなどで勇敢に「部活動を拒否します」という書き込みを見て、「自分にはそれだけの勇気がなかった、がんばれ」と思う反面、現場時代のいろいろなしがらみを考え、さらに拒否しただけでは終わらない学校をめぐるさまざまな問題、若者を育てるということなど、いろいろな問題をついつい考えてしまいました。頑張っている人の足を引っ張ってしまうかのような文章になってしまったことをお詫びします。

 

 

勉強ができないのは、努力がたりないせいか?

ほんとに勉強ができない生徒がいる。悲しいほどできない。

 

しかし、なぜ勉強ができないのか、どれだけ説得的な説明がなされているのだろうか。

学校現場では、ある仮説によってもとづく説明(ごまかし?)がなされる。
この仮説が崩壊すれば、学校は維持できないかもしれない仮説が。
勉強ができないのは本人の努力が足りないのだ」という仮説が。
そして、高校現場では、努力がたりないから、単位がとれない、進級できない、退学をせざるえない、それは本人の努力不足だ、自己責任だとして、こういったことが正当化される
教務部長は始業式で、教科担当は教室で、担任は面談で、
異口同音に、「お前の努力不足だ。もっとがんばらへんかったら、大変なことになるぞ」と脅迫する。
確かに、努力不足の生徒の存在は否定しない。
いやいっぱいいる。
だからこそ、あの仮説にしがみつくのだ。
しかし、多くの教師は、この言い方の胡散臭さもうすうす感じている。
よく言う言葉、やや差別的な言い方であるが、
職場でよく聞こえるせりふ。
あいつ、本当にやばいで
いくらやってもすぐ忘れてしまう
何も分かってない
そもそも
日本語が通じない!
少しの努力で、少しの努力もせずに、かなりの結果を出せる生徒がいる。
ものすごい努力をしても、時間を掛けても、なかなか、まったく結果の出ない生徒もいる。
席に座りつづけることが苦痛で、なにかしゃべっていないと不安な生徒もいる。
言葉の理解が困難な生徒もいる。
そりゃそうだろう。
先天的、後天的な様々な事情で、資質の違いがあることぐらいだれでも知っている
smapの歌ではないが「普通の人」なんかどこにも存在しないのだ。
 それぞれ、”only one”の存在なのだから。
近年、現場では「発達障害」のことが話題になってきた。
人間には「個性」などという言葉では間に合わないくらいの差異がある。
「発達障害」といっても、深刻な人もいれば、
「自分にも当てはまるな!」と思う程度の人もいて、途中でラインを引くことは困難である。
特定の能力は「普通」なのに、 ある分野に集中して「課題」があるものもいる。
「発達障害」ということばで、ひとまとめに言い切ってしまうことは難しいし、危険だ」ということに気がつき始めている。
しかし、たしかに努力してもなかなか報われない生徒がいる。
そして、それが成績などに、結果として出てくるのだ。
そんなことは、われわれも実際の生活で分かっているではないか。
ここで難題がでてくる。教育を実践する教師としての課題。
目の前の生徒をどうするのか?
教課審議会の元座長氏(作家!であり元文化庁長官!)のように
努力しても無理だから、実直な精神だけを養えばそれでいい」 と、あきらめてしまうのか?
それはできない。
わたしたちは、それぞれの人間が、それぞれ、いろいろな道筋を経て、 発達することを知っているし、そうした事例に感動する
それが付け刃に過ぎないとわかっていても
かなり無理があることが分かっていても
努力をあきらめさせてはいけない。
現場の苦闘はここにある
生徒の発達の仕方は、いろいろな道筋をたどる。
本来なら、ひとりひとりにあったプログラムが必要なのであろう。
しかし、高校現場、とりわけ全日制の現場で多数の生徒を相手に、 しかも教科ごとに教科担当が異なる中で、個別の対応することは無理に近い。
最近は、とりわけ課題が深刻な生徒については、個別プログラムを準備する、要求されるようになってきた。
それが、さらなる負担を現場の教師に強いていることも事実だ。
時間がとられ、課題のやや軽い生徒へのケアがおろそかになる面もある。
こうした取り組みの困難さを、「生徒が努力しないから悪い」と仮説で自分をごまかし、言い逃れてきた面があるのもたしかだ。
 
教師の多くもこのことの胡散臭さをうすうす感じている
※現役最後の始業式の教務部長のあいさつを聞いて感じたことを書いてみました。
 結論のないままになってしまいました。
結局、「同じ仮説にしたがって、やっていくしかない
という結論になるのが現場かもしれません・・・。

歴史研究と歴史教育 ~歴史学の叙述と歴史教育の「叙述」について

歴史研究と歴史教育

     ~歴史学の叙述と歴史教育の「叙述」

 この授業中継、とくに幕末編、維新編を書きながら、ある先生のまなざしを気にしていました。授業を聴講させていただいている先生で、維新史の権威です。この授業中継にも先生の研究成果を使わせていただいています。「通説より細かい」内容のいくつかは先生に学んだものです。
 先生は、一枚の史料、その中の一語一語をゆるがせにせず研究をすすめることで、それぞれの事象を当時の状況にひきつけて掘り起こしその意味を考えることで多くの成果をあげられています。
今までの維新史研究は何も解明していない。この程度のこともできていないのだから」と毎回、毒舌が炸裂します。
「即位と践祚のちがい」、慶応四年と明治元年の区別、王政復古は1867年か1868年か、などなど、
私のような雑な人間にとっては些細とも思えるところも決してゆるがせにされません。こうした強い信念の元に研究と授業を進められます。だからこそ、「維新史の研究は全然進んでいない」という発言になるのです。

こうした先生の立場から見ると、私の授業案は、史料にも十分裏付けされず、研究史も踏まえておらず、想像と伝聞ばかりで議論を進めているとみえるでしょう。「こんなものは歴史ではありません」ということばが聞こえそうです。怖くて見せられないし、これからも無理でしょう。

 

でも、少し居直らせてください。高校の授業は、二単位ものなら、形式的には七〇時間、実際には六〇時間以下、四単位なら一四〇時間、実際一〇〇時間をいかに超えるかという時間的制約があります。

かれらは、部活や生活など、日常で疲れきっています
こうしたなかで、かれらにとって無関係にも見える日本史の授業をしていくのです。
だから、必要なことであっても省略したり、単純化したりする必要があります。このことは何度も書きました。
私は、学校での歴史授業は歴史だけを教える時間じゃないと思っています。歴史を通じて現在の日本や世界の課題、社会科学など隣接の学問内容の話もしたいし、歴史上のトレビアや与太話もします。歴史上の人物を語る形で生き方を語ることもあります。
校内で問題になっていることも、生活指導にかかわる話もします。脱線させることも大切です
逆に、生活指導などの局面では、頭髪検査とか何たらチェックとかいって、学校として脱線させようという動きが出てくるので困ったもんだとは思いますが・・。
授業の話に戻ります。
時間がないからといって、細部にこだわらないということではありません。見てもらえば分かりますが、
ときには思いきり細部にこだわります。
概説書ではたらず、いろいろな本やあやしげなネットも見ます。多少フィクションもまじえます。
細部をみることで、事件や関係者の姿がリアルにわかり、それを分析することで時代がわかるからです。
幕末編ではとくに細部のエピソードについて多く記しました。
みなもと太郎「風雲児たち」 漫画家みなもと太郎が40年近くにわたって描きつづけている大河ギャク漫画。豊富な取材によって描き出される歴史像と暖かい人間造形にファンも多い
たとえば小御所会議の叙述、先生の目も気になってかなり調べました。容堂を刺そうとしたのは岩倉か、西郷か、そもそもがフィクションだったのか、とか
上賀茂巡幸で高杉が「よっ、征夷大将軍」とやじった話は本当か、とか、高杉の功山寺決起はどこまでが事実か、とかも気になりました。
高杉のエピソードが多いですね。
恥ずかしながら、私の脳の中には司馬遼太郎(と、みなもと太郎)がしっかりと根を下ろしていて、その呪縛から逃れることはなかなか難しいのです。
みなもと太郎(とくに幕末編)は、ある程度信頼していますが、司馬遼太郎は難物です。さも本当のように怪しいことをいいますから。だから、こうしたエピソードはチェックしました・・。
でも、チェックが甘くなったところも多いかもしれません。
授業での自分の話し方を分析して、面白いことが分かりました。いつのまにか、丁寧語・標準語ではなしているところと、関西弁でちょっと雑に話しているところがあるのです。丁寧語は教科書的な定義のようなこと。教科書で言えば本文にあたるところ。関西弁は注釈や補足説明、たとえ話などです。こうした関西弁にあたる部分をいかに展開するかも重要な課題です。
わたしの授業中継では、関西弁の分をできるだけ記そうと考えました。関西弁だらけかもしれませんが。
一般論とか「これとこれを覚えなさい」といういい方は、受験校では通用しても普通の高校では通用しません。生徒がこっちを向いてくれないし、興味を持ってくれないという事もあります。居眠りの大軍ならまだましで、雑談の嵐となれば処置なしです。気の弱い私は本当に神経がやられました。いまだに生徒に無視される夢を見ます。
細部にこだわった先生の授業はネタにつかえる部分が多くありました。「堺事件」からは慶応四年攘夷実行ができると期待していた知識人でもあった武士の「抵抗」と新政府の外交姿勢が、天皇像の変遷からは前近代の天皇像と絶対主義的に着色されていく天皇の姿が。授業ではこんな風に使えるな、とおもって少し授業中継のなかに入れてみました。
他の先生方もそうですが、大学の先生方がポツッと当然のことのように話されるエピソードの中にすごい宝が隠れているのがこの年になってよくわかります。それこそが、長年史料や古典にあたり、研究への格闘してこられた経験が裏付ける力なのでしょう。私のようなものには、とうてい歯が立たない深みです。これからも学ばせていただきたいと思います。
私の授業中継では、まずは日本史Aの全範囲の授業案を作ろうと考えています。教科書程度の知識とちょっとばかりいろいろなことから学んだ程度の知識でこれをやろうというのだから無茶苦茶です。でも気になったり、怪しいと思うところは、それなりに調べるようにしたいと思っていますて。
先生の言われるような丁寧な説明はできません。「即位と践祚の違い」ぐらい(というと激怒されそうですが)は許してください。でも、できる限り、日本史の研究成果は踏まえたいと思っています。そうしないと「歴史修正主義と変わらない」ですから。
研究と教育は違います」と冷たく言い放たれそうです。
そうです。歴史学と歴史教育はちがう課題に対応しています。
したがってその叙述内容も方法も(中高の教師は基本的に授業実践が自体が歴史叙述です)も当然違うものです
わたしが、めざしているのも、受験目的ではない高校の日本史授業の叙述です。授業実践の参考になればと思って作っています。もちろん歴史学の成果にできるだけ学びたいですし、学んでいきます。
でも、「歴史教育は歴史学の子分ではありません」。
それぞれ独自の課題を持ち進むものだと思っています
 勝手なことを書いてきました。

でも、この授業中継をつくるにあたって、やはり先生のまなざしを意識し続けたいと思っています。

無茶な事を書きながらも、歴史修正主義のような事実を曲げることはないか、史実に忠実であるか、研究史をいかに踏まえているのか、現在の課題や学校現場の要求に答えられるものであるのか、自問自答しながら、次の時間の授業中継を作っていこうと思っています。

<蛇足です>
もし歴史の教師をめざす人がいれば、いろいろなエピソードをその時代の歴史の流れやその意味とからませて押さえておいてくださいね。

みなもと太郎なんかはとっても参考になります(^_^;)
内容も、その扱い方も・・
理論的な話や一般論、とくに○○的とか××制なんて話は、ちょっとやそっとでは伝わらないので、どんな風なたとえ話がよいか、とかいろいろ考えておいてくださいね。

いかに教材を精選し、スピードアップするか。

日本史の授業をいかに精選、スピードアップするか。

日本史Bで4単位、日本史Aでは2単位しかないという現実の中で、大切なことは、いかに教材を精選してスピードアップを図るかということです。
ここでは、私の乏しい体験からそのやり方を紹介したいと思います。
スピードアップには、いろいろな方法があります。
一つは、いくつかの分野をカットすることです。
よく犠牲にされるのが、江戸期の文化や経済」。というか江戸時代そのもの。「明治以降の近代文化」。
江戸時代が犠牲になるのは、「江戸時代を細かくやるか、江戸を犠牲にして幕末や明治以降を少しでもやるのか」という究極の選択の結果。
昨年度の日本史Bでの私の選択もそうでしたから。
多くの先生がこういうやり方をするので、逆に、大学入試でこういった分野が狙って出題されるという逆説が生まれます。やっていないから点数がとれない。だから平均点が下がる。
でも、こういったカットは、教師の価値観に基づいて意図的にやるのだから仕方がないともいえるかもしれません。「積極的カット」です。
他方、カットする気でなくとも、時間不足でカットされる「消極的カット」が実際。その犠牲者が近現代史。とくに戦後史、これが現実。
 よくいわれる「日本人は、戦前、自分たちがやってきたことを知らない」と批判される背景です。これは別のところで触れましたので省略します。
授業で、思いのほか時間をとられるのが、板書です。
まず黒板に書くために時間がかかり、生徒が写すのを待つ。
写すのが遅い生徒がいるのですよ…。
ある程度、細かいことを触れなければと思うと、どれだけのことを板書しなければならないか、頭が痛くなります。
項目だけを書くと、名前だけしか覚えない。
説明も板書すると、膨大な量となり、時間がかかる。
終わってみると、これだけしか進まなかったという自己嫌悪に陥る。
教える側でも、簡単な板書にしすぎると、「この内容、試験に出して大丈夫かな、生徒は書いていないことはやらないから」と
不安となる。
そこで多くの先生が使うのがプリントです。
プリントは、資料的に使う場合と、穴埋めとして使うやり方がありますが、
資料に使う形では、もっと時間がかかってしまうのでおいておいて。
私が数年前まで多用していたのは、穴埋めプリントでした。
板書する内容を、プリントし、必要語句のみを板書する。必要事項はプリントに書いてあるので、ポイントを言い忘れることはないので、出題するとき安心。
板書を少なくできるので、スピードアップできる。
確かにこれは、スピードアップになりました。
しかし、ノート(プリント)提出させると、多くの生徒がプリントの空欄に赤字で答えを書いているだけでした。
生徒はあまり考えようとしなかったし、エピソードを話したりしても、あまりメモもとらなかったようでした。
教えたい内容は、きっちりとまとめたつもりでも、生徒には穴埋めの単語のみが必要で、説明をした部分などは、大切でないと思うようでした。
行き詰まり感も出てきました。
そうしたなか、であったのが旺文社の問題集「教科書よりやさしい日本史ノートでした。
このノートは、名前の通り、日本史の知識が未定着の生徒向けで、小中学校でも習ったような内容もふれてあり、簡単な文章での説明があり、そこに穴埋めがある。
「これがなんで空欄になっていないの?」というものが多いくらいがちょうど良かったのかもしれません。
そして、各項目がちょうど一時間ぐらいずつでまとめられていました。
なんといっても教科書よりもやさしい内容で、生徒にも理解できる記述であるのがありがたかったです。入試に対応する工夫も若干は隠してありましたが…。
これを使ってやれということで、この問題集を参考に、プリントを作り、毎回配布しました
B5の用紙に印刷するのですが、、まわりを少し広めにカットするという一手間をしました。
そして、ノートの左側に貼らせ、ノートの右側に板書事項や説明事項を記入するように指示しました。実際には  右側の事項が多すぎて、よくブーイングをうけましたが。
こうすることで、板書は項目程度の最低限度で済みますし、多少説明が雑でも、言い忘れても、プリントにのっているので安心です。時間がなければ「プリントにアンダーラインを引け」で通用します。
しかし、最もありがたかったのは、この問題集程度で授業すれば良い、というペースメーカーとしての役割でした。
教えた方がいいか、やめようかと迷っているときは、「この問題集にでてないからまあいいか」という具合で。でも、もちろんのっていなくとも、自分で大切だと思うところは時間を掛けて。この問題集程度の内容では不十分と思うところは、より詳細な内容にして。逆に時間がないときや重視していない内容は数回分をまとめてしまうなど。
「こんな問題集に頼るなんて怠慢だ」という声は当然だと思います。
でも、「あれも教えたい、これも教えたい」という私の欲望を止めるには、ちょうど良いツールであったことは間違いなかったと思います。
ここ数年は、このやり方で授業をすすめるようにしました。
本来なら、授業計画をしっかり立て、こんなものに頼らないほうが良いとは思いますが、

平安時代と室町時代、どっちが古い? ~高校生の歴史的教養

平安時代と室町時代、どっちが古い ~高校生の歴史的教養

この出来事は何時代のこと?
授業で、「これ、何時代のこと?」と聞きます。
古代とか近世とかといった立派な?時代区分でもなく、
もちろん「天保」とか「享保」といった年号のことでもなく、
ごく普通の「平成」とか「江戸」とか「鎌倉」といった、あの小学校で習ったあの時代区分が。
しかし、ある時期、ふと気がついたのです。
この小学生的な時代区分すら定着していないのではないかと。
授業開きのとき、黒板に番号を書いて
「はい、古い順に時代の名前を言ってみて?」と質問したところ、全然できない。
「明治時代の前は?」「…」。
「鎌倉時代と奈良時代、どっちが古い?」「…」
といった具合でした。
どうですか、まわりの高校生たちに聞いてみては。
「アホにしてんのか」という高校生がいる一方、
まったくできないという生徒もかなりいると思います。
時代と特徴・人物と結びつけるのはもっときつい
最後にいた学校は、公立高校は、偏差値的には真ん中くらいというところでした。それでも、縄文から平成まで、しっかりいえる生徒はクラスの半数はいなかったと思います。
さらに、それぞれの時代の特徴を結びつけるとなると、もっと厳しくなります。
「藤原氏などの貴族が全盛だった時代は?」なんてすぐできると思いますよね。それができないんです。
「関東に武士の政権ができた時代は」なんかはかなり難問です。
小学校で出てくる人名を時代の中にはめ込むとなると悲惨です。
「聖武天皇は何時代?」「じゃ、紫式部は?」という質問の答えを出すのに時間がかかるのですから。
「小学校や中学校でやったやろう」と毒づきたくなりましたが。多くの生徒については悲しいほど定着していませんでした。
生徒をめぐる環境
昔は、テレビでよく時代劇をやっており、それを見ている生徒も多く、ある程度の歴史的教養や感覚もあったのです。
しかしテレビの歴史番組も減っていき、現在では大河と正月くらい。そもそも、一人一人がテレビを持っていて、年寄りが見る番組なんか見ない。そもそもゲームや携帯が忙しくてテレビもみない。
だから「水戸黄門さん」も「暴れん坊将軍」もポカーン。
信長や秀吉、坂本龍馬なんかも名前は知っていても、「じゃ、何をした人」と聞くと、かなり怪しい。
平清盛とか源義経なんかは「聞いたことがない」という声が帰ってきそう。
そのくせして、「尊敬する人は坂本龍馬」とくるからなかなか立派なものです。
他方、「歴女」や「歴史オタク」もいます。
授業中継の中でも例をあげましたが、「長宗我部元親」とか「島左近」といったマイナーな人物を知っている生徒がいます。
前田慶次なんて私の知らない(申し訳ない)人物も知っている。ゲームやマンガ、アニメで知っている事が多いみたい。
でもゲームでは、何をしたか、なんてでませんよね。
「歴史的教養」の低下は文化の基盤を揺るがす?!
こんな風に歴史に対する知識の格差は大きくなっています。
多くの生徒の歴史的教養へのレベルは、思っている以上に厳しいと思います。
歴史の知識は文化のベースという面があると思います。
「歴史の流れ」とか因果関係とか言う以前の問題として、基礎的な事実すらが入っていないのです。
歴史への無知が「日本人がそんなことをするはずがない」という思い込みにつながり、「反知性主義」の基盤になっている、と考えるのはうがちすぎでしょうか。
ともあれ、日本文化の継承という点でも黄色信号が点滅している気がします。
たいそうな話をしてしまいました。日本史の授業では、こうした事態にも目を配っていく必要があります。授業中継で、信長・秀吉・家康なんかのプロフィールを話していますが、こうした日本の常識みたいな事も、少しは知っていてほしいなという気持ちからです。
ささやかな取り組み
さて、「時代の順番、特徴、主な人物など常識問題ができていない」という問題はどうするのか。
「しかたない。授業でやろう」などというと、落とし穴に落ちます。でも放置したくない。さっきのたいそうな理由だけでなく、就職試験や公務員試験の常識問題として使われることもあるからです。
高卒だけでなく大卒ですらも。
だからまったく無視とはいきません。そこで自己満足で、お茶を濁す程度ですが、こんなことをやっています。
授業開きの日、オリエンテーションのあとに、ごく簡単な暗記プリントを渡し、次の時間に簡単なテストをするようにしました。
この程度のものだから、楽勝でできるとおもうでしょう。多くの生徒はそうです。でも、できない生徒はできません。
小学校レベルの歴史知識は絶対に必要
さらに、日本史Bでは、授業を進めるとき、中学校どころか小学校の内容すらが定着していないため、力の差がでやすく、ちんぷんかんぷんになりそうなので、最初の時間に小学生用のプリントに少し中学生の内容を加えた暗記プリントを渡しておき、単元ごとに小テストを行うことにしました。
前任校では高校生用の問題集を使ったのですが、それ以前の問題だとおもったので、こうしたやり方をしました。実際の考査でも、結果的に、このテキスト+小テストの内容が一定数出題されました。
追認考査でも
なお、毎年数名不認定になる生徒がいます。そのときはこのテキストから出題するようにしています。このテキスト程度が、日本国民の歴史的教養のミニマムくらいだと思ったからです。
これでもつらい思いをすることが多いのですが。
※暗記プリントを「資料室」のなかにいれてあります。楽勝で満点と思う人も多いと思いますが、実際は(涙)ですよ。