「本物」を見せただけでは実際の姿には近づけない
~五色塚古墳で考えたこと~
ふと、気がむいて、神戸の五色塚古墳へ行ってきた。
神戸市西方にあり、淡路島と淡路海峡大橋を眼前においた兵庫県屈指の規模を誇る古墳である。
ここの古墳の特徴は工事用のじゃり置き場のように丸い小石、葺石がゴロゴロしているところにある。この古墳が作られたころの姿に復元すると、このような姿となるのた。
僕たちは、古墳といえば、大仙陵古墳(いわゆる仁徳天皇陵)のような鬱蒼とした木々に覆われた緑の森を想像してしまう。古墳といえばこういう姿だとして、こうした写真ばかり見せられるてきたからだ。歴史の教師の側からいえば、見せてしまうというべきか。
たしかにこうした古墳は「本物」ではある。しかし、これを見せて、古代の人はこのような古墳を作りましたというのは正しいだろうか?ここに、五色山古墳再生の面白さがある。1000年以上経った古墳ではなく、古代の人々がつくったような、彼らが実際に目にしていた古墳を再生して現在の我々に提示しているからだ。現代人にとっては神々しいとは思えない土砂置き場のような盛り土の山、これが実際の古墳なのだ。しかし、これも実際の姿とはいえないかもしれない。周りが、まったく違うからだ。現在の我々は嫌になる程、毎日、人工物を目にしている。そうした我々にとって、自然の緑は美しく生き生きしたものと感じる。しかし、古墳が作られた時代はまったく逆なのだ。
古墳が作られた時代、人間は荒々しいまでの森林と戦いつつ自らの支配地域を広げて行く時代であった。そこに実に人工的な建造物が作られる。鬱蒼とした緑の中に、明石海峡を通る船からもくっきりとみえつ人工物、周りの葺石は太陽の光を浴びて輝き、頂上部分には埴輪が隙間なく並べられている、それは自然と対峙している人間の力の象徴のようにもみえる。古墳は自然に戦いを挑んでいる人間の力を示しているのだ。
だからこそ、現代人にとっての古墳が緑に覆われた神聖な空間と感じるように、緑の自然の中の人工的な輝きこそが多くの人間たちを組織してこのようなものを作らせた古代人のリーダーの権力を示すものであったのだ。
我々は、現在に残された「本物」、本物の現況を見て、過去のことを想像する。しかし大仙陵古墳のように「本物」ではあるが、当時の現実とは異なる姿に慣らされている。
私たちは、銅鐸や銅鏡が青緑色をしていると教えてこなかっただろうか。あのような輝きのない色をしたものを古代人がありがたく思ったように思わせていないだろうか。これは古代人たちの信仰をミスリードする。当時の人々が見た、銅鐸や銅鏡は金色にぴかぴかと輝いて、叩けば当時の人たちが聞いたことのないような高い金属音を発した。だからこそ、信仰の対象となったのだ。こうした古代人たちが見ていた姿を伝えていただろうか。
仏像でもそうだ。
木目が見えていたり、銅の地金が見えている仏像、これを当時の人々が信仰したと思わせていないだろうか。実際の仏像は金色に輝き、濃い群青色で隈取れるものであったり、様々な色で塗り分けられたものであった。
奈良、新薬師寺の十二神将像にいたってはヘビメタ真っ青の色彩で表現されていた。そのケバさを超自然的な力をもつ仏や神として尊んだ感覚を伝えられているだろうか。我々が感じる長い時間を生き延びるなかで得られた虚飾を脱ぎ捨てた仏像の物語とともに、もともとの姿をも思い浮かべる想像力も必要なのだろう。
仏像の場合は、光の状態やそれを見る目線も重要である。蝋燭の光、差し込むわずかな光、護摩の炎、こうしたなかでの仏像、さらには時々で移ろっていく光に照らされた仏像こそが、人々にとっての仏像である。電気の光に照らされたり、さらには写真用の照明で完璧に照らし出された仏像とは異なるものであった。
我々は、現在の姿で歴史的なものを見て、分かったような気になっている。しかし、それが作られた時の姿にも注意を向ける努力をしなければ、当時の人々に近づくことはできないように思う。
鬱蒼とした緑のなかに、ひときわ輝く砂利置き場のような人工物のなかにこそ我々は古代人の思いを知ることができる。「本物」であることで満足するのではなく、作られた時代の姿や人々の前に現した状況などにも、時には配慮しなければ、実際の歴史には近づけないのだろう。