羽仁五郎の「教育勅語」論

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昨年12月、FBに投稿した文章に少し手を入れて再録。

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羽仁五郎 戦前以来の講座派マルクス主義の立場にたつ歴史家。戦後は参議院議員となったり、大学紛争では全共闘派の立場に立った発言をするなど、行動的な歴史家であった。

大学の授業「現代日本政治論」の資料で高校時代によんだ懐かしい言葉に再会した。
当時のベストセラー『都市の論理』の中で、歴史家羽仁五郎本人が紹介した一節。本の内容は、ほとんど忘れたけど、この一節だけは頭の中にドラマの一部のように残っていた。『授業中継』のなかにも、この一節を生かしたつもりだ。

この一節のもとになった参議院での発言の議事録が、授業の中で紹介された。

それは、教育勅語排除決議にかかわる参議院議員であった羽仁五郎自身の発言。
羽仁はいう。「教育勅語というものは、今まで非常に悪い影響があったのだということを国民がはっきり認めること」が大切である。
何故か、それは「道徳の問題を君主が命令したことにある
そして、羽仁の真骨頂とも言える理論が展開される。

たとえ、完全なる真理を述べておろうとも、それが君主の命令によって強制されたところに大きな間違いがあるのである。だから、内容に一点の瑕瑾がなくとも、完全な真理であっても、専制君主の命令で国民に強制したという所に間違いがある。

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羽仁五郎著「都市の論理」  学生運動が盛んな頃、新左翼系の学生たちのベストセラーとなった。

『都市の論理』で、羽仁は振り返っていう。
親孝行は大切だし、そのことを書いているなど教育勅語にもいいことがあるという議員がいた。だからぼくはいってやったんだ。だったら天皇に命じられたから『親孝行』をしたのかと。するとその人は黙ってしまったよ(この一文は小生の記憶をもとに、羽仁の口調を再現した創作だから使わないでくださいね。)

そして、羽仁の参院での発言は戦争に突入していった日本の近代史に重ねて論じられる。
やがては全く違ったことが、専制君主の命令によって命ぜられて、国民が率いてこれに従わざるを得ないで今日の不幸を招いたという所に、重大な原因があった
だから
国民は自発的にこれを痛切な批判をもってこれを廃止する。そうして将来再びこういう間違いを繰り返さないということが要請されているのであります。」と。

羽仁はつづける。
道徳の問題、教育の問題というものは、国民の自発的意志によって尊重されるということを我々は期待すべきであって、その点行き過ぎた指図をされない方がよいのではないか。どうか、道徳の問題、教育の問題を法律や命令の下に置いたという過去の過ちを繰り返されたくないと思うのであります。教育や思想の問題というものは、政治の下に置くべきではない。政治の下の置かない方がそれを真実に尊重する所以であるという点を明らかにされたいと希望いたします。
こういって羽仁は話を締めくくった。

羽仁がいっていることは、民主主義の原則からして、あまりにも当然のことである。国家や権力、他の人間が「他の人間の心を支配してはならない」。これを出発点に近代人権思想が全面的に開花する。
ところが戦前の日本は、国家権力が人々の心にずかずかと踏み込んでいた。その象徴が「教育勅語」であり、「治安維持法」であった。
丸山真男や大塚久雄ら当時の進歩的近代主義者が問題視したのは、こうした日本における民主主義の基礎にかかわる弱さでもあった。

日の丸・君が代の強要にはじまり、2006年の教育基本法の改変、そして近年の教育勅語の礼賛の風潮は、ヨーロッパでの信仰をめぐる激烈で目をおおいたくなるような惨劇の中から定着した「精神の自由」「内心の自由」という基本的人権や民主主義、自由主義の基礎がいまだに日本の中に定着していないことを示した。新たに始まる教科『道徳』はこの近代人権思想の根幹を揺るがす可能性を持っている。

内容に一点の瑕瑾がなくとも、完全な真理であっても、専制君主の命令で国民に強制したという所に間違いがある。
この羽仁の懐かしく、厳しい声は、いまだに私たちに日本の民主主義の質とあり方を問いかけている。