何でも死刑!台湾の匪徒刑罰令

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今日は、朝から、自宅で大学の授業をネットで受講。

内地と外地の法律面での違いなど。
とくに台湾では、内地や近代国家ではとうてい信じられ程、無茶苦茶な法令が作られていた。
そのひとつに匪徒刑罰令がある。

この法律の内容や日本の植民地支配については以下の文章も参照してください。

http://jugyo-jh.com/nihonsi/日本史aの自習室/植民地の「文明化」と「『日本』化」~参政権問/

なんでも、かんでも死刑とされた。
軍や警察に逆らったものはもちろん、電信柱を傷つけても、野積みの食料、さらにワラを燃やしても、人を匿っても、場所を提供しても、飯を食わせてやっても死刑というのだから、驚く。
こまわり君ならギャグで済むが、実際に行われたのだから驚く。
この法律をつくったのは、児玉源太郎、後藤新平コンビ。

ちなみに後藤は1896〜1902年の間で捕縛もしくは護送の際抵抗せしめたため」5673人、「判決による死刑」2999人、「討伐隊の手に依るもの」3279人合計1万1951人を「殺戮」さらにその他、9000人を「帰順証交付」と呼び出し、一斉射撃で殺した。と講演会で、得意げに語っている。原田敬一「日清・日露戦争」(岩波新書)p102〜3

年号に注意してほしい。公的な台湾掃討戦は1895年のうちに終わっている(中国人兵士・住民の死者14000人)。したがってこの数字は、それ以後の、別の数字である。
こうした残虐行為ののちに、「親日国・台湾」が作られたのである。

本日の講師の先生曰く、台湾では抗日勢力が根絶やしにされたので日本統治は比較的平穏であった。
朝鮮ではそれが残ったし、逃げ場もあったし、人口も多かったから、抵抗運動が以後も激しく展開された。

以下、匪徒刑罰令の全文引用。

全文引用。

第一条 何等ノ目的ヲ問ハス暴行又ハ脅迫ヲ以テ其目的ヲ達スル為多衆結合スルヲ匪徒ノ罪ト為シ左ノ区別ニ従って処断ス
一 首魁及教唆者ハ死刑ニ処ス
二 謀議ニ参輿シ又ハ指揮ヲ為シタル者ハ死刑ニ処ス
三 附和随従シ又ハ雑役ニ服シタル者ハ有期徒刑又ハ重懲役ニ処ス
第二條 前條第三号ニ記載シタル匪徒左ノ所為アルトキハ死刑ニ処ス
一 官吏又ハ軍隊ニ抗敵シタルトキ
二 火ヲ放チ建造物汽車船舶橋梁ヲ焼燬シ若ハ毀壊シタルトキ
三 火ヲ放チ山林田野ノ竹木穀麦又ハ露積シタル柴草其他ノ物件ヲ焼燬シタルトキ
四 鉄道又ハ其標識灯台又ハ浮標ヲ毀壊シ汽車船舶往来ノ危険ヲ生セシメタルトキ
五 郵便電信及電話ノ用ニ供スル物件ヲ毀壊シ又ハ其他ノ方法ヲ以テ其交通ノ妨害ヲ生セシメタルトキ
六 人ヲ殺傷シ又ハ婦女ヲ強姦シタルトキ
七 人ヲ略取シ又ハ財物ヲ掠奪シタルトキ
第三條 前條ノ罪ハ未遂犯罪ノ時ニ於テ仍本刑ヲ科ス
第四條 兵器弾薬船舶金穀其他ノ物件ヲ資給シ若ハ会合ノ場所ヲ給与シ又ハ其他ノ行為ヲ以テ匪徒ヲ幇助シタル者ハ死刑又ハ無期徒刑ニ処ス
第五條 匪徒ヲ蔵匿シ又ハ隠避セシメ又ハ匪徒ノ罪ヲ免カレシムルコトヲ図リタル者ハ有期徒刑又ハ重懲役ニ処ス
第六條 本令ノ罪ヲ犯シタル者官ニ自首シタルトキハ情状ニ依リ其刑ヲ軽減シ又ハ全免ス
本刑ヲ免シタルトキハ五年以下ノ監視ニ附ス
第七條 本令ニ於テ罰スヘキ所為ハ其本令施行前ニ係ルモノモ仍本令ニ依テ之ヲ処断ス
附 則

本令ハ発布ノ日ヨリ施行ス