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祝、70万アクセス

いつも本サイトをご覧いただきありがとうございます。
おかげさまで、2021年1月28日をもって、総アクセス数が70万に達しました。(訪問者、のべ31万5500人)
本当にありがとうございます。
100万アクセスという夢のような数字も、視野に入ってきたと驚きつつ、喜んでいます。

さて、これまでで、固定ページで198本、投稿で66本の文章をアップさせていただきました。
ときどき、これまで書いたものを読み返し、気がつくごとに内容に手を入れ、不適切な部分をさしかえるなど、気をつかっているつもりではありますが、不行き届きが多いことと思います。お許しください。
いくつかの文章は、取り下げた方がよいのかも知れませんが、一本、一本、それにかかわった思い出、喫茶店・公園・電車など文章を書いていた場所や風景、B大学など各大学図書館で文献をあさっていたときのこと、多くの先生から教えていただいたことなどなど、それぞれの文章にまつわる思いもあって、なかなか思い切れないところがあります。

新年のご挨拶でも書きましたように、昨年の後半は縁あって手伝わせていただいた社会人講座の準備に注力してきたため、本サイトでのアップが少なくなってしまいました。お詫びします。
しかし、蓄積もできましたので、現状で私が理解できた部分を、すこしずつ文章化していきたいと思っています。ご期待いただければと思います。
先ず手始めに「米騒動と大正デモクラシー」(全4本)をアップさせていただきました。ご覧いただければ、光栄です。

なお、ほんとうは、みなさまのご意見をうかがいながら、よりよいものをめざしたいのですが、昨今のネットをめぐる事情から、一方的な発信に左右していることを、お許しいただきたいと思います。

日本近現代史の授業中継 店主

2021年、新年のごあいさつ

  あけまして
  おめでとう
  ございます

旧年中は、多くの方のご訪問をたまわり、ほんとうにありがとうございました。

本サイト、「日本近現代史の授業中継」は2016年4月の開始以来、四年目をむかえております。
 2020年は、9月以降、内容を一部をのぞき全く更新しなかったにもかかわらず、年間で21万7000アクセス(のべ10万7200人)ものかたに閲覧していただきました。
 また開始以来のアクセス数は682791アクセス(のべ30万6600人)です。一年目のアクセスが5176(のべ1885人)であったことから考えると、驚くべき数字です。歴史用語をネットで検索したら、このサイトが「いの一番」に出て、うれしいやら、これでいいのかと戸惑ったりもしました。
とはいえ、少しはみなさまのお役に立っているのではないかと、うれしくもあります。
 ほんとうにありがとうございました。

一昨年は元号の切り替えということで大騒動していました。
元号の変更というものは、歴史の区切りという意味では何の意味もないことながら、明治から大正へは第一次護憲運動=大正政変、大正から昭和では金融恐慌、昭和から平成はバブルの崩壊、と改元の直後、不思議と大きな出来事がシンクロしてきました。ひょっとしたら今回も・・、と思っていたら、コロナでした。「こうくるか…」という思いです。これまでの出来事は、その歴史的意味が分かりやすかったのに比べ、今回は、その意味が現状では見えてきにくいという違いがありそうです。
アメリカではコロナの死者が大戦での死者を超えるなど、世界中で大きな影響を与えており、その世界史的意味を問う必要がありそうです。

コロナは、現在の民主主義にとってもっとも大切にすべき「人と人との結びつき」にくさびを打ち込んできました。人間が人間である上でもっとも重要な「社会」を危機におとしいれる危険性を持っています。これにたいし、この危機の中で人間同士の結びつきをいかに確保・発展させていくかということが問われているように思います。
コロナは否応なく、人と人の結びつきを変化、バージョンアップを余儀なくしました。それは、困った問題だけとはいえないのかも知れません。
今年、私は、今までは敷居が高くて、開催場所が遠方であるため、参加できなかったいくつかの取り組みや学会に参加しました。ZOOM開催となったからです。参加者のナマの声を聞けないもどかしさはあるものの、私のような外野(というかスタンドの観客)にとって、敷居が高くて躊躇してきた場所にも踏み込める機会が与えられ、非常に感動しました。そしてそれまでの距離感を一挙に縮めることができました。本年の歴研大会は近年まれに見る「参加」だったと聞いています。これまでのあり方は当然維持するとしても、ネットでも参加できるルートを是非、維持していただきたいと思っています。

研究でいえば、近年、インターネット上から、史料や論文にアクセスすることが可能になりました。コロナは、ネット環境を利用した学びや研究を否応なく進めた一年でした。(他方、感染予防の観点から大学図書館の一般利用が不可能になった大学がでてきたことは、私のような人間にとっても大きな打撃でした)。
私は、昨年から新聞の紙ベースでの購読をほぼすべて中止したのですが、逆にネット上の低価格のサービスを申し込むことで、より広く全国の記事に、過去の記事も含めてアクセスできるようになりました。(紙ベースの新聞を取らない弊害も強く感じていますが)。
YouTubeではこれまでなかなかアクセスできなかった多くの情報が玉石混淆のまま、ときには素材のまま流されます。
私たちは、コロナ禍にむきあいなかで、新たな「学び」のあり方、社会のあり方、民主主義のあり方、「新しい公共」が問われる時代になってきたのかもしれません。そして、本年はそのことがより問われる一年になるかと思っています。

さて、先にも書いたとおり、本サイトの記事は8月以来、事実上ストップ状態です。それは、本年度になって本格的に開始した社会人講座に、講師のひとりとして招いていただいたことにあります。その準備に忙殺されているためです。
しかももう少し余裕ある予定だったのが、コロナのため9月始まりとなり、予定が「密」状態になったためです。メインの「授業」のなかの、日清・日露戦争の部分などは、その内容を反映した書き直しましたが、多くの部分には手をつけられていません。
一区切りついた段階で、講座の内容も文章化し、さらには「授業」部分についても更新していきたいと考えています。それでご容赦ください。
なお、講座の内容については、「近現代史を考える講座」のなかの、学習会の記録という場所にレジュメとプレゼンテーション資料を保管しておりますので、見ていただければと思います。

新年早々、だらだらと書いてしまいました。
本年も、みなさまがたのお役に立つ内容を提供できるよう努力してまいりたいとおもいます。

是非、お誘い合わせの上(?)、当サイトへご訪問してくださることをお待ち申し上げております。

最後に、みなさまがたの健康とご多幸を祈念いたしまして、新年の挨拶とさせていただきます。

本年もよろしくおねがいします。

2021年1月1日
          「日本近現代史の授業中継」店主

なんとか「終戦」までは! ~「お助けプリント」を準備しました。

なんとか「終戦」までは!
~「お助けプリント」を準備しました。

とうとう12月、2学期の期末考査の時期です。
毎年、ぞっとする時期です。
というのは、残っている授業時間があまりに少ないから
残る授業は、3年生で実質2~3週間2年生は約2か月
そこで、指導手帳に講座ごとの授業時間をまとめ、その枠内で教える内容を考える。
是非教えたい内容も涙を呑んで削る。
それでも、どうしても時間が足りない。
何としても日本国憲法の制定、少なくとも終戦まで」という目標をあきらめなければと思う時期です。
「まあいいか、できたところまで」と考えてしまいますが、桑田佳祐の「知りたいことは時間切れ」というフレーズが頭をよぎり「本当にそれでいいの?」という心の声が聞こえます。
昨年もそうでした。
2学期の期末考査時点で、やっと日露戦争が終わったところ。(「日本の産業革命」や「条約改正」を犠牲にしてもこのありさまです。)
普通のやりかたなら大正で終わり、終戦までは絶対無理という場面です。
しかし、毎年、こんな状態でも予定まではやりきります(^_^)v
その手段が超短縮プリントと、ビデオの併存です。
ということで、昨年度(それ以前から(^_^;)も)使用していたプリントをアップすることにしました。
実際には、さらなる短縮版も作っていますが。
今回は、ちょっとええかっこして量を増やしすぎました。
日本史Aの資料室」に「時間短縮用プリント(大正期~占領期)」としてアップしておきます。「なんや、いつも書いてる内容とえらい違うやないか!」とのご批判もあるかとは思いますが、実際はこんなものです。プリントのネタの多くは、例によって旺文社「教科書よりもやさしい日本史ノート」(監修:石川晶康)です。
(注記:当方のミスで同じプリントばかりが表示されていることに気がつきました。今回、正しいプリントに訂正しましたので、ご利用ください。17.4.26記)
またビデオはユーキャンの「昭和と戦争~語り継ぐ7000日」シリーズを使っています。2巻・赤紙が届く日(昭和11~12年)、4巻・立ち上がれ少国民(昭和16~18年)、6巻・本土決戦の覚悟(昭和20年)を飛ばし飛ばし見せていました。どう見ても不要な所や「ン?」という所もありますが、おおむね良心的に作られているように感じます。
さらに時間に余裕があるときは、7巻8巻という戦後編も見せていました。
6巻についての授業用プリントもアップしておきますので、ご覧いただければ光栄です。

前半部分がつながりました。

文体などがブレブレです。すいません。

~途中の「工事中」がなくなりました~

 

このHPの「日本近現代史(日本史A)の授業」ですが、今回UPした「日清戦争と下関条約・立憲政友会」で、最初につくった日露戦争編と戦国時代から始めた部分がドッキングしました。「工事中」看板のうち、前のものをなくすことができました。

日露戦争編を作り始めたのは、まだ教師をしていた昨年末のことです。11月下旬授業が終わってまだ日が経っていなかった日露戦争のあたりを文章化しようとして、実験的につくったものです。

その後、本年2月、授業が終了したので本格的に始めようと思い、最初の部分、戦国時代あたりから作り始めました。幕末あたりになると、某大学の図書館を利用できるという素晴らしい環境のもとで、まとめています。おかげさまで、ちょっと気になるところは研究書などにもあたれるという信じがたいほどの幸運の中、仕事をしています。ただ現場を離れ、日に日に感覚が薄らいでいるので、ついつい難しすぎることを書いてしまいます。

「時間がない時間がないといいながら、どんだけ細かいこと書いてんね!」というおしかりもいただきそうです。

このようなやり方をしたため、困ったことが起こりました。日露戦争部分の文体も、雰囲気も、かなり変わってしまっているのです。日露戦争編は実際の授業の雰囲気が非常に強い一方、司馬遼太郎風の記述が多すぎたりしています。現在は、さっき記したような内容です。

こうして授業中継に断層が生じてしまいました。この断層をどうしようかと考えましたが、授業は毎年変化するのだから、と居直って、次は日露戦争前後の経済から、とりあえずの完成を目標に進めたいと思います。

それから、あと全体を見直したいとおもっています。

文体などがブレブレできっと違和感を感じられると思います。ご容赦ください。

毎回の事ながら、不細工な話で申し訳ありません。

 

 

 

「憲法はまだか?」~1時間目の授業、手直ししました。

昨夜、自分の書いた文章をみていて、ミスを発見しました。

1時間目 日本近現代史を大雑把につかもう>のところです。
小生のパソコンのせいか、ソフトのせいか、調子に乗って入力していると、いつのまにかカーソルが前の方に移動していて、後の方の文章が、もとの文章のなかに紛れ込んでいるのです。

ちゃんと見ているはずだったのですが、まだ残っていました。訂正しました。見苦しくてごめんなさい。

ついでに、あとの方もチェックしていくと、やはり語尾のぶれがきになったので直しました。

さて、大学で聴講している憲法の授業で、1996年にNHKが放映したドラマ「憲法はまだか」の一部を鑑賞しました。脚本はジェームズ三木。古関彰一という憲法史の第一人者が監修しており、かなり事実に即した内容でした。憲法学ではそこそこ名の通っている私の通う授業の担当教授もそういったので、信頼できそうです。
授業で見たのは、数分間だけでしたが印象深いもので、学生さんたちもどうすれば全体を見られるのかと質問していました。

<以後、ウィキペディアからの引用>・・・・・・・・・・

憲法はまだか』(けんぽうはまだか)は、NHK日本国憲法公布50周年を記念し、1996年に放映したテレビドラマ日本国憲法制定までのいきさつや、草案をめぐって政治家GHQ民政局憲法学者たちが繰り広げた舞台裏の駆け引きを再現。全身包帯で巻かれた人間を「産まれつつある憲法の象徴」として登場させるなど単なる歴史ドラマ・政治劇の枠を超える斬新な演出が注目を浴び、放送文化基金賞優秀賞(1997年)を受賞。のち角川書店から小説として出版されている。

<引用終わり>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私もさっそくYouTubeにアップされているこの作品をみました。
現在、憲法が「押しつけだ」「押しつけでない」などいろいろな意見があります。いろいろいう前に、まずこのドラマをみてから考えてほしいのです。ある人は「やっぱりおしつけじゃないか」という感想を持つと思いますし、他の人は「憲法研究会」という民間の日本人がつくった草案の存在に注目するでしょう。「国会でしっかり議論をしており、国民の声といってもよい」という人もいるでしょう。あるいは憲法制定過程におけるいろいろな問題点に気づく人もいるでしょう。だからこそ、見てほしいのです。
何れの立場の人も、憲法成立の事実関係を知るには絶好の作品だと思います。これをふまえて議論することで、よりかみあった議論となると思います。憲法を争点とした選挙がなされている今だからこそ、是非見てほしいのです。

ということで、このドラマをみて、どうしても戦後改革の部分を書き直したくなってしまいました。ある意味では、わたしはこのドラマをこのようにみたという結果です。

追記:この文章を書いてから、一年近くがたちました。不十分とは思いますが、本編でも憲法制定の経緯をまとめてみました。また日本国憲法の世界史的意味ついても触れてみました。多くの研究者の成果をなぞっただけですが、昨年前期にうけていた「憲法」の講義が少しなりと反映できたかなと思っています。(’17,6,14記)

「治外法権」なしの通商条約なんて無理!~幕末編、UPしました。

「 幕末編をアップしました。」
と景気よく書くつもりが、アップしてから一か月以上たってしまいました。見ていただいたでしょうか。
大学時代に、少し時間を掛けてやったところなので、しゃべりすぎてしまいました。
「時間がない、時間がない」といいながら・・・。
言行不一致は教師の特徴?!(苦笑)。
幕末維新史は、かなり研究がすすんでおり、学生の頃のようにあっさりとしたものではなくなってきたように思えますし、逆にわかりやすくなったようにも思えますが。

「不平等条約」って言うけれど

内容紹介を兼ねて、
「不平等条約」と言うけれど、平等な条約なんてあり得たの?
ということを考えてみます。
かつて、「幕府の役人は無能」というステレオタイプで見られる傾向がありました。当時からもそんな風でした。
役人=公務員バッシングは今も昔も変わりませんね(苦笑)
いい加減な仕事しかしないとか、給料が高すぎるとか、お役所仕事とか、親方日の丸とか、ぼろくそに言われます。
教師もぼろくそに言われますから、公立高校の教員なんかは
まるで、「人間サンドバッグ」
大部分は、一生懸命やっていますよ。つつましい生活してますよ。
大金持ちは「セレブ」とかいって持ち上げるのに、なんで一生懸命やっている公務員や教師をひとまとめにしてバッシングしたがるのでしょうね。
役人にも教師にもいろいろな人がいます。そのヤバい人だけをみて、ひとまとめに叩くのはおかしいですよ。
叩きやすい者をたたくというのは、甘利さんや石原さんには触らずに、セコい舛添さんだけを袋にするというのとよく似てますね。
ついついグチをいってしまいました。

江戸末期の役人は優秀だった?!

ということで、江戸末期、一生懸命頑張ったのに、バッシングされまくった人たちについて見ていきたいと思います。
近年の研究の成果によると、和親条約や通商条約で外交折衝に当たった幕府役人の優秀さが強調されつつあります。
世界情勢をしっかりと冷静に把握したうえで、日本の国益を考え、列強の圧力に対しても、粘り強い交渉を繰り返し、かなりの成果を上げたと。

「治外法権」を認めず済みますか?

しかし「不平等条約を認めたではないか」という反論が聞こえてきそうです。
では、聞き返します。
幕末の時点で「治外法権」の条項をいれずにすみますか
当時の日本の裁判を考えてみてください。
「まず不衛生で、金がないといじめられ、人数が増えると数名が殺されるという牢獄に放り込まれ、
異様に発達したさまざまな拷問器具で自白を強要され、
お白洲という白砂利や土間の地面に座らされ、
未整備で人権などにはまったく配慮されない法律??で
弁護士もなく裁判され、
首を切られたり、自殺を強要されたりして
首をさらされる」
こんな裁判を受けたいですか?
逆に全然言葉も通じず、文化も法律も、そして価値観もちがう、「差別しない事の方が犯罪的」である当時の日本と、
「人間は平等である」西洋、
その間できっちりとした裁判なんてできますか
すぐ国際問題となってしまいます。
こんなリスクを侵してまで、当時の日本で裁判をしたいですか?
何事も、リアルに考える事が大切です。
ぼくなら、外国人の立場でも日本人の立場でも、御免蒙ります。
そう、この段階で「治外法権をいれない」なんて、あり得ないことなのです。

「治外法権」撤廃の条件は、日本の「近代化」

こうして考えれば、「条約改正」を実現する事の大変さが見えてくるでしょう。
明治新政府の連中は最初は甘く考えていたのでしょう。
その認識が大きく変わったのが、岩倉使節団の事です。
「治外法権」を撤廃するためには、
しっかりした国内法が必要ですし、裁判制度の整備も必要です、その法律も欧米人が「ま、いいか」という段階までいかねばだめです。
簡単に言うと「自分たちの仲間(国民)を、日本の法律・裁判の手にゆだねることができること、ゆだねても自国内で批判されないだけの国になっていること
これが治外法権の撤廃の条件だったのです。
だからこそ、条約改正には時間がかかったし、
条約改正をするためには、日本を近代的な、あるいは西洋的な国にしなければならなかったのです

当時の日本で関税率を決められた?

関税自主権がなかったではないか」たしかにそうです。
なら、当時の日本で、関税額をどのような基準で決めるのですか?決められたのですか?
結局は「外国に相談をして、言いくるめられて」というのが関の山です。
ですから、関税額を一定にするという協定関税という枠組みは、この時代では合理的なのです
そのなかで、幕府の役人たちは、できる限り高い関税率を守ろうとしました。
あとから条約を結んだイギリスなどは関税率の高さに強い不満を持ちます。
「ハリスの野郎、よくもこの率で妥協したな!」てな具合です。
ですから、長州が外国船を砲撃した事を理由に、協定関税率の引き下げを認めさせたのです。
関税でも、官僚たちは頑張りました。

役人たちが守ろうとした「国益」

では通商条約締結時、官僚たちが守ろうとしていたのは何か?
それは「外国人の国内旅行の制限」や「国内雑居を認めない
ことでした。
なぜなら、中国やベトナムの植民地化・半植民地化はこの条項を用いて進んだからです。
各地でトラブルが続発し、その処理に走り回る
攘夷派の連中が急速に力を伸ばしている、こうした状況でこれは認められないことでした。
幕府の外交官僚らはこれを守り抜きます。
これは評価に値する事だったと思います。
このように、幕府の外交担当の官僚たちは、
これまでの経過や列強間の力関係、他国の事例なども丹念に調べ上げて、粘り強く交渉し、条約を締結しようとしたのです
彼らが優秀だったからこそ、ハリスがヒステリックになっていた面もあるのでしょう。

「公務員は辛いよ!」

こんだけ頑張ったのに、ぼろくそ言われ、外国の手先みたいに云われ・・・。
「人間サンドバッグ状態!」
辛かったでしょうね。
Iwase Tadanari.jpg
岩瀬忠震https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Iwase_Tadanari.jpg
とくにかわいそうなのは、先頭に立ちがんばった岩瀬忠震さん。条約を結んだとたんにお払い箱。
ならいいんですが、井伊直弼さんから謹慎処分にされ、
「使うだけ使ってこの扱いか(怒)」って感じで死にます。
岩瀬さん、攘夷を唱える連中にも言いたかったでしょうね。
そんだけ言うんやったら自分でやってみろ!」
新政府で外交担当となった伊藤博文さんや大隈重信さん、あるいは井上馨さんなんかは、岩瀬さんたちの苦労、身にしみて分かったのでしょうね。
ひょっとしたら、「あの連中、よくやった。俺たちならここまでできなかったかも・・」なんていってほしかったな。
そういえば、彼らの親分、木戸孝允(桂小五郎)さんは、幕府の外交官僚中島三郎助の弟子です、その苦労も少しはわかっていたかもしれませんね。
 ちなみに中島三郎助は箱館戦争で戦死します。

こんな授業、していません?

 不平等な条項は「治外法権」(領事裁判権)と「関税自主権がない事」(協定関税)、そして和親条約に含まれていた「一方的最恵国待遇」、この3つ。
日本は、このような不当な扱いを受け、外国側はなかなか交渉に応じず条約改正が実現したのは明治末年であった。
なんて紋切り調の授業、していませんか?
ごめんなさい、実は、私もやっていました・・・。
(注記)この趣旨にもとづき、「内地雑居」について、「ペリー来航の来航と開国」大幅に書き直しました。(2016/08/06記)