歴史を「道徳」に貶めてはならない
本日(20,6,18)の「東北アジア史」のオンライン授業が終了した。
本日の内容は皇民化政策、連合国による戦後構想など。
そのなかで、対日協力者の扱いの問題が触れられていた。
次の時間のテーマにつながるのかとおもいつつ、この点を意見質問欄に書き込んだ。今回はその内容に手を入れたものをアップした。
台湾人すべてが「対日協力者」とみなされた?
ありがとうございました。
「対日協力者の扱い」という点、考えれば考えるほどいろいろな課題がありそうですね。
台湾で、中華民国政府は対日協力者を処罰せず、逆に自治議会運動にかかわり最終的には貴族院議員として日本に協力した林献堂と、蒋介石が笑顔で握手しているのですから。(林は対日協力者として意識されているのでしょうか、ある研究者は民族運動家という面だけで林を評価し、貴族院議員・対日協力者という点には触れられませんでしたが)
しかし、話を聞きながら逆のことを考えました。
国民党というか、外省人は台湾の人間すべてをトータルに「対日協力者」「敵」として扱っていたのではないかと。
中華民国の台湾獲得とは、敵(「日本」)から自領をとりもどすとともに、その対日協力者(「台湾人」)をトータルに統治から排除したようにも見えます。政治・行政機構はもちろん、国公営企業の経営からも排除し、「味方」である外省人が独占する。「差別」は容易です。外省人(大陸系中国人)と内省人(旧日本籍中国人)という確実に分離されたカテゴリーがあったからです。理由付けとして、中国語(北京語)の習熟度などを名目にしました。台湾人は北京語をしゃべれない「二等中国人」であり、もっといえば「敵性中国人」として扱われました。個々人の「対日協力者」は罪を問わない代わりに台湾人すべてが「対日協力者」とされたのでは、と思いました。
誰が「対日協力者」なのか?誰が決めるのか?
これにたいし、韓国の場合はどうでしょうか。
台湾のように全体を「対日協力者」としてトータルに捉えることは不可能です。そんなことをすれば、国外ないし獄中で抵抗をつづけている一部の運動家を除き、すべてがこのカテゴリーに含まれてしまうからです。
戦争中、多かれ少なかれすべての日本人が「戦争協力者」であったように、半島内で普通に生きていたほぼすべての朝鮮人(「朝鮮系「日本」人」)が、何らかの意味で「対日協力者」にならざるをえなかったからです。
税金を払い、法令を遵守し、子弟を学校に通わせ、警察などの命令にとりあえず従う。総督府の命令に耐えきれず、日本人風の名を名乗る・・・。
韓国では、個人のなかに対日協力者=「親日派」を捉えることになります。何らかの基準を設けて。
日本に協力して朝鮮人に被害を与えた、総督府の統治に能動的な協力をおこなった、軍や総督府と結んで不当な利益を得たなどなど。
しかし、現実に当てはめれば、ありとあらゆるグレーゾーンがでてくるでしょう。
帝国議会への参政権を求める運動は朝鮮を日本の一部であるという前提に立っています、この運動は「親日」なのでしょうか。植民地議会を求める運動も日本統治を前提としています。韓国が独立するための力量を得るために総督府の役人となった人物は役人になってからも朝鮮に工場を誘致することが利益になると考え努力したと主張します。ある歴史家は「親日」と一刀両断にしましたが、その判断でいいのでしょうか。自分が戦死することで韓国人の地位が向上されると心底からおもって特攻隊に志願した青年は「親日」なのでしょうか。
問題は、だれが、どのような権限で、こうした判断をするのかということです。そしてともすれば自分は無謬であると自称する人によって、判断がなされがちなのです。
植民地支配が作り出した「闇」と、「特効薬」
台湾では台湾人(内省人)は多くの公的な仕事からトータルに排除されましたが、韓国ではこれまで日本人が行ってきた業務のほぼすべてを自分たちで運営する必要がありました。
その際、実際には総督府や日系企業のエリート韓国人=「対日協力者」に頼らざるを得ませんでした。
軍隊や警察も同様です。かつて取り締まる側にいた人間が取り締まられる側にいた人間が机をならべる事態もうまれました。かつての「親日派」が「親日派」を取り締まる法律を策定する、逮捕するといった事例もありました。
こうして多くの人が、濃淡の違いはあれ「闇」を抱えたまま戦後を生きることになりました。
「闇」を抱えた人が他の人の「闇」を告発する、こうした苦悩のなか韓国は歩き出しました。親日派の分別と、逮捕と処罰はそれほど簡単ではありませんでした。ときに「親日」派への糺弾と処罰は政治的思惑と結びつきました。
こうした「闇」を見えなくために、朴正熙政権が強調した「特効薬」が、新たな敵「アカ」でした。
共産主義の侵略と戦うということを表に建てることで、「親日」という過去は第二義的にできたのです。朴自身が「親日派」であるとともに「共産主義者」でもあったのですが。
絶対的「正義」と萎縮する人たち
共和国(「北朝鮮」)は少し事情が違うかも知れません。印象とすれば、台湾に似た面がありそうです。
絶対的な「正義」を背負った抗日運動の闘士が外から入ってきて、解放者であるソ連の力も借りて、日本と戦わないまま「解放」のときを迎えた積極的・消極的な「親日派」を統治する形です。
この構図は、戦後の日本における「戦争協力」「転向」という問題とも似ているようにおもいます。
戦争直後の日本で「抗日英雄」の位置にいたのは、「獄中非転向」の共産党員たちでした。積極的・消極的に戦争に協力した、させられた幾多の人びとにとって、戦争中も戦争反対を唱え説を曲げなかったかれらは輝ける存在でした。それが共産党の無謬神話を生み出しました。
しかし戦時下の抵抗で得られた賞讃と、かれらが「正義」を独占することとは別問題です。あるいは転向し、あるいは戦争に協力したこと自体、行為や弱さを批判されることはあっても、人格を全否定されたり、かつての行動をもとに、その後の行為自体を否定することは違うと思います。誠実な人に限って、こうした落とし穴に落ちたように思えます。
歴史を道徳に貶めてはならない
歴史を善悪二元論で判断することは極めて危険であり、それまでの行動が正しかったからといって、それを権威として正当化することは誤りです。
その愚は現在の共和国(「北朝鮮」)指導者の例を見れば明らかだと思います。
21世紀に入り、韓国の盧武鉉政権が「親日派」の摘発をすすめました。たしかに歴史の「闇」を掘り出すうえでは有効でしたが、そこにその人間が「善」か「悪」かという二元論的な判断が入りこむことによって、歴史を「道徳」に貶めてしまったように思います。
豊饒な歴史事象、善悪でくくりきれない人間の存在、善・悪が一体化してすすむ「近代」をこうした「道徳」で描きだすことは、干からびた歴史像しか提供できないでしょう。
かつて小田実が「巻き込まれながら、巻き返す」重要さを説いていました。歴史においては、こうした視点が必須だと思います。
歴史を儒教的、二元論的な「道徳」に貶めてはいけないと思います。
現在、世界で過剰に「道徳」を歴史に持ち込む動きが広がっているように思います。
歴史上の人物について、人種差別主義者であったという面のみから捉えて全否定する動きです。コロンブスが、リー将軍が、チャーチルが、批判の対象として描き出されます。
ある人物を銅像にするということ自体が歴史を「道徳」として見ており問題があるのですが、逆に自分たちの視点だけから批判し、撤去をもとめることも気になります。
こうした動きを受け、映画「風と共に去りぬ」の配信が配信会社からいったんとめられました。しかし十分に注意を喚起した上で再配信するとのことです。こうした冷静な対応が必要だとおもいます。
歴史叙述において、善悪という道徳を語ることはときには必要だし、重要なことではあります。しかし「悪」として終わってしまえば、歴史叙述としては正しくないと思います。
歴史叙述には、悪や非道の中にも、客観的には歴史をすすめたことも認められるような、ある種のニヒリストの目が必要なように思っています。
例によって、たいそうな物言いになってしまい申し訳ありません。
次回は戦後ですね、期待しています。