新しい「井戸を掘る」こと
~「反日」と「愛国」~
日本の「エロ本」と中国の「反日」本
中国にはもう10数年前以来、いっていません。
最後にいったとき、立ち寄った中国のドライブインに、日本のコンビニの週刊誌やエロ本のような感じで、 日本帝国主義時代の暴露本(ある人たちの言い方の「反日本」)と「米中戦えば」 のような軍事関係の本ばかりが並んでいました。ストレス解消が、日本ではエッチな本で、中国はナショナリズムなのか、と変に納得した思い出があります。
不思議な「日本人論」
別の旅行の時は、空港の本屋で研究書風のペーパーバックを買い、 とぼしい中国語の知識でながめました。加藤周一などそうそうたる日本人の本を引用しているのですが、結論は「日本人は歴史的に人を殺すことに躊躇しない(※細かいニュアンスは私の中国語の能力では無理です)性格を持っている」。それは「日本人の道徳である『武士道』からくる」というトンデモ本で、 いくら何でもこんな書き方はないやろ、 と愕然とした記憶があります。それも戦前ならともかく、戦後についても妥当するかのような書き方だったのです。(正確には「のように思いました」)
そのとき、切に思ったのは「ぜひ、日本国憲法下の現在の日本に来て、生活者としての日本人を見て、自分の説が妥当なのか、その目でたしかめて欲しい」ということでした。
怖いところでなかった「シリア」
それからのち、私の旅行先は中近東や南アジア中心となり、中国へ行くことは少なくなりました。
今は、決して行けないシリアも、当時は「怖いところやろ」といわても、「なんの心配もない」と答え、その通り何の心配もなく帰ってきました。アレッポのバザールで困っていたら、日本語で声をかけてくださった人もいました。あの人たちは、どうなってしまったのでしょうか?
反日デモと「知日」
その間、中国では尖閣をめぐる反日デモがありました。ちょっと行きにくいかな、とも思いました。その後、中国では日本旅行ブームがおこり、爆買いブームとなり、最近は中国旅行者も多様になってきました。テレビ報道では雑誌「知日」 に代表される日本への冷静な視点をもつひとたちも増えているようです。
ストレスのはけ口を「反日」 にもとめていた中国がどのように変わったのか、変わっていないのか、 興味があるところです。
中国のドライブイン化した日本
しかし、ふと考えてみました。今の日本ってどうなの?って。
なんのことない、日本自体がかつての中国のドライブインのようになっているのじゃないかと。
ストレス発散の対象を、他国や他民族をおとしめ、必要以上の日本礼賛をするナショナリズムに求める人が増えているんじゃないかと・・。
学校の授業で歴史学の常識をいったことが、全国紙や雑誌に取り上げられ、ネット上には「反日」 というようなヤジがあふれだす。聞くに堪えないヘイト発言が路上でまき散らされ、ヨーロッパでは逮捕されるような旗をもった人たちが「愛国」といっている。
「 中国への侵略はなかった」と公言している人物が防衛大臣となる。
中国の「反日」主義者と日本の「愛国」者
中国でもっとも「困ったちゃんの反日」主義者を鏡に写したような、日本の「困ったちゃんの「愛国者」があふれている。
こうした人たちの特徴は、自分を逆の立場に置いて考えるということができないことです。
古いタイプの中国の「反日」主義者は主張しそうですね。政府に統制されたニュースとプロパガンダを信じ、実際の日本の姿を見ていないような人たち「やっぱり日本人は変わっていない」と。
エロ本代わりの「 反日」本が、過去の侵略の話でなく、現在のこととして書かれる・・・。恐ろしい未来予測です。
今、「井戸」を掘っている人たち
日中関係で、周恩来でしたかが「 井戸を掘ってくれた人のことは忘れない」といっていました。
現在はいろいろな人、 とくに庶民が井戸を掘るようになってきたのではないでしょうか。
私は、さっきもいったようにもっと多くの中国の人が日本に来て欲しいと思っています。最初は爆買いでもいい。たしかに、ちょっと「うーん」というところもあるでしょう。でも、長い目で見ましょう。
これって「自虐史観」ですか?
私が幼い頃の日本人がそうだったのですから。
「ノウキョウさん」といわれて世界のひんしゅくを買っていたのが日本人だったことを、健忘症の日本人は忘れています。
ついでにいうと、日本の町はとても汚かった。新聞やニュースでは「欧米の町は何でこんなにきれいなのだ。日本の町がゴミだらけなのに。」という特集記事がよくありましたよ。川の水は、悪臭を放ち、京都の鴨川は化学染料のおかげで「色彩豊か」でした。
恥をさらしますが、ちょっとアカン奴だった私は町中でよく尿意を催しました。困った両親はやむなく繁華街の街路樹に立ち小便をさせてくれました。ごめんなさい&お恥ずかしい。でも、そんなことは、それほど珍しいことでもなかったのです。
欧米の人は思ったでしょうね。「だから日本人は・・・」
こんな風な日本の恥ずかしい歴史をいう私の言い方は、きっと自虐史観なのでしょう。
でも、実際あったことを忘れるのは健忘症で、「あったことをない」と強弁するのはウソですし、人間として卑怯だと思います。
外国に行くと『愛国者』になる!
だから、中国の人のなかには、欧米の人だってそうですけど、確かにうーんという事をする人はいます。でも、日本に住んでいる人、この場合、やはり日本人というべきでしょうでも、そんな人はいくらでもいます。問題は、その人間であって、その国籍や民族を問うべきではないでしょう。文化の発展段階というかもしれませんが、他者の目にさらされることのない状態におかれていたことの反映でしょうし、ひょっとしたら世界を知らない日本人(「日本で生まれ育った人」の方がいいか)が、何の問題もないことを、おかしく考えているだけかもしれないのですから。逆ももちろんです。(私はくしゃみだけは派手にしないと気が済まないたちです?!ふたたび、お恥ずかしい。)互いに学びあい、長い目で見ることが大切なのでしょう。ノウキョウさんを迎えたパリの人たちもそうしたのですから。
日本の人も、どんどん外国に行くようになったこともあって、変わったでしょ。当時よく言った言葉があります。「外国に行けば『愛国者』になる」世界を知って、こんなことはすべきでない、逆に日本にもこんないいところがあることを学んできました。
だから、中国の人はもっと日本に来ればいいと思います。欧米よりもはるかに安く来られるのですから。ぼくが中国の本がある程度理解できるように、ある程度は漢字で分かるのですから。
しかし、できれば「ノウキョウさん」でない形で。
「よい日本の人」が新たな「井戸」を掘る
実際に目で見て日本の良さも、ダメさも知ってほしい。そしてより深い日本理解へつながってほしい。できれば「よい日本の人」と知り合い、「日本のよさやダメさ」にも触れ、「中国のよさ」も気づいて、よい意味の『愛国者』となって欲しい。それが中国のよりよい発展へとつながっていくと 期待しています。
私は、多くの人たちが日本で「よい日本の人たち」にふれることが、新たな「井戸」を掘ることになると思っています。そして、あいがたいことに、今のところ、多くの日本に住む人たちもいっしょに「井戸」を掘っているのだと思っています。たいそうなことではありません。ほほえみ合うだけでも、落とし物をしましたよ、どうかしましたか、の一言でも、それが新たな「井戸を掘る」ことだと思っています。
新たな「井戸」を埋めさせてはならない
残念ながら、先に見たように、井戸を埋めたくて仕方がないような人が日本でも増えてきたのも事実ですし、やはり残念ながら、今の中国のリーダーたちの中にも、「井戸」の大切さを理解していない人たちがいます。
しかし、私たちは、彼らが気がつかないうちに、庶民の普通の良識によって、日本と中国の間で多くの「井戸」が掘られるようになっています。新しい「水路」を築きつつあります。
両国政府の言動に惑わされたり、偏見と対立をあおるえせ「愛国者」にまどわされることなく、「井戸」に「水路」に清涼な水をたたえていきたいものです。
※ある依頼をした方が、北京に居られると聞いて、そのメールに添えるつもりで書き出した文章がもとです。
せっかくだから、もう少し書き継ごうと思うと、えらく長いぶんになってしまいました。