歴史研究と歴史教育 ~歴史学の叙述と歴史教育の「叙述」について


歴史研究と歴史教育

     ~歴史学の叙述と歴史教育の「叙述」

 この授業中継、とくに幕末編、維新編を書きながら、ある先生のまなざしを気にしていました。授業を聴講させていただいている先生で、維新史の権威です。この授業中継にも先生の研究成果を使わせていただいています。「通説より細かい」内容のいくつかは先生に学んだものです。
 先生は、一枚の史料、その中の一語一語をゆるがせにせず研究をすすめることで、それぞれの事象を当時の状況にひきつけて掘り起こしその意味を考えることで多くの成果をあげられています。
今までの維新史研究は何も解明していない。この程度のこともできていないのだから」と毎回、毒舌が炸裂します。
「即位と践祚のちがい」、慶応四年と明治元年の区別、王政復古は1867年か1868年か、などなど、
私のような雑な人間にとっては些細とも思えるところも決してゆるがせにされません。こうした強い信念の元に研究と授業を進められます。だからこそ、「維新史の研究は全然進んでいない」という発言になるのです。

こうした先生の立場から見ると、私の授業案は、史料にも十分裏付けされず、研究史も踏まえておらず、想像と伝聞ばかりで議論を進めているとみえるでしょう。「こんなものは歴史ではありません」ということばが聞こえそうです。怖くて見せられないし、これからも無理でしょう。

 

でも、少し居直らせてください。高校の授業は、二単位ものなら、形式的には七〇時間、実際には六〇時間以下、四単位なら一四〇時間、実際一〇〇時間をいかに超えるかという時間的制約があります。

かれらは、部活や生活など、日常で疲れきっています
こうしたなかで、かれらにとって無関係にも見える日本史の授業をしていくのです。
だから、必要なことであっても省略したり、単純化したりする必要があります。このことは何度も書きました。
私は、学校での歴史授業は歴史だけを教える時間じゃないと思っています。歴史を通じて現在の日本や世界の課題、社会科学など隣接の学問内容の話もしたいし、歴史上のトレビアや与太話もします。歴史上の人物を語る形で生き方を語ることもあります。
校内で問題になっていることも、生活指導にかかわる話もします。脱線させることも大切です
逆に、生活指導などの局面では、頭髪検査とか何たらチェックとかいって、学校として脱線させようという動きが出てくるので困ったもんだとは思いますが・・。
授業の話に戻ります。
時間がないからといって、細部にこだわらないということではありません。見てもらえば分かりますが、
ときには思いきり細部にこだわります。
概説書ではたらず、いろいろな本やあやしげなネットも見ます。多少フィクションもまじえます。
細部をみることで、事件や関係者の姿がリアルにわかり、それを分析することで時代がわかるからです。
幕末編ではとくに細部のエピソードについて多く記しました。

みなもと太郎「風雲児たち」 漫画家みなもと太郎が40年近くにわたって描きつづけている大河ギャク漫画。豊富な取材によって描き出される歴史像と暖かい人間造形にファンも多い

たとえば小御所会議の叙述、先生の目も気になってかなり調べました。容堂を刺そうとしたのは岩倉か、西郷か、そもそもがフィクションだったのか、とか
上賀茂巡幸で高杉が「よっ、征夷大将軍」とやじった話は本当か、とか、高杉の功山寺決起はどこまでが事実か、とかも気になりました。
高杉のエピソードが多いですね。
恥ずかしながら、私の脳の中には司馬遼太郎(と、みなもと太郎)がしっかりと根を下ろしていて、その呪縛から逃れることはなかなか難しいのです。
みなもと太郎(とくに幕末編)は、ある程度信頼していますが、司馬遼太郎は難物です。さも本当のように怪しいことをいいますから。だから、こうしたエピソードはチェックしました・・。
でも、チェックが甘くなったところも多いかもしれません。
授業での自分の話し方を分析して、面白いことが分かりました。いつのまにか、丁寧語・標準語ではなしているところと、関西弁でちょっと雑に話しているところがあるのです。丁寧語は教科書的な定義のようなこと。教科書で言えば本文にあたるところ。関西弁は注釈や補足説明、たとえ話などです。こうした関西弁にあたる部分をいかに展開するかも重要な課題です。
わたしの授業中継では、関西弁の分をできるだけ記そうと考えました。関西弁だらけかもしれませんが。
一般論とか「これとこれを覚えなさい」といういい方は、受験校では通用しても普通の高校では通用しません。生徒がこっちを向いてくれないし、興味を持ってくれないという事もあります。居眠りの大軍ならまだましで、雑談の嵐となれば処置なしです。気の弱い私は本当に神経がやられました。いまだに生徒に無視される夢を見ます。
細部にこだわった先生の授業はネタにつかえる部分が多くありました。「堺事件」からは慶応四年攘夷実行ができると期待していた知識人でもあった武士の「抵抗」と新政府の外交姿勢が、天皇像の変遷からは前近代の天皇像と絶対主義的に着色されていく天皇の姿が。授業ではこんな風に使えるな、とおもって少し授業中継のなかに入れてみました。
他の先生方もそうですが、大学の先生方がポツッと当然のことのように話されるエピソードの中にすごい宝が隠れているのがこの年になってよくわかります。それこそが、長年史料や古典にあたり、研究への格闘してこられた経験が裏付ける力なのでしょう。私のようなものには、とうてい歯が立たない深みです。これからも学ばせていただきたいと思います。
私の授業中継では、まずは日本史Aの全範囲の授業案を作ろうと考えています。教科書程度の知識とちょっとばかりいろいろなことから学んだ程度の知識でこれをやろうというのだから無茶苦茶です。でも気になったり、怪しいと思うところは、それなりに調べるようにしたいと思っていますて。
先生の言われるような丁寧な説明はできません。「即位と践祚の違い」ぐらい(というと激怒されそうですが)は許してください。でも、できる限り、日本史の研究成果は踏まえたいと思っています。そうしないと「歴史修正主義と変わらない」ですから。
研究と教育は違います」と冷たく言い放たれそうです。
そうです。歴史学と歴史教育はちがう課題に対応しています。
したがってその叙述内容も方法も(中高の教師は基本的に授業実践が自体が歴史叙述です)も当然違うものです
わたしが、めざしているのも、受験目的ではない高校の日本史授業の叙述です。授業実践の参考になればと思って作っています。もちろん歴史学の成果にできるだけ学びたいですし、学んでいきます。
でも、「歴史教育は歴史学の子分ではありません」。
それぞれ独自の課題を持ち進むものだと思っています
 勝手なことを書いてきました。

でも、この授業中継をつくるにあたって、やはり先生のまなざしを意識し続けたいと思っています。

無茶な事を書きながらも、歴史修正主義のような事実を曲げることはないか、史実に忠実であるか、研究史をいかに踏まえているのか、現在の課題や学校現場の要求に答えられるものであるのか、自問自答しながら、次の時間の授業中継を作っていこうと思っています。

<蛇足です>
もし歴史の教師をめざす人がいれば、いろいろなエピソードをその時代の歴史の流れやその意味とからませて押さえておいてくださいね。

みなもと太郎なんかはとっても参考になります(^_^;)
内容も、その扱い方も・・
理論的な話や一般論、とくに○○的とか××制なんて話は、ちょっとやそっとでは伝わらないので、どんな風なたとえ話がよいか、とかいろいろ考えておいてくださいね。
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