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「現代史」までいくのは、どう考えても無理。

<高校の日本史で最も大切なことは「何を教えないか」だ!(2)>

授業時間が足りない!~日本史Bの場合

前回では、サザンの「聞きたい現代は時間切れ」という歌詞に答える形で、きびしい時間の中ですすめている授業を、日本史Aにかかわって見てきまし た。
多くの人には愚痴を言っているだけだと怒られるかも知れませんね。
日本史Aを置いている学校は、実際には少数で、多くの学校では、原始からは じまる日本史Bをおいています。近現代だけの2単位でも、前回見た様子ですので、言いたいことは分かると思いますが、まあ聞いてください。

いわゆる日本史(「日本史B」)という科目

日本史Bは指導要領で標準単位が4単位と定められています。
しかし、日本史Aでも見た事情から、実際に行える授業は、年で100時間を どれだけ超えられるかという時間数です。
しかも、実業高校で多い日本史Aとちがって、日本史Bは普通科でおかれ、受 験科目として使う生徒も多いのです。(正式に言えば「多かった」と言うべき かもしれません)
そのためには、ある程度大学入試用にチューンナップした内容が必要です。

高校入学段階での基礎知識の差が…

日本史という科目、ちょっと考えてください。いつから勉強しましたか?
中学校ではもちろんのこと、小学校の高学年からではないでしょうか。
中学受験をする児童はこの段階で、受験科目としての日本史を学びます。
実は、私が生徒にテキストとして渡しているのは、小学生が中学受験の基礎を 作るために勉強するテキストを、アレンジしたものです。
難関の中学校を受験する小学生は、高校生のお兄さんたちが苦心している内容 を、すでに小学校時代に受験勉強として学び、マスターしているのです。
でなければ、難関中学には受かりません。
さらに同様のことが高校受験でも起こります。たしかに私の県の公 立高校入試でも、歴史の内容がでます。しかし、量も少なく、ごく一般的な設 問です。難関校でなければそこまで高い正答率は求められません。
ですか ら、「平安時代と室町時代、古い方はどっち?」と聞かれると、「室町時 代?」と答えるような生徒が一定数いるのです。
こうして考えてくると、高校に入学した段階で、小学校の段階で基礎的 な日本史の知識をもち中学校でそれを発展させてきた高校生と、小学校レベ ルの知識すらあぶない高校生が、同じ高校生として併存しています
そして、あろうことか難関高校の方が日本史の時間を多く設定して、受験に備えているのです。

大学入試のことも考えてしまう…。

こうした高校生が、同じ土俵で大学入試を受けることになります。たとえば、
大学入試センターでは平均点を60点前後としたい。でも私の高校でやっているようなことを出題すれば、「なんや、中学校入試程度の問題やんか」といわれ、高得 点が目白押しになってしまいます。
したがって、センター試験を含む大学入試では、中学入試や高校入試ででそう な所は少なめにして、高校でしか学ばない部分(社会経済史や江戸や明治など の文化史など)や史料問題、写真教材、新傾向の問題、といわれる部分、さらには脚注にちょっと触れられている内容)に問題がシフトしていきます。
こうした大学入試に、小学校レベルすらあぶない高校生が1年間の学習で間に合う のでしょうか。小学校レベルの知識を固め、脚注まで目を配り、抽象的な内容 を嫌う彼らに経済の仕組みや社会構造を説明し、漢文の時間が減っているのに 書き下し文の史料にも目を通させる。語彙などにも弱点があるため「教科書 を読んでおけ」も無理。エトセトラ、エトセトラ
教師は基本的にまじめですから、こうした入試事情にできるだけ対応しようと、史 料を使い、写真教材も扱い、定着を図るために小テストも行い、とする ものですから、時間はどんどん減っていきます。

「気合い」を入れすぎて、落とし穴に

さらに危険なのは多くの先生が「最初から」気合いを入れすぎることです。
生徒に興味を持ってもらおう、印象を良くしようと、春休み中、気合いを入れ て教材研究をします。
まず最初の部分から。丁寧に準備しているから、生徒もそれなりにのってくる…。
その結果、
人類の誕生から縄文時代、弥生時代ぐらいまでで1ヶ月くらいかかってしまう(^_^;)という落とし穴に落ち込んでしまう。
そこで、心機一転、スピードアップをする。
すると、生徒から「試験の範囲が広すぎる…」攻撃を食らうことになる。
たしかに、これでは定着できないとも思える。
その結果、1年が終わる頃になっても、信長や秀吉に会えるかどうか…
その結果、桑田佳祐に「聞きたい現代史は時間切れ」と叱られる羽目となる。
居直って、スピードアップをよしとしない人もいる。
これまでの記録は平安時代の中期「武士団の成立」…。

「明治維新」までがやっと。あとは選択単位で

 かくいう、私も必修4単位の日本史Bのクラスでは、なんとか明治一〇年の 西南戦争終結、大久保の暗殺あたりをめどに頑張っていました。
3年 次の選択講座の3時間で明治以降、高度経済あたりまでを目標に授業を進めるからとごまかしながら、それでも、サンフランシスコ条約あたりまでになってし まいますが。
「ちまちまとやっているからだ」という批判も聞こえてきそうですが、かなり精選しているつもりです。

なぜスピードアップできないのか?

よく教科書会社がや ってきます。
そして、教科書の説明に「簡潔に、わかりやすく要約した説明」といったリー ドがあります。これが曲者です。
実際には、字数を減らすため、じっくり時間をかけなければ理解されないよう な歴史用語がむきだしで書かれていたり、××的なといった抽象的な言葉をつ かうことが多いのです。

国語の授業も兼ねる必要が…

 これも別稿で触れたいのですが、生徒の言語能力の低下はかなり厳しいもの があります。
「地主」「小作」といった用語すら説明が必要です。歴史用語だけではあり ません。「度量衡」なんて論外、「世襲」や「中央集権的」といった用語すら注釈をつけなければ理解されないのです。
世界史では「皇帝」や「天皇」が支配するから「帝国」、「国王」が支配するのが「王国」」というフレーズを何回も話しました。
簡潔で要約した説明」は、よりいっそうわかりにくくさせるのです。
地理的な知識、世界地図を見せ、ヨーロッパやアフリカの場所が(内部の国の名前ではないですよ)答えられない生徒、かなり多いですよ。
日本史では、都道府県名も場所も例外ではありません。旧国名、無理です。
一般社会で普通に用いられていることばが分かっていないから、日本史が分からないという生徒が非常に多いのです。
こんなことをフォローしているから、また時間がかかります。
進学校では(教えたことがありませんが)、さっきも言ったように基礎的な内容がはいっていて、さらに抽象的なものの考え方についても訓練を積んでいるから楽です。国語力があるから、難しめ(普通?)の、抽象度の高い用語をこまごまと説明する必要もないでしょう。
にもかかわらず、6~7単位とっている。差はつく一方です。

日本史Bは6~7単位、世界史Bは8単位、あわせて補習も

 日本史Bは、私が普通にやっているペースで(それでも近世以後の文化なんかを犠牲 にしながら)日本国憲法まで行くには6~7単位でしょう。これでも補習など を数時間入れなければ、受験には対応できないでしょう。
ついでにいえば、世界史Bにいたっては8単位+補習でも難しいでしょう
ちなみに、前任校では二年間かけて日本史Bを教えていたのですが、「二年と三年が同じ日本史Bという名前を使うのはおかしい」というクレームが上からきて、名前を変えさせられ、やりもしないような授業計画を出さされました。
役所のやる仕事はこんなものです。

日本史Bや世界史Bでの入試は冒険?!

こういった理由から、「フツウの高校」で、入試科目としてはもとより、で きる限り日本史Bや世界史Bを選択したくないという生徒が増えてきます。
もっとも、私がいたような「フツウの学校」では一般入試の受験者が激減し、 国英、ないし英数二科目の推薦入試が増加し、さらに一般入試でも2科目入 試が多くを占めますから。
ちなみに、私も「受験で日本史(世界史)をとりたいんですけど」と聞かれ、センター入試だけと聞けば、よほどの場合でなければ反対します。
私立の一般入試でも「政経あたりの方が楽かもしれないよ」という言い方をす ることが多いのです。

週4時間でできることを考える

いくら文句を言っても、日本史Bの必修時間は4時間です。
ならば、その時間でやれることを考えるしかありません。
桑田佳祐に怒られないようにするのは、無理かもしれませんが、

「教えないか」という覚悟が大切

私が歴史の教師になって思ったのは、いかに内容を削り込むか、覚悟を決めて教えないか、でした。
それを無味乾燥にならないように、
生徒のわずかにあるかもしれない記憶のすみの内容に結びつけたり、 現在の問題と関連づけたりしながら。

無味乾燥な内容になることも

それでも世界史なんかでは
「○○帝国は、何世紀××で、△△によって建てられ、何世紀の□□の時全 盛期を迎えたが、何世紀、▽▽によって滅ぼされた、その特徴は・・・であっ た。」で終わりといった内容になることも多くありました。
それに、ちょっとしたコメントをなんとかつけようと努力するくらい。
場合によっては、小学校的な「平安時代は、貴族中心の時代でした。紫式部な どのかな文学がさかえました。地方では、武士も生まれてきました」だけで終 わらせることも必要なのです。
このくらいの大胆さがなければ、膨大な量の日本史を2単位や4単位で扱うこ とはできません。他方、必要と思うところには、惜しげもなく時間をつぎ込んで。

内容を精選するために

最後の数年間、わたしは某社の問題集を参考にさせてもらいながら、それをペ ースメーカーとして授業を進めることにしました。
本来なら、生徒に何を教えるべきか、もっとじっくり考えながら進めた方が良 かったとは思いますが。
このあたりはまた別の機会に。

新しい内容をいれる時間がどこにあるの?

文科省、指導要領は、つぎから次へとあたらしい内容を入れてきます。
たとえば、テーマ学習。これをするには、準備に膨大な時間がかかります。
そんな時間はどこにあるのですか。
また、かなり派手に授業時間をカットする必要があります。
あえて教えない」ということは、かなりのストレスだということも知ってい てください。
「教えない」場合、授業進行との齟齬が出ないようにするのも大変です。
気をつけねば、「あれ、ここやっていなかったっけ」というはめに陥ります。
下手をするとその分の説明が増えてしまいます。

学校教育に過剰な期待はしないでください!

どの場面でもそうですが、日本では学校教育に過剰な期待をもち、過剰な要求をしてくる傾向があるように思います。
日本史でもそうです。
「授業で教えない日本史」なんて本があります。
いろいろな、あまり生徒が乗ってこないようなエピソードがいくつか載ってい ます。
たまに、触れるエピソードはありますが、あまり細かいエピソードはふれる余 裕はありません。「こんなことも教えていないのか」という論調は迷惑です。

歴史教育は歴史学の下請けではない

歴史の研究者がかかれているtwitterなんかを見ると、「室町文化を北山文化 と東山文化だけでまとめるのは云々」「東国と西国で××は…」とかでていて、「教科書はこんないい加減な書き方をしている」みたいな内容を見ること があります。悪いけど、歴史学の水準をとかいわれても無理です。
教科書会社の方が、「この世界史の教科書はシステム論に基づいて叙述して」と言われたとき、思わず「具体的な事実が十分に入っていない高校生に理 論を教えることは、下手をすればおしつけになりませんか」といった記憶があ ります。
歴史学には歴史学の論理が、歴史教育には歴史教育の論理があります。歴史教育は歴史学を簡単にして生徒に教えるというものではないと思っています。
これもまた触れたいと思います。

新科目「歴史総合」の導入は

こんな風にグチばかり書いてきましたが、
やはり、現代史までいくのは大変です。
これにたいし、文科省も危機感を持ったのか「今度の指導要領で、日本史Aと世界史Aを組み合わせた「歴史総合」という科目 を必修科目として導入するとのことです。
趣旨としては良いのかもしれませんが、
村山談話の継承すら渋った政府のもと、 どのような近代史像を描かそうとするのか、
桑田佳祐の問いに答えるようなものとなるのか。
政治によって、ご都合主義的に歴史が扱われないか
やや心配があります。

追記:

元高校教師という立場から、教師に甘くなっているなと思います。
高校側にも、様々な問題があります。
近現代史を扱わないのは、「やったことがなくて新しい教材研究がしんどい」 「準備する時間がない」という怠慢や、「変なことをいって、攻撃を受けたり しないか」という自己防衛などが背景にあり、時間不足を口実にしている人も いるかもしれません。
現在、学校現場で個々の教師は孤立のなかに置かれる傾向があります。こうし たなかで、「こんなやり方もあるよ」という声をもっと出していくことが必要 な気がしています。

平安時代と室町時代、どっちが古い? ~高校生の歴史的教養

平安時代と室町時代、どっちが古い ~高校生の歴史的教養

この出来事は何時代のこと?
授業で、「これ、何時代のこと?」と聞きます。
古代とか近世とかといった立派な?時代区分でもなく、
もちろん「天保」とか「享保」といった年号のことでもなく、
ごく普通の「平成」とか「江戸」とか「鎌倉」といった、あの小学校で習ったあの時代区分が。
しかし、ある時期、ふと気がついたのです。
この小学生的な時代区分すら定着していないのではないかと。
授業開きのとき、黒板に番号を書いて
「はい、古い順に時代の名前を言ってみて?」と質問したところ、全然できない。
「明治時代の前は?」「…」。
「鎌倉時代と奈良時代、どっちが古い?」「…」
といった具合でした。
どうですか、まわりの高校生たちに聞いてみては。
「アホにしてんのか」という高校生がいる一方、
まったくできないという生徒もかなりいると思います。
時代と特徴・人物と結びつけるのはもっときつい
最後にいた学校は、公立高校は、偏差値的には真ん中くらいというところでした。それでも、縄文から平成まで、しっかりいえる生徒はクラスの半数はいなかったと思います。
さらに、それぞれの時代の特徴を結びつけるとなると、もっと厳しくなります。
「藤原氏などの貴族が全盛だった時代は?」なんてすぐできると思いますよね。それができないんです。
「関東に武士の政権ができた時代は」なんかはかなり難問です。
小学校で出てくる人名を時代の中にはめ込むとなると悲惨です。
「聖武天皇は何時代?」「じゃ、紫式部は?」という質問の答えを出すのに時間がかかるのですから。
「小学校や中学校でやったやろう」と毒づきたくなりましたが。多くの生徒については悲しいほど定着していませんでした。
生徒をめぐる環境
昔は、テレビでよく時代劇をやっており、それを見ている生徒も多く、ある程度の歴史的教養や感覚もあったのです。
しかしテレビの歴史番組も減っていき、現在では大河と正月くらい。そもそも、一人一人がテレビを持っていて、年寄りが見る番組なんか見ない。そもそもゲームや携帯が忙しくてテレビもみない。
だから「水戸黄門さん」も「暴れん坊将軍」もポカーン。
信長や秀吉、坂本龍馬なんかも名前は知っていても、「じゃ、何をした人」と聞くと、かなり怪しい。
平清盛とか源義経なんかは「聞いたことがない」という声が帰ってきそう。
そのくせして、「尊敬する人は坂本龍馬」とくるからなかなか立派なものです。
他方、「歴女」や「歴史オタク」もいます。
授業中継の中でも例をあげましたが、「長宗我部元親」とか「島左近」といったマイナーな人物を知っている生徒がいます。
前田慶次なんて私の知らない(申し訳ない)人物も知っている。ゲームやマンガ、アニメで知っている事が多いみたい。
でもゲームでは、何をしたか、なんてでませんよね。
「歴史的教養」の低下は文化の基盤を揺るがす?!
こんな風に歴史に対する知識の格差は大きくなっています。
多くの生徒の歴史的教養へのレベルは、思っている以上に厳しいと思います。
歴史の知識は文化のベースという面があると思います。
「歴史の流れ」とか因果関係とか言う以前の問題として、基礎的な事実すらが入っていないのです。
歴史への無知が「日本人がそんなことをするはずがない」という思い込みにつながり、「反知性主義」の基盤になっている、と考えるのはうがちすぎでしょうか。
ともあれ、日本文化の継承という点でも黄色信号が点滅している気がします。
たいそうな話をしてしまいました。日本史の授業では、こうした事態にも目を配っていく必要があります。授業中継で、信長・秀吉・家康なんかのプロフィールを話していますが、こうした日本の常識みたいな事も、少しは知っていてほしいなという気持ちからです。
ささやかな取り組み
さて、「時代の順番、特徴、主な人物など常識問題ができていない」という問題はどうするのか。
「しかたない。授業でやろう」などというと、落とし穴に落ちます。でも放置したくない。さっきのたいそうな理由だけでなく、就職試験や公務員試験の常識問題として使われることもあるからです。
高卒だけでなく大卒ですらも。
だからまったく無視とはいきません。そこで自己満足で、お茶を濁す程度ですが、こんなことをやっています。
授業開きの日、オリエンテーションのあとに、ごく簡単な暗記プリントを渡し、次の時間に簡単なテストをするようにしました。
この程度のものだから、楽勝でできるとおもうでしょう。多くの生徒はそうです。でも、できない生徒はできません。
小学校レベルの歴史知識は絶対に必要
さらに、日本史Bでは、授業を進めるとき、中学校どころか小学校の内容すらが定着していないため、力の差がでやすく、ちんぷんかんぷんになりそうなので、最初の時間に小学生用のプリントに少し中学生の内容を加えた暗記プリントを渡しておき、単元ごとに小テストを行うことにしました。
前任校では高校生用の問題集を使ったのですが、それ以前の問題だとおもったので、こうしたやり方をしました。実際の考査でも、結果的に、このテキスト+小テストの内容が一定数出題されました。
追認考査でも
なお、毎年数名不認定になる生徒がいます。そのときはこのテキストから出題するようにしています。このテキスト程度が、日本国民の歴史的教養のミニマムくらいだと思ったからです。
これでもつらい思いをすることが多いのですが。
※暗記プリントを「資料室」のなかにいれてあります。楽勝で満点と思う人も多いと思いますが、実際は(涙)ですよ。

「歴史家」としての歴史教師

歴史学と高校歴史教育(1)

「歴史家」としての歴史教師

大学の先生は高校日本史をけなすのがお好き?!

大学の授業を聴講するようになった。
大学の先生たちは、高校の歴史教育を否定的に語る人が多いようである。
いわく、
「丸覚え中心である」。教えるべき所を教えていない。
「荘園について1時間しか教えていない。そんな先生に習った諸君は不幸であ る」とまで。
 現役時代、「教師は人間サンドバッグ。殴られたり、蹴られたりしてなんぼや」とよくいっていたが、ここでも同じ様なことがいえそうだ。

「高校日本史の授業が好きだった人」

ある授業のひとこまを紹介する。主に一回生を対象とした講座である。
講師が質問した。
「高校日本史の授業が好きだった人」?
かれの予想はこうだったのではないか。
「手は上がらないか、あるいは上がってもわずかだ。
あんな退屈な日本史の授業ではなくて、大学の授業はもっと素晴
らしい」。
しかし、その予想は、まったく外れた。
私が見ただけでも、8割ほどの学生の手があがった
ちょっとうれしかった。
講師氏は「まあ、みんな歴史がすきで来たのだから」といって、ごまかした。しかし、予想外という様子はありありと見えた。
確かに史学科にすすんだ生徒だから、歴史が好きだっただろうし、歴史が好き な生徒は授業も好きだったに違いない。
逆に、歴史が嫌いな生徒を好きにするのは難問だ。
教師たちが、あの手この手で、生徒の歴史の興味関心を高めようとしている努力、大学の先生を中心とする歴史研究者が教科書執筆で同様の努力をしていること
こうしたことが、氏の脳裏には浮かばなかったようである。
高校教師は、昔の大学の教授先生のように、決まり切ったノートを朗読しているだけとでも 思っておられるのであろうか?

高校日本史は「指導要領の目標」達成が目的?

話を進めよう。
氏は、先に手を上げさせた後、高校の日本史をかれはこのように定義づけた。
「高校の日本史というのは、学習指導要領によって、「国際社会に主体的に生 きる日本国民としての自覚と資質を養う」という目的でなされている。その目 的で教科書は編成され、日本史の授業もその目的でなされている。」
実際の授業で「指導要領にどう書いてあるか」なんて意識して授業している人など、これまで聞いたことがない。
たしかに、シラバスや目標としては掲げてはいても、授業は、授業の論理、教育の論理で進む。
文部科学省が、教育 制度いじりや指導要領で自分に都合良く教育を作り替えようとしても失敗の連続であったように。

教科書は「現在の『日本』」を肯定するために書かれている…

教科書についてもそうだろう。
氏のレジュメ曰く。
「教科書の記述は現在の『日本国』を肯定する立場に立ち、すべての説明は現 在の『日本国』に収斂する(教科書検定が行われる理由)」
では、教科書を執筆している歴史学者たちは現在の『日本国』を肯定する立場で、教科書を叙述しているのだろうか。良心を曲
げて、国家の、指導要領の指示に、唯々諾々としたがっていると考えておられるのだろうか?

そうではないと私は信じている。少なくとも私の知っている歴史学者はそうだ。確かに「あの歴史教科書」、政府や一部政党、さらには怪しい団体などの圧力で、むりやり押しつけようとしているあの教科書はそうだろう。しかし執筆者のなかで歴史学者は数人で「安保法制が合憲といった憲法学者」みたいな歴史学者が数人がいるが…。

歴史教科書を執筆している歴史研究者たちは、学者としての良心をかけて、「教科書に歴史学の成果を反映したものにしたい」「未来の主権者としての高校生にできるだけ史実に即した歴史の姿を 伝えたい」と思い、ともすれば国家の力によって曲げられようとしている歴史叙 述をなんとか良いものにしようと努力している。ときにはつらい選択に耐えな がらも…。
私は、そう考えている。

「日本史」は国民国家としての日本を説明するもの

もう少し、この講師氏の論点をたどっていこう。
氏は「日本の歴史」を考える際、「日本」が意味するものを問題にする。
そして、いくつかの例を示して、戦前と戦後で、近代以前で、日本の姿は時代によって異なる。「近代以前の領土は明確でない」
この点は、まったく異存がないし、学生にとっても、新しい論点として新鮮で あったかもしれない。
「そのくらいのこと教えてるよ」といいたいが…。
 つづけて
「だから、ここでいう日本とは近代以降の『国民国家』としての日本である。」

「ここでいう『日本』」の「ここでいう」が何をさすのかがわからない。
つづいてこんなくだりがある。

「だから、日本史は「近代国家の象徴としての『国民国家』を説明しようとす る行為に他ならない。日本史ではなく、『国史』」本人は高校の教科としての「日本史」の「日本」のつもりなのだろう。( レジュメを素直によむと、一般的な「日本の歴史」の「日本」となる。とすると、「日本史」という学問自体、国民国家としての日本を研究する学問となりそうだ。)

つづいて、レジュメでは節を変えてこうつづく。

「上記の観点で教科書を見直してみると、そこに記述されている内容(教科書 の構成)は、いうまでもなく『日本国民』がおしなべて理解しておく『日本国』の歴史的な歩みであって、普遍的な『日本の歴史』ではないことは、明ら か。」

頭が悪いせいか、もうろくしたせいか、まったくわからない。学生たちもそうではない か。 そして、先ほど紹介した「教科書の記述は…」という一文がくる!

「日本史(国史)は、その国の今を説明するためにある」

氏の発言にこんな一節があった。(この部分はレジュメには書いていない)
「日本史、実際には「国史」というものとなっているのだが、それは、その 国の今を「説明」するためにある。そしてその「説明」のために、重要である か、重要でないか、そして重要でないものを取捨選択しているのだ」
不思議な気がした。
この内容(「国」という部分は保留しておく、その「国」 の部分をこの講師は問題視している)こそが、歴史家が歴 史叙述をおこなうときの基本姿勢でないのか。

「歴史は、現在と過去との対話」

イギリスの歴史家E.H.カーは「歴史とは現在と過去との絶え間ない対話である」と述べている。
私は、最近になって、このことを強く感じるようになってきた。現在をより深く理解することが、歴史を学び伝えるための大きな使命であり、現在を深く考えることが歴史研究をいっそう深化させる。
あえて挑発的に書くが、この部分が歴史研究者と歴史家の違いかもしれないと さえ思っている
「日本史」は今の日本(国民である必要は全くないし、日本に住んでいなくと も良い)を理解するための重要な手段である。
だから
歴史家は、歴史が作り上げてきた成果や今に残っている課題などを、歴 史的に分析し、評価し、現在の課題解決のヒントを、現在を生きる人間である彼らに提示することが重要な仕事である。
そして、
何が「重要であるか、重要でないか、そして重要でないものを取捨選択」する。それこそ、歴史家が歴史叙述する際のもっとも重要な本質ではないのか

歴史教師は歴史家である。

 私は、『歴史の教師』は「歴史家」でなければならないと思っているし、多くの場合、無自覚のまま「歴史家」として生徒に対峙している。
だから、歴史家としての日本史教師が、現在の課題に向き合うという課題にかかわって、荘園制の説明を一時間しかできなくともかまわないし、やむなく省略もする。(ちなみに日本史Aはそうなっている。)逆に一つのテーマに多くの時間も割く。
「歴史家」たる歴史教師は自らの良心を掛けて、現在の課題にも向きあいつつ、歴史学をはじめとするさまざまな成果に学びながら、未来を託するに足る主権者を育てるべく実践に励んでいるのである。

歴史学と歴史教師

大学などでは、しわくちゃの古い紙一枚一枚からのミミズがのたくったような 文字を読み、活字に変え、さらに現代語に訳す。そしてその史料の信憑性をたしかめ、時代と場所の中において、持っている意味などを評価し、過去の膨大な研究の蓄積に学びながら、論文や書籍をあらわし、歴史の真実により深く迫ろうとしている。
生徒・児童に届けられる教科書もこうした地道な作業のエッセンスである。
歴史教師が知ったようなふりをしてしゃべっていることの中身は、このような地道な作業の上に成り立っている。
他方、歴史教師はこうした研究をもとに、
自分の目の前にいる生徒にわかるように、
かれらをとりまく現実にいかに切り結んでいけるか、主 権者としての彼らの成長を保障する「武器」を与え、これからの課題に立ち向かう力を身につけるように、歴史学の成果を受け入れつつ、説明し、考えさせ、身につける努力する。
それぞれがそれぞれの現場で課題に立ち向かっており、それぞれが大切な役割を担っている。
互いを信頼し合い、互いが成長し合うような取り組みが必要である。
このサイトがこうした現場になんらかの貢献ができればと思っている。

大切なことは「何を教えないか」だ。

高校の日本史で最も大切なことは「何を教えないか」だ!(1)

~週二時間、年5~60時間で何が教えられの?~

サザン・桑田が放った厳しい批判

2014年度末の紅白歌合戦の話題の一つはサザンオールスターズのステージでした。
そこでちょび髭をつけた桑田佳祐は「教科書は現代史をやる前に時間切れ、そこがいちばん知りたいのに、なんでそうなっちゃうの」(「ピースとハイライト」)と歌い、大きな感動を与えました。同時にバッシングも。
この歌は、私たち歴史の教師への厳しい批判でもありました。
ある教師の研究会の席上で、他教科の先生が「せっかく歴史の時間を保障してるのに日本の戦争をおしえてくれない」との批判を聞いたこともあります。
そのことの意味は、分かりすぎるほど分かっていますが、ちょっとだけグチを聞いてください。

日本史Aという科目

今回、授業中継をしている科目は日本史Aという科目です。指導要領によれば、日本近現代を範囲とする科目で標準単位は2単位となっています。
ちなみに、多くの人がイメージする日本史は日本史Bで、原始以来の日本史を範囲とする科目で、標準単位は4単位となっています。こっちの方が、いっそう悲惨なので、稿を改めて報告します。

二単位という時間数

二単位とは、一週間2回授業があるということ。
高校では、一年35週間が原則なので、簡単に計算すれば年間70時間の授業があります。
しかし、その間、定期試験があり、学校祭、研修旅行、高校入試などの行事があり、授業時間はどんどん減っていき、実際は、年50~60時間程度になります。
私が定年まで勤めていた学校では、この二単位の授業が5クラス横並びに並んでいました。
少なくとも、自分の持っているクラスでは共通のテストとなる(したい)ので、いちばん遅れているクラスにあわせて試験範囲を設定します。あるクラスでは骨格だけの授業となる一方で、一部のクラスではエピソードなどを増やしたり、テスト勉強の時間をしたり、ビデオ教材となったりという形で時間調整をします。
こうしてさらに実質の時間は減ってしまいます。
この時間の枠組みの中で、近現代史をするのです。

急に「大坂の国訴」といわれても…

日本史Aは近現代を扱うのですから、ペリー来航、あるいはその少し前から始めればよいし、教科書もそんな感じです。楽勝だと思われがちですし、私も最初はそう思っていました。
以前使っていた教科書では、江戸時代の中期まで、世界との関わりを中心とした概説があります。この概説が、もう少しましならいいのですが、簡単に言えば、使い物になりません。
ところが19世紀に入ったあたりから、やけに詳しい内容となるのです。鎖国の説明や幕藩体制の説明も、その他、江戸時代の説明も、ごく説明だけみたいな感じなのに、急に。
何もないところに、急に「大坂の国訴」とか、「マニュファクチュア」とか、「国学」がとか。
教える方も、教えられる方も、できるわけない、となってしまします。日本史Bと同じような細かい内容が「さあ覚えなさい」とばかりにでてきます。
教える立場からすると、「えい、やあ」という形でペリー来航から始める方がましです

ペリー以前をカットするとなぜまずい?

しかし、そうすると「日本の近代は外国のせいで始まった。それまでの日本は眠ったまま、発展してこなかった」という、誤った理解に導くことになります。そうした誤りを避けるために、ここから始まるということも理解できます。戦前からの維新史の大きな論点でしたから。
なお、ペリーから始めるときは、なぜ「日本の貿易が開国と同時に急速に伸びたのか」というあたり、あるいは草莽の志士や「新撰組」、自由民権あたりをつかって、ペリー以前の内発的な発展や矛盾を説明しています。でも、後追いの説明は、生徒には入りにくいものです。それでも、やむなくやることも多いのですが…。

歴史を途中から始める…危険な落とし穴が

日本史でも、世界史でも、歴史という教科は、それまでの時代との関わり合いのなかで説明しないと、なかなか説明しづらいです。
だから、つなぎのつもりで、慣れている前近代の概説の説明を、原始から!始めてしまいます
そこで落とし穴に落ちるのです。
その結果、2学期になっても、まだ本来の範囲に入らないなんてこともざらです。そんな人の方が多いかもしれません。

戦国時代からはじめる

私は、この授業中継の内容を見てもらえればわかるように、近世から、実際には中世末期の戦国時代から始めています
それでも、「戦国時代の前はどんな時代だったのか」といった内容が不十分です。時代区分なんてほんとうに苦手です。
「縄文・弥生・…・鎌倉・室町」といった小学生的な時代区分、知ってて当然とはいえません。逆に覚えている方が少数です。
(そんなに学力の低い高校でもなかったのですが)
だから、以前の時代については、丸覚えプリントを配り、確認テストを行ってお茶を濁して…。
 おもむろに戦国時代からの授業を始めます。自前の(パクリ気味の)テキスト(「近世史」)授業プリントを準備して。内容は、授業中継の方を見ていただければと思います。

1学期中間で本来の範囲までいけるか?

「授業中継」はやや盛り込みすぎました。あの内容をやれば、やはり落とし穴に落ちます。だから、実際には、生徒のノートに記された板書に毛の生えた程度ですすめます。江戸期の改革なんて5~10分というひどさです。本当はカットしたかったのですが、考査で使いたいので残したというところです。
あんなこんなで、落とし穴に落ちれば「江戸時代までの概説」でおわり、なんとか踏みとどまって「開港とその影響」ぐらいまでが1学期中間考査の範囲です。

気がつけば、大正時代にすらいけていない?!

前任校では大きな校内行事があったり、幕末ではついつい講談調になってしまったりで、廃藩置県や地租改正など明治初年の改革の途中という中途半端なところで1学期末考査。
急がなければ、と思いながら、明治初年の改革や民権運動、明治憲法、条約改正あたりで2学期中間。
前任校の特殊事情もあって、日清・日露、韓国併合ときて、大正に入るかはいらないかで2学期が終わってしまう。

せめて8月15日までいかなければ!

やばい、尻に火がついてきたと、猛ダッシュするのが3学期
なぜなら「せめてアジア太平洋戦争が終わるまで、できれば日本国憲法ができるまではやらねば、日本近代史(近現代史といえないところがつらい!)にならないではないか」と涙をぬぐって、次々と内容を削り、ビデオ教材を乱発し、「こうして戦争は終わった。こんなことは二度としたらだめだ、こうした思いから現在の憲法ができたんだ」となって終わるのが、連年の流れとなってしまいます。
サザンの批判にどれだけ応えられているかは内心忸怩たるおもいです・・・。

近現代史だけでも3~4単位ほしい!

本来なら、日本史Aで3単位、平成まで行こうとするなら4単位は必要だと思います。
なお、大正以降の授業中継は、3年生での選択講座の授業などを使って、書いていくつもりです。
また、スピードアップのやり方も紹介したいと思っています。。

多くの先生は明治で終わってしまう。

日本史Aという狭い範囲を扱い、受験ともあまりかかわらない科目ですら、このようなばたばたしたようすです。
私は「アジア太平洋戦争が終わり、なぜ憲法ができたか」までいかないといけないという思いがありますので、生徒にぶつぶついわれながら、進めます。
しかし、多くの先生方は受験と関係がないということもあって、明治末年か、大正で終わってしまいます

「何を教えないか」、覚悟を決めること。

歴史を教えてきて、いつも感じたのは時間切れで教えたいことが教えられないということでした。
ですから、腹をくくって、計画的に何を切るか、どこにポイントを置くか、覚悟を決めておくことです。ときには生徒のブーイングも覚悟しながら。
サザンの歌にもあった「現代史をやる前に時間切れ」としないためには、どこを切るか、そして切ったときのフォローをどうするのかが重要です。
ここでは、マイナーな「日本史A」で例を示してきました。一般的な日本史Bについては稿を改めたいと思います。

どうしても現代までいけない…!「余談だが」

実際の授業のシーンでは、なかなかカットする覚悟がつかない、急いだけどどうしても無理、スピードアップすると生徒がついてこない・暴動が起こる?!などさまざまな問題で、近現代史までいけないことが多いです。
私の上の例でも、1945年、よくて1951年止まりです。
「本当に教えたいのは現代史なのになんでそうなっちゃうの?」実は、かなり多くの歴史の教師の本音でもあります
そこで、よく使ったのが、「雑談・余談」のたぐいです。
授業中継のなかに、そういった内容、「戦争は終わってからが大変」とか「戦争でもっとも大切なもはの何?」とか、「戦争モードのなかで人間は」とか、いった内容を、入れておきました。
そうそう、授業開きのプリントなんかは、その要素が強いですね。
参考にしていただければと思います。