日本史Aの準備室は歴史教育のことや授業のネタをUPしています。
いろいろ書いている内に何が何だか分からなくなったのでメニューと簡単な説明を作りました。
- 大切なことは何を教えないかだ。
なぜ、近現代史までいけないのか。最大の敵、時間不足に 打ち勝つための大胆な内容カットのすすめ。 - 日本近現代史(日本史A)の授業中継をアップします。
本HPを始めるまでのドタバタを書いただけです。 - 歴史家としての歴史教育
高校の授業は、国家に命じられたように歴史事象を教えるだけ?そんな大学でのいい方への反論として書きました。 - 平安時代と鎌倉時代、どっちが古いの~高校生の歴史認識
授業をやりながら感じた生徒の歴史知識の余りにもお粗末な現状。なんとかしたいとの工夫の一端を書いています。 - 現代史までいくのはどう考えても無理。
上記①が日本史Aについてなのに対し、多くの高校で採用している日本史Bの実態報告。時間不足はさらに深刻です。 - 日本史の授業をいかに精選、スピードアップするか。
実際にどのようにスピードアップするのか。最後の数年間、私がやったやり方をまとめてみました。 - 「治外法権」なしの通商条約なんて無理~「幕末編」アップしました。
幕末編の紹介です。不平等条約の話をよくしますが、それでは平等な条約がありえたのでしょうか?との疑問を書いています。 - なぜ将軍の子どもたちは短命だった?~ある疑惑
将軍には子どもがいっぱいなのに、なぜか成人した子どもが少ないのか?鉛中毒の可能性を考えてみました。授業のネタに最適 - 家茂と和宮のそれから
授業のネタ用。政略結婚だったが仲がよかったとされる二人。その背景を考えてみました。また家茂の死因、脚気についても触れています。 - 憲法はまだか~1時間目の授業、手直ししました。
大学の授業で見たテレビドラマをもとに、憲法制定の過程について書き直したいきさつを書きました。 - 歴史研究と歴史教育 ~歴史学の叙述と歴史教育の「叙述」
歴史学の研究とは違った性格も持つ歴史教育の独自性について考えてみました。もうすこし、深めたい内容です。 - .「おはよう」と「おはようございます」
退職前に、別のところで発表しようと書いた文章。生徒とどのような距離感をとるのかについて書いみました。 - 勉強ができないのは努力が足りないせいなのか?
始業式での教務主任の話を聞きながら感じたことを書いてみました。努力させることと現実の学力とのギャップへの悩みを書いています。結論はありません。 - いろんな手法を試してみたい。~自由民権編をUPしました~
自由民権運動の授業案に「階級(闘争)史観」を応用した話。
いろいろな歴史叙述の手法があることを学ばせたいと思います。 - 「おいつけおいこせ」「開発独裁」「日本人の創出」~明治維新編によせて
明治維新の授業案を書くに当たってキーになった論点をまとめてみました。実はとっても自信がなかったのです。 - 新しい「井戸を掘る」こと~「反日」と「愛国」~
「中国で読みました」というメールへの返信として書き始めたもの。日本と中国民衆との交流の大切さを考えてみました。 - 戦争に向き合うということ~父と母の「知覧」訪問~
戦争の時代を生きてきた両親が「知覧」を訪問したときのエピソードをもとに、戦争との向き合い方を考えてみました。 - 前半部分がつながりました。
退職前、練習を兼ねた作った日露戦争編と、新たに書き始めた部分がつながった記念。文体や内容のブレを許してください。 - 授業は、「仕事」の合間にやる「仕事」?!
教師時代、授業と準備の教材研究なんてのは、余りやれなかったなと思い、その理由を考えたもの。多忙化の実態です。 - 「五色塚古墳」で考えたこと~「本物」と「実際」
現在の文化財や遺物を見せただけで時代の理解をさせることができるだろうかと思って書いてみました。 - なんとか「終戦」までは!「お助けプリント」準備しました。
昨年、同時期、残りの時間数で敗戦までいけるだろうかと焦ったことを思い出し、去年の方法とプリントを公開しました。 - 徳川時代の物価はどれくらいだったのか?
授業のネタ用。大学での授業のデータを加工してみました。 - 日本人はなぜ英語が苦手なのか?
本来は授業のネタ用。福沢らの翻訳の苦労話から出発し、西洋文明の翻訳は東アジア全体のプロジェクトであったと考えてみました。 - 新たな疑惑~不幸は明治天皇一家にも
将軍家の子どもたちの早死の原因は鉛中毒の可能性があるとしましたが、明治天皇の子どもたちや大正天皇の病気にも疑惑が?! - ’45年8月15日、何が終わったのか?~戦前・戦中編完結によせて
戦後編の冒頭に8月15日の意味を記そうとしたらとんでもない量になったので、独立させました。えらく大仰なものになってしまいました。公開問題例あり。 - 史料紹介「エドウィン・O・ライシャワー『対日政策に関する覚書』」
知日派の代表とも考えられてきたライシャワーが開戦直後に提出した文書。「傀儡」という刺激的な用語を用いて、アメリカの政策をいかに日本に受け入れさせるかを示す!
ライシャワーのテキストに日本語訳はここから。 - 高校で教える歴史の教師か、歴史を教える高校教師か?
学校教育において「歴史」の授業がどのような役割を持つのか、「歴史学のダイジェスト版」にとどまらない意味を「歴史をおしえる教師」という視点から考えてみました。 - 「朝鮮米はうまくて高い! ~「産米増殖計画」異聞
日本式の米作りがどのように導入されたのか、植民地・朝鮮ですすんだ資本主義的米作りとその影響について見てみました。 - 管理も部活動もしたくないんだけど・・
なぜ「部顧問を拒否します」といえないのか、学校現場に「管理」がもちこまれるのか?自分なりに考えてみました。 - 江戸時代の名前と戸籍法~「名前」をめぐる明治維新史(1)
江戸時代、人々は一人でいくつもの名前をもっていて、それを使い分けていた。しかし、明治に入って一つとなる。龍馬や西郷などを材料に、紹介しました。 - 戦争体験を語るということ
戦争の真の姿はなかなか語られませんでした。復員兵も、引き揚げ者も、シベリア抑留の人もなかなか口を開きませんでした。実際は、開けなかったのです。 - 版籍奉還・「藩」・「家禄」、そして「あさが来た」
版籍奉還にかかわる大騒動です。正式に「藩」を設置、主従制を解体、「家禄」が付与され、借金は国へと移ります。それが、朝ドラ「あさが来た」での宮崎あおいの婚家の倒産の話へとつながります。 - 「5つの名前」と、壬申戸籍~幕末維新期の「名前」(2)
江戸時代、いくつもの名を使い分けていた人々は、明治になって一つの名前を選ばされることになります。その変化を、ある一家を例に記してみました。 - 日本を変えた2つの「1868」年1月3日~「暦」をめぐる話
近代日本をつくることになる王政復古と鳥羽伏見の戦いの開戦は、同じ「1868」年1月3日のことでした。新暦と旧暦の間のズレを書いています。ついでに新暦採用のトンデモ理由も。 - 歴史系用語の精選問題にかかわって~元高校教師の視点から
高大連携歴史教育研究会提案の「歴史系用語精選の提案(第一次)」について、現場で歴史を教えていた立場から記してみました。少なくとも誤解に基づく非難は避けてほしいものです。 - 江戸時代の「年貢」は重かったのか?~江戸時代の「百姓」像を見直す(1)
江戸時代、領主の苛斂誅求によって、百姓たちは苦しい生活を送っていたと言われます。でもそれは本当でしょうか。江戸時代の「年貢」決定・納入から検討しました。 - 恒藤恭「世界民の愉悦と悲哀」について
1922(大正11)年若き法学者は恒藤恭は「私が日本国民とされたということは、私の生まれた日にたまたま冷たい小雨が降っていたというようなことと同じで、私にとってなんの必然性もない。」と言い切りました。
恒藤のテキストはここをクリックしてください。 - 羽仁五郎の「教育勅語」論
歴史家で参院議員だった羽仁五郎は言います。「教育勅語にもいいことがあるという議員がいた。だからぼくはいってやったんだ。だったら天皇に命じられたから『親孝行』をしたのかと。するとその人は黙ってしまったよ」 - テロの黒幕としての「西郷」も西郷
優れた政治改革案を提出した理想主義者・上田藩・赤松小三郎は西郷の命で暗殺されたと考えられる。テロの黒幕としての彼らの姿も見ておかねば幕末のリアルは理解できない。 - 「百姓」は百姓であったのか?~「年貢」は重かったのか(2)
一般には「農民」と同一視され、おもに「米作り」に従事し、苦しい生活を強いられたと考えられるてきた江戸時代の「百姓」たち、そうした見方は上からつくられたものでした。 - 稲作にかかわる数字と仕事~農業史にかかわる基礎知識(1)
稲刈りから食卓に上るまで、どのような作業があり、そこで「数字」はどう変化するのか。農業生産力の上昇をどのように理解するのか、などをまとめてみました。 - 植民地の「文明化」と「『日本』化」
~参政権問題と自治議会請願運動とかかわって~
植民地では、欧米基準の「近代化」的文明を強いられる困難と帝国主義支配が一体化して苦しみを与えます。
授業の課題をもとに、考えてみました。 - 内務省の二通の文書
~「国体明徴」期の「穏当を欠く」事象から
昭和11年、福井県から小学校が建てた二宮尊徳像が、香川県からは生前墓の設置申請が、それぞれ「穏当を欠くのでは」と内務省へ連絡されます。いったい何が起こったのでしょう。 - だれが、なぜ教会堂を襲撃したのか
~日比谷焼き打ち事件のなかで~
日露戦争の結果結ばれたポーツマス条約は、国民からの強い反対に直面します。日比谷焼き打ち事件です。13カ所のキリスト教会なども襲撃されました。実態と背景を考えてみました。
焼打をうけた教会の一覧はここから。 - 日比谷焼打事件の史料から(1)教会堂襲撃をめぐって
「だれが、なぜ教会堂を襲撃したのか」の研究ノートです。 - 警視総監の報告が陸軍に残ったわけ~史料の発信・保存・保管
本来なら内務大臣や東京府知事の手元に残るはずの文書がなぜか陸軍に残り、宛先も元帥山県有朋宛でした。その理由を考えてみました。 - 日比谷焼打事件の史料から(2)なぜここに残ったのか
H先生の問いかけの狙いに気づき、「警視総監の報告が陸軍に残ったわけ」を書き始めるまでの経緯を記しました。 - 陸海軍記念日を「国家的記念日」に
1928(昭和3年)陸軍記念日と海軍記念日に昭和天皇が訪問すると知った陸軍は、これを機会に軍隊だけの記念日であったこの日を「国民的な記念日」としようと考えます・・。
ここで用いた史料はここから。 - 19世紀前半の農村支配体制と「村」・「地域」
「近世史」のテスト用に整理した短文です。できるだけ新しい研究成果を盛り込めたらと考えてみました。見事にヤマが外れ、苦戦する羽目におちいりましたが。 - 独裁者槙村前府知事、疏水建設を批判~「開発独裁」型の地方政策の終焉
明治初年から開明的政策を先導した槙村正直前京都府知事は、二年後、後任の北垣府政、とくに疏水計画と府政運営を厳しく批判しました。この時期の地方政治の変化を考えます。
ここで用いた史料はここから。 - 「あれを本当の戦争と思っていたのか」~学長塾第一回(1)
日本は1894年から五〇年間、戦争を繰り返してきた。しかし、自分の土地を戦場にされて逃げ惑っていたのは、けっして「日本人」ではなかった。日本人は戦争を知らなかった。 - 日本が勝利してたら、植民地はどうなった?
~仮定にもとづく未来像の検討~
もし日本が「太平洋戦争」に勝利したら、植民地はどのようになったか、植民地に参政権が認められたという条件をもとに、勝手にシミュレーションしてみました。 - 北白川宮能久親王の「戦病死」をめぐって
日清戦争に引きつづいた台湾攻略戦は膨大な戦病死者をだします。数奇な運命をたどった皇族北白川宮もその一人です。戦地での皇族の死をどう扱うか、情報のやりとりを見ていきます。
今回用いた史料はこれです。 - アメリカは沖縄を「解放」しよう!としていた。
~「学長塾」第2期第一回(2)~ - 「土匪」の帰順は信用できるか?~台北厦門間の経済活動の中断をめぐって
1898年、福建省アモイに台湾にいた清国商人が続々と引き上げてきます。その背景には、この年就任してきた児玉源太郎台湾総督と後藤新平民政局長の政策への不満がありました。その背景を考えてみました。今回用いた史料はこれです。 - なぜ発砲できたのか~韓国映画「タクシー運転手」を見ました。
「なぜ光州事件で市民に向けて発砲できたのか?」その疑問を朝鮮戦争期の無惨な体験とかかわって考えてみました。市民への発砲を「正義」と考えさせる「論理」とは何か? - 「親日派」官僚における「植民地と近代」~任文恒「日本帝国と大韓民国に仕えた官僚の回想」をよんで
朝鮮総督府に仕え実力を養成することが朝鮮独立につながると考えた「親日派」朝鮮人の回想から「植民地における近代」の問題を考えて見ました。 - 日露戦争でも「軍夫募集」を請け負いたい~一枚の「軍夫請負願」から
日清戦争や日露戦争では、武器弾薬や食料などを運搬するために「軍夫」とよばれる大量の人々が軍によって雇用され、戦没者にもカウントされないまま、人知れず命を失ったものも多数存在しました。その様子を調べてみました。 - 幕末の人物への「アンケート調査」
幕末の人々の行動原理を理解するための理解の手段として、「アンケート調査」のような形でその考えを整理し、かつその優先順位を考える事ができないかと考えました。 - アヘン戦争はなぜおこったのか
アヘン戦争の背景と経過について、当時の中国が抱えていた問題も踏まえながら、まとめてみました。